「変化」を肯定していくいことは、限りなくストレスに耐え続けること〜エクセレントカンパニーは身体を壊す(笑)

巨象も踊る


器の問題〜君は多様性があるか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080524/p1


↑この話の続きモドキです。



■引用が正確でないと、すぐケチがついてしまうが、言っていることの本質は別に変りはしない

ふと思うのですが、研修を受けたりビジネススクールの授業を受講したり、もしくは成功ノウハウ本や、成功しているエクセレントカンパニーの成功の秘訣を追っていくと、変化をすることを称揚し、変化を出来ないものは滅びるという論旨をよく見かける。実際、先日の研修を受けていて、IBMの1999年のアニュアルレポートに下記の言葉がのっているという話から、ルイスガースナーのIBMのターンアラウンドの成功について説明するというものだった。

『生き残るのは、最も強い種ではない。最も賢い種でもない。環境の変化に最も敏感に反応する種である。』

It is not the strongest of the species that survive, nor the most intelligent but the ones most responsive to change.  

                    
Charles Robert Darwin(1809-1882)


論旨はよくわかるし、アソシエーション(=目的のもとに集まった機能集団)たる企業では、変化についていけない人間は淘汰されるというのは、僕も間違っていないと思うし、変化を追求しない企業が滅びていくのは、本を読めばいくらでも書いてあるし、新聞でまいかににぎわすことなので、頭は非常に同意する。

けれども、まずこれってネットを調べればすぐわかることだけれども、この文章は、ダーウィンの著作の中からの引用ではない。小泉純一郎氏が第153回国会の所信表明演で使用した時にかなり論争になったようだが、少なくともかなり調べている人で、ここから引用しました!という説を僕も拙い検索力ではあるが、英文でも日本文でも見つけることが出来なかった。ちなみに現在の進化論では、「多くの子孫を残せる生物が生き残る(真偽は不明)」という説が有力だという意見が多かった。

言いたいことの論旨はわかるのだが、こういう脇の甘いやつって、すぐ文句がつくよね。ただ、これの引用が間違っていると主張しても、「変化を受け入れていかないと企業社会では生き残っていけないで淘汰(=殺される)される」という弱肉強食の世界を生き残ろうとすると変化を起こし受け入れていくことが重要というメッセージ自体の、意味は無効化されない。


■アソシエーション(=目的のもとに集まった機能集団)たる企業で、現代に一番求められているのは「変化」についていくこと


実際に、僕もリクルートの江副さんの社訓は、いつも胸に深く刻んでいる。これは素晴らしい言葉だし、人の動機と成長を駆動する普遍的なメッセージだと思う。

リクルートの旧・社訓「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、創業から8年目に当たる1968年に、創業者である江副浩正氏によって作られた。1989年に公式な社訓としては姿を消した(理由は後述する)が、2006年現在も、この社訓が入ったプレートを机に飾るベテラン社員がいるなど、同社の中にいまも強く根付いている。

経営理念 第2回 リクルート「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
http://www.globis.jp/public/home/index.php?module=front&action=view&object=content&id=70


ちなみに『生き残るのは、最も強い種ではない。最も賢い種でもない。環境の変化に最も敏感に反応する種である。』(It is not the strongest of the species that survive, nor the most intelligent but the ones most responsive to change.)という言葉は、IBMのルイスガースナーの改革の成功への自負として99年頃のアニュアルレポートにのったものが流布して、その後IBMの広告の基盤になったんで、世界中に広まったんじゃないかな?と思います。本当にウザいくらいこの言葉は研修や様々な広告で、賞賛の嵐で、使われますよね。なんというか、本当の文脈や、進化論の本質など何も考えなしに。

IT不況からの脱出を狙うため、日米有力ITベンダーは一斉に、「経営とITの融合」を謳う新しい企業システムのコンセプトを打ち出した。IBMはこれを「オンデマンド(市場変化に敏捷に反応)」ヒューレット・パッカード(HP)はアダプティブエンタープライズ(適応進化型企業)」日立製作所「ハーモニアス(調和のとれた)」などと表現する。

 現行ITシステム問題点として、日米大企業ユーザーはいずれも「ITと経営の乖離」を挙げる。このため有力ベンダーは市場の変化に対応できるビジネスモデルと、それを実現する次世代ITソリューションを提案している。この時、多くのベンダーが、進化論を唱えた英国生物学者ダーウィンの著書、「種の起源」に述べられた「生き残る生物」に関する次のような条件を引用する。 「この世に生き残る生物は、最も強いものではなく、最も知性の高いものでもなく、最も変化に対応できるものである」。各ベンダーはダーウィンのこの考え方は、急速に日々変化する市場に対応しなければならない現在のビジネスにもそのまま当てはまると主張する。

 IBMは、このダーウィン語録をそっくり引用した「ビジネスの世界で生き残るのは、強いものでも、規模の大きいものでもなく、変化に対応できるものである」という表現を国内のオンデマンドキャンペーンでも使っている。2003年夏以降、ITベンダーが自社の新コンセプトで、経営とITの融合を特に強調し始めたのは、03年5月のハーバードビジネスレビューに発表されたニコラス・カール氏の論文『IT Doesn't Matter(もはやITなんか重要でない)』の企業経営者に与えた強い影響を懸念したからだと米ビジネスウィーク誌は解説している。


http://www.computernews.com/scripts/bcn/vb_Bridge3.dll?VBPROG=ShowWeeklyArticle&MEM=1&Title=%81m%98A%8D%DA%91%E6175%89%F1%81n%20%20%8Ae%8E%D0%8E%9F%82%C8%82%E9%91_%82%A2%82%CC%8C%B9&File=F:%5Cinetpub%5Cwwwroot%5Cbcn%5CWeekly%5CWorldTrend%5C20031027.htm
[連載第175回] 各社次なる狙いの源 ダーウィン種の起源

ちなみに、ガースナーさんのIBM改革の肝は、こういわれていますね。

IBMという大企業を見事に操った、ガースナー氏は、著書『巨象も踊る』の中で、こう語っている。

「大きいことはいいことだ。

象が蟻より強いかどうかは、問題ではない。

その象がうまく踊れるかどうかの問題である。

見事なステップを踏んで踊れるのであれば、蟻はダンス・フロアから

逃げ出すしかない。

本業に専念しろ。ダンスはその日のデートの相手と踊れ。」


社会進化論の罠〜競争で負けるやつは悪だっ!


ちなみにこの論旨の究極は、これって、変化についていけない人間は死ねということなんですよね。僕は、悪党と強いもの「だけ」が生き残ることが肯定される思想、と呼んでいる。これらの進化論という科学っぽいものを偽装して、自らの競争に関する思想を社会に植え付けようとするものをよく疑似科学とか社会進化論とか呼ばれます。ちなみに、この社会進化論を最も強く唱えて社会にまで適用したのは、ナチスドイツの優生学(eugenics)ですね。優れた人間を“生産”するための「レーベンスボルン計画」なんかにつながっていきます。もちろんこれが、アウシュビッツに結びつくんですが、、、この優生学的な考え方というのは、人種偏見や異文化・異文明への軽視と恐怖(=例えば黄禍論)と根深く結びついているので、どうもほとんど消えないようです。形を変えて、世界に頻出する。


ナチス・ドイツの「優生政策」の実態
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb700.html


ノルウェーのLebensborn
「生命の泉」計画は主としてドイツ国内で実施された。しかしヒトラーは「金髪」「碧眼」「長身」といった身体的特徴を持つノルウェー人を「より純粋な」アーリア人と考え[要出典]、ドイツ人のアーリア化を促進する目的で、ドイツ人ナチ党員男性に対してノルウェー女性との性交渉を積極的に奨励した(他のナチスドイツ占領地域では、このような行為は禁じられた)。このため、ノルウェーでは Lebensborn の用語が、ノルウェー人の母親とドイツ人の父親の間に生まれた子供について記述する場合に使用される。

1940年から1945年までの間にレーベンスボルン計画によってノルウェー国内10カ所に設けられた産院で出生した子供は約8000人、施設外の約4000人も含め約12000人の子供が駐留ドイツ兵とノルウェー人女性との間に生まれたとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B


いや、ちょっと飛躍したんですが、ビジネスの世界とか戦争とか、そういった効率を重んじる弱肉強食の社会では、まことしやかにさも真実のようにすぐにこの優生学的な弱肉強食の、弱いものを殺せ!みたいな、強いものは正しい!みたいなロジックが叫ばれるんですね。でも、それって????っていつも思ってしまうのです。ちまたの、成功本とかのレベルの低いものは、なんか、何も考えてないだろ?お前は?みたいな突っ込みを入れたくなることが多々あります。


ちなみに、この議論は、アソシエーション(=目的のもとに集まった機能集団)たる企業と普通の国家や共同体というより包括的な手段と分けた考えなければいけない議論で、それを同一視するのはおかしいという反論はあるでしょう。ゲマインシャフト(Gemeinschaft)とゲゼルシャフト(Gesellschaft)ですよね。


僕も、こと経済活動の世界で、、普段僕らが生きる資本主義の取引の、組織の人間関係の世界では、この『生き残るのは、最も強い種ではない。最も賢い種でもない。環境の変化に最も敏感に反応する種である。』という意見は賛成です。そこに生きる人間は、こう考えて生きていないと、人生がとても厳しいものになってしまいます。なぜならば、否応なしに世界は資本主義というかなり厳しいルールで殺し合っているわけですから。処世術として、ミクロの世界を生きるとき、もしくはミクロの企業経営を考えるときには、これは有効でしょう。いや、必須と言い換えてもいいかもしれない。


けど、グローバルな連関や国家レベルでものを考えた時に、この概念を「単純に」称揚することは、間違っていると思う。それは、この議論が、「外部」を無視する議論だからだ。外部ってのは、資本主義のシステムから外れている、アフリカ問題やセイフティブランケットを中心とするワーキングプアとかの話。ミクロの企業や個人は、「弱さ」や「弱きもの」を排除して外に排出すればいいが、それを包括する国家や共同体自体は、その「弱さ」を切り捨てることはできないという、集合概念で考えれば当たり前の話。


ふとそんなことを思った。

ただ↓ミクロで考えると、結局は組織は、自尊心や権力の戦い合いの側面が過半であるというのもまた事実で、なかなか世界というのは難しい。


いかに「問題社員」を管理するか (HBRアンソロジーシリーズ)