マクロから物語を設計する失敗ルート

『ラストエグザイル-銀翼のファム-』 Blu-ray No.04  【初回限定特典:ヴァンシップ ヴェスパ ファム&ジゼル機 ペーパークラフト付き】

評価:★★2つ
(僕的主観:★★★☆3つ半)


いや、ほんとひどかった。完成度、本当にダメダメです。けど、ずっと見ていてわかったことがある。


マクロから設計する物語は、ほぼ間違いなくダメになる、ということだ。


素人の人とかも含めて、たくさんの物語を、分析的に読み解く経験をしていると、世界観やマクロの設定や、おおまかな物語の構造、、、プロットとでもいうのかなぁ、そういうものが先行して発想されている物語は、ほとんどダメになる。一人の小説家や脚本家が書いても駄目になるのだから、集団作業のアニメーションは、確実に駄目になる。その典型的病に侵されているのが、GONZOの作品群だ。全部見たわけではないが、見たアニメは100発100中でこの問題点がある。だからスタジオ?というのかな、この会社の制作システム自体が持つ問題点だろう。





ところが、本質的には全く見る価値がない作品だと思うんだけれども、ここが集団制作のクオリティというか、すげぇな、と思うのは、これだけ構造的にダメなのに、意外に、見えれる物語になっているってことだよ。デザインもいいし、実際に脚本自体の構造はとてもも現代的に作られているので、客観的には、★2つ(僕にしては究極のダメ出しクオリティ)なのに、主観的には★3つ半(まぁ、アニメが好きなら見れないこともないよ?文句つける姿勢でなければ、まぁ見れるレベル)くらいだもんなー終了の印象が。非常に珍しいもののような気がする。ふつう、ここまで致命的な問題点があれば、サイテーの作品になりそうなものだけど、確実に平均点をとるんだよな、、、。たぶん、売上とか視聴率とかそういうのでは、そこそこなんじゃないかなーというような気がする。まぁ、ずっと、いつまで、どこまでいってもそこそこかもしれないが、、、。


ずっと書いてきたけれども、ようはね、物語の脚本構造は、非常にいいんだよ。このシナリオを作るならば、これしかないというようなくらいに、最新の物語の類型がきちっと構成されている。地球資源の有限から、バラバラに殺しあう世界から脱却するために、ネオリベラリズムばりに、一人悪者になっても「統合」を目指す。けれども、その過程で、バラバラだった人々が、「反統合」という名の統合をするようになる。という類型。ルルーシュもそうだし、SF的な世界で平和を目指す物語を考えると、こういう構造を持ちやすいんだよね。そして、「統合」を目指していた皇帝とか総統は、実は、凄い悪に見えるけど純粋な理想主義者で、自分を殺させることによって、最終的な統合を完成させる、というドラマトゥルギーカタルシス)の成就をなす、、、というのは、永野護さんの『ファイブスター物語』のアマテラスが最高峰だけど、いまのSFの物語でエンターテイメントのリテラシーで理解されうるレベルとしては、これが限界だと思うんだけど、惜しげもなくこれらのパーツがすべてそろっている。また、明らかに脚本側が、このことを理解して、脚本を設計しているのがすごくわかる。というか、この『売れ線』のルートに従って、脚本をどんどん進めていくのがはっきりと感じ取れる。うんそうだよね、この尺で話を進めるには、ここははしょらなきゃ、みたいなことが見ていてすごく納得できる。


けど、それは脚本を抽象的にマクロで分解してみる人の「納得」であって、アニメーションを「楽しみで見ている」人はそういう納得をベースには見ていない。何で見ているかというと、それはキャラクターへの感情移入からもたらされる「感情的な納得」ってやつだ。もう少し敷衍すると、そのキャラクターがらしい、かつ自然な情感のプロセスから行動にいたって場面が動いているかどうか?だと思う。もう少しわかりやすく言えば、ファムって、そういうこといわないよね?とか、ファムって、この物語にいま関係なくない?とかそういう感情だ。この作品でもっとも、残念なのは、主人公であるファムが、物語の展開と全くかかわっていないことは、わかりますよね?。最後の最後まで部外者でしたもん、彼女。その彼女が主人公であるという矛盾が、非常に見ていて混乱させられた。


実際、キャラクターたちの心の動きや納得(=感情移入している視聴者の体感の納得レベル)が、マクロの脚本を進めるために都度都度、思いっきり無視されていくのがはっきりわかる。ある作家の人が、マクロなんて考えなくても、キャラクターをちゃんと設計して、キャラクターをちゃんと描いていけばマクロなんて自然につじつまがあうもんですよ、みたいなことを言われたことがあるが、まさにそうなんだろう。そのキャラクター自体が持つドラマトゥルギーを展開することが、物語るということなんじゃないかなーと思う。けっして世界を構築することが物語ることにはならないんだろうと思う。


それぞれのキャラクターが持つドラマトゥルギー、動機でもいいんだけど、それが、正しいプロセスで展開され演出されないと、物凄い違和感というか、しらけ感が生まれてしまう。本当にそれが見事なくらい際立った作品だった。