【私信】Congratulations! & 人の成功を見て思うこと

おめでとう。

世界に、手が届くって、最高だろう?。それって、世界から、社会から、「選ばれた!」ってことなんだぜ。自分の価値がはっきり、社会的なものから評価される喜びは、何物にも代えがたい。ナルシシズムの檻の中では感じられないダイナミズムなんだ。すかして、斜に構えて現実を見ているやつには、このストレートにぶつかって、それが評価として跳ね返ってくるA級の・・・自分が現実という環境の中で、自分自身の力で物語を作り出して、そしてその物語の主人公になる、という最高にエキサイティングな体感・実感は、いつまでも得ることができないんだ。

これって、この感動って、増幅して、倍々ゲームで増えていくものなんだぜ!。だから、立ち止まらない。アクセルを吹かしたら、どんな過酷な壁にぶつかろうと、全力で走り続ける。人は、人生という名の物語を走り抜けるアスリートたるべきだと僕は思う。まだスタートに立ったばかりで、「これから」こそ、もっともっとデカイ壁が現れると思う、、、けれども、そういうのは平気で乗り越えられるものなんだよ。自分が、自分だけの力で、何もない徒手空拳のところからスタートして何かを獲得した自信があればね。


閑話休題


人が成功する瞬間を見ると、いつもとても不思議というか、うれしいというか、なんともいえない感興でいっぱいになります。・・・・というは、しない人もたくさん見るからです(笑)。成功する人としない人を分けるものは何なんだろう?とか思います。というのは、僕は、同じようなことを何人にも云うし、その人のなりにカスタマイズして、動機に火をつけようと、いろいろな言い方をします・・・もちろん僕の能力の問題もあるのでしょうが、見事なくらいにはっきり「その言葉に乗って」階段を駆け上がる人と、そうでない人が分かれます。まぁ、世の中はね、実績というものがはっきり出るトライアルはたくさんあるので、もう見事なくらいはっきりとわかります。

これは、言葉と、行動と、その人の動機がちゃんとリンクしているか(させられたか)どうか?ってことなんだけれども、、、これがなかなか難しいんだよね。さらにいえば、それがダイレクトに現実の過酷さとリンクすると、もう最高だ。

けど、それがなかなかできないんだよねー。まぁ、、、、必要なのは、たぶん素直さ、と自分でものを考える頭(=地頭)なのかもしれないなー、と思う。特に素直さ。僕のアドバイスは、多摩川の土手で「バカやろーと叫べ」(笑)とか、どこの新興宗教だ?っていうような胡散臭いものも多いんですが、別に、これって何でもよくて、ある種の壁を乗り越えるために、人の言葉を受けてストレートに行動に転嫁するとか、自分の中の「物語度合い」を上げるために・・・つまりは、ある種の虚偽の物語とのシンクロ率を上げるために、なんでもいいから、やれっていっているだけで、それがナチュラルにできる人は、別にそんなこと必要ないんだよね。無理やり燃焼しなきゃいけないというのは、それだけ、日常のテンションが低かったという証左でもあるから。僕なんか、毎日火の玉みたいでジェットコースターみたいな人生なんで、もういまさら、土手では叫ぶ必要もない(苦笑)。

というか、階段を上って、現実とのシンクロ率を高め、生きている実感を物語の感覚で楽しめる生き方は、常に「前へ向いたポジティヴ」な志向を持ち続けるものなんだよね。そして、そういう状態が、もう常態化・日常化していってしまう。俗にいう「勝ちぐせ」というやつだ。こういう途上にいる奴は、小さな挫折なんか、次なる大きなジャンプの肥やしにしかならなくなる。もちろん、そんなキレイごとではないような、いろいろな試練が人生というものにはあって、僕は、マッチョとかいう言葉は好きではない。というのは・・・何もかもがポジティヴでとらえられたら人生バラ色に見える、みたいなバカみたいじゃん、それ。人生は、苦しい。現実は、過酷だ。毎日が逃げ出したいほど、苦しいことの連続で、人生なんか自分の能力を超える出来事の連続で、しかもそれが過半なんだ。でも、その中でも、志を捨ていないで、前へ向かうことが、真の意味のポジティヴだと僕は思うんだよね。マッチョという言葉には、なんだか、そういう誰もが弱い存在である人間が、「にもかかわらず」前へ進む気高さや勇気を感じないので、言っている意味はわかるけど、なんかヤダ。

成功しているやつが、いつも前向きなやつが、「だからといって」楽に生きているわけではないでしょう?。大きな成功を得るために、当然それと引き換えにする努力や苦しさがあって、その過酷な中で耐え続けたいたからこそ、なんだよね。

・・・こうして小さく「勝ち」を積み重ねると、少々の失敗には揺らがなくなるんだよね。ましてや、積み重ねている分だけ常に「余裕」がある状態で、大きなチャレンジや大きな試練に対峙することができる。そうやって、運と結果を、呼び込んでいくものなんだ。


閑話休題


・・・・ある人が自分の目標を達成した報告を受けたのだが、、、、それがなかなかうれしくなりながら、とはいえ、シゴトで僕はへとへとだったので、半分もうろうとしながら家の手紙受けを見てみたら・・・・

僕がよくいっていた美容院の担当の人が、数か月前に辞めて、もう残念ながらできなくてスミマセン…といっていたのだが、手紙が来て・・・



自分の店を開きました!



という報告が来ていました。僕にいつも、営業トークの仕方などを聞く人で、僕にとっては、ただのストレス解消というかてきとーだったんですが・・・・それが凄く役に立っています、、、いろいろ自分で店を持つために凄く糧になりました…という手紙が来ていました。


こういうのって、なんか、死ぬほどうれしいですよね。


自分の言葉が、世界に届いったってことだもの。ただ、それは、僕の言葉が偉かったわけではなく、その言葉を受けて行動に転嫁した人が偉いんですが、、、、そういうエネルギーを持った人に出会えた、ということ、その人が階段を登る「前」に出会えたこと、が僕はとっても嬉しいです。

世界は、やっぱり美しいところだな、と思った今日この頃です。