Hillary Clinton says she won't run for president in 2020, but vows she's "not going anywhere."

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Hillary Clinton says she won't run for president in 2020, but vows she's "not going anywhere." Clinton ruled out another campaign during an interview posted Monday by TV station News 12 Westchester. However, she said she'll keep speaking out. (March 5)

一時代が終わった、と思う。民主党は、バーニーサンダースさんら、まだ前回の失敗に懲りないというか、候補者の乱立が続いているけれども、この人は潔く。2016年の大統領選挙では、ほとんどトランプさんが勝つと感じていましたが、ずっと、ヒラリーさんを応援していました。というのは、まじめにスピーチなり意見を聞けば聞くほど、大した素晴らしい人で、実績も十分を通り過ぎるくらいあって、今でもなんで大統領に慣れなかったのか、とさびしくてたまらない。まぁ、未来はどうなるかわかりませんが、ちゃんと宣言したのは、一区切りをとても感じました。

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ヒラリーさんは、本当にめちゃ嫌われるそうには嫌われているので(なんでかさっぱり僕はわからない)、煽る立場のトランプさんにすれば、くみしやすいと思うんでしょうねぇ。



ちなみにツイッターでの二人のやり取りは面白い。


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ちなみに、ヒラリーさん的なポジション、とまではいかないけれども、有力候補としては、カマラ・ハリスさんが注目ですね。


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ちなみに上でも書いたんだけど、民主党は、本来勝てるはずなのに、自滅している構造があると思うんですよね。いまの大統領選というかアメリカの政治の問題は、共和党もう民主党も極端に偏りすぎて、中間層が支持できる(たくさんの個別の意見の妥協案を取りまとめる)中道派がいないというのが問題なんですよね。なので、極端の代表例である、バーニーサンダースさんらが力をまだ持っていると、またトランプさんにやられちゃうよ、と思っています。ちなみに、いま議員としては大注目の、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez、AOC)さん(なんと29歳!)も、内容的には、マイルドな表現をしていますが、ほとんどバーニー・サンダースさんと同じ思想、意見ですね。ただ、ちなみに、「マイルドな表現」という部分は重要で、主張は同じ社会主義的なものでも、それをマイルドに言えるというのは、重要なポイント。妥協できるかどうかというところだから。

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2019-3-2-【物語三昧:Vol.6】海燕とペトロニウスの少女マンガ講座-第2回 成田美名子著『CHIPHER』双子というテーマ with 海燕さん


2019-3-2-【物語三昧:Vol.6】『CHIPHER』成田美名子 with 海燕

海燕ペトロニウスの少女マンガ講座-第2回です。2019年は、遠き坂の上の雲におわすLDさんという巨人を超えるための第一歩として、彼の強くない領域で、戦おう!(=逃げ)というコンセプトで、やりはじめています。海燕さんと少女漫画の傑作をまずは紹介していくラジオをして自分たちの少女漫画好きを見直そういう戦術です。そこで、今回は、成田美名子さんの『CHIPHER』を紹介します。続編の『ALEXANDRITE』を含めると1985-1994連載。80年代のアメリカを描いている作品。読んでいないと、人生損していると思えてしまうくらいの傑作作品。ペトロニウス的には、本当の友達とはどんなものか?と考えるときに、常に、ロイとハルが友達になっていく過程を振り返るほど、人生に衝撃を与えた作品。逆を言えば、ここまでならないと、それは友達じゃないんだ!と、自分の中で割りきりが生まれた気がする(笑)。ちなみに、『ALEXANDRITE』を見て、アメリカへのあこがれが、具体的強固になった。当時大学生で、どうしても見に行きたくてコロンビア大学に旅行で見に行っている。写真も残っていて、自分の惚れ込みようにうに、驚きます。

愛蔵版 CIPHER 【電子限定カラー完全収録版】 1 (花とゆめコミックス)


ちなみに、せっかくつくったのでラジオの前提として海燕さんと用意したメモ。基礎知識をまとめているので、あげておきます。


◆作品データ的知識
前作『エイリアン通り』の大ヒット(500万部)1980-1984ちなみに、いまでは、エイリアンという言葉は、ポリティカルコレクトネスで、あまり使用しないと思う。フォーリナーかな。

サイファ』1985-1990 白泉社 LaLa 花とゆめコミックス
『ALEXANDRITE』(アレクサンドライト)1991-1994

1985-1994 ぐらいに描かれた、アメリカの物語。

エイリアン通り(ストリート) 1 (白泉社文庫)

ALEXANDRITE〈アレクサンドライト〉 1 (白泉社文庫)


・双子という文学テーマ。タッチ、エデンの東カインとアベルの聖書の話。最も近い競争相手。なりたかった自分(反対の自分)を常に比較されて見せられる恐怖。お互いの違いを知るとこで世界を知っていく。だいたい、女の子?という異性が表れて、完結している世界に日々が入る。


・『エデンの東』(East of Eden)は、1955年.監督はエリア・カザン。原作はジョン・スタインベック
エリアカザンの映画は、父親との和解がテーマ。原作のスタインベックは、複雑で、トラスク家の3世代に渡る物語。大河小説。サリーナスは、北カリフォルニアの農業で有名な街。アーティチョークとか。母親が住むモントレーは、今では観光の水族館で有名。イワシの缶詰なのの港町で、色濃く面影を残す港湾都市。少し南に、クリントイーストウッドが町長をやっていたので有名な、カーメル。北カリフォルニアの典型的な風景。

ケイレブ(キャル)・トラスク/ジェームスディーン
アーロン・トラスク:品行方正な兄
アダム・トラスク:正しい父親
アブラ・ベーコ:ヒロイン?キャルの相手役。
キャシー(双子の母親)
エデンの東』は、一卵性ではなく、二卵性の双子。キャル・トラスクとアロン・トラスクの兄弟。二人の確執の物語。前半は、アダム・トラスクとチャールズ・トラスクの兄弟。さらにその父親のサイラス・トラスクの話も描かれます。そこから延々と確執がつながっている。

エデンの東 (字幕版)

エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)


・読んだ年代(2019年との差異)
1985年スタートなので、ペトロニウスが小学生のころ。もう30年も前!。読んだのは、中学生だったとおもう(既にあと数巻で終わりというところだったはず)。なので、1989から1990くらいのところで読んでいると思う。
日本のバブル期。経済絶頂期。円が強かったころ。

サイファの普遍性のポイントってどこ?。リテラシーの高いよみ手と、自由な書き手がそろった、稀有な文学的香りのする作品。後半の苦しさは、いまのような「物語のトンネル」とでもいうべき「下げてから上げる」「あげてから落とす」という「落差」に耐えがたいといわれやすい(2019年)マーケット。受け手を想定している物語では、なかなか生まれないかも。津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』(1996-2005)の後半の有馬編を思い出させる。

彼氏彼女の事情 コンプリート DVD-BOX (全26話, 650分) 庵野秀明 カレカノ アニメ (PAL, 再生環境をご確認ください) [DVD] [Import]


・『タッチ』との共通性の話。

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タッチ 1 (小学館文庫)


・成田美奈子さんの作家性。人間の二面性。『NATURAL』へ引き継がれる。

NATURAL 1 (白泉社文庫)


サイファ(ロイ・ラング)とシヴア/ジェイ(ジェイ・ラング)の過去のエピソードが素晴らしい。

・卓越した構成力。序盤から伏線が敷かれている。双子が陸上で記録を出していることなど。

・後半、恋愛要素が薄れていく。人気的にはどうだったのか?

・結局、何がいいたいのか? 「愛されたい」。「自分は特別だと思いたい」。存在の根拠を見いだせない孤独感=『涼宮ハルヒの憂鬱』あたりのテーマ? 少女漫画は男性文化にテーマ的に先行している?

・少女漫画のチャレンジが認められていた時代の話。

・アニス・マーフィが、素晴らしい女の子。双子に対する区別が、最後まで見事に一貫している。タッチの南ちゃんが、思わせぶりだったのと比較すると、見事。

・アニスの成長っぷりが、めちゃたまらない。『エイリアン通り』て(1980年12月号から1984)のヒロインの成長で、見せ方を学んだのだと思う。エイリアン通りは、舞台は1979年から1982年にかけてのロサンゼルス。シャール・イダニス・モルラロールと、川原翼(この子は、1965年生まれ!、、おれより年上だ、、、)。

エイリアン通り(ストリート) (第4巻) (白泉社文庫)


・『エデンの東』。カインとアベルの話。双子のテーマというのは、「ありえたかもしれない自分」という視点で、成田さんのあらゆる作品に出る主要なテーマ。
 アレクサンドライトのレヴァインの、霊につかれる話も?(名前確認)同じ。同じスタート地点であれば、様々に「ありえたもう一人の自分」を顧みれる。そうすると、「なぜ今の自分になったのか?」が、その反射で理解できる。
 この路線をうまく理解するには、「和也が死ななかったタッチの世界」という設定で読み込むのは、非常に正しい。


・アヴェニューaで検索すると、イーストビレッジに当たり。今はルドルフ・ジュリアーニ(1994年1月1日から2001年12月31日)までニューヨーク市長。彼のおかげで劇的にNYはとても治安が良くなっていて、地下鉄もそれほど怖くないと思う。いまでは。

BANANA FISH(1) BANANA FISH (フラワーコミックス)

・風景が細かい

サンバーナーディーノ郡(英: San Bernardino County)の表示が見える。最初に、UCLA?まで行く道は、たぶんフリーウエィの10号線だと思う。表示から見ると、サンバーナディーノやリバーサイドのあたりに住んでいたんじゃないかと思う。この辺は、内陸部で、郊外といった感じ。uclaには、10号線が込むので、車で行くには、1時間半は最低でもかかるので、ちょっと遠いかな。サンバーナディーノでも銃乱射事件がありましたねぇ。

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ほんとは、パサデナとかグレンデールとか、ロスダウンタウンの北の方に住むのが郊外だったらありじゃないかなと思う。もしく思い切って南のトーランス、さらにマリブビーチの方のサウザンドオークス

そうえいば、サウザンドオークスも、銃乱射が最近あったな。

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カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサウザンドオークスで2018年の11月7日午後11時20分ごろ(日本時間8日午後4時20分ごろ)、飲食店で銃乱射事件があり、現場に急行した警官を含む12人が犠牲になった。このほか、容疑者も現場で死亡しているのが発見された。

現場となったボーダーライン・バー・アンド・グリルには、事件当時少なくとも200人がいた。この日は学生のラインダンス・パーティーが開かれていた。

イアン・デイビッド・ロング容疑者(28)は元海兵隊員で、精神衛生上の問題を抱えていた。


サンバーナーディーノ銃乱射事件は、2015年の12月の純乱射事件で有名。障害者支援の福祉施設で17人を射殺。実行犯サイード・リズワン・ファルク(1987年6月14日 - 2015年12月2日)はパキスタンアメリカ人であり、サンバーナディーノのラシエラ高校を卒業し、卒業後は保健衛生指導員として働いていた。


・「友達」って素晴らしいというテーマ。主に、ロサンゼルスのHALとロイの話。西海岸的なのは、とてもマイノリティが主軸。日系のハルに、建築やPCを教えたのは、マーク(アフリカンアメリカン)。壁にぶつかって、何かをあきらめなければならない時、それを見舞ってくれて、アドバイスをくれるのが友達になっている・なので、「積極的に友人に介入する」姿勢は、いまの時代とは、だいぶ違う感覚かも。JBとシヴァの話が、素晴らしい。


・UCLA、コロンビア、NY大学、ジュリアード音楽院など、出てくるのはアメリカの中でも最高峰のトップエリート校。そういう意味では、輝かしい美しいアメリカしか見ていない面はある。樹なつみさんの『パッションパレード』で、中西部のド田舎での偏見や差別や、アフリカンアメリカンの絶望的な人生を深く迄えぐって、バスケットボールの話につなげるものなどと比較すると、理想的過ぎるきらいはある。


Hoop Dreams [Import anglais]

HOOP DREAMS(1994)

パッション・パレード 朱鷺色三角2 1 (白泉社文庫)


サイファとハル、ジェイクとレヴァインという友達の話。対になっている。


・『花よりも花の如く』と性善説の話。「世の中そんなに甘くない」。性善説が過ぎると、物語としてウソつけ、という感じになってしまう。サイファが、どうしようもない傑作なのは、起きた出来事がマイナス過ぎて、その後何とか生きていくには、生前説というか、いい人にならざるを得ないので、、、巨大な負債がある。なので、よい側面ばかり見ても、世界はそういうものだ、という気持ちにさせる。
花よりも花の如く 18 (花とゆめCOMICS)

http://petronius.hatenablog.com/entry/20120601/p7

ただ、一点、これはと思った点がありました。それは、この作者が、最初の第一話で選んだのが、非常にまじめな青年の主人公が痴漢に間違われて仕事を奪われかけるという話です。それは、痴漢だ、といった女性の側がどうも疑心暗鬼というか被害者妄想が強い人で、勘違いかうそを言っているという話の流れでした。結局、この女性は、ある程度回心して告訴を取り下げて、という話で終わります。・・・・が、僕は現実的に考えると、この話って邦画の周防正行監督の『それでもボクはやってない』になって、最後まで冤罪が晴れない、というのが普通だと思うのです。主人公は自分が明らかにやっていないのが(観客も)わかっているわけですが、いいかえれば、自分が悪くないにもかかわらず、人の悪意によって人生がめちゃくちゃにされるということの恐怖を描いているわけです。この場合はね。そこで、この物語は、痴漢を主張した女性が正しい心を取り戻して、ちゃんと事実を直視する勇気を持ってほしい、、、的な希望を託させるわけです。僕は、痴漢や冤罪に知見が深いわけではないので、この犯罪自体の話を言いたいわけではなくて、成田さんの話って、こういう風に「人の誠意が通じる」「きっと話せばわかってもらえる」というような非常に、合理的というか、ある種の悪意が解消されることを信じているポジティヴで前向きな意思がああって、それに主人公が悩むという話が多い。『サイファ』の時ぐらいまで、それに違和感を感じたことがなかったのですが、日本が舞台の作品を見せられると、、、、この前作である『NATURAL』でもそうだぅたのですが、何か違和感を感じるんですよね。これは僕が、世の中は底が抜けたような『どうにもならない悪意』もたくさんあって、それは「自分が生きている範囲」「自分が見通せる範囲」「物語の展開の内部」では解消されないことが多い、ということを信じている人だからだと思うんですが、そんわけないじゃん!と、嘘くさい前向きさを感じてしまうのです。きれいごとすぎる、、、と。

海燕ペトロニウスの少女マンガ講座



2019-2-4【物語三昧:Vol.3】TONO『カルバニア物語』人間らしさを失わずこの過酷な世界で生きていくこと with 海燕


カルバニア物語(17) (Charaコミックス)

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン3 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督  2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない

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評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン1-2 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督 みんな自分の居場所を守るためにがんばっているだけなのに - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

上記の続きで、今回からはかなりんネタバレになるので、見ていない人は、前の記事だけにとどめるか、ぜひともドラマを見てください。現在、2019年の1月23日。順調に、シーズン3-4まで消化。


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■シーズン1を見ていると苦しくて見ていられないほどなのに、何がそんなにアメリカで受けたのだろうか?(この物語のコアとは?)


アメリカ史上、最大の評価を受けたドラマ、といわれるほどの人気だったブレイキングバッド。

衝撃的かつ独創的な映像世界で米国TV界を席巻した大ヒット・シリーズ「ブレイキング・バッド」は、2008年より、「マッドメン」や「ウォーキング・デッド」など質の高い人気シリーズを輩出しているベーシック・ケーブル局AMCで放送スタート。直後から視聴者の爆発的な人気と共に批評家が熱狂し、同局のオリジナル番組のブランドを決定付けたモニュメント的な作品だ。2013年に全5シーズンで完結するまでには数々の主要なアワードに輝き、2013年、2014年にはエミー賞作品賞を2年連続受賞、2014年にはゴールデングローブ賞の作品賞を受賞するという快挙を成し遂げた。中でも、主演のブライアン・クランストンの熱演は鬼気迫るものがあり、”近年のハリウッドで最も素晴らしい演技”と放送開始当初より各方面から絶賛の嵐。エミー賞では主演男優賞を4度受賞したほか、相棒役のアーロン・ポールも同賞助演男優賞を3度獲得して記憶に残る名演を披露している。麻薬組織に銃撃戦やバイオレンスなど派手に魅せる過激な描写もさることながら、家族のドラマや追い詰められた人間の心理に誰もが自分を重ね合わせることができる人生の皮肉と残酷さを伝えて、普遍的な感動を呼ぶ本作。番組の生みの親であるヴィンス・ギリガンのブラックなテイストとユーモア、鋭く現代社会の問題をつく視点も秀逸な、アメリカTV史にその名を残す傑作シリーズだ。

スーパー!ドラマTV 海外ドラマ:ブレイキング・バッド

僕自身も、これを見始めたと同僚に行ったら、毎回どこまでいった?と聞かれ、熱いトークが生まれる(まさに今現在毎週聞かれる(笑))ので、会話のためのネタではなく、本当に好きなんだな、と驚いたんですが、、、こんなに一つのドラマで会話のネタがずっと続くのは、ゲームオブスローン以来。このドラマが、いかにアメリカ人の中で深く心に刺さったかが感じられます。まぁ、僕の周りだけなので(笑)、アメリカ人と大仰にくくるのは無理かもしれないですが、いろいろ記事を見ていても、このクラスの人気は、ここ最近だと『ウォーキングデッド』と『ゲームオブスローン』くらいかなぁ、と思います。まぁ僕もまだまだアメリカのドラマは初心者クラスなんで、コツコツこの世界に触れ続けていると、いろいろ出てくるかもしれないですが、いやはや『ブレイキングバッド』は、本当にたくさんの人が、ナンバーワンに挙げる作品です。

ウォーキング・デッド コンパクト DVD-BOX シーズン1


とはいえ、実は、最初ちょっと不思議でした。


シーズン1を見始めたとき、ちょっと後悔したんです。というのは、末期に近い肺がんのウォルター・ホワイトの「余命がない中で」、さまざまなことに心が揺れ動くシーンの連続は、もう見ているのがつらくてつらくて、、、、。それでも見続けるし、しかも、やめられないほど面白い。。。。とはいえでも「苦しいんです」。周りにがんで亡くなった人がいるわけでもないのに、これほど夜寝ればくなるほどの苦しさ。僕は、何度もうやめちゃおうかな、と思うほどでした。これ、苦しすぎて、見るのあきらめた人、いっぱいいるんじゃないか?と思ったんですね。実際、絶対いると思うんですよね。


でも、アメリカでこのドラマの人気の出方は、どちらかというと口コミでじわじわ広がっていって、ものすごく深い共感と理解に支えられて大ヒットしていった感じなんですよ。実際、僕の友人連中の、テーマや内容について、共感や言いたいことがあって、何回も話し込むところからいって、「単に面白いから」というエンターテイメントを超えた、時代の広範な要請とリンクしている感じがします。あっ、言ってみれば、日本の1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』のアダルトチルドレン的な感性への共感とシンクロみたいな、物語のコアの部分が、物語の枠を超えて、「その時代」のテーマと大きく結びついていた感じ。


「物語のトンネル」に耐えられない人は増えているのか?:弱いなら弱いままで。:海燕のチャンネル(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ

物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない - ジゴワットレポート


こういう物凄く暗く、苦しく、重いにもかかわらず、凄まじい共感と反響を呼ぶ作品が、長く愛されたりするのを見ると、ああ、やっぱり物語の価値は、物語が受け入れられるかどうかは、結局のところ「質」であり「おもしろさ(その深み)」何だよなぁ、としみじみ思います。つい最近、「物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない」という話題が、語られていたが、もちろん、そういう人が一定数必ずいるのは事実だと思うんですが、まぁ、そんなの作り手側、クリエイターが気にする必要性って全くないよなぁ、と僕は思います。比率的に、あまり議論する価値がない感じがする。なので、あまり価値がある議論には、思えない。「そういう人もいる」というだけの話。トンネルに入ったくらいで、物語が見れなくなるということは、基本的には、その物語がいまいちだからだと思うんです。もしくは、単純にその人の、その時の嗜好に会わなかっただけ。


もちろん、時代的な感性として、一部を少し超えて、物語のカタルシスにつながるまでの「しこみ」みたいな苦しさに耐えられない(乃木坂春香の話で、僕らはそんなに弱くない!とずっと語ってますね、アズキアライアカデミアのラジオの方で)感性があることは事実だとは思います。けどそれって、結局のところ、受け手が、エンターテイメントに何を求めているか?と問うたときに、日常の仕事とか現実が苦しいので、せめて物語の世界では、楽しいこと見ていた!という要望。もしくは、その逆で、波風のない日常では味わえ内容のは、波乱万丈のワクワクドキドキが見たい!とか、、、まぁ、物語全般に受け手が望む態度の一つに過ぎないので、まぁ、ここで言えることは「いろんな人がいる」というだけのこと(笑)。人類は、ずっと昔の古典や物語を振り返れば、まぁ、やっぱり楽しさも、怖さも、ハラハラドキドキも、みんな見たいんですよ。なので、一時代の、少しの傾向を見ても仕方がないんだと思います。一時期のマーケティング分析的な、分析って本当に害悪だとおもう。だって、それに「合わせて」調整して作品を創造したり、ただ儲ければいいといって作品を創るのは、「創造する」という仕事に携わる立場から言って、とても難しいと思うので。


って話がずれた。


えっと、このめちゃくちゃ見ていると苦しくなるところに、いったいどんな、2008-2013年ごろのアメリカをシンクロさせるような、背景があったんだろう?、とちょっと考え込んでいたんです。。。だって、こんなに見るのがつらいのに、大人気を、しかも口コミでするなんて、なんらかの社会的にシンクロする大きな背景があったんじゃないか、と思うってしまうからです。そういう背景から、この物語のコアは何だったんだろう?という疑問を少し温めていました。


そこで、いろんな友人に話してみて、数人の友人から、全く前提を振っていないのに、同じ解釈を聞かされたので、たぶん「この解釈」がそれなりに当てはまっているのだろと思うのですが、それは、アメリカのドラマにおいて、主人公が明らかな悪人で、かつその悪人の内面を徹底的に描いて、それが落ちるところまで落ちていく過程をすべて、描き切った作品は、これが初めてだとおもう、ということでした。いろいろな言い方をしていましたが、みんな言うポイントは、主人公のウォルター・ホワイトがもうひどいくらいの「悪人」それも「極悪人」であるのですが、


・主人公が言い訳しようがない極悪人であるにもかかわらず、ずっとその内面を赤裸々に追い続けている

・主人公は最初から悪人だったわけではなく、「家族を守るため」という真摯で正義の目的のために、どんどん「悪人」になっている

・極悪人が主人公なのに、だれもが共感し、人気が出続けた
(正義の味方スーパーマン!大好きなアメリカではありえないこと!)


このようなポイントです。ようは、正義大好きのアメリカ人にはありえないくらいの、極悪人の内面過程が、ずっと描かれるのに、人気が出たというエポックメイキングな作品だ、というのです。


ちなみに、この議論は、『アナと雪の女王』で、僕は一度描いていますよね。まさに同じ話です。


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アナと雪の女王』の最も重要なポイントは、これだけ人気が出たにもかかわらず、雪の女王という怪物になり果てたエルサの内面と、そこに追いやられた具体的なエピソードが、とても肯定的に悲しく描かれているところですね。それまでだったら、退治して、殺すだけの対象だった邪悪な魔女のことがこれほど肯定的に、というか、「そうとしかあれなかった」家庭が描かれるのは、画期的なことだといわれました。アメリカ社会の、善悪二元論、、、単純に正義だけで割り切れなくなった感性が、本当に広がりを見せているのだな、と思います。

アナと雪の女王 (字幕版)



■Be a man! 報われることが一切なくとも、家族のために戦い続けろ、それが男というものだ


さて、「極悪人の内面過程を描いた!」というのは、具体的にどういうことを言っているのでしょうか?


この作品の「始まり」であり「ボトムライン」は、気の弱い?ウォルター・ホワイトというだつの上がらない公立の化学教師、けれども善良で、それほどエゴを主張しないような、、、、そういう存在が、「家族を守り、自分の死後、家族が安楽に暮らせるように」という目的ではじめた、メス(麻薬)づくりに、深く深くコミットして、逃げられなくなっていくというお話です。つまり、先ほど説明した、フローズンの「エルサ」と同じ話なんです。魔女といわれるような存在。害をなす、邪悪な存在。それを倒すことで、物語はカタルシスを得てきましたし、そういった悪と正義という二元的対立が、人々をとても共感させる類型です。けれども、成熟してきた、そして自らの正義を疑うようになった米国の現在は、「ではその魔女はなぜそうなってしまったのか?」を丁寧に考えるようになりました。Let it be(ありのままで)という言葉は、とても投げやりで、もうどうしようもなくなったというニュアンスにたしかに聞こえます。エルサが雪の女王という魔女になり果てるのは、「そうとしか生きることができなかった」悲しみと苦しさが隠れています。エルサの子供の頃や育つ過程を見れば、彼女が妹と国を愛するとてもやさしい人であるのがわかり、、、彼女に選択肢も逃げ道もなかったのがわかります。けど、邪悪な存在は、うち滅ぼされ、殺され、、、そしてめでたしめでたしとなります。日本における勇者と魔王という二元論で、魔王は、なぜ魔王になったのか?と考えるのと同じことだろうと思います。本当に成熟した物語類型では、悪はなぜそうなってしまったのか?が問いかけられるようになります。


では、ウォルター・ホワイトは、なぜそんな極悪人になったんでしょうか?。


僕は、ウォルターの仕事を評価し、彼に深くコミットさせようと、麻薬ディーラーの大ボスの一人であるグスタボ・"ガス"・フリング(ジャンカルロ・エスポジート(Giancarlo Esposito))が、彼を説得するときの言葉や理由に、この作品おテーマが、これでもかとえぐられるように表現されていると思います。ちなみに、ガス、カッコよすぎて、やばすぎです。このあと、スピンオフの作品『ベター・コール・ソウル』(Better Call Saul)がつくられるのは、ますが、わき役陣があまりに素晴らしすぎて、スピンオフができるのはよくわかります。特に、僕は、ガスが見てていつもドキドキします。こんなに格が落ちない悪役というのは珍しいと思います。なんというか理想の、悪のラスボスです。容赦なさ過ぎ。

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話を戻します。ウォルター・ホワイトは、なぜそんな極悪人になったのか?



ザ、マッチョイムズだ、と僕はツイッターでつぶやいたんですが、何とかなしい話だろうと、グッときました。友人が、涙目で、男は強く、家族を守る存在であれ!と言われたら、逃げられないよ、としみじみいっていて、そんなに深く刺さる言葉なんだぁ、、と感慨深かったです。3人ぐらい同じ話さをされたので、みんなここにグッとくるようです。ああ、全員、アメリカ人で、男性で、白人でしたね(笑)。しかもみんな「たとえ報われなくとも!」というところで、涙するようです(笑)。ちなみに、僕もほんと胸に刺さった。


もう既にね、リベラリズムが広がった成熟した現代(2019年)とかで、男らしくあれ!とか、男が女子供を守るんだ!なんて言説は解体されて、ちょっと笑えるような「大きな物語」で、既に時代遅れだというのは、みんな思っていると思うんですよ。けれどもね、たぶん、それなりの年代の人は、この価値観で「すでに育って」しまっているので、もう時代が全く意味をなさないとわかっていても、この桎梏から逃げられないんだろうと思うんですよ。


しかも、「男であれ!!!(Be a man!)」というセリフが成り立つ、というか、法律も常識も何も守ってくれない殺し合いの世界では、これが成り立ってしまうんですよ。それを、この弱肉強食の世界で生きている、大先輩である先達、ガスに、激しく言われたときに、ウォルター・ホワイトは、胸に刺さるんですね。戦いの世界で、ルールがなければ、マッチョイムズというか、強さこそすべてという荒々しさになってしまいやすいですもの。


しかも、、、、運がいいというか、とても悪いことに、ブルーメスという特別な麻薬を作る、才能が、ウォルターにはあったんです。


才能がある、、、言い換えれば、やろうと思えば、彼は、その世界で強者として、弱者を踏みつけ生き抜いて、家族を守ることができるんです。できなければ、破滅です。なら「やる」しか、選択肢がないんですよ。そう追い詰められて、シーズン3で、ずっと、自分が犯罪者であることが受け入れられなくて、常識にうろたえていた、ウォルターに少しづつ覚悟が芽生え始めます。


その覚悟とはすなわち、自分の家族を守るために、自分の才能を徹底的に使い、極悪人として、邪悪な存在になる覚悟です。シーズン3は、この過程が、じわじわ見ることができます。しかも「才能がある」ということの怖さが、とてもここで描かれている気がしました。というのは、最初は「家族に財産を残す、守る」という消極的な、受け身の姿勢であったんですが、どんどん麻薬の世界に深入りしていくにつれて、自分がその世界で特殊な才能を持つことがわかってくるんですね。そこで、、、、彼は強い自信とプライドを、、、それもものすごく強く持つようになっていくんです。なぜかといったら、才能があるから、現実を動かす能力があるからなんですね。そして、それにおぼれ、それにからめとられ、それに支配されていく過程が、とても丁寧に描かれます。じわじわと、「自分の思いどおりにならない」ことに対するいらだちと怒りが、彼を支配していき、、、自分がコントロール、支配できるように、何が必要かを、倫理も道徳も吹っ飛ばして、行うようになっていきます。



■どんなに受け入れがたくても現実を直視して覚悟を持たなければ、人生は最悪に転がり落ちる-Half Measures(中途半端)からFull Measure(肝が据わった本気)に


シーズン3の最後の数話、31:Abiquiu(悪の住む町)、32:Half Measures(憎しみの連鎖)、33:Full Measure(向けられた銃口)から、シーズン4の第1話、Box Cutter(ガスの怒り)までは、もう止められなくて夜中の3時までかかってみてしまった。というのは、シーズン3全体というのは、なんというか陰鬱で、どんどん状況が悪くなっていくさまが描かれていくのだけれども、その最悪の現実を直視して、覚悟が決まるのが、33話(シーズン3の13話)だったので、スカッとしたカタルシスが得られるのだ。状況はさらに悪くなってはいるんだけれども(笑)、でもそもそも、既に本当は抜け出ることができないところまで来てしまったいるから、覚悟を決めるしかなかった。


しかし、現実を直視できなくて、言い換えれば「そうなってしまった自分」を受け入れることができなくて、つじつま合わせを繰り返しているうちに、人生は最悪のところまで転がり落ちてしまう。これシーズン3の最終話は、既に積んでいる状況で、このままいけばグスタボ・"ガス"・フリングに殺されただろう。そして、ある覚悟で、13話に「手を下す」ことになるのだが、これはもっと状況を悪くして、即ガスに殺されそうになる。でも、最悪のピンチを、素早い決断の連続で、切り抜ける。


これをみて、ああ、人間というのは、現実を直視して「覚悟」が決まっていないと、人生の坂を転がり落ちてどんどんだめになるのだなぁ、としみじみ思った。状況自体は、シーズン3中でも最悪になったのにもかかわらず、切り抜ける覚悟があるのは、「手を下す」「自分が手を汚す」覚悟が、腹が決まったからだと思う。そして、人生は、その通りだと思う。


実際、この作品で、ほとんどのトラブルは、パートナーのジェシー・ピンクマン(アーロン・ポール)が、引き起こしているのだけれども、彼が、なぜいいつもどんどん人生が、悪い方向に転げ落ちていくのかは、彼が基本的に中途半端にいい人で、優しい人であるがゆえに、覚悟が決まっていないので、坂を転がり落ちる雪山の雪だるまのように、悪くなっていのだく。


日本語タイトルには反映していないが、この中途半端はだめだ、というのが、シーズン3の最重要テーマになっているのは、英語でセリフを聞いて、英語タイトルを見れば、はっきりしている。32:Half Measures(憎しみの連鎖)と33:Full Measure(向けられた銃口)は、中途半端から、中途半端じゃなくなるというウォルター・ホワイト(ブライアン・クランストン)の心理状況を表している。


ここでいう本気は、「手を汚す覚悟」があるかどうか、だ。いつ死ぬか、殺されるかわからない状況では、即時の判断は、肝が座っているかどうかで決まる。ウォルターが、自分がはっきりと、この犯罪の罪を自らの手で御し、責任を引き受けるということだ。それができないこと、「現実を受け入れられないこと」は、30話:Fly(かなわぬ最後)で、「どこで間違えたのか、、、、」「どこで終わっていれば(=死んでいれば)」自分の幻想や嘘がきれいに終わったのだろう、と自問して、おかしくなっていくさまが描かれているが、ジェーン・マーゴリス(クリステン・リッター)を見殺しにした時点で、もう引き返せないところに来たのだ。


メスの販売もそうだが、自分の手を汚していないように見えることで、家族のためという言い訳を繰り返すことで、まだ犯罪者を相手にしているのだからいいのだ、と繰り返すことで、「現実を直視すること」から逃げているから、苦しくなるのだ。現実に踏み出す決断をしたら、その決断の「引き起こした現実」は、どんなに自分が望まなくとも、すべて自部の責任だと認識して生きていかなければ、人はナルシシズムの世界に住むことになる。もちろんそれは過酷なことだ、「なぜ自分がそうあらねばならないのか?」と苦しむことにはなるかもしれないが、けれども、そうして逃避していく先は、ジャンキーのように人生のコントロールを失って、どん底へ落ちていくだけなんだろう。たぶん、人は、やさしいから、中途半端になる。現実に起こって知ったからと言って、いきなりギャングや殺人者になることはできない。でも、きっと、その覚悟が決まらなければ、最初から一歩踏み出すべきではなかったし、すぐにでもすべてをぶちまけて警察に自首すべきだったのだ。「そうでない」ならば、自分の手を汚す覚悟をする以外は、方法はない。もしくは、そういう弱肉強食のみの犯罪の世界では、捕食され、殺される以外道はない。



■2008-2013年のアメリカは、正しくあろうとあがくことで怪物になり下がっていく自分たちの虚無を見つめたのかもしれない


ブレイキングバッドが放送された2008年から2013年と書くと、物凄く象徴的に思えます。2008年のリーマンショックにはじまり、第44代バラク・オバマ大統領(2009-2017)の下で「正しくあろう!」と思い続けたアメリカは、最終的には45代ドナルド・トランプ大統領を2016年に選ぶことになります。この辺りの大きな流れは、とても象徴的だと思いませんか?。ちなみにthe financial crisis of 2007–2008、subprime mortgage crisisといって、リーマンショックというのは、ほとんど通じない気がします。正式なのは何というのでしょうか。


ええと、もう一度最初の問題意識に戻ります。この作品のコアは何だったのだろう?。なぜ、アメリカでこんなにも同時代的に支持されたのだろうか?と問う時に、ウォルター・ホワイトという典型的な優しい中産階級に属すると普通の男が、何一つ悪いことも、ひどいこともしていないにもかかわらず、病気になっただけで、家族が破滅する破産の危機にさらされます。オバマ大統領が、徹底的に進めたけれども、果たせなくて骨抜きにあった公的医療保険のことを思うと、この物語の背景は、まさに当時の、そして今のアメリカの現在の問題意識を貫いています。病気になった、ただそれだけで、ウォルター・ホワイトは、人生が崩壊しています。中産階級に属する普通の人生だと思っていたのが、実は、プアホワイトになっていた、もう家族も含めて未来が全くない状況に追い詰められているのです。



そこで、、、、、家族を守るため、最初は自分の為ですらないという、とても正しい動機で、彼は怪物になっていきます。



そこには常に、「誰が!、何が!悪かったんだ!!!」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。



そして、倫理と道徳を捨てて、ただひたすらに弱肉強食で生きると覚悟を定めた時に、弱々しい存在だと思っていたウォルター・ホワイトは、凄まじい才能を発揮します。オバマ政権からトランプ政権を選んだ、アメリカの中産階級の、投げやりな、けれども、、、、という感じがめちゃくちゃシンクロするように感じます。この文脈で考えると、共和党とドナルドトランプさんが、ラストベルトやプアホワイトに支持されたというストーリは、色々感じるところがあります。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち


ちなみに、ウォルターの妻のスカイラーを、見ていると、とてもローマを思い出しました。これも素晴らしいドラマなのでおすすめです。こういう赤裸々な人々の欲望が展開する群像劇は、なんというか、「こっち」のお話だなーとしみじみ思います。「こっち」って、どっち?(笑)と思ってしまうんですが。日本じゃないって感じ、で(笑)。


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