謙虚、堅実をモットーに生きております! ひよこのケーキ著

謙虚、堅実をモットーに生きております! ひよこのケーキ著
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これも大好きでねー。最近のはほとんどてれびんに薦められたのばかり読んでいます。やつのお勧めもなかなかいい。特に、『リーングラードの学び舎より』はよくぞ見つけたーとか思いながら、、、物凄く長いのでホクホクですねー。 さて最近好きなものの中では、この『謙虚、堅実をモットーに生きております!』が好きでねー。これも前に紹介した(したよね?)『攻略なんぞされてたまるか!』とか『ジュディハピ』とかの類型の色々な種類を見ながら読むと、楽しさ倍増です。なんか『ジュディハピ』なろうからなくなってるなぁ、、、アルファポリス出版は高すぎて買う気がしないので(ほんとはほしいんだけれども、、、)なくなると地味につらいなぁ。

ジュディハピ!

これらのギャルゲーとか乙女ゲーに転生するという類型の物語は、僕はとってもメタ的で、設定そのものがマクロ的にとても批評的な構造を備えているので、僕は好きです。・・・って、ややこしい話が好きなのかな、おれ、、、。


ちなみに、小説家になろう』は、たぶん量を読まないと面白さがわからない媒体です。そもそもが、ちょっと俺物語に欠ける領と時間おかしいんじゃないの?ぐらいに日常生活にはまり切っていないと、なかなかこの量は読めないでしょうね。友人を見ても、読んでいる人は、異様な量を読むんですよね。てれびんも敷居さんも僕も。


なろうの魅力の一つは、これが垂れ流し系の書き方をされた小説であるということ。というのは、Mieさんの『そだ☆シス』なんかが典型だけれども、とにかく異世界に転生して赤ちゃんからずーーーとその日々を描写しているだけなの。

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これが通常の商業小説作法ではあり得ない構成になっていることは、読むと一発でわかります。商業小説に慣れた人からすると、まず無駄に長い、目的がわからない、描写が延々と同じものが続く、起承転結が皆無などなど、何でもいいのですがとにかく読みにくいと感じると思うのです。いったい何が面白いのか?ただ、描写を垂れ流しているだけじゃないか?と。けど、読み方の「作法」がわかってくると、この「そこに世界がある」ような具体的な連続性のある描写が、たまらなくなっていきます。僕は毎日『そだ☆シス』コツコツ読んでいますが、、、いみじくもてれびんがいったように、子育て日記を読んでいるようなもので、子育てしていない外の人には何が面白いのか全く分からない。物語が起伏がなく、しかも間違いなく「エンド(=終着地点)を考えない」で書いているので、いったい何を書いているかが不明(笑)。なろうのほぼすべての作品に共通する構造です。なので、これって気に入ってがーっと世界観に入って、WEBで定期的に更新されるものを、毎日コツコツ待ち続けるような日常のリズムに入る読み方が、媒体として最も向いているのだろうと思います。逆に言うと通常の商業小説は、本という一冊のパッケージでの完結性が求められているので、その枠内制限内に入るように圧縮することが必要不可欠の技術になるのですね。この違いをよくよく理解していないと、どっちらの物語作品も評価を見誤ってしまうと思います。僕は、小説や物語世界の多様性があればあるほどうれしいと思うので、こういうのあってくれて、心からうれしいです。


もう一つは「群」として読むこと。『謙虚、堅実をモットーに生きております!』『攻略なんぞされてたまるか!』『ジュディハピ』にせよ、逆ハーものであったり、乙女ゲー・ギャルゲーの世界に転生したというような類型の話です。それをどう両立すか?の違いになっています。僕はこのブログで常々、テーマをもって物語を読むとおもしろいと書いていますが、それは何も関連性がないところに自分なりのテーマをというかなり技術としては厳しい要求でした。けれども、なろうは、それは意外に楽。だって、ジャンル別にも分けられているし、タグで探すのも容易。なによりも、異世界転生系など、なろう独自の文脈やフォーマットの大きな流れは一定しています。


たとえば、この乙女ゲー世界へ転生する系統は、『謙虚、堅実をモットーに生きております!』は、少女漫画の主人公の意地悪をする典型的な悪役お嬢様、吉祥院麗華の視点に生まれ変わったという物語です。ようは、通常にみられる少女漫画のパターンの第三者、それもいじめをする敵の視点に入ってしまったというメタ的視点を料理しているわけです。『攻略なんぞされてたまるか!』は、ベーシックな奴ですね。前世に男だった人が、どうもギャルゲーの女の子の視点に入り込んでしまった、という。ただ、この子は、女の子としての人生が楽しくなってしまったようで(笑)、まったくゲームの主人公としてのメタ的視点を失って自分磨きに精を出す日常になってしまって、、、、という(笑)、そんで『ジュディハピ』は、乙女ゲーの世界に閉じ込められている主人公(これも第三者)が、あれ、、、なんかこの世界繰り返していないか?と気づき、すべての男を攻略する乙女ゲーの主人公の姿に戦慄して、この世界から抜け出せないか?と考え始めるメタ的な視点を構造脱出劇にした物語ですね。これ、必ずしもなろう的で、まだ終わっているわけでもなければ、完成度として本当にいい物語なのかは、わかりません。けれども、アイディアは、秀逸です。かつただアイディアではなく、物語としてそれを展開してみます。展開すると、どれくらい系として可能性があるのか、その類型に、ということがすごくよくわかるし、、、その類型を自分が好きなのかどうか?というのがすごくわかります。そういう意味では、似た類型の、異なる料理の仕方が次々に現れるのは、たまらないものがあります。これは、なろうのWEBの仕組み、ランキングという順位付け、などなど様々な市場的な仕掛けがあって初めて成り立つもので、なろうという市場というか生態系を設計したのは、見事だなーと思います。これって評価(という曖昧なものを)を市場化して見える化した制度設計の見事なパターンです。


あれ、、、なろうの話になってしまっている。


えっと、、『謙虚、堅実をモットーに生きております!』なんですが、この系統って異世界に転生して日常と人生をやり直すセラピーものなんですが、乙女ゲーとかギャルゲーに入る系統って、物語にしまりが生まれるんですよね。というのは、この系統のゲームなので目的があるんですよ。この場合は、少女マンガ『君は僕のdolce』の世界という設定ですが、構造は同じですよね。たとえば、麗華さんは、本来の主人公と学園の皇帝(笑)が結ばれるのを邪魔して苛め抜くという役割が、この物語世界にはあります。最終的には、いじめやくの麗華はぼろぼろのサンドバックでつぶされて家も家族もめちゃめちゃになって、消えるストーリーですが、麗華自身は転生者なのでそれを知っているので、なるべくなるべくかかわらないようにしようとします。なので、吉祥院家という大金持ちの超スーパーお嬢様ライフを満喫することになるんですね(笑)。だって、嫉妬とかそういうのの世界に一切かかわらないようにすれば、日常を楽しむしかないですよね?。ずっと読んでいると、もうただ単に超お嬢様である吉祥院麗華の毎日を見ているだけになります。もともとがスーパー庶民で、かつ最終的には家がなくなって路頭に迷う物語だとしっているので、何とか自立して生きていけるように準備する様は、超セレブな生活の常識との落差でコメディ的に笑えて、それはそれでこの作品の魅力なんですが・・・・最近ついに若葉ちゃん!(少女マンガ『君は僕のdolce』の主人公)が登場して、なるべくかかわらないようにしていたんですが、、、ついに皇帝とは仲良くなるは、麗華とも絡んでくるわで、、、、物語が動き出して、、、たのしいんですねー。つまりは、なろうの異世界転生日常系では、目的な物語の起承転結がないことが、良さでもあり致命的な物語上の欠陥でもあるのですが、この背景を入れると、物語を進める圧力が働くのですね。そもそも、この物語は、少女マンガ『君は僕のdolce』という主軸があって、それをメタ的に見ているので、主軸と、そこからの脱出という二つのドラマトゥルギーが駆動するんです。これは、いい構造なんだなーと思う今日この頃。ままれさんもいっていたけど、ゲームの世界の構造って、すでに僕ら世代には共通言語なんだよね。そういう意味では凄く共通なので、すっと入っていける。


最近は更新も多いし、とても楽しみにしている作品です。



まきまきではありますが、、、吉祥院麗華の僕の中のイメージは、ずっと、レールガンの食蜂さん。もしくは、彼女の派閥のまきまきちゃん。この辺がずっと、イメージにあるんだよなー。

とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲 (9) (電撃コミックス)