『養老天命反転地』 荒川修作+マドリン・ギンズ 身体を通して感じる空間


■建築への眼差し

僕が定期的に空気のように毎日訪問するBlog『千の天使がバスケットボールする』の樹衣子さん が、Le Corbusier ル・コルビュジェについて記事で取り上げていて、久しぶりに建築のことを思い出した。まだ行っていないが、表参道ヒルズも僕が好きな建築家である安藤忠雄さんの設計なんだよね。あれも見たいなー。日本では、コルビジェといえば、国立西洋美術館ですね。この鋭角バリバリは、まさにモダニズムの王者って感じですよね(笑)。

国立西洋美術館

マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952年)

ちなみに、僕は、なんの関係もないのだが建築が好きで、学生の時にはmapを片手にいろいろ見て回りました。教会建築も好きで、パレスチナイスラエルあたりからトルコ、ギリシャ、イタリアから北上してドイツ・イギリスまで4ヶ月ぐらいバックパッカーをかねて、古い教会の広がった変遷を追ったりもしました。面白いですよ、イスラム建築から、ギリシア正教そして、カソリックからプロテスタント・・・・それにあのあたり領土の変遷を頭に叩き込んでいけば、凄いエキサイティング。

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・・・・・この教会建築の変遷は、わかる人にはわかるでしょうが(笑)、かのアラビアのロレンス・・・・もともと考古学者志望のオックスフォードの大学生であったT・E・ロレンスが、研究していたルートと同じです。このルートの研究と達者なアラビア語ゆえに彼は、英国諜報部に誘われることになりました。・・・これは、別の話ですけどね。もちろん、僕は、常になんちゃって人間なので、研究したわけではなく、本を片手に『ただ見た』だけですが。


何でかというと・・・・・ややこしい話なんで、読み飛ばしていただいてけっこうなんですが(笑)、僕は、社会思想や経済思想が好きで、経済を勉強しているうちに、そもそも無制限の自由はないんだなと、どちらかというドイツ系の制度派経済学の設計主義に傾いていたんですね。
 

・・・・すでにわからないな(笑)。


えっと、アダムスミスの云った「神の見えざる手」といえども、実は、様々な制度的仕掛けが裏にあってそういった規制が成り立っていないと、レッセ=フェールは成立しない。つまり、自由を獲得したければ、キチットした仕組みを構築する義務と必要性がある、と。その中でも、とりわけ道徳哲学の教授であったアダムスミスを読み込むと、実は、法律的な仕組みよりもまず大前提として、マーケットのゲームに参加する人間の内面の共感能力(=シンパシー)などのモラルの側面こそが、重要だ、というふうに書いてあるんですね。ということは、経済を正しい形で均衡させるには、経済法よりも、まずは教育なんですよ(マクロではね)。けど、教育=洗脳なんですが、個人的にも、国家のトレーニングマシーンとなる学校教育が死ぬほど嫌いだったので、、、あれはまさにフーコーのいう囚人監視訓練場(笑)みたいなもんですから・・・・もっと、上手い形で、自然と人を誘導し教育できる方法はないか?。(←このへんは、非常に全体主義的ですねー(笑)発想が)と考えて、それには、「それ」と気づかせない仕組み・・・・・住んでいる環境空間そのものをデザインすれば、強制・洗脳とわかりにくい形での教育システムが構築できないか?と考えたんですね。


そこで、注目したのが、ディズニーランドの空間戦略とコンビニなどの回転率の管理手法なんですが、ようは建築(ハード)と人間行動心理学(ソフト)を融合させた体感の快不快感レベルでの誘導ができないか?と、僕は当時考えたようなのです。・・・・・・人間は、倫理・道徳ではなく、快感(=欲望ですね)でしか動かない、という当時の僕の絶望が伝わってくる考え方ですねー(笑)。これって、いまでいう、東浩紀さんのいう「環境管理型権力」や宮台真司さんがいう「隠れたアーキテクチャー」の概念と同じですね。これを読んで、僕は、若いころの僕は、なかなか鋭かったんだな、とうなりました(笑)。


そして、人間の行動そのものをデザインしてしまうもの、、、それは、建築なんですね。



空間識覚のマップや心理的な行動空間に対して、実は建築家は、ほとんど意識をはらっていないのですが(いろいろ調べて講演会を聞きに云ってわかりました)、、、、、『考え方のベース』は、その空間を設計主義的に構築して、全体主義的に人間をコントロールしてしまおうという強い支配欲にみちた人間がなる職業でしたので、やはり、そういう意味では、人間の身体を教育してしまおうというモチヴェーションを持っている、という僕の仮説は正しかったと思いました。


さて、では、そういのを、ストレートに感じられる作品はないかな?


と、僕は現代美術のインスタレーションやさまざまな建築作品を見て歩いたのですが、、、ディズニーランドなんか30回くらい行きましたよ(笑)、、、、そのなかでも、感覚の変容という意味で、これほど爆発的なインパクトをもっていたのは、、、、もちろん、頭でではなくて、身体が分かってしまう(いやらしい表現だな(笑))という凄みを持っていたのが、この






養老天命反転地というテーマパーク





でした。ましてや、日本の岐阜にあるもんだし。



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ぜひ、機会があれば、空間識覚のとらえ方が、歩いていると劇的に変わるので、驚くことうけあいです。子供が走ってきてみた瞬間に







「なんじゃこりゃぁ!!!!!!」







と、大声で叫んでたのが今でも、わすれられません(笑)。びびったんだろうなー(笑)。





□距離感を麻痺させている現代人



空間把握の能力というのは、都市社会に・・・・とりわけ都市の日本人は、劇的に壊れ縮小しています。中島梓の『コミュニケーション不全症候群』でいわれていたことですが、たとえば、満員電車に毎日乗るということは、人間本来は取るべき適性の距離感を麻痺させなければできません。
いわば、動物には、テリトリーという概念があり、これを壊されると対人関係の距離のとり方が難しくなりますし、また適正な対自然の感覚が失われます。たとえば、東北のマタギや過去の自然の中で暮らしていた人々に比べると、圧倒的にこの対象との距離のとり方や空間を、五感で実感する識覚が、現代人は失われています。現代アートとりわけ、空間感覚の再構成や混乱を志向する作品群は、、、、こうした都市文明に毒された人間の感覚を浄化して、、、身体の復権を求めているのですが・・・それはまた別の話ですね。ただ、それをすげー簡単に体験できて、サルでもわかるくらい(ただ歩くだけ!)簡単に実感できるので、ここは、素晴らしいですよ。

養老天命反転地は、現代美術家荒川修作と、パートナーで詩人のマドリン・ギンズのプロジェクトを実現したテーマパークです。

約18,000m2の園内には、メインパビリオン「極限で似るものの家」とすり鉢状の「楕円形のフィールド」があります。「極限で似るものの家」は岐阜県の形をした屋根を持つ迷路状の建物で、天井、地上、地下の3層にそれぞれ家具が取り付けられています。「楕円形のフィールド」には、この「極限で似るものの家」を分割したパビリオンが点在するほか、148の曲がりくねった回遊路や、大小さまざまの日本列島が配されています。ここでは、予想もつかなかった風景や懐かしい風景、いろいろな出来事に出会うことになるでしょう。はじめて体験する世界で、新しい自分を発見できるかもしれません。

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