僕に贈れるのは、ただ言葉だけ。あとは孤独との闘いが待っている。


実は、3月31日で今のアサインされていたプロジェクトの区切りがついたので、そこから離れることになる。


新規事業の立ち上げで、ある程度の目途までつけたからだ。


戦略のスキームを組み、人材のリソースの配分も整え、基礎的な立ち上げの部分もクリアし、新しく採用した部下も一定レベルまで育て上げたし、同時にそこを率いるプロジェクトリーダーの教育も、やれるだけ仕上げた。



思い込んでやっただけに、離れるのはさびしいが、やれるだけはやった、と思う。



僕は、どうもプロジェクトごとにアサインされるような異動の仕方が多く、うちの会社としては異様に異動が多い。自分的にもプロジェクト志向で、ある対象を、あるレベルまで急速に変化させるような仕事のやりかが好きなので、こういう経験をさせてくれる会社に感謝している。


・・・・ただ、こういう時、離れる最後にの時に、いつも不思議な感慨にとらわれる。


僕は、自分のシゴトのやり方の哲学として、


自分がいなくなっても自動的に物事が進み儲かるような「仕組み」を作り上げること


自分がいなくても自分と同じくらいのパフォーマンスを上げる若手(もしくは上司)を育て上げること


というものがある。

今回も、新規に採用した(この採用が難航したのだ…3カ月も遅れたし・・・)部下の早期育成が、僕に課せられた最大のミッションだった。


採用が遅れたせいで、新人が来たら1週間で辞めるというような過酷な部署で、フルコースのシゴトをさせながら、3カ月で僕の身代わり(=生贄ともいう)で育てろ、というのだから、酷い話だ。


とはいえ、4月1日から、僕は異なる事業のアサインをされているので、もうリミットはなかった。


知っている人は知っているが、丁度のこの期間、僕はプライベートでも、大激動で本当に追い詰められて仕事をしていた(なのにグレンラガンの感想毎週書くな!とかいわないで(笑))。



人を育てるのは難しい。



促成することと、新規事業の立ち上げ期という過酷な状況で、採用した新人君の最初の1ヶ月・・・・


周りの何人もから「新人をそんなにいじめるな・・・・」と注意を受けるほど、叩きのめした。


残りの二カ月も、手を変え品を変え教育し・・・・時には僕はその新人の甘えに激怒して、丸一日どんなに声をかけられても、怒り狂って口もきかない日もありました。




今日、最後の飲みで、その新人君に、最後の言葉をいろいろいっていました。


そしたら



「○○さん、見ててください、あなたが、この事業はなれてほんと損をした、と悔しがるくらい素晴らしい事業にして見せますよ・・・」




なんて、いいやがった・・・・(涙)



まじで、ちょっと涙出だ。



けど、こういう最後のシーンで、上司や部下に声をかけている時に、不思議な感覚にとらわれる。



それは、冷酷とも取れるような、突き放した感覚だ。



ああ・・・・もう僕には手が届かない・・・なにもできない・・・というあきらめというか、醒めきった感覚だ。




どういう意味か?。僕はもう、ミッションはある程度達成していて、やれるだけのことはやった。教育もやった。ある程度できた、と思う・・・・けれども、もう、何もできない。その部下にもまだまだ危ういところはあるし(生意気すぎて口のきき方を知らなかったり・・・顧客に激怒されているのに気付かない鈍感さがあったり・・・)、プロジェクトのマネージャーも数字に弱かったり、役員へのプレゼンの仕方が微妙に下手だったリ・・・・


いままでは、事業の成功のために、あらゆる手段を尽くして、裏でそれをリカバーしてきた。




けど、、、、もうできない・・・しかも、もう俺には関係ない・・・・・という冷めた感覚。




もう、僕の評価にも関係ないし、



もう、「僕の事業」ではなくなっている、という感覚




そういう時に、それでも「人生の一時期にコミットして愛した仲間とプロジェクト」を客観的に突き放して見ながらこう思う





もう、僕には「言葉」を贈ることしかできない



そして「言葉」には強制力も実行力もない。



僕がカバーすることはもうできない・・・・僕の言葉を、その部下が、実行して実現してくれるのを信じるしかない・・・という何とも言えない感覚。



僕は自分の企画には自信がある。



僕が立てた企画の成功率は、相当高い・・・というか、直接に手塩をにかけたやつで失敗したことはない。



それくらいに、自分のビジネス感覚と分析力には自信がある。



でも、同時に、どんなに企画がよくても、どんなに分析が正しくても、



しょせん、それを実行する人間が、組織が、魂を入れてそれを追及してコミット(=没入)してくれなければ、絶対に成功しない。



ほんとうに、凄いリーダーとは、企画や分析ができるやつではない。そんなの勉強しまくって死ぬ気で考えれば何とかなるものだ。ビジネスに、商売に近道はない。あるのは、本当にオーソドックスな王道だけ。


けど、それに魂を吹き込んで、関わる人間に、言葉で強いモチヴェーションを与えて、そのエネルギがーらせんのように渦に様に広がって組織に浸透させていくことを出来る奴だけが、真の指導者なんだろうと思う。



こういう最後の時に、部下に言葉を送る時、無力感とともに思う。



僕は言葉を贈ることしかできない。



この言葉が真に、彼の動機の奥底を揺さぶるように、届いているのだろうか?と。




そして、その結果は、たいてい数年後に出る。


言葉しか贈れない・・・けど、、、、あとは僕には祈るしかない。



その言葉に、真に魂を入れて、実行するのは、ほかならない「そいつ」だから。


どんなに言葉を送っても、「そいつ」が真に受け止め、動機を揺さぶり、行動を変え、コミットし、しかも長時間それを追及して自分が「変わっていく」ことを出来なければ、なにもかわらないのだ。



言葉だけが素晴らしくても、世界はなにもかわりゃしない。



そうなってほしい、僕が悔しがって残っていれば出世できたのに!とか、悔しく思えるような事業に、人材に育ってほしい、、、と心から思う今日でした、。