『かいじゅうたちのいるところ』(Where the Wild Things Are)2009年アメリカ スパイク・ジョーンズ監督 マックスの心象風景としての詩的世界

評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★3つ)

超有名な絵本の映画化。この作品を、きぐるみを使って撮影するというライブ感あふれるテイストで演出しながら、よくぞここまで完成した作品に持っていったと感心します。

というのは、ノラネコさんも指摘しているのですが、怪獣をテーマにしている割には、怪獣が縦横無尽に駆け回るハラハラの血わき肉躍るエンターテイメントとかそういったものと、全然縁がない静謐なつくりをしているからです。110分と長いのですが、最初の導入部の陰鬱な家庭環境(シングルマザーで母親は疲れ切っていて、子どもはまわがままし放題の暴君の王様、というやりきれない状況)と、その後に続く、はっきりその家庭環境に疲れてしまって孤独に苛まれた主人公のマックス少年が、逃避として、「どこか違うところ」に逃げていくというのが分かってしまうところは、非常に気持ちを暗くさせる。同時に幻想の島に行っても、怪獣たちは、言い争いばかりをしているだけで、決して大暴れしたりしたいので「盛り上がり感に欠ける」んです。だから、いつも睡眠不足の頭には、朦朧として、ほとんど半分寝ながら見ていました。しかしながら、後半になりずっと、かいじゅうたちの小さなイベントや会話を我慢して聞いていると、じんわりと、この世界がマックスの心象風景であって、それぞれのかいじゅうたちがさまざまなメタファーとして詩的な世界を構築してくることが分かります。そこまでくると、これだけ淡々としたつまらない映画であるにもかかわらず、ここまで精緻に作り上げた監督の力量に、ぐっとうなりました。こんな何の盛り上がりもない脚本で、こういったじんわりとした詩的世界を、明確に観客に伝え理解させるのは、生半可な力量ではありません。しかし・・・


ワクワクする物語の展開を楽しむというよりは、その裏に設定された物を深読みして、心の奥で詩的に解釈するような作品であり、正直子供向けとは言い難く、良くも悪くも淡々とした展開は、むしろ嘗て絵本に親しんだ大人客が子供時代のムードに浸るための物だろう。
話で楽しませようと思えば、この膨らませ方なら70分程度に纏めた方が観やすい映画になったはずで、101分まで引き伸ばすなら、脚色にもう一工夫合っても良かったかもしれない。

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ノラネコの呑んで観るシネマ

ここのノラネコさんの指摘が重要で、僕はいったいこの映画を誰に向けて作ったんだろうか?ということを疑問に感じてしまいます。
まさに、子供向けであるとは言い難く、むしろこの絵本をよく知っている「大人が子供時代を振り返る」というような構造になっており、大人が見ていろいろなメタファーを読み取る、という構造になっています。つーことは、、、大人向けなの??って思いますが、そしたら売れないよ、って思うんですよ(苦笑)。もちろん、子どもが大興奮する中で、オトナにも「魅力づけをする」というような、たとえば仮面ライダーシリーズや戦隊モノが、子どもの母親向けにイケメンばかりをそろえたりして売れたことや、セーラームーンなどの子ども向けのアニメーションで、複雑なストーリを提示してみているお父さんやお母さんを惹きこんだなどのファミリー層向けある種の世代を包括するマーケティングをしたというのならわかるんですが・・・・この性質な感じの演出は、ストレートに「大人向け」であって、子どもはたぶん見ても退屈するだけなんじゃないかな?って思うんですよ。物凄い力量のある監督だけに、残念だったし、プロデューサーとかは何を考えて投資したんだろう?って結構疑問に思ってしまいます。


まあ原作も限りなく夢オチに近く、映画版も原作の構造をそのまま踏襲したとも言えるのだが、スパイク・ジョーンズはマックスがなぜかいじゅうたちのいる島に行ったのかという理由付けを考え、そのロジカルな回答として、家族の中のかいじゅうであるマックスが、原作とは異なり明確な個性を与えられたもう一人の自分と出会うという構造にしたのだろう。

そう考えると、ユニークなかいじゅうたちも、それぞれ人間の持つ様々な感情のメタファーである事がわかる。

現実世界で家族の王様になりたかったマックスは、かいじゅうたちの王様となり、自分そっくりのキャロルと出会うことで、初めて自分自身を知り、他人の心を尊重し思いやる事の大切さを学ぶのである。
この冒険が、マックスの内面世界への旅である事は、物語の前半からイメージとして示唆されているので、観客も子供が一人で嵐の海へ漕ぎ出すという荒唐無稽な設定をすんなり受け入れられるのだ。


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ノラネコの呑んで観るシネマ

ただし、どんな受け手を想定してこの作品を作ったのか?という疑問を除けば、マイナーな映画としてのこの作品の完成度は高いと思う。一つは、あいまいなところがなく、明確にロジカルに、マックス少年がなぜかいじゅうたちの島に行ったのかが分かること、またなぜなにを解決してマックスは、島から家に戻る決心をしたのか萌明確に分かるところです。それもただ言葉で説明したのではなく、物語を眺めていれば情感的に、なるほど、という気づきが得ることのできるとっても大人なファンタジー。個々のかいじゅうが、マックスの内面世界を彩るメタファーであるということを理解し、この世界がマックスの内面世界であるというふうに理解すると、全てがクリアーになって理解しやすくなり、非常にロジカルにこの物語世界が構築されていることが分かる。この曖昧さのなさは、僕は非常に好感を持ちました。ある種の幻想的な詩的な世界として理解すれば、とてもわかりやすい映画でした。ただ美しいけれども、僕にはカタルシスはなかったなー。



かいじゅうたちのいるところ