大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012に行ってきました。

ずっとずっと行きたかった越後妻有トリエンナーレ2012。いってきました。聖地巡礼というわけじゃないけど、友達と、いきなり思い付きみたいな珍道中で、とてもたのしかった。イメージは、ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』の撮影旅行のノリ。こういう友人と、どこかへ遊びに行くって、、、、そういえば、ついぞ最近したことがなかったと思いました。やはり、結婚して、子供ができると、家族や奥さん以外とどっかに遊びに行くってのは、まず皆無になりますからねー。家族では、ものすごく行くんだけど。。。。30代(既婚者子持ち)ってのは友達のメンテナンスが弱くなるようなぁ、、、と実感します。この前の東富士の陸上総合火力演習もそうだけど、うーん、凄い質のいい小旅行でした。こういうの行ける友人がいるというのもいいし、いやーほんと、最近僕は幸せです。気のおけない友人がいる、好きなことがあるって、こんなに癒されて楽しいものなんだ!って思います。


美術手帖 2012年7月号増刊 特集 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012 公式ガイドブック アートをめぐる旅ガイド

いま『ワークシフト』を読んでいる中で「自己再生のコミュニティ」という概念があったんだけど、なるほど、と思う。現代社会は、現代のテクノロジーは、基本的には人を孤独に追い落としていくものなんだけれでも、意識して、「自己再生のコミュニティ」を作れば、というifが語られるんだけれども、まさにその通りだと思う。逆にテクノロジーが、それを支え守る武器になる。僕は、こんな友人は、ブログがなければ、出会うことはなかった、と思います。まっ、ブログがあっても、リアルで関係を築き、メンテナンス「し続ける」意志と努力がなければ、無理だけどね。流動性は余計高まるから、基本的には孤独になるし、著者のリンダ・グラットンさんが書いているように、ナルシシズム(=自分中心でエゴを通し続ける)が高まるのがこれからの社会なので、そこではコミュニティや協力し合うということへと反対の潮流が流れていくだろう。まぁ、そういう人は孤独になるだけだけどね。僕は、そうなりたくないもん。努力しよう(笑)。ちなみに「自己再生のコミュニティ(=ようは気のおけない友達と過ごすこと)」ってのは、空間と時間(&文脈=コンテキスト)を濃く共有した経験によってしか形作ることができない、というのが僕の持論です。これ、凄く重要な気づきでした。共同体の定義って「時間と空間に拘束されること」なんですよね。だからネットの体験は、肉体が空間を共有していないので、僕はある程度限定的にならざるを得ないと思っています。これ、ヴァーチャル空間が拡大していく今後50年では、物凄い重要な差異ポイントとなると僕は見ています。この前亡くなったアメリカの外交官も、最後の遺言というかセリフが有名なバーチャルオンラインゲームの仲間に行ってセリフだったじゃん、、、あれとかすげぇなーと思うのですが、これからコミュニティや友人がああいう形で形成されるリアルSAOの世界が確実に訪れます。そういうときに、自分の自己を安定化させるコミュニティをどのように階層づけて形成するかは、凄く人生を幸せに生きるコツと直結すると僕は思います。そして、それは、昔のように「自然に」ということはあり得ない。それは、僕らの住む世界が、再帰的な世界だから。・・・ってなんか難しくなった。

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ちなみに、ほんとぉぉぉぉぉぉーーーーに長く僕のブログを細かく読んでくれている人や、僕と直接たくさん話したことがある人は、この「空間と記憶のコントロール」というタグというかテーマで、僕はずっとものを考えているものがあって、故・荒川修作さんの養老天命反転地から、ランドアートに凄く興味を持っています。モダンアートが、環境芸術といわれるこっちの方向へ流れて分岐していく様は非常に興味深いポイントだと僕は考えています。そうなんですよ!実は、なんちゃって建築好きなんですよ、僕は。


http://www.yoro-park.com/j/rev/index_a.html

養老天命反転地―荒川修作+マドリン・ギンズ 建築的実験
養老天命反転地―荒川修作+マドリン・ギンズ 建築的実験


同時に、これからの未来の日本と世界を考えていくときに「地域コミュニティの再生」や「ナルシシズムに沈む個人の実存の回復」などの視点からも、こういう「町おこし」・・・というと、概念が狭まってしまいますが、非常に重要なことだと思っているのですです。わかるでしょう?。地方は全世界的に沈みます。間違いなくメガシティの周辺部にできるスラムよりもさらに沈むはず。そうなっていく文脈で、地域の活性化、そこにおける共同体的な絆の回復は、重要な今後の人類の戦略的課題なはずです。まぁ、こういうトリエンナーレ的なものが根付くかどうか、それもまだ僕にはわかりません。あくまで選択肢の一つにすぎないと思っている。箱モノ的な感じもぷんぷんにおいますし。本当に地域の共同体の形成に役に立つかといえば???だろうしねぇ。とはいえ、体験しないことには、評価や可能性はわかりません、ということで行くことに異議ありでした。


特に、ちきりんさんのブログで言われているような『日本というブランド』ってなんなんだろう?、これからの日本は50年単位で何が最も目指すべきポイントなんだろう(現実的にね、今ある手持ちのアセットを使って)って考えると、瀬戸内の芸術祭もそうだけど、これらのイベントは、僕は非常にヒントになるものだって思っているのです。日本って、なんといっても、土地が美しい。季節も四季がはっきりしているなど、そもそもがヘリテージみたいなもん。。。。そういうの利用するこう行くのもので、、、というと、こういうのは世界的な潮流でもあるしね。


http://setouchi-artfest.jp/

って、一緒に行った人、全然そんなこと言ってなかった!とか、モズ男とか叫んでいただけだった、とかいわないでねっ。てへっ(笑)。モズ男ネタは、いやぁーーなにがそんなに面白いんだっ?って言うぐらい、うけましたねぇーみんな(笑)。運転やばかったですよ、僕は(苦笑)。腹よじれそうで。特に「いまを楽しめ」のアートは、最高でした。

これ田村由美さんの『7SEEDS』に出てくるのあのカマキリの化け物にめっちゃ似てねぇ???すげぇ怖かったよ。


大地の芸術祭