栗本薫さん/中島梓さん、、、が2009年5月26日午後7時18分に、帰らぬ人となった。
本日出張先にで、メールが妻から届き、知った。
呆然として大きな空洞が胸にスコンとできて、、、そして、今はかなり平静に受け入れている。
言葉にでは到底表せない、喪失感はある。
それはそうです。中学生の頃、栗本薫さんのグインサーガがあるから、この世界に生きている意味があると思うとまで思いつめたほどだ。
乳がんの話を最初知った10年以上も前に、泣けてきて一人で神社に、この世界から栗本薫さんを奪わないでくださいと、初めて真面目に神様に祈ったくらいだもの。
けど、実はショックかというと微妙に違う。
そもそも栗本薫さんの作品にはその根底で、「タナトス」が、死を直視して受け入れる諦観が常に流れていた。
それを、僕はとても愛していた。
けれども、彼女の現実の闘病生活で、これほどの素晴らしいグインサーガなどのような物語を生み出す人でさえ死は容赦なく奪っていくのだと、打ちのめされた過去によって、、、、、いつかはこんな日が来るだろう、とずっとずっと思い続けていたのだ。
思うだけで、胸に喪失感が広がるほどだったが、それでも、それでも、人生でどんなことが起きても、、、グインサーガは必ず本屋に新刊が出ていた。
実に僕が小学生の時に出会ってから、軽く20年以上。
グインがあるなら、がんばれる、生きる意味があると思った小学生が、いまや結婚し二人の子供の親となった。。。。
けど新刊が出るたびに、もし死が彼女を奪ったら、二度とこれに出会えない、と喪失感を繰り返し感じ続けたためか、「そういうものだ」と、いつしか思うようになっていた。
どのみち、もう栗本薫さん/中島梓さんの生み出した物語世界と評論は、僕の人生の過半を占めるに至っている。
僕が死ぬその時まで、それが消えることはない。
グインサーガの続きが見れない、ということは、僕にとって人生の生きる大きな意味の一つを奪われたに等しい悲しい出来事ではあるが、、、
けれど、彼女が、この暗闇の世界で灯し続けた小さな光は、遠い果てにいる僕の心に燃え移り、その死を見つめなが情熱を燃やす生き方を、きっと追い求めさせると思う。
ありがとうございます。
あなたは僕にとって、この世界で生きる生き方を教えてくれた人でした。
死を受け入れながらも生の情熱燃やす物語と、それを理論的に説明したあなたの評論群に出会わなければ、いまの僕はなかったです。
あなたに出会えてよかった、あなたと同じ時を生きれたこと幸福に思います、そして日本人で日本語が読めて、グインサーガと共に一度しかない人生を過ごせて、本当に幸せです。
あなたが、精いっぱい情熱を燃やして生きたことを、見せてくれたことを、僕は忘れません。
表現の仕方は違うでしょうが、人間として「ほんもの」であれるよう頑張って生きてみたいと思います。
ああ、、、それにしても神は残酷だ。グインサーガを終わらせることなく彼女を、、、、、。いや、それはいうまい。栗本薫さんは、それもすべてよく分かっていたと思う。
いいんだ、世界は「このようである」ものなんだ。
彼女の世界に触れた人間として、愛した人間として、恥ずかしくない人生を送りたいと、切に思う