カミナの価値は?

いま、いずみのさんと話していて、自分の中で出てきた話を抜粋。あとでまとめる。

1)カミナの価値は?


カミナは、イグニッション。ゼロから…無から有を作り出したこと、そのことに価値がある。


基本的に、僕は、限りなく彼にシンパシーを感じていて、彼の価値及び描きかたに全肯定を感じている。

たぶん、死後、成長がなかったこと、、、成長の機会がないことで、ある種のシンボルになってしまったカミナという存在に対して、否定的な意見はあるだろう?というか多いかもしれないが、それをぶっとばして、ほぼ僕は彼を全肯定しているのがわかった。

詳細は別途(笑)。

いずみのさんも、まぁその通りであろう、とのこと。



2)ヨーコが、キタンに惚れた理由

これは僕の意見というよりは、いずみのさんが気づいたこと。

ここで重要なポイントは、大グレン団の中でヨーコだけは「シンボル化したカミナ」を見ず、自分の愛した「等身大のカミナ」だけを見ていた。ヨーコの女性らしさが感じ取れる部分だ。

一方、カミナの死後も生き続けたキタンは、現実との妥協をしながら生き続け、革命政権の事実上のNo2として生き続けることを選んだ。

政治を嫌ったヨーコは、あっさり「等身大のカミナ」の遺言に従うようにして、「次世代の子供たちを育む」という生き方を選んだ。

が、、、それは、正しくもあり、ある意味逃げでもあるのではないか。

そしてヨーコは、もしカミナが生きていたら、あの人は自分の隣にいたのではないだろうか? と考えていたような気がする。つまりヨーコのイメージする「等身大のカミナ」なら、たぶん英雄であることを嫌って政治の世界から逃げていただろう、という想像もできるのだ。

そうすると、カミナが火をつけた「大グレン団という理想」を、最後まで現実の汚物にまみれながら、守り抜いて支え抜いたのは、実質キタンだったのではないか? カミナ同様、政治が必ずしも好きではなく、向いてもいないキタンだが、彼は事実として最後まで逃げない生き方をしていたのだ。

25話で、キタンがクローズアップされた時に、ヨーコがキタンに惚れたのは、「だから」だったのではないか?。

ちなみになぜ「惚れた」と言いきれるかというと、26話の多元可能世界で、ヨーコの心は自分の結婚シーンを作りだすのだが、その時の相手がキタンだから。

つまり、ヨーコの中で「故人であるカミナ」と「故人であるキタン」(どちらもすでに現実世界では結婚もできなくなった相手だ)を比較した場合は、漢(おとこ)として、キタンを上だ、と認識していたのではないだろうか?

もちろん、カミナは、若すぎる死によって、「成長する機会」や「進化する機会」を奪われたキャラクターであって、たらればでしかその漢(おとこ)の器を計れない、というのは仕方がない面もあるのだが、実際にヨーコの心を奪った、キタンの現実にまみれたカッコよさは、「たらればのカミナ」より上だったということなのでは?


3)ロシウ編が、尺不足だったため、ライブ感が失われた?


基本的に、第三部のロシウ編が、あきらかに尺が足りなく、ロシウのテーマを、消化不良にしすぎている。

僕が、24話に、かなりのライブ感を失っているのは、この第三部の消化不良部分が、かなり後を引いたからだ。

ロシウ話は、あまりに素晴らしいテーマであっただけに、尻切れトンボになってしまっている部分が、そうとう自分的には物足りなかったのが、いずみのさんと話していてよくわかった。これはかなりの、体感感覚を僕から奪ったと思う。

脚本家もここの部分はもっともっとテーマを膨らませて、丁寧に描きたかったはずだ。

というのは、ヨマコ先生のストーリーも、素晴らしいのだが、いきなりポツンとあるような感じがして、この大きな革命政権後の政権というテーマの大きな物語をうまく消化できていない気がするのだ。



4)24話の特攻についての演出について


基本的に、その後の25話や以前の話(ダヤッカとキヨウの別れのシーンとか)を全体的に振り返ると、この演出は十分納得的であったと思う。双子の兄弟が死ぬ時に笑っていることや、「好きでやっている」とちゃんと説明していること・・・・・この話の包括は、キタンのギミーとダリーへの返答に十分表れているので、この24話の演出ミスというのは、基本的になくなると思う。

ただし、ロシウ編での消化不良を相当抱えたままここにきているためにライブ感をかなり喪失していたことなどを考慮するうと、グレンラガンという全体的な熱量を持った作品でなかったら、ここまで丁寧には見ないで、「安易な特攻」と悪く解釈される可能性も十分あるので、このあたりの演出は、非常に危ういというか、難しいものであると思った。

僕にとって、「安易な特攻」という演出は、それまでの文脈や細かい演出を無視して、それそのものだけを見て脊髄反射で、「ダメなもの」と感じてしまう可能性が強いので、ここは、その僕ですら納得できる高みを見せてほしかった…というのは、少し贅沢な望みであったかもしれない。



などなど、メモ抜粋。このテーマは、別に時間があれば書きます。