『それでも僕らはヤってない』村山渉著 自意識が過剰すぎるきらいはあるけど、それはそうだろうなぁ、としみじみ。

それでも僕らはヤってない 1巻 (トレイルコミックス)

客観評価:★★★3つ
(僕的主観:★★★☆3つ半)

絵柄が好きで、昔読んだことがあるなーと思っていたら完結していたので、昨日一気に買って、読了。悪くない、けど★3つ。薦められるとかというと、、、うーん。1)問題意識に対して、最終巻で到達しているのが、なんとなく自分的には、消化不良。これを少しつらつら考えてみたい。2)もう一つは、やはりタイトルで設定されたテーマが、「好き嫌いをすごく分ける」し「極端すぎて(物語だからアリだけど)」感情移入を拒む感じが少しある。

1)はね、一言で言うと、「童貞であること・処女であること」「SEXの経験がないこと」がこの作品の基本構造で、そのことへの「自意識のぐるぐる感覚」が、一歩踏み込むことなできなくて、いろんな人間関係を歪ませていくと言うところに、この作品の主軸があるんだけど、、、、途中からちょっと無理が出てきてしまうと思うんですよ。時田晃介と藤野陶子の二人がメインの関係性だと思うんだけど、5巻ぐらいまでいくと芹沢亜矢奈とか、関係性が十分に深まっていくと思うんですよね。もうこの二人にせよ他の関係にせよ、「そこまで深くお互いに踏み込んだら」もう、経験がないことのバリアーは消えるはずでしょうと。えっと、もう少し云いかえると、「SEXの経験がないこと」をめぐる自意識の過剰感が、現実の人間関係に一歩踏み出すことができなくて、イタイ行動に結びついて、結果をおかししていると言うのが、この関係性の軸だと思うんです。だけど、数巻も話が進むと、みんな登場人物がトラウマ丸出しで、関係性がどんどん深まっているじゃないですか、「にも関わらず」全員が寸止めで、SEXしないと言うのは、ちょっと無理があると思うんですよね。「そうなっていまう人もいる」し「そうならないひともいる」、逆に「前に進んだけど、おかしくなって戻る」人もいれば「突き抜ける人もいる」と言うのが、多分現実のほんとなんだろうと思うので、その多様性を「描かない」ならば、作者が物語でどんな嘘をつきたいか=言いたいことがなんのか!がはっきりしなくなる。構造的に、教科書的に見ると、そういう風に言える。ようは「何が言いたいのかの主張がはっきりみえない」。僕は、明快な軸がある物語が、シンプルで分かり安定した軸を望むので、そういうのをのぞみますが、それだけが物語の面白みではない。じゃあ、キャラクターの造形、関係性の深みがあるか、というと、僕はとても楽しんだし、それぞれに感情移入はしたんで、物語としてダメだだ!とは言えないのですが、、、、でも、やっぱり、ちょっと無理がある気がする。


言葉にうまくまとまってないのですが、晃介くんと亜矢奈ちゃんとか、このふたりの人間性をこじらせている部分は、行動力と体当たりと偶然で、だいぶブレイクスルーしていると思うんですよね。うーんと、大前提として「性的経験がない」状態の、自信のなさ、コミュニケーションへの信じられないほどの恐れの感覚、というのは、僕もよくわかるんですよ、、、。もう、30年近く前とはいえ、そういうのに悩んだ青春時代は、覚えていて、「それ」が、とんでもなく重く苦しく、いかにまともな判断を狂わせるものかは、よくよくわかります。でもこの場合の一番のポイントは「ここ一番の時に前に一歩踏み出す」=「相手の内面に踏み込む+自分の内面に踏み込まれる」という感覚が怖くて怖くてしょうがなくなるから起きることだと思うんです。だから、そこまでの関係になっといて、そもそも流されてHをしちゃわないのが無理がありすぎるし、仮にしてもしなくても、「心の自信のなさが、まともな行動力を奪って、立ち竦ませる」にしても、「繰り返しすぎる」と、物語として、あまりに「ぐるぐる回りすぎると思うんですよね」。


短編として、もしくは群像劇ではなくて、一人の主人公、たぶんこの場合男の子(女の子でもいいけど)の「一歩前に踏み出せない」暗黒の闇をずっと、繰り返すという文学的なテーマを追求する方法はあると思うのですが、これは群像劇で「そういう人ばかり」というのはちょっと、現実味が失われてしまう。それになによりも、亜矢奈ちゃんとか、かなりイタクこじらせているけれども、決して勇気がないわけじゃないと思うんですよ。僕は、童貞や処女の時の「現実にちゃんと関われていない(+自分が見たことがない世界がある)」という強烈な劣等感やコンプレックスを超える方法は、「準備不足の中で前に一歩踏み出す勇気」だと思うんですよ。それしかない。そして、その勇気は、多少狂っていても、偶然でも、なんでもいいと思うんですよ。人生なんてタイミングと運でできているんだから。いや、えっとね、キャバ嬢をやっているのに(結構売れっ子っぽい設定ですよね)、時田に直接会いに行ったり、小林さんに迫ったりするじゃないですか、彼女。とにかくなりふり構わず、動いて、なりふり構わず感情を出している、、、、これ、小林さんも晃介くんとも関係は、十分深まっているし、「この性格のゆがみや気持ち悪さ」の部分を、ちゃんとシェアているよね、、、と思うんですよ。「ここまで関係性が深まったり、動いたり」してたら、それが何度も寸止めになったり、戻ったりするのは、ドラマトゥルギーとして、、、、あまりにタイトルに合わせて、無理をしているように思えてしまう。えっと、Hをしないのがおかしいといっているわけではなくて、性体験における重要な自己信頼のポイントは、やったことがある、なし、ではなくて、「相手に深く踏み込む、踏み込まれる」体験の薄さや経験のなさが、如実に自分で実感してしまうことだと思うんですよ。なので、性体験が「あってもなくても」、相手に深く踏み込んで、踏み込まれた「激しい感情的体験・関係性」を経験すると、「前と同じではいられない」し、そういう気持ち(コンプレックス)って変化していくとおもうんですよ、、、、「その変化」が、これだけ、関係性がもめにもめているのに、、、そういうドラマのエピソードが積み重なっているのに、「変化がない」というのは、たとえば、晃介くんのみが主人公というのならば、まだわかるんですが・・・・・何人も魅力的なキャラクターが、情念ふりまいてて関わっているのに、変らないってのは、なんだか、、、不満が残ってしまう。僕、作者は、関係性がちゃんと書けている、とてもいいドラマトゥルギーを、エピソードを積み上げていると思うんですよ、、、、「なのにそこまで寸止め」って、ちょっと、どうなんだろう、、、と。・・・・うーん、このラインの評価が妥当かいまだにわからないけど、、、とにかく、最後に不満が残るんですよねぇ。。。


ちなみに、2)は、とてもよくわかる。このテーマは、センシティブすぎて、その人の経験によって、トラウマを逆撫でするテーマなので、それによって好悪の感情は凄い揺れ動くと思う。それだけに、全体の整合性や、作者が貫きたい主張というか本質が、さだまっていないと、好き嫌いの感情が前面に出すぎる気がしてしまって、あまり素直に受け入れられなくなってしまう作品ではないかなーと思った。僕は、好きでだけど。「言いたいことの本質」ではなくて、キャラクターやドラマの連なりで見せる世界を、魅せたい時には、好きになってもらわないとダメだと僕は思うんですよね。エンターテイメントの世界は。それにしては、個人的に、なんか、人となりを全うしたというか、そういうキャラクターを、ドラマを見つけられなかったので、、、。やっぱり不完全燃焼。


特に、僕の個人的な好き嫌いでいうと、建築家の瀬戸内考子と春木透ノ介くんのカップルの話が、もどかしくて、もどかしてくて、、、、(笑)。というか、僕、この二人大好きで、この二人に幸せになってほしかったんですよねー。でも、なんだかわきに追いやられた処理になってしまったので、個人的には納得がいかない。でもまぁ、晃介くんと陶子ちゃんの物語だと考えると、分からないでもないのですが、、、それにしては、わき道にそれるドラマを作りすぎだったと思う。正直迷走になっている部分があって、もっと軸が欲しかった。ハーレム的にするのか、群像劇にするのか、非モテ感覚を貫く主人公のドラマにするのか、、、、よくわからなかった感じがして、うーん、、、と。どれも中途半端になってしまっている気がする。鈴木美佳の登場とか、、、もうこの子でいいじゃないか、と、僕の中では感極まりましたよ。晃介ぇ!。

でもまぁ、、、一番は、瀬戸内考子さんと春木透ノ介くんが結ばれなかったのが、凄い怒っているのかもしれない(苦笑)。だって、この中で断トツにいい女、いい男だと思うんだよねぇ。最初から。この二人が報われないなんて、、、、と、なんか、胸が苦しくなってしまった。いやまーそれぞれに幸せになっているけれども、、、「それ」じゃーないだろう、、、と。僕は、たぶんこれ、『ハチミツとクローバー』の原田理花さんと真山巧くんのドラマトゥルギーで見ていたんだろうと思うんですよね(笑)。同じ職業だし、関係性もそっくり。桐島都ちゃんは、めちゃかわいーので、わかる、わかるんだけど、、、「そっち」じゃないだろう、って。うーん、何かしら、僕の心の琴線に触れているみたい。。。

ハチミツとクローバー 1

ただ、いろいろな意味で、感興をわかしてくれる作品で、僕は好きでした。全巻読めてよかった。「ここで語られているテーマ」ってのは、たぶん「恋愛を度すればいいのか?」「愛とは恋とは?」「自意識の牢獄の問題と性的体験の関係性」の話とずいぶんリンクする大きな問題文脈だろうと思うんですよ。下記の『モテキ』と『リゼロ』で話した話と、ストレートにリンクする。自分が、この辺りに感じる感想は、感動、怒りのラインは、すべてこの文脈にリンク、シンクロしている。あ、自意識の牢獄(自己信頼がない状態での一歩踏み出す勇気が出ないで、同じところでぐるぐる繰り返す)ナルシスズムの問題文脈。あ、それと少しずれるけど、瀬戸内考子の話が自部の中で未消化なのは、「才能ある人が才能を開花させることへのサポートこそが愛の本道だろう」という感覚が僕の中にはどうもあるみたいなんだなぁ。ましてや、透ノ介くんは、それに向いている。この二人は、建築の世界で、なにかを為せる才能と関係性を持っていたと思うのに、「ほんとうにそれを捨てるの?」と僕は、何か本質を間違えている選択肢をしているように思えてしまったんですよね。これら全部読むと、僕が何を悶々と考えているのかが、少しは伝わるような気がする。そうか、アメリアイアハートの話とか、王配の物語に反応するのも、この辺の感覚なのかもしれない。。。

petronius.hatenablog.com

petronius.hatenablog.com

petronius.hatenablog.com

petronius.hatenablog.com

petronius.hatenablog.com


ちなみに、この「心の自意識のナルシシズム」の問題意識と、キャラクターそのものを描くという話(ドラマトゥルギーの終着をどう持ってくるべきか)、という視点で、やっと久保さんの『アゲイン』が読み返せそうな気がする。今週全部読もう!。課題図書です!。

アゲイン!!(1) (週刊少年マガジンコミックス)