『自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションに

自殺島 2 (ジェッツコミックス)

このテーマは、現代資本制社会では、基本テーマなので、同工異曲が沢山ある。僕は「戸塚ヨットスクールの原理」と言った感じで呼んでいるんですが、ようは、「生きること」そのものを目的にすることができる状態になれば、人生は輝きに満ちるということをもう人間は動物なんだよ!)ってメッセージの物語化です。戸塚ヨットスクールがなんで劇的に子供を回復させる確率が高かったかと言えば、現代の都市社会では、「生きること」そのものが目的にはなりにくく、優先順にが不明確になっている人が多いからです。そこでヨットに乗せて、水に溺れさせて死ぬギリギリまで追い込むと、一発で、元気が戻ってくる。なぜか?、といえば、命の危機を実感させる(=日常ではまずない)ことによって、優先順位が、「生きること!!!」が一番になって、その他のことが雲散霧消するからです。そうすると、生きることに悩みや倦怠がなくなるんです。無気力というのは、優先順位が上手くつけられない病、なんですよ。鬱でも、この優先順位がつかないが故の生きる気力レスと本当に気質的なものとの差は、ちゃんと分けないきゃいけないんだろうなぁと思います。非モテなんかの議論やアルベール・カミュの『異邦人』のテーマなども、そもそも同じものだと僕は思っています。


ちなみに優先順位が、死の危険にさらされることで、びしっと決まり、その結果として「現実とのシンクロ」が戻ってくるというのは、現代資本制社会の都市文明の真綿にくるまれた安全圏で生きる我々の最大の文学的な「退屈」克服のテーマなんですよね。ちなみに『自殺島』のこの狩りの話そっくりの物語は、村上龍の『愛と幻想のファシズム』のスズハラトウジですね。彼もハンターでした。その個所を読めば、生きる優先順位や人間としての根拠に、「そこ」の部分を求めるスズハラトウジの生き方は、非常に現代文学のテーマのストレートな形でした。なるほど、このテーマかって感じでした。


この『自殺島』の主人公の動機とその動機の答えは、、、つまり彼がなぜ自殺したのか?そこから脱出するためには何が必要なのか?そして、、、というやつは、まさにこれです。人類の基本原理に立ちかえるってやつですね。それはハンター。生きるために狩り食べる。そこに理由や目的は求めない。「生きること」そのもの強度の遣り取り(=殺し殺され食い会うシンプルな弱肉強食の食物連鎖の世界)の連鎖の中に身を置くことで、宇宙との一体化を図る。これです。ちなみに、村上龍を読めばわかるし、社会学の見地からもフランクフルト学派の本を読めば、この思想がストレートの全体主義に結びつきやすいことも覚えておくと面白いです。

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)