『Zootopia ズートピア』(2016米国) 監督 Byron Howard Rich Moore 現代アメリカのリベラリズムの到達地点とオバマ政権への反動への警鐘

Zootopia ズートピア 2D blu-ray[北米盤英語のみ]


評価:★★★★★星5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ) 


素晴らしいとは聞いていたけれども、飛行機の中で見たのですが、最初の10分ぐらいで号泣していました(笑)。僕は、届かない理想に全力で頑張る姿が、とても胸に来るようなんですね。この作品を何の映画かと問えば、リベラリズムの理想を描いた映画、ということができるでしょう。もう少し具体的に言えば、現代(2016年)のアメリカという現実をベースに、リベラリズムの理想と現実を描いた物語ともいえるでしょう。我々が住む世界の最前線の現実と理想。


ああ、これは、リベラリズムについて全力で語りたいんだな、ディズニーはと、見ていてしみじみしました。2016年の今は、分断されつつあるアメリカを統合する理想に燃え、分裂の仲介者として熱狂的な支持のもとに登場してきたバラク・オバマ大統領の最後の任期の年。同時に、その行き過ぎた理想主義が、全く現実を変えることなく、無慈悲に社会の分断が拡大して、混乱が収拾できなくなり、そしてその反動として、ドナルドトランプ共和党大統領候補が登場してきた年でもあります。いいかえれば、理想主義の反動として、現実が押し寄せてきた年なわけです。アメリカだけではなく、イギリスのブリクジットによるヨーロピアン・ユニオンの超国家の理想が、移民の現実によって覆されつつある時なのです。


この時代背景に、アメリカ(フランス・イギリスから始まるヨーロッパ近代国家の理想)が目指す理想の主軸の一つであるリベラリズム自由主義を問うことは、ディズニー社が、時々反動的に戻りつつも、一貫して理想を追求してきた表現の会社であることを強く印象付けます。どう考えてもアメリカ大統領選(新しい大統領が決まるのがこの2016年の11月のはず)にぶつけてきているのが、はっきりわかります。


それにしても、現代アメリカの物語の、リベラリズムが深く深く浸透して、その現実との戦いが前提となっている様は、本当に感動します。この国が人類の最前線で、その狭間で葛藤を強く抱き、行きつ戻りつつしながら進んできた社会なんだということをまざまざと感じさせます。2014年の『ベイマックス』(原題:Big Hero 6)も、初の日系アメリカ人の少年が描かれていましたが、ステレオタイプな日本人や日本社会の表現が昇華され、深い尊敬と愛に満ち溢れた映像と物語に、僕は衝撃を受けました。なんでも文化の表層しかコピーしないアメリカの文化的伝統の下で、サムライ・ゲイシャとか、そんなものばかり見ていた自分には、ここまで深く日本を理解して、しかも、それは日本ではなく、アメリカ社会にカスタマイズされた洗練された美しい表現を見るとは思いもよりませんでした。実際、いわゆるPTA推奨作品のようなものらしく、様々なところで上映会がなされており、うちの子供たちの通うエレメンタリースクールの夜の上映会で選ばれていて、政治的に正しい(=ポリテイカルコレクトネス)な扱いを受けるような作品で、且つ面白く家族で見て大人も楽しめる作りは、ディズニーが進化し続けていることをまざまざと見せられた気がしました。いまもドナルド・トランプさんがいうように、政治的正しさって、なんだか胡散臭いし、自然ではない気がするのですが、それは、マジョリティから見た違和感だと思うのですよね。それは、変化が怖いといった、人間本来の恐怖と重ねられて区別がつきにくくなって、自己正当化に使われやすい。けれども、僕はこうした、現在の保守的な視点から見ると、違和感があり人工的で無理があり、怖く感じるものを、物語の次元でわかりやすくエンターテイメントとして浸透させていくことは、とても大事だし、それこそが物語の面白さの価値の重要な一つだと思っています。そういう意味で、昨今のディズニー社のチャレンジ精神は、さすが人類最前線国家アメリカの表現をリードする会社にふさわしいと唸ります。

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立場は違えど社会のマジョリティではないジュディとニックは、事件解決へ向けてバディを組むと、抜群の相乗効果を発揮して結果を出す。
肉食動物たちの失踪は、彼らが原因不明のまま突然知性を失って凶暴化し、異常な事態を憂慮したライオンハート市長によって隠されていたから。
二人のマイノリティは、彼らを蔑んでいた者たちを見事に見返したのである。
しかし本作が秀逸なのは、差別をなくそう!頑張れば皆が報われる!という反差別の単純な図式からもう一歩踏み込んでいるところ。
ここでジュディが草食で、ニックは肉食という差異が生きてくる。
この世界では嘗ての捕食者と被捕食者という関係は無くなっているが、人口の9割を占める草食動物は常に肉食動物に潜在的な不信を抱いている様なのだ。
ライオンハート市長が事件を隠蔽していたのも、ズートピア内部で両者の関係が崩壊する事を恐れたため。
10:1はアメリカのアフリカ系人口の比率とほぼ同じであり、ライオンハート市長をオバマ大統領に見立てると、意図するところは分かりやすい。


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ズートピアは、リベラリズムの理想に向かって「誰でも何にでもなれる」ように建設されている。しかし「こうありたい」ことと「現実にそうであること」には常にギャップがあり、そのギャップを埋めていくことが、本当の意味でのリベラリズムなのだと思う。けれども、そのギャップがどう出てくるか?、また解決方法に向かってどのような困難さが出てくるかは、具体的には、よくわからないものですよね。僕は、ブルーステイツとレッドステイツに分断されつつアメリカ社会をブッシュ大統領の時代ぐらいに見た時に、オバマ大統領が登場して、そしてその最後に、ドナルド・トランプさんやバーニー・サンダースさんのような人が登場するなんて、まったく予想ができませんでした。


でもちゃんと分析してみれば、とても論理的なことなんですよね。当時から共和党が南部を取り込みにいって、キリスト教右派を取り込んでポピュリズム的な政党に変質していくことをは予測している人は、少数ながら確実にいました。そして世界的な中産階級の崩壊による経済不安と、それを後押しする移民の拡大による、既得権益者が職や機会を奪われていくことが、移民受け入れに対する反動になり、セキュリティを重視する差別になっていくこと、また世界的な格差の広がりと、移民と現地住民の機会の奪い合いがルサンチマンとなりテロリズムを生んでいくことも。


世界各国でこの傾向はそれぞれの社会の構造や歴史が異なりますが、とても似ています。日本の安倍政権が、草の根的な右翼と親和性が高いことも、同じ話だと思うので、特に驚きはないことです。にもかかわらずアベノミクスが左翼的なバラマキの経済性格であるような不整合さも、とても現代的に思えます。むしろ日本においては、バーニー・サンダースさんやイギリスやスペインのように極左が力を持たないところが、とても日本的です。日本の左翼の劣化がひどく、右翼的な政権の方に現実路線の左翼的経済政策が担われてしまうことも。この時代においてラディカルな左翼が全く人気も力も持たないのは、日本特有の現象だと思います。イギリスにおいて、反移民の感覚が、スコットランド独立などの大英帝国の解体やEUからの離脱を志向するブリクジットに結びついていくのも、非常に似た構造です。


2016年の先進各国、リベラリズム自由主義をベースに資本主義によって運営される国々のキーワードは、セキュリティです。安全保障のことですが、それは国家的なレベルから個人のレベルまで幅広い意味を含むものです。中国の台頭による世界秩序・地政学的な秩序の根本的な変化は、誰もがわかるし、特に日本人にはよくわかる感覚でしょうが、個人の安全保障への不安感は、日本ではとても少ない。それは日本が本質的にほとんど移民を受け入れていないので、極端な数の移民が押し寄せていくことで変化していくコミュニティの生活世界が理解できないのです。そして、現実的には人類社会の最前線レベルで自由が浸透している日本の大都市圏ですが、まだまだ高度成長期の価値観が支配していて、その先へ踏み込み切れていません。また多様性が、何をもたらすかの、本当の素晴らしさと怖さが押し寄せていない気がします。それだけまだまだマジョリティの価値観が支配的な社会なんでしょうね。まぁとはいっても、現実は、もう既に相当進んでいるので、社会における「信じられている価値観」と「現実に起きていること」がずれているので、違和感を生んでいる社会が日本の現代なんだろうと僕は思っています。



けれども、このリベラリズムが浸透していく中で生み出されていく多様性の社会は、当然のことながら、これまでマジョリティの立場にあったものの既得権益を破壊します。そして必然的にグローバルな格差の問題点を、津波のように自分たちのコミュニティーの中に押し寄せてくることになります。


端的にいえば、それはテロリズム


こうした構造の中で、壊されていく既得権益を持ったマジョリティの不安とルサンチマンを煽り、その矛先を、これまで社会の中で位置を示すことができなかった者たちへ振り向ける先導をすることによって権力を得ていくのが、いまのトレンドです。


そして、少なくとも個人のセキュリティに訴えかけることは、多くの人の共感を得るものであって、それ自体は最も解決しなければいけない現代のテーマであるのですが、それを単純に多様性を形成する移民やマイノリティに転嫁するのは、基本的にリベラリズムの理想を壊す行為になります。下記の映像は、2016年の6月にあったフロリダ、オーランドのマスシューティングへの二人の大統領候補の直後の反応ですが、非常にわかりやすいですね。実際は、ISISやイスラムテロというよりは、アメリカのマッチョイズムの中で孤独に陥った青年の問題であって、むしろアメリカの国内問題だったことが次第に明らかになり、この件で、ヒラリーさんは大いに株を上げ、敵対していたバーニー・サンダースさんの支持者の多くにリベラリズムの守護者としてのイメージをもたらしたようです。逆に、いつものイスラムや移民へのセキュリティ問題につなげた軽率さが、かなりトランプさんのマイナスになったようでした。大統領選の結果は、この記事を書いている時点ではわかりませんが、これがカリフォルニアであったマスシューティングのサンヴェルナルディーのような状況であったら、トランプさん尾主張は波に乗って、非常に人々に浸透したことはまず間違いないんじゃないかなーと僕は感じます。すべては紙一重で、この構造の中で煽れば、かなりの広がる火を生み出せるのだろうと思います。


と、小難しいことを書いていたのですが、このアメリカに今現実に起きていること、そこに在る構造を感じながらこの作品を見ると、これが強い訴求力、強い意味を持って迫ってくるのがわかると思うのです。


さて、僕は、背景の知識と強く連想するものとして、これまでのことを書いていましたが、誰もが僕のように物語が現実やマクロ、歴史との連関を考えて読み込んだりするわけではないと思うんですよね。見方はいろいろあっていいと思うんですが、もうちょっとそうはいっても、映画そのものや、描かれている世界そのものも語らないと、なんか政治の話になってしまうので(笑)。


この脚本素晴らしかったです。もともとキツネのニックのみのだったのが、これだとひねくれすぎて観客が感情移入できないって理由で、ジュディが生まれたそうです。そう考えると、ジュディは魂が入っていない、ある種の器として招聘されてきたにもかかわらず、素晴らしい造形でした。いつも思うんですが、このあたりのハリウッドの脚本制作の安定度合いは、本当に素晴らしいです。


最初に書いたとおり、僕は開始10分で号泣してしまいました。それは、ジュディの夢が、目標が、あまりに不可能なものだったからです。そして、「にもかかわらず」それを目指す姿にうたれたんです。いつだって、僕が感動するものは、『これ』なんだな、と号泣しながら(飛行機の中とはいえ、スチュワーデスさんに見られるんでちょっと恥ずかしい)思っていました。無理なことに、挑戦すること。ちなみに、僕はあんな向こう見ずではない卑怯な現実主義者なんで、ニックまではいかなくてもひねくれているんで、ああいうのを見ると眩しくて泣けてくるんですよ。


そして、この作品がとても素晴らしいと思うのは、ジュディの目指す理想が、本当に難しく、困難で、本人を打ちのめすものであることが、これでもかと描かれていること。ジュディの人間性のすばらしさは、家族愛の溢れる彼女の両親、暖かで安定した家族関係からきているのは間違いないのですが、理想を目指すものにとっては、それすらも困難の一つなわけです。家族でありながら、あれだけ深く愛されながら、理解してもらえない、ということによって。ジュディは、アダルトチルドレンになってひねくれた親を恨まなかったですが、そうなってもおかしくないものなんですよ。なかなか難しいのは、ジュディのような人間性の優れた人が生まれたのは、移民も多様性もほとんどない、ド田舎のウサギたちが集中している場所で、保守的で安定的な家庭に育っているからなんですよね。都市の多様性の中で、こういう理想が生まれてくるようなアニメーションや神話、物語的なものを見てみたい気がするなぁ、とふと思ったのでした。あるはずだし。現実がそうなんだから。


それだけでなく、なんというのでしょうか、「何かを目指していく」という行為が、人を、まったく異なる世界に連れ出していってくれることを、ガツンと描かれているのもたまりませんでした。


象徴的なのは、ジュディが田舎から電車に乗って、ズートピアまでいく、大陸?というか風景です。これまんまアメリカの田舎から大都会に出て行くときの雰囲気そのままです。僕は、ハンガーゲームのシーンをすごく連想しました。

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このシーンに代表されるように、保守的な田舎町を出て、「世界」に出て行く姿は、いつの時代も、何かの理想に動機が駆動されて世界に出て行く若者の姿を思い起こさせます。そして、これもテンプレートのように、そうして胸に期待を抱いて出て行ったわくわくするような素晴らしさは、汚く狭いアパートメント、やりがいのない歯車で奴隷のような下積みの仕事がまっているわけです。そして、多様性があるということは、暖かい家族が切り離されるということは、それは、必然的に他者と新しい関係を結ばなければいけないことであり、不可避的に現実の持つ差別や軋轢をすべて引き受けなければならなくなっていくわけです。

しかし他者との関わり方、差別とは何か?どうすればよいのか?の様な具体的なテーマを、分かりやすく噛み砕いて子どもたちに伝えようとする姿勢は、振り返って日本のキッズムービーに一番欠けているところかも。
それもディズニーの様な、保守本流のメジャーどころがやっているアメリカの映画文化は、やはり奥深い。
奇しくもマイノリティへの恐怖を煽って、マジョリティの人身掌握につなげる辺りは、今旋風を巻き起こしてるあの人のやってることそっくり。
本作の作り手が一番見せたいのは、子どもたちよりむしろトランプかも知れないな。


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この辺の、「君と僕は違う」だから「仲良くするためにはどうすればいいのか?」という普遍的な問いかけを、マジで、あからさまに、具体的に表に出して語るのは、アメリカらしいなぁ、といつも思います。日本の物語作品には、なかなか出てこないストーリーですよね。


とはいえ、答えは普遍的に変わらないと思うんです。それは、問題を直視して、逃げないで、ずっと頑張り続ける、これだけなんですよね。そして、そんな風に頑張っていても、どうにもならないことは、どうにもならなかったりする。ジュディの不用意な言葉で、ズートピアの社会は恐怖に陥り、差別は拡大していきます。そして失望した彼女は、夢をかけた警官の職を辞職することになります。もう教科書のように、人間が困難さに立ち向かう時に、何が起きるのか?を描いているようなものです(笑)。彼女がまた警官として夢を追いかけられるようになったり、より巨大な問題を解決するのは、結局、彼女が歯車のように働いていた時に見つけた仲間との信頼と実績によるものでした。そういうものなんですよね、まさに人生。ほんとうに自分が困った時に、大きな、自分では超えられないような壁にぶつかった時に助けてくれるのは、自分が無味乾燥で、何もないと思ってい時にやった行いの実績や、そこで出会った仲間と何を成したかで決まるんですよねぇ。ジュディが、キツネのニックとの関係を、ただの情報屋として切り捨てていたら、彼女が自分の中にあるキツネへの偏見を超えても、ニックとの関係を大事と思わなければ、なにも起きなかったでしょうし、、、、もしくは簡単にダークサイドに落ちて、恐怖を煽るものの尖兵となっていたことでしょう。人生は本当にそういうものなんですよね。


僕、どう見てもジュディとニックがお似合いで、もう結婚してしまえっ!!!と何度も思っていましたが(笑)、この映像では、よくわからなかったし、そこを踏み越えないのはやはり子供向けアニメーションだなーと思うのは、異種族間結婚がどうなっているか?、異種族の生殖行為ってどうなっているの?って、ぼくはずっと唸っていました(笑)。そこにこそ差別の根源と、それを克服する、キレイごとではない何かがあると僕は思うので。


この部分を除くと、ニックとジュディって最高の友達なんですよね。でもなー。僕、男女の友達って、理解できないので(笑)、どうしても、「ここ」まで関係性が深まったら、普通、なんか、、、こうむらっとくるだろう??って(笑)ずっと思っていたんですよね。来ないとすれば、まぁ、そういう関係なんだろうけど、だとするとあそこまで相手のことを思い悩まないって思うんですよね。性的磁力って、差別を乗り越える大きなポイントだと思うので。まぁ差別が膨らむでかいポイントでもあるんですけど。


さっきの関係性で、「相手に深く踏み込む」ってどういうことなんだろう?っていつも思うんですよねぇ。僕は、学生の頃、一度自覚的にあまり関係性を踏み込まない相手に一歩踏み込むってのをやったことがあって、いま思い出すと、それは相手は男性なんですが、もうほとんど恋人同士の痴話げんかみたいなんですよねー(笑)。その後、気づいたのは、仕事における「同じ船に乗って裏切らない」とか、そういう何かを一緒に戦う時の関係性って、もう恋人との関係とほとんど変わらないんですよね。唯一違うのは、肉体的嗜好が伴うかどうか、だけ。この線引が、でかい。これが自覚出来た後は、女の子を口説くのもできるようになりました(うまいかどうかはともかく)。


まぁ必然的に、じゃあ、この社会で、アメリカのように「自分が何者だ?」という自明性がない社会で、社会を形成する、組織を、集団を形成するってどういうことなんだろう?って、とてもいろいろ思います。


まぁ、でも、その前段階に、ジュディのように理想と、それに呼び出されて異なる世界に連れ出される経験があるかないかは、その後の、その人の人生をとても分けてしまうとは思いますけれどもね。ほんとうは、ジュディの幼馴染のいじめキャラが、すっかり、いいやつになって保守的なウサギの田舎町で才能を発揮しながら幸せに暮らしているのなんかを見ると、物理的に、ほどわかりやすくなく、精神的に違う世界に行ければ、それでいいんでしょうけどね。人間、そこまで簡単じゃないし。大前研一先生も、自分を変えたければ、手軽な方法は引っ越せ!といっていたのを思い出します(笑)。


とにかく、これは本当に傑作です。リベラリズムが浸透し、オバマ政権を生んだ現代アメリカの2016年の姿を、これでもかと見せてくれる上に、物語としても本当に楽しく、美しい。ペトロニウスの名にかけて、大傑作です。ぜひとも、見るのをお勧めします。


最近、忙しすぎて、けっこう映画見ているんですが、記事が全く更新できていなくて、、、、寂しいっす。ブログを書かないと、意外にストレスたまるんですよねー。