終わらずにいる一つ遠大な物語のこと

ここ20年ぐらいグイン・サーガを含め氏の新作は読んでいないので最近の傾向はわからないのだが、話をわざと冗長にする人にはあまり感じられなかった。例として「レダ」をあげておく。長編SFではあるが、文庫三冊にきれいに収まっている。そういう人が100巻という見積もりをたてた以上、本人には完結させるだけの見通しがあったはずである。本人にとって想定の範囲外だったのは、ガンよりもむしろ100巻という見積もりが甘かったことではないか。


その時点で、「グイン・サーガ」と栗本薫の「デカップリング」は考えなかったのだろうか。物語というのは一人で書く必要が本当にあるのだろうか。「ペリー・ローダン」のような例もあるではないか。むしろ偉大で遠大な物語であればこそ作家の手を離れ一人歩きするべきではないのか、というのはあまりに素人考えだろうか。しかし他の分野においては、一人で作りきれないものはみんなで作ることこそ普通であり、一人の死で作品が頓挫することは、その作品が重要であればあるほど許されないことでもある。オープン・ソースの世界でも、「おれが死んでもコードは死なない」という安心感は小さくないのだ。


終わってしまった一人の偉大な人生よりも、むしろ終わらずにいる一つ遠大な物語のことの方が気になって仕方がない。




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なるほど、、、そういう風に客観的に見れる心境ではないが、なるほど・・・と今にして思う。

豹頭の仮面―グイン・サーガ(1)