「メディアという点から見ても、この100年くらいでコンテンツはどんどんゼロに近づいているんです。例えば『第九』。最初のSPは10数枚組くらいかな、もっとかな。ところがCDだと1枚に収められる。それで今度は音楽配信になると、メディアレスのデータのみになる。どんどん小さくなって、見えなくなる」。
「けれど、もともと音楽って何万年もの間、かたちのない『ライブ』だったんです。メディアを再生して音楽を聴くというスタイルは、レコード誕生以後の約100年くらいの歴史しかないんですね。メディアがなく録音もできない時代、音楽は100%ライブだった。音楽が目に見えない、触れられないデータ化されたものになっている今、もう一度音楽のおおもとのかたち − ライブへの欲求が強くなっている。これはすごく面白いことだなと思っています。なにか必然的な理由があるような気がしてね」。
「たとえばいま携帯電話で音楽を聴いている子供たちにも、もっと生を聴く機会ができればいいと思います。シャカシャカした携帯電話の音楽と、ライブで聴く生音は全く別のものだって、1回聴けば分かりますよ。録音した音楽は、どうやっても生を超えることはできない。だから、生の音楽に接する機会を、多く持ってもらいたいと思います」。
これ、物凄く面白い記事。さすが、坂本龍一さん、分析が鋭いっ!。
レコードやCDというメディアを通して音楽を聴くスタイルは、レコード誕生以後の約100年くらいの歴史しかない。メディアの誕生と共に現在の音楽ビジネスの仕組みが構築され、ミュージシャンとその周辺の人たちの生活を支える一大産業となった。しかし、坂本さんは「この100年くらいでコンテンツはどんどんゼロに近づいている」と指摘。
追い討ちをかけたのは、インターネットを通じた「音楽配信」。パッケージ化されていない音楽データのやり取りを経験したリスナーは、既存の音楽ビジネスが時代に追いついていないことを敏感に察知。というのも、我々リスナーが音楽の対価として支払っていたものは、「実は製造や運搬というパッケージのためのコスト」(エグゼクティブの人件費含む)だったことが、露わになったのだ。
ここは、よくよく商社的な、流通的な仕事をしている人は考えなければならない問題。ただし、こういう「流通中抜き」や「消去」が叫ばれて30年たった今も、まだ商社が全然なくならないことを考えると、ディストリビューションというものも、全ての距離はゼロになって消失するわけではないという事実も同時に見ておかなければならないと思う。単純じゃないからね、世の中は。