『ベイビーステップ(31) 』  勝木光著  日本的ランキングトーナメントの世界の向こう側が見えるとき

ベイビーステップ(31) (少年マガジンコミックス)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


この巻とても感動した。


ステージが、変わった、というのが凄く感じる回だった。そして、そのステージがどう変わったかの、変わり方が、僕のずっとテーマに考えている部分とミートしたが故に、感動しただけではなく、とても思うところがあった。


それは、日本的ランキングトーナメントの世界からの離脱の話です。


えっとね、僕のブログを追ってくれている人は、僕がスポーツ漫画の類型を見ていて、ずっとテーマというか考えていることがあって、それは、その物語の展開の果てに「世界が見えるかどうか?」というような話をずっとしてきたと思うんですよ。


どういうことかもう少し詳細に説明すると、たとえばね、日本のスポーツ漫画ってどういう類型になっているかというと、ほとんどが部活モノになっているケースが多いと思うんですよ。ようは、中学でも高校でもいいけれども、学校のクラブ活動に所属することから物語が始まるケースが多い。そして、その部活で、何を目指すかというと、野球を例にとれば甲子園を目指すんですよね。つまりは、インターハイとか、学校間でのランキングトーナメントで、試合をひとつづつ勝ち登っていくという形式になっている。ここでは、大きなベースとして、


1)学校空間から物語が始まる


なので、入学式の中学デビューとか高校デビューとかそういう形式になりやすい。


2)部活に所属することによる集団への帰属


3)その帰属集団をベースにしたランキングトーナメント方式による日本一を目指す戦いにエントリーする


と、こんな特徴があると思うんですよね。いや何かって言えば、甲子園を目指す高校球児を考えてもらえればいいのですが、あれが拭いがたいほどの基礎ベースにあるんですよ。日本的な同調圧力の地獄である「学校空間」から、濃いムラ社会の狭い共同体に所属して、ランキングトーナメントで序列を決める部活モノの日本一を目指す戦いにシームレスに接続していく感じです。これって、僕らの経験している「現実」ってやつなので、非常にシンパシーや感情移入を呼ぶんだろうと思うんですよね。あっと、この>学校空間的なものってのは、オレガイルでずっと話してきたことなので、???という人は、暇があったら読んでみてください。


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 』 渡航著 ヒッキー、それは確実に間違っているよ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131129/p1

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 渡航著 (2) 青い鳥症候群の結論の回避は可能か? 理論上もっとも、救いがなかった層を救う物語はありうるのか?それは必要なのか?本当にいるのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130603/p2

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  渡航著 (1)スクールカーストの下層で生きることは永遠に閉じ込められる恐怖感〜学校空間は、9年×10倍の時間を生きる
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130406/p2

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。第1巻 (初回限定版)(渡 航書き下ろし文庫小説152P・サントラCD同梱) [Blu-ray]


で、、、これって、価値基準がどこにあるかというと、隣の市の強い高校と戦うとか、日本の国内の中で、同じ学校という組織間の対抗戦なんですよね。もちろん『キャプテン』『プレイボール』『キャプテン翼』や『スラムダンク』など(どれも大傑作!)のマンガにどっぷりとつかり、小学生時代や中学生時代を過ごしてきた身では、、、いや同時に、日本の学校空間で部活を頑張ってきた思い出を振り返れば、このランキングトーナメント方式で、甲子園を目指すような(野球だけではないので比喩です)物語、体験は、強い感情的な共感を感じます。

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けど、同時に、中学生ぐらいからの僕は、この濃いムラ社会の日本的空間の同質性に、たとえようもないほどの息苦しさも感じていました。



なんというか、、、戦って、戦って、、、勝って勝って、勝ち登っていくその果ての頂点が、日本一!というのは、なんだかたとえようもんなくしょぼく感じたんですよ。なんか、そこまで物凄い努力と激しい過酷な戦いの生き残りをしなければいけないようなものの、その最果てが「そこ」では、、、なんか、凄いしょぼかった感じがしたんです。それはそれで、凄いことだし、価値があるけれども、、、なんか「出口」のなさを息苦しく感じたのでした。


あと、大体において、地区予選とかから物語は始まるんですが、そこをクリアーすると全国大会に行って、同じルールで同じように戦うので、強さがすぐにインフレするんですよね。そんで、頑張った果てが、日本一。なんか、凄いがっかりする感じが、、、最初は全く未経験なのででむさぼるように読んでいても、この物凄い苦労や練習の果てが、、、それかぁってため息が出てしまうんですよね。たぶん80年代ぐらいまでは、海外の情報が溢れていたわけでもないので、相対化することもできなかったと思うんですよ。けど、それ以降は、世界の広さが見えるようになってきたことと、日本がとても安定して豊かになったうえに、高度成長が終わって、シャカリキにがむしゃらに頑張って成長しよう!とかいう余裕のないエコノミックアニマル的な思考から解脱してきたんだと思うんですよね。


もう一つ、たぶん、、、僕の個人史的には、大きな二つのイベントというか、があって、それは、Jリーグの誕生とテニスでのウィンブルドン(たぶん松岡修造さんが勝ち上がった時)だと思うんですよね。このどちらのスポーツも、日本ではそれほど盛り上がっていなかったので、甲子園のような日本国内でのイベントもなければ、日本国内でプロになって生活していくというキャリアステージが描けないものなんですね。なので、プロになるならば(続けたいなら)、海外に行かなければならない。それも少しでも早く。松岡修造さんは、早くからATP世界ランキングのツアーに参加していますし、サッカーの三浦知良も高校1年生には、ブラジルに行っています。


なんで、、、本当はスポーツをするのならば、日本国内の狭い土俵でやっているのはおかしいのではないか?という感覚はずっとあったんですよね。というか、甲子園的なものや学校空間的なもの、、、、日本的なムラ社会共同体の修練的なものでがんじがらめの息がつまる(それもまた、それ自体は美しく素晴らしいものではあるにせよ)「だけ」という多様性のなさは、息苦しくて仕方がなく感じました。また、「出口」がない、閉鎖空間は腐るんですよね。「出口」があれば、健全で世界に広がるんですが・・・・。けど、日本のスポーツ漫画って、基本構造がこれなんですよねー。『スラムダンク』だってあれほどの名作だけれども、結局は日本国内の小さな大会の話だけでい終わっているわけでしょう?。ほんとうは、もう高校生ぐらいだと、世界レベルで戦っていないと、もしくはそれに挑戦する気概がすでにスコープにないと、プロとして生きてはいけないと思うんですよ。うーん、プロとして生きていくのが正しいといいたいわけじゃなくて、なんというのかなー人生のキャリアが見えないんですよ。バスケットビールは、米国のローカル色が強いスポーツですが、、、やっぱりプロして一段上の世界が成立しているのはアメリカなんで、『スラムダンク』の主人公だって、本来ならば、最初から米国を目指すなり考えていないといけないんだと思うんですよ。

パッション・パレード 朱鷺色三角2 3 (白泉社文庫)

『朱鷺色三角』という樹なつみさんの漫画では、主人公は、バスケットボールを本気でやっていると、偶然ではありますが、米国のコーチに目が留まりアメリカに留学して、全米選手権で活躍して、、、という道が開かれています。最終的には、彼は、米国の大学のバスケットボールのコーチの道を職業に選びました。ちなみに、アメリカで、強いスポーツのコーチや監督はとても職業ステイタスの高いものです。この当時にもうこういうビジョンはあるわけなので、『スラムダンク』の流川だって、最初からもう日本なんか相手にしていないで、外を目指すべきだと思うんですよ。それが、明らかに世界水準から低いところで、一生懸命戦っているのって、、、なんだかなぁ、、、って。いや別に部活でインターハイを目指すのがレベルが低いからってダメだっていることが言いたいわけじゃないんですよ。そうではなくて、『スラムダンク』にせよこういう部活モノって、全人生をかけて(苦笑)ぐらいの物凄い努力をするじゃないですが、、、けど、人生の最も華やかな時だってくらい戦いが盛り上がるわけですが(物語だから)、それが、


1)将来のキャリアステージに全くつながらない
  (といはいいきれないが、マジ非効率)


2)プロとして世界水準のレベルに到達する道筋に乗っていない
  (頂点がどこかのイメージがなく、凄くローカルでムラ的)


って、、、、なんなんなんだう?、、、それで、こんなに頑張らなきゃいけないの???って、なんかおかしな気持ちになるんですよ。テニスの松岡修造さんの生き方とか見ていると、本当に食べていく人、世界水準になる人、人生がそんな高校の部活(学校空間!)なんかで終わらない人は、ちゃんと最初から世界を見据えているんですよね。だって、慶応高校から柳川高校に転校した後、すぐATPの世界ツアーに参加していますよね。カズにせよ、高校に入った途端ブラジルに行く。なぜそういう風な行動になるかといえば、もう小学校や中学校の最初にスポーツを始めた時点で、世界水準の戦いで勝つにはどうすればいいか?のビジョンがあるし、道筋もあるので、「そこ」に効率よくとまではいかなくとも、「そこ」を見据えていないと、本気でやるには、、、うーん、という感じなんだろうと思います。いまのサッカー選手も、たぶん子供のころの夢って、欧州でプレーしたり、プロの超一流のチームに所属してワールドカップに出るとか、そういうのが夢のはずですよね。最初から、世界水準の、プロとして生きていくキャリアの最上位がはっきり見えている。


もちろん、甲子園を目指すというルートは、日本は野球はプロがあるので、『巨人の星』などもそうですが、野球漫画にはこの道筋があるんですよ。なので、日本では唯一、ちゃんとキャリアステージが見えるんですよね。いまは、それにサッカーが加わって、日本で、たぶんプロスポーツとしてはこの二つが成り立っていると思います。


ちなみに国民的なスポーツがいくつかあるかで、その国の国力の大きさを測るという話があります。日本は、つい20年前まで一つだけでした。いまは野球とサッカーの二つ。ちなみに、アメリカは、バスケ、アメフト、アイスホッケーにベースボールの4つがあります。国力の違いがよくわかるさ差です。アメリカは、いまではさらに、サッカーとゴルフのPGAツアーと自動車競技のインディカー・シリーズがあって、、、と途方もない国力の国です。


しかし、日本の野球は、プロスポーツの後の「出口」が凄く見出しにくいですよね。とはいえ、アメリカという「出口」があるので、それにどんどん優秀な人が出て行ってしまうので、
日本のプロ野球界は、改革を迫られ魅力的であるためには、、、魅力的って、選手にとってもですが、という風に変わっていくんだろうと思います。けど、やっぱり日本ドメスティックなものにはかわりありません。


日本以外の基盤で成立している、しかも同じルールの世界水準と、多様性の中でサバイバルして切磋琢磨するというものがまったくない。たとえば、サッカーで、知的で中盤が強い(日本はFWが弱いっすよねー)日本のサッカースタイルと個人技のブラジルとはまったく違いますよね。同じルールで戦うのに、全く違う成り立ちや基盤を持っている。こういう戦いこそがおもしろいし、真に発展するものだとおもいませんか? 


サッカーやテニス違います。いっきに、世界が見えてきます。また、サッカーやテニスは、部活的なものがそれほど盛り上がらなかった過去のためか、それとも世界に接続されているか、どっちが先かはわかりませんが、クラブチームのシステムが出来上がっていて、学校空間的なるもの以外でのキャリアのステージが形成されているスポーツだっていうのも重要だと思うんですよね。


僕は、曽田正人さんの漫画が好きなのですが、彼の『シャカリキ』などをみると、がんばってがんばって国内で戦って、そこで物凄い才能を頭角を現してくると、ふっと、、、ヨーロッパが見えるんですね。それは、ほとんどの近代スポーツの発祥がヨーロッパにあって、本場がそこだからです。


【自転車】片山右京ツール・ド・フランスまでの高い壁」
http://sportiva.shueisha.co.jp/series/ukyo/2014/05/19/post_4/index3.php

これ、いまてきとーに見つけたので画像を張り付けていますが、F1でも自転車でもなんでもいいのですが、こういう世界のランキングトーナメントははっきり可視化されているものなんですよね。それと接続されていないものは、どうなんだろう、、、凄い多様性に欠けると思うんですよね。なので僕はエーちゃんが、


「フューチャーズ、チャレンジャー、マスターズ、グランドスラム、、、、全部・・・・出たいです」


ってマーシャを口説きとしちゃう(笑)シーンには、しびれてしまいました。これって、上記のグローバルな競争のピラミッドが、明確に意識されているんですよね。そしてそこへ行くための手段としての全日本選手権がある。


シャカリキ!〔ワイド〕(1) (ビッグコミックスワイド)


ちなみに、曽田正人さんの漫画のテーマは、天才を描く、です。その職業の本質や常識を超えてしまう才能を持ってしまった個人が登場すると、日本のような辺境のローカルなところにようがお構いなしに、いっきに世界が見えてしまうんですよね。彼の描く主人公は、あまりの才能の大きさに、自分が生まれた場所にすぐ居場所がなくなってしまうという悲劇が訪れます、、、。『昴』の主人公は、その世界を変えてしまうようなバレエの才能で、彼女が落ち着いて、ふさわしい居場所を得たのはヨーロッパの街でした。。。。みんなそう。特異な世界を変えるような才能の持ち主は、日本では居場所を失ってしまうんです。



それって、悲しいことだと思いませんか?。



曽田さんの漫画で、才能ある個人が、直ぐ世界やヨーロッパが見えてしまうのは、逆説的に言えば、僕は80年代以降の日本が、本当の意味で豊かになったうえで、情報が世界中からローカルなところまで、そして子供にまで、隅々まで届くようになったということが背景にあると思うんですよ。ああ、世界基準、、、、世界基準とは、同じ土俵の上で、まったく背景の違う成り立ちを持った多様性が激突して切磋琢磨していく世界です。けっして、日本の単一ルールが支配して、その中でのランキングトーナメント方式で、一番を決めるというような争い方をしません。

MOON―昴 ソリチュード スタンディング― 9 (ビッグコミックス)

それは、一番を目指すような単一的な思考は、目標が定まっている、人類のフロントランナーに立っていない時にしか通用しない思考形式です。500年近く人類は、欧州文明の優位性がありましたが、もうそのアドバンテージの時代は終わっています。日本のように吸収がかなり終わりその最前線まで到達している非欧州の国はたくさんあります。世界は、本当に変わりました。ヨーロッパ文明の概念を導入してその適応にアップアップするステージは終わりつつあると僕は思うんですよ。

Civilization: The Six Killer Apps of Western Power


なんか、話がでかくなった。まぁ、この前提を踏まえてもらわないと、僕が何に感動したかってのがうまく伝わらないと思うんですよねー。履歴はとても大事。


という背景の中で、ベイビーステップは、最初期のころから、何かが新しい、新しいって、僕はいい続けているんですね。僕はこれまでの膨大な記事で、たぶん、クンフーについての表現の仕方、、、才能についての取り扱いの仕方が、これまでの典型的なスポーツ漫画の類型と違うんだろうということを言い続けてきました。


えーちゃんというのは、特に、天から授けられたものが特にないですよねー。その辺の話はこの辺お記事で書いたので、お時間があればー。


アキちゃんの空を仰ぐ表情が、、、、もうたまりませんっ。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130818

26巻になってもこの密度・・・素晴らしいです。大好きです!。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130531/p1

ベイビーステップ』 勝木光著 なんの特徴もない平均さ平凡さが極まることによって、オリジナルに転嫁することもある
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111213/p2

ベイビーステップ出張番外編〜なっちゃんのライバルのお風呂シーンがもう最高!とか、書こうと思っていたら、なんかBasic Skillsとかマーケッティングの話になってしまった(苦笑)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110922/p1

えーちゃんと井出くんの試合の熱さを見ていていろいろ思ったこと
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110625/p1

今週号のBABYSTEPは素晴らしい構成の回
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110518/p1

プレッシャーと不安を取り除く方法
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110126/p4

ベイビーステップ』 10巻 勝木光著 Baby steps to Giant strides〜自己信頼と自己放棄の関係性について
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20091121/p1

リスクをとることとは?----とるべきリスクの前段階の極限の準備をしたものだけに許されることなのだ!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090511/p5


この辺の才能に関する表現が、動機がない状態から、自分の意志一つで内発性を生み出し確固たるものにしていく、一歩一歩の積み重ねのプロセスがそれまでの主人公の才能に支えられた(技術的な才能と、動機を持つという才能)スポーツ漫画の類型等は違うって話をしてきました。


けど、それだけじゃなかったと思うんですよね、。それだけだと、あそこまで『新しい』という感じは、受けなかったと思うんですよ。


さっきの、


「フューチャーズ、チャレンジャー、マスターズ、グランドスラム、、、、全部・・・・出たいです」



に戻るんですが、えーちゃんが、伸び悩んだ時に、いきなりすぐフロリダのテニスアカデミーに短期留学するんですよね。今回も、自分のレベル上げのために、フロリダに来る。もう視野が物凄いグローバルですよね。よくサッカーや野球の部活モノで、外国からやってくるマレビトみたいな外国人留学生による補強とかそういう、日本的な同質性を侵さない中での、存在とは全く違います。日本人が、そのまま、世界の多様性の舞台に直接乗り込むという形になっています。なので、ソウジ(世界ランキング上昇中の日本人プレイヤー)は、高校生からフロリダに移り住んで、フロリダをベースに暮らしてる。フロリダのアカデミーで出会った友人たちは、アレックスやピートのように、アメリカの今後世界を狙う新人たちで、同じ土俵で、同じレベルでものを考えています。ソウジが、全日本選手権に出場すると聞いて、ピートが



「ふーん、、、でもソウジが世界一への道に少しでも寄り道するなんて信じられないな・・・・」



というのは、全日本選手権なんかATPのランキングがつかない、ローカルな意味のない試合だからなんですよ(実際はどうだっけ?)。けどそれに対して、アレックスが



「それだけじゃないよな、、、、気合入れに行くんだろ? 日本のテニス界に」



というんですが、これって、国を背負っている選良の発想ですよね。自分が恩恵を受けたものに、無償で返すという意識の部分。このあとに、ソウジが、3年後のデビスカップ (Davis Cup) をみろよっていうのは、非常に象徴的です。デ杯ってのは、国別対抗戦のことです。


いやなにがっていうとね、、、これって、完全にグローバル基準ですべての物事を話している会話なんですよね。そんで、錦織圭選手とかもいるわけだし(現在世界のATPランキング、10位以内に入ってるはず)これ、日本人としても現実味のある話なんですよ。テニスをやるなら、最初からここを目指してやらないと(趣味で終わるのでなければ)、意味がないわけですよ。いや意味がないってわけじゃないんだけど、、、。まぁ、とにかくステージの階梯があって、クラブに所属したテニスの先の延長線上に、これがある。



これ見て、ああ、、、この漫画のステージの、、、31巻でのステージの急激にプロへの世界に、グローバルな世界に収斂していくところは、素晴らしいなって感じました。



ほんとは、なっちゃんとの関係も、ぐぐぐっぐーーーーっ進んでいるので、、、そこも書きたかったんですが、、、そこはまた。とにかく31巻のステージの変わりようは、物凄いものがありました。凄い良かったです。感動しちゃいました。 


ベイビーステップ(1) (少年マガジンコミックス)