RIP 鳥山明先生、ご冥福をお祈りします。

1984年から1995年から連載されたドラゴンボールと1980年から1984年まで連載された『Dr.スランプ』は、唯一大判の紙で家に置いてあり、家族の全員が全て熟読している漫画。自分の人生を振り返っても、1986年にアニメーションのドラゴンボールが始まった時からの熱狂は、今でも覚えている。当時12歳。週刊少年ジャンプという、学校の誰もが読んでいるのが当然という空前のマンガ週刊誌の最盛期が、我が子供時代だった。記憶の中で、水曜日の19時からドラゴンボールを見て、19時30分からの高橋留美子先生の『めぞん一刻』のまさに、ゴールデンタイムは、自分の人生の中でも、忘れられない記憶で染みついている。そして、ドラゴンクエスト。1の発売は、1986年なんだ。小学校6年生。僕の人生にとっては、子供時代の原風景。・・・・にもかかわらず、僕の子供達にとっても、子どもたちの日本のアメリカの友達たちにとっても、ドラゴンボールは、未だ原風景であり続けている。なんて偉大な作品だろう。僕は文脈読みが好きな人なので、ややこしい複雑な物語が好みな人ですが、、、、そういう好みなんかを全く超越したデザイン力、物語の力、、、現代の日本のマンガ、アニメ、ゲームという表現の領域のあり方を築いた方でした。ご冥福をお祈りします。

GUNDAM FACTORY YOKOHAMA もうすぐ終わりますね。

ガンダムは、実物、見たいって、アメリカに住んでいる時に、たくさんの人に言われました。

2022年ですから彗星の魔女がオンエアされていた頃ですね。いやーほんと時が経つのは早い。

とにかくでっかくて、はやいものは、作るに値するってのは、なるほど。

ところざわさくらタウンの『DESIGNS 永野護デザイン展』に行ってきました。

2024年2月23日にアズキアライアカデミアのメンバーで『DESIGNS 永野護デザイン展』に行ってきました。やはり休日で午後だったので、かなり混んでしました。また40-50代の僕らのようなファンが多いせいか、みんなじっくり見るので列が全然進まず、腰が痛い僕は、あまり見きれませんでした。僕自身は、デザインが一新されてから(そのあたりでアメリカに住んでいたこともあり)最新の『ファイブスター物語』はキャッチアップしきれていないのですが、機会は捉えていかないと、と思い。まぁ日本のエンターテイメント史の柱の一つとも言える、『ファイブスター物語』やデザイン群を創造した天才ですからね。

こういう展示でキャリアを説明されると、いろいろ腑に落ちることが多かったです。僕にとっては、なによりも『ファイブスター物語』のマンガの作者であり、ストーリーテラーとしての認識が強いのですが、自認も(肩書の最初のありました)、世の中で認められているのも、やはりデザイナーですよね。サンライズ初のデザイナー入社だそうで、とにかくキャリアの最初から天才として、自分の世界が凄すぎて、いるだけでどんどん様々な作品を侵食してしまうような膨大なエネルギーの持ち主だったようですね。初期のデザインから見ても、なんというか「完成されている」ので、何かの強烈な一貫性を感じます。もともとは、ロックなどのジャケットが好きでという青年期のエピソードが書いてあって、ファティマの等身とか、デザインセンスが、この感じは一体どこからきたんだろ?という感じはしてたんですが、なるほどそっち側か、と納得しました。

この人、不思議なんですよね。デザインが異様にオリジナル性高くせ世界があって、自分の言いたいことがある尖りまくっているのに、『ファイブスター物語』がエンターテイメントとして凄いのは、ひたすら王道の骨太のエンタメ的な話を書くんですよね。「この感じ」もどこからきたのか、全然わからない。いわゆるオタク的な感じが全然しないんですが、物語(ストーリーテリング)をよくわかっている感じで、、、、この人そもそも、音楽とかにハマってて、地方で(京都出身ですね)幅広い物語とかを読んでいた子供時代を過ごしているんじゃないかなって思うんですよね。僕の妄想ですが。オタク的な知識に偏らないのに、物語への敏感さがある人って、そもそもたくさん本や物語を幅広く読んでいないと、作れないので。

あとちょっと驚いたのですが、「銀河漂流バイファム」「巨神ゴーグ」「聖戦士ダンバイン」などもデザイナーで参加しているんですね。

tokorozawa-sakuratown.com

それと、東所沢の武蔵野坐令和神社にも行ってみたかったんですよね。


御朱印ほしかったんですよね。これ以外に天皇陛下の誕生日だったので、天長節ののものも買えいました。