評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★★5つ)
この本で感銘を受けたことは、3つ。
1つ目は、この川上量生という人の、その結果とプロセスが、現代に非常に有用なものであるということ。もうめっちゃめちゃ、感動しました。Cakesの連載記事とか、素晴らしいですよ。僕は、むさぼるように読んでいます。
【 第12回】 ニコニコは「アラブの春」を起こさない
https://cakes.mu/posts/5350
上記とか、すっげーーーーとうなりましたよ。・・・・もう少し具体的に言うと、僕は惚れこんじゃったですよ、この人凄いっ!って。久々に、ライフネット生命の出口治明さんに引き続き、ロールモデル(=目標)として定点観測したい!と思わせる凄い人に出会った気分です。この人の、こういうヲタク心をもっていながら、超鋭いビジネスマインド、経営者感覚を持っているというのは、これがありなんだ!!!と、目から鱗でした。具体的なモデルがあることは、非常に心強い。この10数年、現実に、こんな人になりたい!こんな人と話したい!と思うようなことは、ほとんどなかったのですが、、、この数年で2人も心服しきる人に出会えるとは、、、。って、実際に会ったことはないですが、会ってみたいなぁ、、、、。われらが海燕さんは、川上さんと対談したんですよねぇ、いいなぁ。
なぜ今,努力しないで成功する物語がはやるのか?――引きこもりのプロブロガー・海燕氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第17回
http://www.4gamer.net/games/236/G023617/20140509083/
2つ目は、経営者や指導者になる思考方法は、ルール自体を作り替えて戦略的に勝とうとする視点があるかどうか?がポイントであり、シミュレーションゲーム系の黎明期に遊んでいた人に、そういった思考法が強く宿っているということ。この辺はよくわかるんですよね、、、、なんでも黎明期のころにコアにやっている人たちは、何もなくても、なんとしてもゲームがしたい!とか思いこんでやっている人たちなので、要は、何もなくても自分で作りだしても、やりたい人たちなんです。動機の強さが違う。なので、そもそもルールを作りだ相当する志向が強くある人たちなんですよね。また、黎明期の、システムがそろっていないころに、ベースから作り上げるのに協力したりした人は、システムの下部構造というか基礎まで理解しているので、ルールに使われるのではなくて、ルールを変えるのが前提なんですよね。
何を言っているかというと、僕はこのブログのBasic Skillで語ってきたことと、ジャンプのチャンピオン・ランキング・トーナメント方式のバトル漫画の限界を考え続けてきた流れのことがここで思い浮かんだんですよね。このブログを10年ぐらい(笑)読んでいる人は、思い出せますよね?。週刊少年ジャンプのバトル漫画形式が、強さの飽和を起こすことが巷ではよく言われます。『ドラゴンボール』のスカウターの数値で強さを図るものですね。天下一武道会など、トーナメント方式で、順々に強い敵が現れてそれを倒していく形式です。バトル漫画は、無意識にというか、その母型としてこのトーナメントで順位を決めて行って、最終的にはチャンピオン(=たった一人の勝者)を決めるという構造を持っています。特に週刊少年ジャンプは。たぶん、日本の受験システムの問題や団塊の世代の競争が、このことに影響しているというような、社会的な批評は可能でしょうが、それは多分表層なんだろうと思います。これは、人類がとっても好きでわかりやすい形式なんだろうと思います。
けれども、それだと物語が動かなくなるんですね。このバトル漫画において、強さがインフレを起こすという現象をどう解決するか?の一つの答えは、『デビルマン』です。最後は、人類が滅びます(苦笑)。
でも、それでは物語が終わってしまいます。けど、そこまで飛躍しないで、もう少し現実レベルで、「戦い」というものを描けないかと考えた結果出てきたものの方向性が、『HUNTER×HUNTER』です。ここには二つの仕掛けがある、と僕は以前いいました。一つは、念という力の定義の設定です。念は、様々なタイプの組み合わせがあるので、ランキングトーナメント的に、強さを一律の基準で評価することができません。また組み合わせの問題があるだけではなく、どれだけ強くとも、「使い方」に知恵と工夫を凝らさないと、それが意味をなくして今います。なので、とても弱いものが、強いものを、知恵と工夫で倒すことは、よく起こりうることなんです。ここに至って、「強さとは何か?」という定義に、一律の基準で数字を決めることができない、多様さが導入されたことになります。漫画が広く読まれ、アーカイブが積み上がり、かつ日本のマーケットは非常に教養豊かで同質性が高い(アメリカやグローバルな基準は平均値がものすごく低いのです)で受け入れられるために高度化していった結果だと思います。
ちょっとそれますが、ディズニーが、女の子の姿を選ぶときに、ベースとしては圧倒的に、ただ受け身で、かわいくて、性的魅力が豊かなだけで、王子様に選ばれるというプリンセスキャラクターからほとんど脱却できないのに、日本の子供向け番組は、セーラームーンなどに始まるプリキュアシリーズのように、女の子が主体性を持って武力で世界を救う!などというかなり高度に発達したマーケットでなければ生まれないような、パラダイム転換を要求するような物語類型が生まれるのは、日本マーケットの特殊性があると思います。
ちなみに、この特殊性が突き抜けると、逆に普遍的なものすごい力を持つものだから、なかなか世の中面白いものです。グローバルは平均化していくし、背景情報を捨象する(=単純化する)ので、物凄くシンプルで透明な記号でしかやり取りができなくなります。グロービッシュで話していると、その背景情報の貧しさにくらくらするときがあります。英語力が物凄いあればそうでもないのでしょうが、そもそもイングリッシュラーナーで、そんな豊かな語彙とニュアンスがわかる人は全世界にほとんどいません(笑)。なので、グローバルというものは、平均値の低いところに収斂していきます。それが「わかりやすい」からですね。けど、もちろん、それが本当に価値があり面白いかというと、わからないところです。ディズニーのアニメーションと日本のアニメの差のようなものです。
加えておくと、アメリカ的なグローバルなものは、コミュニケーションがほんとうにシンプルに、極端に言えば貧しくなります。でもこれで、何の問題もないのはなぜかといえば、そのかわりに、現実が多様性が激しく増えていくからです。よういは、掛け算なんですね。現実に、物凄い多様な人種やバックグランドの人が集まりすぎて、何が何だかわからなくなって誤解というかミスアンダースタンディングは増えすぎるので、コミュニケーションの記号の豊穣さを捨象してシンプルにしていこうとするわけです。けれども、トータルの豊かさ、多様さはむしろ増えるぐらいな感じです。
が、、、、たぶん、日本人が努力して、英語でしゃべっていても、イノヴェーションや新しい次元の進歩などは、まったく生まれないと思います。日本社会は同質性が高い社会なので、コミュニケーションをどれだけ複雑にやり取りしても、背景が透明で共有性が高い。なので、アホみたいに複雑なコンテキストが隠れた(エドワード・ホールのhidden cultureですね)ものでも、めっちゃめちゃ高度にやり取りができる。これが日本のような同質性が高く、歴史も言語も古い伝統ある文化を持つ国の強みです(弱みでもあるんですけどね)。
なので、僕は、成毛眞さんの意見に賛成で、(普通の)日本人には、英語なんていらん!と思います。人口の何パーセントかの、海外とやりとりする、仕組み設計にかかわる人間は、当然のことながら、英語は必須ですが、、、それ以外に、なんで必要なの?というのかさっぱりわかりません無駄に、必要のない人まで、英語に駆り立てるのは、無駄じゃない?と思います。いままでは、仕組みや海外とのやり取りにかかわるのは特権的なエリートでしたが、この仕組みの整備が進めば、いわゆる職人的技術者になって、別にエリートでもなくなると僕は思うんだけどなー。。。。翻訳システムも明治建国以来、世界で一番見事にできていますし、そういう仕組みが整えてあってあれば、問題ないんじゃないの?と思います。まぁ、成毛さんがおっしゃるのはちゃんと背景があって、逆を言えば1割(10%)の人は、物凄い英語力が必要で、それには全く見合っていないという現状もあるので、物事は単純ではないんですけどね。日本は、そういう意味での必要に見合った英語教育は全然ダメな気がする。日本の英語は必要な10%の人間の英語力は、国際的に見て話にならないぐらいだめだと確かに思います(自分含む(苦笑))。
マイクロソフト元社長・成毛眞「英語をしゃべれるヤツは偉い? アメリカ人だってバカはバカなのに」
http://news.livedoor.com/article/detail/5949474/
安倍政権のTOEFL必修化は必要? 「日本人の9割に英語はいらない」著者、元マイクロソフト社長成毛眞氏に聞く (1/2)
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1307/05/news008.html
でもねー英語公用化とか、社内公用語化とか、日本の強みを捨てる馬鹿な行為としか思えません。もちろん、日本の会社ではなくグローバルカンパニーになりたいのなら話は別です。楽天やユニクロが、英語を公用語にしても、まったく驚きません。むしろそれが当然です。でも、グローバルカンパニーで帝国を形成するのは、特定の分野でないと難しいし、ローカルや地域経済圏で覇権を握る選択肢も、これからずっと大きくなると思うんですよね。ローカリティーからしか出てこない、価値、ヴァリューってあるとおもうんですもん。このへんも、みんな目的とか必要性とかをちゃんと考えているのかって全く不思議になることが多いですねー。英語圏でビジネスをすることと英語ができることを混同しているとおもうんだよなー。
『企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン〜新しい統治者たちの素顔』 松井博著 これからの時代に必要なものとは?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130503/p3
『山賊ダイアリー』 岡本健太郎著 重要なのは再生産可能な資源をベースに構築される手応えの連鎖(=共同体)の再構築とグローバル経済からの独立だ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140519
日本は世界でも最高に生活世界が整備された最先進国で、エンターテイメント(=日常を楽しむ技術)は、ダントツ世界一位だと思います。この日本語をしゃべれる理解できる特権を享受できる立場でありながら、わざわざグローバルな奴隷経済のような格差の最底辺からエントリーしよとすることを薦める人は、僕には狂気の沙汰としか思えません。今更、普通の日本人が、英語なんか目指しても、無駄だって(小学生以下の子供は別かもしれませんが…)。もちろん、帝国の頂点を目指すようなエリートを目指すならば別ですよ?。でも、それは選ばれた人の競争であって、普通の人にそれを進めるのは、あきらめと絶望しか生まないで、動機を磨滅させるだけだと僕は思う。そうすると構造上に、地元にのこってヤンキー化して、それでルサンチマンと無知が積みあがって、右翼化して全体主義やファシストを生み出すんですよ、きっと。たぶん無自覚に英語を勉強せよ!とか、グローバルに世界に飛び出すべき!とか、そういうことを言う人はキャリアポルノと同じで、無自覚に悪い構造のマッチポンプに手を貸しているんだろうと思います。なんでも正しいことを言えばいいわけではありません。
『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』 原田曜平著 世界はメガリージョン(=広域大都市圏)と地方・郊外の二極化が起きるのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140316/p1
『ネットと愛国〜在特会の「闇」を追いかけて』 安田浩一著 現代日本の本質を描写している傑作ルポタージュー
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120706/p1
なので、普通の日本人に、英語をできなきゃだめだ!とか、海外に出て戦えるようにしよう!とか単純に薦める人は害悪でしかないと僕は思います。キャリアポルノという言葉がありますが、ああいった、意味のない無駄な自己啓発本と全く同じのマッチポンプの虚偽問題だと思います。よく考えてみろよ、、、、例えば20歳とかになった日本人で、今さらグローバルに戦えるか?、今更英語のレベルがあげられるか?、そんなの必要に迫られなきゃ、不可能だよ(苦笑)。日本のマクロ環境(教育形態も)は、そういう風にはできていないんだもの。ましてや、それで十部生きていけるだけの内需が今まであった。・・・少なくとも、俺には無理だ。やってられん。必要があれば別だが、本当に必要か?。必要なやつだけが、必要に迫られてやればいいじゃないか!(そういう仕組みを作ればいい!)ましてや、明治建国以来100年以上翻訳システムを整備してきて、日本語環境で世界最先端の情報を学ぶのも十分できる。もちろん欠陥は多いし、すぐムラ社会化して世界とのアクセスを失う悪弊はあるけれども、それでも、アングロサクソンの作ったグローバルスキームにフリーライドばかりしなきゃいけないほど、みじめでもないんだぜ。日本は独力で近代化を成し遂げた、独立国なんだから。独立国は独立国らしく、自分たちのオリジナルな技術と基盤をベースに、世界に通用する仕組みを作ればいいじゃないかって思うんだよね。
日本は、そうは言っても世界3位レベルの経済大国で内需もあるし、ストック(=資産)もある。これが、経済規模が、10位ぐらいまでおっこって何の問題が?。もう現代はは順位が勝負じゃないんだぜ!、質が勝負なんだよ!生活世界のね!!。イタリヤやスイスや北欧が、どれだけ楽しそうに生きている?。あいつらより日本のストックは、ケタが違うぐらいでかいんだぜ!。資産のケタが違うんだから、物凄い豊かに生きられるよ。なんで、わざわざ海外に出なきゃいけないのかさっぱりわからない。
日本の国をよりよくしたほうがいいに決まっているじゃないか!
なんで?なんでそうんなこともわからないの?って僕は思う。世界に飛び出ていける人なんか、そんないないんだよ、そんなウルトラモチヴェーターは、全体の比率はそんなに高くないんだから、そういう人のマネをしようとするのはバカだと思う。また、そういう人の基準を、全国民の平均値に当てはめるなんて、全く議論がおかしいと思う。日本は、そもそもアングロサクソン型の伝統とは違う国なんだから、そんな簡単に変わらんよ。前に、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の最終回でスザクが、カレンに言った言葉に僕は感涙したってことを何度も言うんだけれども、「そうとしか生きられなかった人たちの人生も考えろ!」という言葉は、胸に深く突き刺さる。
ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140425/p1
ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?2〜ストックはどこから来たの?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140429/p1
少なくとも、僕は、漫画やアニメが溢れている日本を出たくなんかないね!(本音)。
食っていけるのならば(贅沢なんか言わねーよ)、それで最高に幸せだし豊かだよ。観光資源、歴史伝統、世界最先端の技術、世界最高度のサービスクオリティ、全世界のグルメが楽しめる大都市に、加えて世界最高度の和食が食べれる、、そしてアニメや漫画を基礎として日本語が深く理解できないと楽しめない世界最高度のエンターテイメントが日々膨大な量産がされる、、、、日本の何がダメなの?。僕にはさっぱりわからないよっ!。こんな、最高な場所はないんじゃないの?。働く環境と住環境だけが狭いのが問題なんだけど、、、それは、ぼくら日本人、そして政府が、もっと努力しろよ!って思う。どーせ人口減るんだから、いくらでも解決可能だよ!。職場環境が最悪な部分もあるけれども、まぁ、団塊の世代が死に絶えれば構造は変わるよ。それに、グローバル経済の下部のほうの奴隷みたいな環境からエントリーするのに比べたら、はるかに天国だよっ!。日本は、内需の規模も物凄い大きいし(何も世界で1-3番とかになる必要性なんか全然ない。だって重要なのは質になっているんだから。十分な適正規模も今はまだあるし)、戦時たちの死に物狂いの努力のおかげで、近代化した独立国として100年以上の積み重ねがあるわけですよ。そのアセットをちゃんと利用して、そのアセットのオリジナリティーをさらに世界に通用するように磨きをかけることのほうが、外へ出てゼロからやるより絶対いいに決まっています。
海外で勉強して働く・・・のは魅力的だけど、日本でマンガ読んでアニメについて友達とだべって希望なく生きる選択肢も、けっこう魅力的だよ?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090503/p5
話がそれた。
さて強さの話に戻ると、『HUNTER×HUNTER』のもう一つの凄さは、前作の『幽☆遊☆白書』でもエピソードとして出てきていてこのテーマを追求する片鱗を感じさせるのですが、ゲームのルールを書き換えることが、最終的な勝利につながるということを、強く意識した設計がなされていることです。いや、このいいかたよりも、この現実世界には、いくつものレイヤーがあって、どのようなルールに支配されているレイヤーに生きているのか?ということを意識しないと、簡単に殺されてしまうという恐怖と悲しみが、彼の作品の大きなテーマにあります。これが2つ目です。
ようは、チャンピオンを決めるランキング・トーナメント方式のバトルに、どのようなルール(=基礎構造)の変更をしたのかといえば、
1)強さを一律の基準で決められない多様性もちこみ、知恵と工夫で勝ったほうが勝つ、
2)自分がいるレイヤーのルールを壊すか、新しくルールを作りだすことができたものが勝つ、
という条件が設定されたんですね。ちなみに、2)は、凄い複雑で、
3)自分がいるレイヤーから、異なるレイヤーに移ることができた場合、そのメタルールをどう利用するか?
というような背景も隠れています。
これって、物凄い発見ですが、、、、この物語類型を十全に使いこなせている物語は『HUNTER×HUNTER』ぐらいしかありません。日本のエンターテイメント、、、いや人類のエンターテイメント史に残る傑作だと思います。これ。
さてやっと、川上さんの本に戻るんですが、彼が主張していることは、まさに、この1)-3)を意識した人が、経営者になれる人材だし、シゴトができる人だといっているんですね。そして彼は自分のバックグランドから、それは、シミュレーションゲームで学んだと。この本からは、テレビゲームのような、デジタルゲームに対して、むしろ一方的にルールを押し付けてきて「ルールの中でしかものを考えない」反射神経のみの方向に行ってしまっているととても敵意むき出しです。これは、非常に同感。なので、対談の最初の設定をとても裏切っていて、現在のテレビゲームをするような人は、与えられたルールを疑わないで、その中で頑張ろうとすることが教育されてしまうので、バカになりますといっているようなもんです。
なので、ここから導き出される教訓というのは、たぶん、、、、黎明期の「不自由なゲーム」をチャレンジしている人ほど優秀になれるということなんだろうと思います。この中身は、
1)黎明期の不自由な状態でも飛び込んでいくくらいそもそも強い動機を持っている
2)黎明期の不自由な状態で、ルールが形成されていく基礎からかかわっているので、ルールがどうのように作られたかをよく知っているので、ルールを変えるのにも躊躇しない
あと、もう一つ加えるとしたら、ゲームは、対人関係でやるもので、かつウォーゲームなどの戦略視点が必要なアナログゲームでないと、やはり効果がないといっていますね。
・・・・現在のゲーム業界のメインの部分のかなり全面否定な気がするんですが、、、(苦笑)。でもマー非常によくわかる議論です。
そして、今まで話してきたような、ゲームのルールを変えることを知っている人が、もっとも面白いゲームはなにかといえば、それは「現実世界」というゲームなんだぜって言うのは、結論は、まさにその通りだと思いました。最近完結した、神知るの桂馬君のようなセリフですね(笑)。江戸川乱歩に、「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉がります。けど、これって入れ替え可能というか、物語の世界が、夜の夢が真実であるとするならば、現実も一つのフィクションであると考えれば、それもまた一つの真実となります。物語も、現実も、等しく同じ現実で真実だとすれば、やることはあまり変わりがありません(笑)。仏教的価値観は厭世的にとられることがあるけれども、これが透徹して突き抜けると、むしろ、現実で頑張ろうぜ!って解釈にもなるような気がする今日この頃です(苦笑)。
3つ目に印象に残ったのは、彼の元部下たちの廃人ゲーマーたちの会話です。これは、僕はびっくりしました。僕は自分自身もほとんど黎明期のオンラインゲームなどに経験もないですし、全然コミットしたことがないぬるい人間なんですが、いや、、、その濃さにびっくりしました。けど、何がびっくりしたかっていうと、これ全部見たり聞いたりしたことがあるんだ、、、どこでって、SAOでです。川原礫さんの『ソードアートオンライン』の物語、、、ゲームの世界に閉じ込められてデスゲームをするという話で、2巻以降は現実に戻ってきて、ゲームの中であったことと、現実であったことという二つの世界を生きるということと、「死」ということにどう向き合うのか?ということが、この話の主軸の構造となります。。。。。って、この廃人ゲーマーさんたちの会話って、このまんまなんですよね、、、。まぁ、当然、SAOのような物語がライトノベルで描かれるということは、その原型のような体験はあるんだろうなーと思っていますが、、、、まさかまんま、、、それよりイっちゃっているのが普通に現実にあるんだ、、、と驚きました。いやーまじで、世界は広いわ。物凄い豊穣だわって、感心してしまいました。
まぁ、この本は、素晴らしいですし、それよりも、川上量正さんという人の思考の履歴、考え方、判断基準は、本当にすばらしいです。僕、最近できるだけ終えるだけ追おうと、ベンチマークにしている人です。
こういう人と一度でも、酒でも飲めたら、いいなー、、、。
ちなみに、この記事は、角川とドワンゴの統合の話が出る前に書いたのですが、、、いやーまーさすがだね、角川歴彦さん。僕はこのことは、どうみても角川歴彦さんという経営者が、若き経営者を買った!、選んだ!ということに見えます。時代の社長を選び抜擢できる人こそ真のリーダーだと思います。これは、すごい。
2014-05-18 会社を誰に任せるか 大きな器と大きな器 Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140518