『Steve Jobs』 Walter Isaacson著  グローバル競争の中で勝ち抜くのに必要な要件とは? 新しい価値を生み出すのはどのような人間か?

Steve Jobs

評価:★★★★★5
(僕的主観:★★★★★5つ)


■スティーヴ・ジョブスの人生を眺めてみよう



ちなみに、本だけでは分からないので、CBSの60minitesという番組のyoutubeの映像を見ると、彼の人生がそのまま見れます。語り手は、この伝記を書いた本人なので、非常にいいですよ。ちょっとヒッピー的な専門用語は、聞き取りにくいけれども、、、まぁ知っていることも多いでしょうから、。ぜひにお勧めです。


さて、こうした彼の人生を読み解く上で、僕が、仮説というか、僕なりの「見るべきポイント」は、なぜ、いま、この時代にスティーブジョブスの人生を注目するかという部分は、彼の生み出した「新しい需要を生み出す」という部分が、この行き詰まりの現代社会の「次の一手」に有効なのではないか?という「予感」がたくさんの人にあるからなのだと思います。だから、二つの見るべき文脈があって、


1)スティーブ・ジョブスのもたらしたアウトプットが、現代社会の構造的問題点に、なぜ、どのように、一つの答えを出しているかのように見えるのか?


もうひとつは、

2)仮にスティーブ・ジョブスの出すアウトプットが、そのように有効だとすれば、それをどのように再現できるか?彼のような人材を育成するにあたってキーはどんなものなのか?


という二つの「読み」の文脈があると思います。ということで、まずは、1)のポイントについて僕なりの文脈を描いてみたいと思います。


ちなみに、アメリカの伝記は、太古の歴史がない国だけに、その反動で、直近の歴史を「微に入り際に描きつくして共有する」ことに情熱を燃やすので、物凄く細かいです。これ、いってみれば今までテレビで見ていた人の集大成なんで、アメリカ人には楽に読めるんでしょうが、外の国の人には、なかなか読みにくい。というのは、アメリカでニュースを見ていると、大きな出来事は、ワイドショーではないですが、何回もなんかもインタヴューなどが流れて、批評しつくされてて、そういうのを飽きるほど見て数十年たってその人が死ぬと、こういう伝記が出るんですよね。だから、読むのは、「ああーあんなことあったな」というような思い出で読んでいるんですよ。だからアホみたいに細かくても読める。けど、外国の人には、細かすぎて、読むのがしんどいです(苦笑)。とはいえ、ジョブスは、世界に影響を与えた人なので、それでも、そうとうのエピソードは、みんな共有しているので、これはかなり読めると思います。でもやっぱり細かすぎるので、そういううざさを回避するために、「テーマとか課題を持って読む」方向で読んだほうがいいと思います。ただ読むには、だらだらしすぎるので、アメリカの伝記は。



■第二次グローバル化の経済の中で「生き残っていく=勝ち残っていく」為の二つの方向性


さて、物凄い大雑把だけれども、最近、経済や市場を考える時の大枠として、第二次グローバル化の経済の中で、「生き残っていく=勝ち残っていく」為には二つの方向性がある、と考えています。

それを語るにあたって、まずは大きな前提を置いています。それは、現代文明において経済のベース構造は「供給過剰で需要がない」であるということです。経済学を勉強したことがある人ならば、これがこれまでの経済学の常識からいえば非常に特殊な状況であるというのがわかると思います。これまでの経済学の基本前提は、需要はあるので、いかに供給体制を整えるか?というのがベースでしたから。マルクスやレーニンが考えた帝国主義という考え方は、植民地(=需要)を獲得すれば、国富が増える(=母国の工場の稼働率が上がる・超簡略にいいすぎですが・・・)という前提があります。またいわゆる有効需要を唱えたケインズは、国家が土木工事でも何でも無理やり需要(=仕事)を作れば、乗数効果によって経済は拡大していくという前提があります。


でもね、僕は、理論的にはもう良くわからないけど、現代文明の2011年の時点で、少なくとも成熟した先進各国の都市文明のライフスタイルには、「新しい需要」ってほとんどない気がするんですよね。僕のイメージする「新しい需要」というのは、生活空間を「完全に」変えてしまって後戻りできないレベルのもので、改善や機能アップするものはここでいう需要足りえません。いってみれば、近代文明がない社会にとっての三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)とか、初期のラジオやモータリゼーションを起こした自動車や飛行機などのことです。「それ」が存在することによって、生活のあり方自体が、根本的に変わるような「モノ」です。


何がいいたいかといえば、現代文明において特に新しい需要がない、つまりサチュレートしていると思うんですよ。


■中間所得層=ボリュームゾーンの形成こそが経済の高度成長を生み出す、いいかえれば、中間層が失われれば経済は縮退する


ところが、BRICsなどの新興国には旺盛な需要があるように感じられます。世界中の企業はそこに向かっているわけです。これは何かといえば、現代文明にそもそも参加していなかった後進国が、先進国並の生活を享受できる「中間所得層」を形成しつつあるが故に生まれてきたボリュームゾーンです。過去の先進国の高度成長期に起きたことが、再度起きているわけです。けど、過去に発生した中間所得層=ボリュームゾーンの形成と大きく違う点が一つあります。それは、需要が生まれるといっても、新しいモノが「発明された」わけではないということ。新規の需要が発生したというよりは、やっと購買力があるレベルまで上昇してきたわけです。まだまだ最先進国よりは低い所得レベルではありますが。


何がいいたいかというと、ここでのゲームのルールは「今あるものをひたすら安く多く作っていくこと」だということです。


もう少し敷衍すれば、形成しつつある新興国の中間所得層に対して、現代都市文明のライフスタイルを充足できる


「純粋な機能(=先進国の機能過多なものいらない)」

「彼らに買えるレベル(=彼らの賃金レベルとリンクする)」

「彼らへ実際に届くデリバリー(=ローカルの販路獲得がグローバル企業は弱い)」

「ブランド認知(=グローバル製品は、ローカルの積み重ねというマーケの常識)」


で、対応するというようなルールがあるわけです。少なくとも、2000−2030年ぐらいまでは、このルールが世界の過半を占めますが、確実に頭打ちになります。まぁ、凄いレベルの、競争や世界市場の再編はあるとは思いますが、それは、世界の中心がアメリカ(西欧)から中国(アジア)にシフトするので当然ではあります。けど、それはプレイヤーの入れ替わりがあるというだけで、現代の文明のステージが変化するとかそういうことではないと思います。ちなみに、このシフトに意義というか、戦いを挑んでいるのがヨーロピアン・ユニオン(EU)ですね。たぶん、あと、そうだなー20年後ぐらいに、ロシアがEUに加盟して、ユーラシア大陸を二分する勢力争いが発生する構造が出来るんじゃないかな、と思います。まぁそれは話がいきすぎなので、、、


こういう競争のルールでは、「ひたすらボリュームを取って、ひたすらコストを削減する(順不同)」というルールが追求されます。まぁ経営戦略で言うコストリーダーシップ戦略が優先順位の高い市場構造だということです。


フラット化する世界 [増補改訂版] (上)フラット化する世界 [増補改訂版] (下)レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈下〉


けど、これって、成熟した先進国の企業には、非常に対応しにくい市場構造です。というのは、先進国と新興国には、そもそも労働賃金の格差があります。この格差は、先行者利益に支えられた。非常に不公平且つ不平等な差です(帝国主義でも新植民地主義でも言い方はどうでもいいですが、先行者利益ですね)。この差を「低いほうに収斂化させ平均化させていく」ことは、倫理的にも物理的にも圧倒的な「正しさ」「正統性」があります。仮に、それによって、先進国各国の貧富の差が拡大しても、それは一部なのであって、地球規模での貧富の差は凄い勢いで小さくなるからです。倫理的に、これは文句が言えません。また、需要がない、言い換えれば適正な投資先がない金融資本が浮かんでいるヴァーチャルな市場では、獰猛な資本の論理が、新たな「成長する市場」を探しています。そこにおいて、新興国の中間所得層の育成・刈取りは、なにをどういっても貫徹されます。資本の論理というのはそういうものです。また、それを妨げるブロック経済化や保護貿易は、現代のグローバル市場や二つの世界大戦に突き進んだ歴史的経験から難しいでしょう。毛沢東ホーチミンがゲリラ戦の強さを証明してしまいましたし、軍事技術の「格差」は、侵攻・侵略を容易にできるほどありません。逆をいえば、それくらいの軍事技術の格差があれば、やるでしょうが・・・。でもまぁ、砲兵や機関銃の登場のような異様な「格差」が生まれるのは難しい。また核兵器という「戦略兵器」の登場もありますしね。


■中間層=ボリュームゾーンが形成され「つつある」時期と場所に、すべての国富は集中する


さて、これに対応するには、真の意味でのグローバル企業にならなければなりません。いや、基本的に簡単なことで、新興国の市場規模の比率に合わせて、人材を採用することになるというだけです。一番いい例は、GE(ゼネラル・エレクトリック)やAnheuser-Busch InBev(アンハイザー・ブッシュ・インベブ)などですね。もちろん、先行者利益は、存在するので、高いレベルの経営者やマネージャーは、発祥国の人間や人種が比率的には多いかもしれませんが、それは、エリートが多いというだけで、ワーカーや労働者レベルでは、比率は圧倒的に現地採用が多くなるはずです。理由は単純で、市場があるところの人間が一番、その市場のメステックな泥臭い部分(=ラストワンマイルみたいなやつね)を押さえる事が出来るからです。一番雇用の数と安定があるのは、床屋や大工とか観光とか、「そこ」にないと成り立たない(=距離を越えてアウトソースできない)肉体労働的なドメスチックな職業で、工業であっても同じだと思うんですよ。市場が成熟すれば、地域ごとの流通が一番雇用が増えるじゃん。出口が一番、数がいるんだから。もうネクストマーケットのBOP(ボトムオブピラミッド)の考え方なんて、古いくらいだよね。


http://video.cnbc.com/gallery/?video=1257606687


梅澤高明「グローバル超競争と日本経済の復活」
http://globis.jp/1486-1

ネクスト・マーケット[増補改訂版]――「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)
ネクスト・マーケット[増補改訂版]――「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略 (ウォートン経営戦略シリーズ)


まぁレベルの少し低い次元に還元すれば、もともとのその企業の発祥国から、工場が安い地域や現地に移動して、産業の空洞化が起きるなどは、このいい例です。生産・供給は最適立地、オプティマアロケーションになるのがまぁ当然合理的ですよね。いままでは、市場が、それぞれの地域圏内、リージョン(=1億人を越える大規模経済圏)のみだったのが、これからはグローバル(地球のそれぞれのリージョン市場がリンクする)の最適立地になるんですよね。



まぁ凄い規模とはいえ2030年ぐらいまでは、このルールが走り続けます。



・・・・ほんとは、雇用を生み出す大量生産のプロセスにおいても、自動車や航空機、医薬のようなコモディティではあり得ないようなレベルの品質を要求される(その安全性担保ゆえに)モノは、単純に立地を移動させられないなど雇用を生み出す製造業なんかにも、いろいろレベルのグラデーションがあって、ことは単純ではないのですが、、、、。コモディティの大量生産プロセスの製造集積が移管することが、高いレベルでのパワーシフトにつながるので、ここはあえて極論で考えています。ちなみに、本当は簡単に成熟国が衰退するわけではないのは、そういった生産するのに特殊なレベルの「作りこみ」の付加価値が要求される工業製品は、価格がグローバルに安定して、作るワーカー人材レベルが教育や文化が必要なものは、成熟国であるからこそ作れるという付加価値もあるからなんですけどね。フランスとアメリカが航空機が強いことやドイツや日本が自動車産業で強くて、これが一朝一夕に労働集約的に移動することは難しいでしょう。そういう意味では、たとえば武田薬品工業のスイスのナイコメッド社(Nycomed International Management GmbH)買収の「その後」の経営方法なんか、気になります。新興国市場の獲得というオーソドックスな方向性ですが、新薬創出など先端療育の確保、特許制度等に代表されるレジストレーションの仕組みは、先行者利益、いいかえれば成熟国に富をもたらすスキームなわけで、どういう組織体制や経営をしていくか興味があります。まぁ、これは違う話なので、今日はここまで。

第三の波 (中公文庫 M 178-3)富の未来 上巻


■オーソドックスな中間層=ボリュームゾーンを獲得する以外での富はイノベーションによってしかもたらされない


けど、もう一つ「競争に勝ち抜く方法」があります。それは「新しい需要を喚起すること」です。新しい需要というのは、生活自体を変えてしまうような、オリジナルな「何か」を生み出すことです。機能アップとかそういうマーケティングで通常に出てくることは、すべてこの「オリジナル」には該当しません。


なんで世界中でスティーブ・ジョブスの伝記が読まれたり、彼の業績が話題になるのかは、この「需要が生まれなくなってしまった行き詰まりの社会」で、珍しく、アイディアによって「需要を喚起した」人だからだと僕は思うんです。もちろん、情報末端のモバイルかは、IT革命の延長線上であって、本当の意味で革新的な「新しい需要」ではないかもしれません。けど、誰もが出来なかったこと、であるのも事実です。


ようは「ひたすらボリュームを取って、ひたすらコストを削減する(順不同)」戦略を追求するには、二つの優位性を確立する必要性があります。


1)本拠地(もしくはドメインの市場)が巨大な中間所得層(=ボリュームゾーン)を持つ国にあること  
  (=言い換えれば、本国という発想を容易に捨てられること)

2)新しい新興ボリュームゾーンが台頭した時に、そこの人材を容易に取り込める多様性に強い組織形態があること
  (言い換えれば、既存の発祥国の労働者を平気で切り捨てることが可能なこと)

まぁ、ほとんどすべての日本企業には、ほぼ不可能というか、難しい条件ですよね。日本を捨てなさい、という意味ですから。これは、アメリカのように帝国を形成する国家にしか、なかなか難しい。



とすると、発祥国の不当に高い賃金を維持しながら、ボリュームゾーン(=安い!数が多い!)を取らずに生き抜こうと思えば、差別化した商品で高い利益率を維持することしかありません。これも経営戦略の基礎である「差別化戦略」ですね。


でも、そうすると最初の前提に戻ります。現代文明では「新しい需要」ってのが、ないんですよ。言い換えれば、イノヴェーションがないってこと。そうすると、差別化できるような、ユニークな「何か」を生み出せる「天才」というか「ユニークネス」「クリエイティヴィティ」が重要になるってことです。それができなければ、「ひたすらボリュームを取って、ひたすらコストを削減する(順不同)」というグランドルール、それに導かれる競争に巻き込まれていきます。基本的に先進国で、コストリーダーシップ戦略を採用しないあらゆる組織の課題がこれになります。



けど、、、「ユニークネス」「クリエイティヴィティ」って、何?となるわけです。



その具体的ないい例が、i-phoneでありi-padなんですよね。そして、それを創造し追求したスティーヴ・ジョブスという人間ですね。だから、世界中が、非常に彼の生き方や考え方を知りたがるんですよ。コアが汎用化できれば、ようは、スティーブ・ジョブスを量産できるもしくは、教育で再現できるかどうか?というところがポイントなわけですから。出来ると思いますか?皆さん。



いま僕は読み途中ですが、その答えがここにあるでしょうか?


というような「文脈」と「仮説」を持ちながら、この人の人生を眺めると、なかなか面白いものがあります。まぁ一言でいえば、教育などによって、ジョブスみたいな人を再生産できると思いますか?という問いです(笑)。まぁ、読んでいる途中で、不可能だとわかると思いますけど(笑)。ただ、いろいろ果実はあります。ちなみに、ジョブスは、アメリカ的な人間だなーと思います。なんというか、一貫性がまるでない(苦笑)。こういう結果から逆算して、とにかく結果を追求する実利主義は、アメリカの伝統的なプラグマティズムに感じます。


スティーブ・ジョブズ I