『龍の歯医者』 鶴巻和哉監督 舞城王太郎原作 「龍の歯医者という聖なる集団」に飛び込んだ野ノ子の日常が美しい

評価:★★★★星4.9つ
(僕的主観:★★★★★5つのマスターピース

なるべく量を見ようとするので、僕はあまり一度観たアニメや映画を繰り返し見ていない。好きな映画を繰り返し観て記憶の強度を上げるというのも、楽しみ方の一つではあると思うものの、新しいものを見ないと老害になりそうで、怖い。この辺は、難しい鑑賞のスタイル、、、、、人生観に等しい。でも時に、これは「繰り返し見たくて仕方がない」と思わせるものもある。まぁ、正直にいって、他人の評価や客観的な価値?を超えて、好きで好きでしょうがないというやつ。これは、そんな作品の一つ。ずっと、心に残っていて、見よう見ようと思いながら見れていなかった『龍の歯医者』を久しぶりに見直した。もともとは、2014年に日本アニメ(ーター)見本市の一企画としてつくられた短編アニメーション作品だったらしいが、2017年NHK BSプレミアムで長編アニメーションとして全編、後編で放映されたものだそうだ。

今、2023年の12月だが、、2023年のまとめを考えていているのだけれども、2010年代後半(2015-20)と2020年代前半(2021-)って、セカイ系の次のフェイズである「新世界系」の累計が、ほぼほぼ確定したんだなーと思っている。その流れで、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(2015-16)の評価を見直していました。Youtubeのこの解説は自分でも、白眉だと思う。実際に、僕のチャンネルでも、再生数一番多いしね。

2019-11-29【物語三昧 :Vol.42】『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』2010年代を代表する名作~残酷な現実の中で意味もなくどう生きるのか?with LD -47 - YouTube

初期の企画が、2014年。そして長編アニメーションとしてテレビ放映されたのが、2017年。やはり、新世界系の「残酷でな世界の中で死を受け入れていく」ということの「認識や実感が深まっているプロセス」と考えると、ドンピシャの時系列だなぁと思った。


野ノ子の「長生きすることが幸せなのか」と問いかけ


「限りある生(あるいは死)と向き合うこと」がテーマ


キャッチフレーズが「少女は選んでここに来た。少年は選ばれてここにいる。」


というのも、この類型の文脈で理解するのが間違っていないことを示していると思う。類型としては、新世界系の完成系の作品の一つとして、あげておきたい。

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さて、この作品を、好きで好きでたまらないのだが、どういうふうに評価すればいいのか。僕は、好きでたまらないのだが、なかなか難しい作品な気もする。初見の感想で、山本寛監督の『フラクタル』と比較して、『龍の歯医者』の、我々が生きる世界とは別個の死生観、宗教観を現出させている点に注目しているが、やはり、「そこ」が最も価値が高い作品だと思う。ファンタジー世界を構築する時に、これほど確固たる「別の世界」を立ち上げられているケースは、稀だと思う。映像は、素晴らしくても、この「死生観」を別個のもので描けるというのは、アニメでは本当にレア。

petronius.hatenablog.com

過去の記事でもあげているが、小説では、これを描けるものが意外に多い。貴志祐介さんの『新世界より』の小説は、これが見事に描けていた。小説ではこのセンスオブワンダーの衝撃が強いけれども、映像で魅せられるはずのアニメーションでは、なかなかないのはなぜなんだろう。『フラクタル』を僕は低評価であげているけれども、実際のところ、面白いアニメーションでも、小説ほど衝撃を感じることは稀だ。たぶん、死生観って、キャラクターが内面に潜る作業が必要だから、第三者視点で描かなければならないアニメーションには不向きなのかもなぁ。


僕がグッとくるシーンは、天狗虫から野ノ子を守ろうとして死んだ修三くんの死体を放置して、龍の歯に還す。そして、修三のキタルキワ(=彼が死んで、龍の歯医者に選ばれた時に見た自分の死を受け入れた)を祝おう、と盃を交わすシーン。


この死のことを、キタルキワ(たぶん、来たる際、かな?)と言い換えるセンスは、この世界が龍との契約を、長きのわたり積み重ねて、その中の特権的な聖なる集団としての「龍の歯医者」という神聖かつ宗教的な権威を持っていることを、強く指し示す。殺戮虫編(後編)で、地上に置いたベルと野ノ子に対して、田舎の軍人たちや、そこに住む家族が、「龍の歯医者様」と聖なるものとしてあがめている態度も、この「世界が違う」というセンスオブワンダーを増幅してくれる。この辺は、好きだなぁ。


ただし、短い短編的作品でまとまっているので、岸井野ノ子とベルナール・オクタビアスの主人公コンビ、夏目柴名のキャラクターの掘り下げが、もう少し弱い感じがする。いや「弱い」というのは、違うな。これはこの作品で、短編としては、見事な完成度を誇っているので、そこは瑕疵じゃないんだ。たぶん、短編で「説明少なめ」にテーマを絞って映画的にまとめているので、この話の納得性について、???となる受け手は多かったのではないかと思う。だけど、なんというかもっと「掘り下げて」見てみたかった気がする。これ、どこかの記事?で、野ノ子を主人公とした長編小説の序章みたいなこと書かれているが、その後、小説は書かれているのかな。検索しても出てこないので、ないのかな。ある意味、説明が少なくて、「物語がはじまっていない」んだよね。


結構、実は残酷な終わり方をしている。


ラストって、野ノ子は、ベルの死を受け入れていないで、ベルを探すシーンで終わっていて、この二人の「死に対する姿勢の違い」が消化されずに終わっている。


「少女は選んでここに来た。少年は選ばれてここにいる。」


というキャッチフレーズにあるように、この二人の「生きる姿勢」は、真逆なんだけど、このドラマトゥルギーは、昇華されていないんだよね。柴名姐さんも、あれ、明らかにあきらめていないだろ。歯医者のリーダーである悟堂も、「勇敢だねぇ」と「いつか実を結ぶこともがあるかもな」っていっていて、柴名姐さんの愛する人を生き返らせるというドラマがまだ終わっていないことを示唆しちゃっている。

論理的に深掘りしていけば、「龍が生き返らせる死者をどのように選んでいるかの」の原理って、なに一つわかっていないし、それがわかれば、確かにありうるかもしれない。それに、これだけ軍事利用がなされているならば、この龍の生態や仕組みってのが、科学によって突き詰められていくのは、当たり前のことなので、この辺りの隠されているものがあきらかになっていけば、、、、、という壮大な物語の序章を感じることは、感じる。


でも、たぶん、この物語は描けない気がする。


だって、主人公たる二人の野ノ子とベルは、それを追求するような「動機」がないんだもん。


そもそも、野ノ子の強さや、なんというか存在って、「死せる、龍の歯医者という宗教観や姿勢」を受け入れてしまっている感覚の人で、この人って、新興宗教に入信しちゃった人のような、受け入れきっているところが魅力というか存在感なので、「これ以上何かを成し遂げたり秘密を探ろうとする」という動機がない。ベルもベルで、生きる覚悟が弱くて「流されている」のが問題点な人だったんだけど、それも、ブランコを倒せているので、彼の復讐というドラマもすでに解消している。。。。


だから、もう主人公にこれ以上、「世界の謎(=龍の謎)」を解明しようとする、動機がないんだもん。


ああ、、、そうか、僕は、「龍の歯医者という聖なる集団」に、飛び込んだ、野ノ子の日常が「描かれる」だけで十分満足いっているんだ。


だって、これほど「感覚が違う生き方の日常描写」って、センスオブワンダー極まっているでしょう。そこで、十分、感動しきっているので、キャラクターが持っている、ドラマトゥルギーの未消化部分は、そもそも気にならないんだ。この聖なる集団の中で、、、、これいいかえれば、宗教教団だよね。我々の生きる「原理」が違う中で、それを受け入れきった野ノ子の姿勢って、なんというか、凄いセンスオブワンダーなんだと思う。このマクロ設定に全く関係なく、キャラクターの心理描写が繊細なのって、鶴巻和哉さんらしすぎる。この人の作品は、いつも不思議なテイストを帯びる。


これ、非常に似た構造の世界観(全く同じものには見えないくらい描かれる世界は違うけど)で、長編の物語を紡いでいて、野ノ子とは異なる動機を持たせた物語は、桑原太矩さんの『空挺ドラゴンズ』ですね。僕は、ミカ、タキタとヴァナベルとかのドラマトゥルギーは、もっと現世を生きている。めちゃくちゃ端的に、美味しい龍を食べること、食の味を追求する日常系の設定で、しかしながら、この世界の「龍という存在」の不思議を追求する大きな物語のドラマが設定されていて、2016年からの連載なので、これは2010年代前半(龍の歯医者)と2010年代後半(空挺ドラゴンズ)の、大きなテイスト(文脈)の違いだと思う。やっぱり、龍の歯医者の話の方が、「死」に対する受け入れが、ネガティブ。柴名姐さんのドラマトゥルギーが典型的だけど、「愛する人の死を受け入れられない」って、やはりマイナスの動機ですよね。『空挺ドラゴンズ』の方だって、いつにぬかわからない捕鯨の船乗りなわけだけど、その境遇に対する、ネガティヴなものは全くなくて、そういったものは前提として、なんとかサバイブして、美味しいものを食べよう!って陽気な動機に支配されている。どちらも、生きて一国は過酷な環境だけれども、姿勢がまるで違う。

空挺ドラゴンズ(16) (アフタヌーンコミックス)

そんなことを、つらつら考えました。