ネットの友達は、希少なものをシェアし合えるところがいいですね


ネットの友だちは、一生の友だち。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090312/p2



海燕さん。はい、もちろん友達でございます(笑)。グインを愛する人生の中でも、特筆する出来事でした、あの時の会話は。そういう「時」に出会えたことに感謝を。ちなみに、ネットをやって、個人的に非常に感心しているのは、世代が違うはしくんや水音さん、sくんと友達になれたこととかとか。また、まるで異質な世界にいる、いずみのさんやLDさん、GiGiさん、ルイさんらに出会えたこと。これにはいたく感心している。

僕は、友達を作るのはうまい方だと思うし、実際に友人は幅広く多いと思う。自分でいうのもなんだけど、行動的だし(笑)。けれども、やっぱりね、世代が下の人と趣味や内面的なものを共有したり、また住んでいる世界が違う人たちと何かを共有するようなことが容易にできるネットというものは、うーん、凄いなぁと思う新しく出会うというだけではなく、今いる大事な友達たちと、低いコミュニケーションコストで、つながって維持できるという意味でも。いま、英語の勉強で、少しづつ海外のサイトをやりはじめているが、もっとレベルが上がって加速されれば、こっちの世界も広がっていくと思うんだよね。素晴らしいな、と思う。世界は、広く美しい!。・・・・別にネットがなくても、友人はたくさんいるけど、海燕さんとのグインサーガの話のように、自分の中にあるマイノリティ的な部分や、ほとんど共通項が見つけるのが難しい志向とかを共有できる人を容易に見つけることができて、非常に低いコスト・・・コミュニケーションコストの低い状態で、話し合える、というのは、本当に素晴らしい。この自分の非常にリアルの関係の中では見つけるのがムズがしい趣味嗜好などがドンピシャで一致する人と出会えるというところに、ネットの凄さがありますね。


まぁ出会ってしまえば、「友達の作り方」は、ネットもリアルもあまり関係ない気がしますがね。というか、「ともだち」というのは、いろいろな距離のレベルがあって、どのレベルまで踏み込むかは、グラデーションがありますよね。ネットは、ともすれば対面ではないことや日常の現実を共有しない分だけ、「距離を置いた」関係が続けるだけに、安定して続く傾向があるような気がします。なによりも、内面の大事な部分を共有していた李俊見志向が似ているから出会うパターンも多いですしね。「深さ」と「広さ」の関係で、もちろん、「深い」関係が必ずしもいいものとは思わないし、普通に出会うリアルの関係だってほとんどは表面的な「浅い」関係なのですが・・・・。まぁ、なんというのかなぁ、「ともだち」がいる、というのは、この距離の広い・深いを起きる偶然の出来事を利用しながら、深く踏み込んだり、浅く長く付き合ったりの総体的なもののを、たくさん経験することだと思います。


ともだちだけではなく、恋人も家族もそうですが、僕は人の「関係性」というものは、時の試練に耐えうるものか?ということをいつも考えます。現実の人生は、いいことばかりでも悪いことばかりでもなく、たくさんのイベントが発生し、卒業や異動やケンカや、さまざまな激動が襲ってきます。「にもかかわらず」それを維持するには、コストがいると思うのです。コストとは意志と努力。そして、意識的な仕組みづくり。もちろん、人との出会いや関係性は、努力や意志ではどうにもならないことも多々ありますが・・・それでも、努力する意思がないところに、「時の試練に耐えうる」関係というのは、生まれないと思うんですよね。友達でも、恋人でも、妻でも、子供でも、なんとなく偶然そうなったのではなく、自分の意思で「そうする」という風に能動的に関係性を築き、彫刻し、鍛えていきたいものですね(←理想論(笑))。少なくとも、僕はそう思って生きています。結婚する友人が、「この選択は良かったのかな?」とか、「幸せになれるといいな?」とか言われた場合には必ず送る言葉があります、「選択を良くも悪くもするのは、○○自身。残りの人生すべてをかけて「それが正しかった!」と証明し続けるのが、「その人を選ぶ」っことだ!。幸せには「なる」もの「する」ものなんだ。自分たちの努力でね。」と。



ちなみに僕の友達観ですが、友達とは、いつも一緒にいる人を友達という、と僕は考えています。何十年たってもあいかわらず、とかいう慣用句がありますが、それは・・・なんかもったいなくないですか?。そんな気が合うのならば、もっと会えばいいのに(笑)。今の時代で、何十年も「会えない」なんてことはないです。ネットでも電話でもあるんだし。「いつも一緒」というのは、必ずしも、物理的にというわけではありません。「いつも心にある」というのでも、同じような対象をいつも追いかけているとかでも・・・それも十分に「一緒」ですね。でもまー僕は「物理的に一緒にいる時間が長く、たくさんおしゃべりをすること(無駄なことでも意味がなくても)」が、その人が大切な証明、だと考えて生きています。まぁポリシーですね。・・・だから僕は単身赴任は、絶対イヤ。妻には、キャリアを全うしてほしいしいんだけれども、、、、僕が海外赴任とかになったら・・・最近そのフラグが立ち始めて怖い気が・・・(苦笑)。人生は難しい選択の連続です。


みなさん、大事な人と、それが異性でも親友でも、たくさんしゃべっていますか?、物理的にたくさん一緒に空間を共有していますか?。同じ時空を生きて共有することが、やっぱり共に生きるということだと僕は思います。大事な人とは、同じもの見て、同じ空気を吸って、同じ時間を過ごしたいじゃーないですか?。何も目的がなくとも、ただ一緒にいるだけ、だべるだけ、というのが最高のぜいたくだと思います。なぜならば、社会人にとって、最も大事なものは時間だから。まぁほんとは死すべき人間にとって最も大事なのは時間だから、年齢や属性は関係ないけどね。うー何がいいがいいたいのか意味不明になった。まぁいつもの思い込み話でした。