『GATCHAMAN CROWDS』 中村健治監督 見始めました。

日本テレビ系アニメ 「ガッチャマン クラウズ」オリジナル・サウンドトラック

西暦2013年の最前線。『ガッチャマンクラウズ』がテン年代のコンテクストを刷新する。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar322009

海燕さんのこの記事が素晴らしく面白かったので、これは、追わないと!と思い。日テレオンデマンドで、視聴中。ふむふむ。


なんといっても、はじめちゃん、巨乳だな!


うん。かわいい。爾乃美家累がクラウズ(群衆)を代表するヒーローの類型ならば、一の瀬はじめは、個人で世界を救う系の類型の代表ですね。


ただ、この作品は、たしかに、物凄く文脈が積み重ねられていて、どちらの英雄増の類型も、一ひねりしている。


はじめちゃんは、一言でいうと、不真面目で論理思考をはしょって飛躍する、、、、なんというのかなぁ、非思考型という属性が付与されていて、これまでのヒーローたちにありがちな盲目的で視野狭窄な目の前のことを救う、戦うというといったことから自由になっている。


1−3話の最初までに、まずは物語の導入として描かれた敵を、あれ?それ敵じゃないよね?(根拠はまったくなし)と二元論的対立(=善と悪との戦い)の思考を、たった2話にして飛び越えて、通常のヒーローもの類型をいきなり飛躍する。これ、これまでの普通の正義の味方モノならば、ワンクールとか50話とかで延々と描いて結論が出ないで追い詰められるエピソードなのにっ!。


物事をシリアスに受け取らない、設計主義的な「積み上げ」に陥らせないためにこういうキャラクターになったんだろうと思うけれども、デザインと相まって、これは素晴らしい。どう考えても、このはじめちゃんという女の子は、時代の最先端の思考をしていて、ソーシャルネットワークを使いこなすさまもそうだし、視野の広さの頭の回転は、物凄い。一見、論理過程を端折るのでちょっと頭の弱い天然系に見えるけれども、明らかに違う。だって、どの彼女の「行動」も、僕らがブログで延々とヒーローものの問題点における分析をこれでもかと積み上げたその「結果」に軽く彼女は足を踏み入れている。視野が広すぎて、視野が狭い人間には見えないものを説明なしで掴み取っているからだ。


もちろん、問題もあると思う。つまりは、過程がわからないものは、他人にはなかなか理解できないことだ。もちろんなので、ああいう不真面目なキャラクターにしているんだろうけれども?、、、どこへ落とすのかは楽しみだ。



爾乃美家累だ。これは素晴らしい。善意の直列で世界を救おうとする類型は、「脱英雄譚の英雄譚」の文脈では、ずっと語られてきたが、、、彼は僕的に云わせると、生真面目で、設計主義的な英雄の類型なんだけれども、この作品がよく文脈を理解しているなーと思うのは、彼って、海燕さんも言っているけれども、


>つまりは「チート能力では世界を救えない!」とわかっているわけです。


ということが意識されているんですよね。これも、「次の世代の物語」への明確な意識です。善意の直列で世界を救おうとする類型は、『サマーウォーズ』なんかが典型ですが、集合値やたくさんの人の善意を集めて、個人のヒーローに代替してしまおうっ!って発想です。しかし、これの限界点の意識をしているのは確かに興味深い。


さて、どこへ行くのか。現在4話まで見ました。もう少しで追いつきます。いまは見損ねてもネットで見れるのでいいですねー。日テレオンデマンドで900円で見放題に。