『終戦のエンペラー』 監督ピーター・ウェーバー 日米同盟の基礎となる歴史認識の再確認

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

非常に面白かった…が、出来はどうかというと、エンターテイメントとしては、いまいちだった。一つは全体の構想に関わることだが、なぜ連合国、特に最前線のアメリカ軍人が、天皇を断罪せずに、日本の再建を意図しているかといえば、対共産主義との戦いの橋頭保にするためなんだよね。「それ」を射程距離に入れないで、日本の文脈のみで物語を描くと、どうしても大きな文脈からの理解が不能な、小作品になってしまう。

この作品は、フェラーズ准将のハリウッド的なラブロマンスという物語に小さくまとまってしまった。まぁ、エンターテイメントとして成り立たせて、わかりやすくするには、この決断はわからなくもない。なぜならば、そういう意図を前面に出さなければ、企画の段階で誰も見ねーよと言って消し去られてしまうのは間違いないからだ。歴史を描く物語は、とくにこういったグレーの部分であったり、わかりやすく勧善懲悪の善悪二元的に物語にしやすくカタルシスを得やすい構造にしないと、ハリウッド的な大作にはできないし、大衆的には理解できないというハードルがあるので、なかなかいつでも難しいんだよね。

これは日本側の物語にも総じて言えることで、WW2の終結と戦争の責任問題、、、、あの戦争の原因はなんだったか?何が目的だったか?というような根幹の問題が、日本社会からの単独文脈で読むと????って意味不明になってしまいやすい。実際のところ、まぁうそというか後で捏造したにせよ大東亜共栄圏とか、アジアの解放とか、なんでもいいのですが、あの頃の戦争の大義とか、そういうのはどこへ行ったの?って気がする。簡単に考えても、満蒙は日本の生命線とか、そういう国是というか、戦争の目的があったわけじゃないですか?、それ全部物語の途上でぶつ切りにさせられているので、意味不明になってしまう。ダメだったなら、ダメだったなりに、どうそれが潰えたのかを物語に、、、もう少し普通の言葉で言うと「歴史」にしてくれないと、歴史を継承す国民として、?ってなってしまう。それくらい、WW2の始まりと終わりは、日本社会の文脈だけで考えると接続していない。いきなり違うステージに話がぶっ飛ぶので、???ってなってしまいやすい。ほんとは、たぶんアメリカの歴史文脈で考えると、そこまでは飛んでいないのだろうけれども、対コミュニズムの冷戦のスキームが、それまでの日本の提示していた世界観をブッ飛ばしてしまった(苦笑)ので、日本の文脈は、尻すぼみで消えてしまっている。まぁ、歴史って、そういうものなのかもしれないけれどもね。

ちなみに日本の単独の文脈の物語を読むと、日本側のものは、昭和天皇の戦争責任を回避しようと物凄い努力する作品が多く、、、たぶんそれは事実だったんでしょうが、臣下の、、、とか、感情的な、当時の人間にしかわからない感覚的なもので、どうにも理解不能だったんです。、、、たとえば、山崎豊子さんの『二つの祖国』の裁判のシーンは長いのですが、みんな凄い努力して天皇の責任を回避しようと努力する。この本では、さまざまな立場で、海千山千の一癖もニ癖もある人々が、なぜだか微妙に奥歯に物が挟まったように、天皇陛下の戦争責任を回避しようと、努力する。この『終戦のエンペラー』では、信奉!などという意味不明の言葉で、日本人の忠義の問題に関して、神秘化しているように思えるが、それと同じように、わけのわからないことにミステリアスなレッテルを張って、なんだか意味不明なものとして理解しようとするのあきらめる姿勢になる。たぶん当時の人々には、空気としてわかるんどあろうが、まったく異な児代のステージを生きる僕ら若い世代には、意味不明のロマンティシズムかオリエンタリズムか、バーバリアニズムとかにしか見えなくなってしまう。

二つの祖国〈上〉 (新潮文庫)


、、けど、これって、ちゃんとロジカルに説明しようとすると、もっと広いスパンで描写しないと、意味不明になりやすいんですよ。陛下のお心が、、、とか、そういう文学的感情表現は意味不明になるので。このあたりの戦前の生きていた人とか、戦前をそれなりに親がいてとか、知っている世代の描いた文章は、「お前らわかるよな!」的な空気で、背後の文脈とかがぶっ飛ばされて描かれることが多くて、いつも僕には意味不明だったんです。これは間違いなく日本語で説明してはだめで、、、日本語では意匠によってさまざまな空気や感覚が付与されて誤魔化せてしまうので、外国時の視点からロジカルに日本語以外で説明しないとダメなんだろうなーっていつも思っています。


たとえば、極東軍事裁判の問題も、日本の内部のロジックだけで語られると、まったく意味不明の感じになるんですよ。そりゃ、A級戦犯は悪くなかったのだ!とか右翼の人が、、、最近は右翼でなくても言うのかな?よく言うのですが、僕はこれがよくわからなくて、、、。まず一つは、たしかに広田元首相とか、ん?なんでこの人が?とか、なんというか、たしかに、なぜ彼らが裁かれたかが、よくわからないんです。戦争悪だから!とか言われても、常識で考えて、えっ、それは別にアメリカも中国やっているよね?ってふつう思いますもん。まぁ中国は日本に侵略されたん側なんで、彼らが怒るならわかりますが・・・・アメリカは、いくらなんでも、お前ら言えないだろう?って、たぶん誰もが思うんですよね。すると、何ををどういう目的で裁いたのかわからなくなる中で、日本が正しかったの、ぐっと我慢した、見たいなニュアンスでたぶん右翼の人とか、ナショナリズムの視点って語られがちなんですが・・・・いや、ちょっとまて、日本の文脈ではそれはわかるけれども、、、本当にそうか?。いくらなんでも、アメリカ側や中国とか連合国の視点が抜け過ぎだろう!それって思うんですよ。でも、なんか奥歯に物が挟まって、はっきりしないんですよね。グレーな感じなの。これって、日本に明示的に連合国側の視点が示されていない感じがするんですよね。本来は日本は負けたんだから、何があろうとも全面的に、彼らの史観を受け入れるのは当たりまですよ。戦争なんだもの。けど、微妙に、、、、ウォーギルトインフォメーションとか日本の検閲と洗脳で徹底的に情報操作している割には、意外に、日本の視点が深く生き残っている。。。って、当然なんだよね、戦前の大日本帝国の「国体」自体は、まったく手つかずなんだから。日本なんか全面降伏だから、もっと独立なんか消え去ってもいいくらいなのに、ほとんど、戦前と何が違うの?ってぐらい変化がない。特にこの国の根幹であって天皇制と官僚システムは、ほぼ手つかずなんだもの。なので、微妙に、、、、「俺は悪くない…」的な、実際は負けているので、悪かったんですけど、そういうひがみ根性が残っている感じがするんですよね。なんか、強く日本は悪くなかった!的な物言いはさすがに通らないので、日本の内部だけでぐじぐじいっている。意味不明に見えるんですよね。僕がかなり若い時に下記の『プライド 運命の瞬間』という映画を見て、なんか笑ってしまいました。これって、右翼映画だけど、なんか自国のバカをさらしているようにしか僕は見えませんでした。内部の論理は、日本の侵略防衛の物語は、僕も日本人なので、わからないでもあえりません。けどねー、、、やっぱり世界は力です。負けたのに、うじうじ、自分たちは正しかったとか、そういうのって明らかに負け犬です。こんなに貧相な人々の末裔なのかと思うとがっかりしてしまいました。自国の正しさを、権力の正しい行使と自国の発展によって示すことができなければ、それは負けじゃんって。当時思いましたよ。ぜんぜん、自虐史観からの脱出ではなくて、負け犬がさらに負けをさらしているだけに見えて、、、、それだったら、全部僕らが悪かった!、でも戦後凄い経済発展したから、それでいいじゃん!という実際的な開き直りの方が、よっぽどマシに思えました。

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本来は、戦勝国であるアメリカが、そんなこと許さなければ一発で消えるはずだったんですが・・・なぜか、アメリカは、日本をかなり守るんですよね。イデオロギーはそれなりに操作しても、実体が全く変わったいないので、全然消えないんですよ。では、なんでそんなことをアメリカがしたのか?という「この理由」がはっきりしないと、なんか捻じれるんですよ。歴史認識が。


今回の映画は、アメリカ側からの、、、いや本来は、現在の日本においても正史であるところの、1945年以降、そしてサンフランシスコ講和条約、そして日米同盟の基礎認識の再確認だったと思うんですよ。アメリカ大使館でプレミアム上映されているんだから、事実上そうアメリカも認めているわけですよね。


ではそれは何?といえば、ここで語られているのは、昭和天皇の戦争責任の問題です。


答えははっきりしています。いろいろ文学的な日本の表現はあるし、昭和天皇が開戦の意思決定に反対であったのは事実だろうと思いますが、そんなことは、どうでもいいんだ!とフェラーズ准将がキれているのは、よくわかります。重要なのは事実とシステムであって、どんな裏の文脈があって、事実上昭和天皇が脅迫されていようがいまいが、開戦を決定したのは元首なんです。その裏の話をいろいろいわれても、アメリカ人として外部の人からすれば、知ったことか!(苦笑)ってのは、よくわかる。それも1か月もないような期間で日本の戦争責任の根幹をどう考えるかの方向性を見つけ出さなければいけない重圧の中で、そんな事実もないあやふやなことは、考えてられないんですよ。これは、シゴトとして見ていると、GHQは大変だったんだなーと感心しました。


もう明らかなクロなんです。昭和天皇が、人間的には、はっきりいって非常に立派な人(苦笑)なのは、どう見ても過去(その後の)の彼の人生を見ても間違いないし、あきらかに戦争に対して否定的なのも間違いないです。めちゃめちゃ土俗的な日本社会に対して、君主だけがリベラリズムや議会制民主主義を理解しているという普通と逆の捻じれ構図なのは、もう間違いないです。でも、クロなんです。有罪なのは、間違いないよ。なぜならば、戦争を終結させた時に、ご聖断を下しているんだから。同じことが、開戦時にできないのは、機能的におかしい。実質無理だとしても。

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

では、なぜ、アメリカの議会も天皇を処刑する気満々だし、民意も望んでいたのに、なぜ?そうできなかったか?。僕は個々の歴史とかはまだ不勉強だし、事実としてはよくわからないんだけれども、大枠として「現在」から見れば、当時のアメリカのリーダーたち、とりわけ、アジアの最前線の高級軍人たちが何を考えたかは、よくわかる。歴史を見れば一発なのだ。れは、日本の降伏をもって、WW2が終わったのだけではなく、冷戦が、対共産主義との自由主義陣営との戦いが始まっているのを、最前線は理解してい実感しているんだろうと思います。、、、つまりは、戦後の対共産圏に向けての防波堤として、アメリカ軍の前線基地として機能できるかどうか、なんですよね。重要なことは。それは、もちろん日本にとっても最も意味ある戦略的な行動であって、そのためには、日本で下手な内戦は起こすわけにはいかない。旧統治機構ががっちり機能する必要性があって、、、、その為に、アメリカの最前線の軍人も日本の旧統治者たちも、利害が一致していたんですね。という構造をベースに、それぞれの利害で動く。そして、奇跡的に、アメリカの占領軍も日本の旧統治者たちも、おっそろしくクレバーにこのWW2戦後世界の構造を理解していたのが、この当時の時代状況なんですね。さすがは、日本もアメリカも、世界の当時の最先進国なんですよ。こういうの外交で一発で理解できる為政者がたくさんお互いにいるんです。この辺は、さすが100年も列強の末席にいるだけのことはある。


そういう意味では、この文脈の大転換が、ねじれを生んでいるのかもしれないなぁーと書いていて思いました。というのは、日本は、(1)アジアの解放とか欧米列強による後進国への侵略の防衛の物語を生きているわけですが、、、それが正しいか(=戦略的に理にかなっているかどうか)どうかはかなり疑問ではありますが、とりあえず掲げた大義はそういうものでしたが、そういう「物語」からステージが、がっくんと変化して、(2)冷戦構造・・・自由主義陣営と共産主義陣営の二大対立の時代に世界はシフトしているんですよね。そんでもって、日本側単独の文脈は、基本的に(1)の終わりであり終末で語られるわけですが、実際には、プラクティカルに(2)の構造で対応しているんですね。


この時期に日本が、正しい形で降伏してた上で、アメリカの単独占領に応じて、対共産主義ソビエト+中国とその激戦地である朝鮮半島)の後背地としての戦略的位置づけを意識すれば、日本は確実に生き残る可能性が高い。それも、下手をすれば、ほぼすべてのシステムが温存された形で、、、、って、よくよく考えると、、、降伏を考えっていた日本のリベラル勢力が、これを考えていなかったはずはない、、、と思うのです。もちろん、吉田茂岸信介など官僚たちであり、、、、よく考えれば、降伏を考える時の決断として、昭和天皇がこれを考えていなかったかといえば、、、どうなんだろう?そういう目で見たことがなかったが、あれだけ大局的な指導者の教育と意識がある人であれば、、、これはわかっていてやっていたんじゃないかな、、、。


・・・という物語にすれば、十分、俺らの祖父たちの世代すげぇ!って思うんですけど、、、実際、こっちにストーリーの方が、リアルっぽい気がするしなぁ。。。


・・・・「対共産主義の砦として米軍の最重要同盟国として生き残る」という戦略的、地政学的方針は、、、、考えてみれば、絶対あったんじゃんないかな、、、と。しかし、微妙なのは、こういう大局的な鳥瞰的な視点は、少なくとも国の指導者級の選良以外には、わからなかったし、意識されていないと思います。鬼畜米英とかいうベタな物語に洗脳されてしまうので、大衆は。特に当時の日本の選良たる指導者層と大衆層の乖離は、異常なほど大きかったから、これって一度ベタな物語が支配的になると、指導者もコントロール不全になったんだろうなぁ、と思います。特にそれを監視コントロールすべきマスコミが日本ではひときわ腐って枢軸国的なムラ社会システムなので、それが輪をかけてだめになった。イギリスのように、本来は、華族という貴族層と貴族院が、これを安定的にセーブかけて保守するのがそもそもの大日本帝国の国家の国体の設計だったはずですが、華族が簡単に没落して、イギリスのような貴族社会を形成できなかったんですよね。なので、財閥と大土地所有者になっただけど、、、このへんは、共産主義に転び易いか資本ですぐ転びやすかった・・・・・


おっと話が飛んでしまったけれども、ようは、どうもこのねじれって、(1)と(2)の接続がシームレスでつながっているので、論理的に破たんしているところポイントがある模様。


さらに、勝者として支配者としてのアメリカの世界戦略の必要性に付け込んで、日本の指導者たちが、日本にとって都合がよい現行システムの継続維持を認めさせてしまった上に、革新官僚が最もきらった敵対派閥の軍官僚と軍事力をすべて追放したうえに、アメリカ軍に肩代わりさせるというウルトラCを認めさせてしまったが故に(苦笑)、わけがわかんなくなったんですよね。これはこれで、物凄い戦略的な力技ですけどね。


イデオロギー上は、連合国の支配の正しさを全面的に受け入れて(2)の物語の最重要同盟国となったにもかかわらず、(1)の物語の最大のラスボスのナチスドイツに次ぐラスボスだったわけで(苦笑)。


ここでアメリカが、、、フェラーズ准将の苦悩がよく出ていましたが、明らかにクロな昭和天皇とそれが要となっている日本の官僚に支えられた旧帝国の統治システムを生き残らせないと戦後の対共産主義の砦としての機能が維持できない、しかし、、、、明らかなクロだ、、、と。


ここでの結論は、開戦ではクロ。しかし、アメリカと連合国にとって善であるポツダム宣下の全面受託、降伏を、天皇の意志によって実施され、彼の意志によって国内が非常に安定しているという状況を顧みれば、その功績?というか行動をもって、免責とするべきである、という結論でした。なんとも、意味不明というか論理的におかしい、結論でした。けど、プラクティカル(=実際的)に考えれば、これしかないんですよ。アメリカの世界戦略で、コミュニストへの防波堤には、日本が生産基地として存在するのは絶対条件ですから。ここが、中国やソ連と分割統治になったら、それこそ、太平洋には遮るものは何一つないので、アメリカと共産主義諸国との直接対峙になってしまうからです。

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そういう文脈で考えた時に、アメリカとしては、当時の戦略的な状況からいえば、日本がアメリカの防衛、アメリカを盟主とする自由主義陣営の盾として、十分以上に機能したのは事実です。アメリカの最重要産業の車産業を日本に明け渡してさえマーケットを解放したのは、自国の資本主義の国是もさることながら、このメリットを享受してが故です。けれども、イデオロギー的には、ナチスドイツの同盟国としての旧枢軸国の大日本帝国イデオロギーを認めるわけにはいきません。それは、はっきりと、アメリカは打倒したんです。日本も完璧に負けたんだから、それに関して抗弁する権利はないんですよ。もちろんいろいろないいようはあるかもしれませんが、やはり歴史は権力者の正当化の道具です。それに反抗するのは、やっぱりおかしいですよね。


サンフランシスコ講和条約の理念は、やっぱり、このグレーな部分を認める歴史認識だろうと思うのです。もっというと日米同盟の基礎認識は、これです。


ナチスドイツと同じく旧軍指導者という「悪者」がいて、そいつらが日本国民と天皇を操って、悪いことをした。極東軍事裁判によって、A級戦犯指定されたこれら悪の組織のラスボスを処刑し、善の解放者であるアメリカ軍を中心とする連合国が解放した。なので、日本国民と天皇は悪くない。その後、アメリカの最大級の同盟国としての責務を果たした日本国民と天皇と官僚システムのリーダーたちは、民主主義とアメリカとの同盟を順守する素晴しい人々で(苦笑)、やっぱり悪いのは、ナチスドイツみたいな旧軍指導者でした、めでたしめでたし。。。。


なので、この日米同盟と戦後世界の基礎となる歴史認識への挑戦は許すことができません。アメリカは、最大の受益国なので、意外に寛容ですが、中国や韓国などはこれを絶対に許せません。彼らは特に得をしていないので、ほんとは、中国なんかは連合国として日本を分割統治してもよかったわけで、それを全部放棄しているようなもんなので、せめてイデオロギー的に、日本は過去凄い悪いことをしたアジアの侵略者でしたという物語を拒否することは許せないでしょう。いや、、、それは気持ちはわかるよ。いまでこそ経済的には日本と同レベルにまで登ろうとしている台湾や中国だからいいけど、当時は、侵略はされるは、しかも戦争に負けたくせにアメリカに守られて、朝鮮戦争で大儲けしやがって、なんだあいつら!という気持ちはふつう、思うよ。


というグレーの部分を、まさか忘れてないよねっ!!!というアメリカ側からの脅しです。これ(苦笑)。


そして、日本のリベラル勢力とかにすれば、アングロサクソン、特にアメリカとの同盟は、日本の重要な基幹スキームだという認識があるはずで、これを壊すのは、いかにナショナリスティツクな言説が出ても、許容しにくい気がするなぁ。あと、、、ふと思うけれども、右翼の言説も下手だなーと思う。少なくともこの日米同盟の根幹に接続できる物語をつくればいいのに、、、と思う。マーケティングが凄い下手だと思う。旧軍の運営方法や戦前の帝国の運営方法は、少なくとも、アメリカとの無謀な戦争に飛び込み、中国との勝てるはずの戦争を戦線拡大して泥沼に落ち込ませたわけで、国家のデザインとしては確実に駄目なんですよ。それを、いや過去の日本も間違っていなかった!とか、最悪のシナリオだと思います。個人的に。


もう少しクレバーで、接続のいい歴史認識の物語はないものか、、、と思います。どれも所詮、歴史は物語だし。でも、こうしてみると、たぶん日本の平和憲法は、アメリカが作っておしつけられた!なので改憲なんていうベタなことよりも、いや、、、そもそも、アメリカの世界戦略を見抜いた日本の指導者たちが、アメリカを利用して日本の戦後の改造をしたのだ!とかいう(半分以上事実だと思うけど)物語で、吉田茂は偉かった、とかそういう物語に帰る方がいいような気がするなーと思う今日この頃。


そんなことをこの映画を見て思いました。物凄いてきとーな思考です。