LDさんのこの解釈は、僕は好きなんだよなー : 「葉隠」の物語〜「風雲児たち幕末編」吉田松陰

風雲児たち 幕末編 15 (SPコミックス)


風雲児たち幕末編」で吉田松陰が順調に“狂い死に”しようとしています。

井伊直弼の権勢確かな内から、倒幕を謳って幕閣老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。主君である毛利敬親を京都へ拉致して強引に天皇の勅を受けさせ徳川幕府と対峙させようとする。…幕末において長州藩というのは相当“狂っていた”集団だと思うのですが、高杉や、久坂といった名だたる行動派が“どん引き”する程の“狂い”方w


諫める弟子たちへ松陰は言い放つ。「危険が去って後、立ち上がるというのか。功名手柄を立てられる時が来るまで動かんというのか。君たちの腹はわかった。僕は忠義をする積り!だが、諸君は功業をなす積り!なのだな!」と。“やらねばならない事”ってのは、できる、できないんじゃないんだと。成功しなければ意味がないというのなら、100%の保証が無い限り立たないという事で、100%の保証なんて永遠にこないから、それはつまり永遠に立たないという事だと。


…まあ、非常に極端なものの考え方ですよね(汗)しかし、順番を前後させて語りましたが、松陰のこの“狂い”方が長州藩の全部に伝播し藩を動かし、倒幕・維新の原動力となった事は多くの人々が認める所でしょう。


誰かが“狂わない”と日本を近代国家に変えて西洋列強に対抗できる体制を作る時間を短縮できなかった。(「風雲児たち」を読んでいる人なら知っているでしょうが、松陰の先生である佐久間象山もまた“狂った計画”を幕府に上奏して、時代を短縮させようとしましたよね)



何でもそうですが“取り返しの利かない決断”というやつは、人の心を躊躇させ理と称して人を楽へ流しますよね。…まあ、これが功名や利益のための決断なら、慎重に慎重を重ねて“時が”来るのを待っているのもいいんじゃないかと思うんですよ。準備を怠らずに。…そうして結局、その“時”が来なかったとしても、まあ、それはそれで悪くない人生というかね。そこを敢えて打って出るのも決断ですが、まあリスクはあるよねと。しかし、それは「できるできない」のタイミングを測る話であって、今、松陰がしている「できるできない」の問題じゃない話とは違う気がします。



葉隠」の物語〜「風雲児たち幕末編」吉田松陰
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/7bfae378c375abb3f35f2afc7781ba80
今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)


LDさんのこの解釈の話は、物凄く好きなんです・・・・。