本当に自分がしたいことは何なのか?、無償でなんの報酬がなくても楽しくやり続けることは何なのか?

で、さらに余談なのですが、ぼくがペトロニウスさんの記事ばかり引用しているように見えるのは、ぼくの友人でブログを書きつづけているのがほとんどかれ以外にいないからです。

一時期はぼくの知り合いはほとんどブログを書いている状況だったのですが、時が経ち、ほとんどの人がやめてしまいました。

その背景にはTwitterやLINEやFacebookの隆盛があるわけなのですが、やっぱり長い文章を日常的に書きつづけるということは、一部の人間しかやらないことなんだなあ、と思いますね。

ぼくはもう十数年延々と書きつづけてきていて、おそらく分量的には本にして数十冊ぶんくらいは書いています。うーん、よく書いたなあ。自分ながら感心する。まあ、それに何の社会的意義があるかといえば、何もないのだけれど……。


海燕の『ゆるオタひきこもり生活研究室』
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar528929


アメーバブログの旧館物語三昧から数えてこのブログの運営は、2005年4月26日このブログをはじめています。今年で10年目ですね。AMAZONのレビューは書かなくなって久しいですが、2002年の5月12日です。なので、文章を外部に公表し始めてから、トータルで12年ほど。はてなのこのブログのアクセス数は、これを書いている時点で6355346です。いやーよー書いたもんだ。


僕は「時に試される」と呼んでいますが、人生で「正しかったこと」というのはどういうものだろうか?「ほんもの」とはどういうものだろうか?と考えたときに、僕の答えはいつも決まっています。それは「時の試練に打ち勝ったもの」です。よく3日、3か月、3年という言い方をしていますが、なんでも3年継続して超えると、長く続く可能性が高まります。3年友達だったら、たぶんずっと友達だよ、とよく言います。見事なぐらいに3年目で、けんかや、二度と会わないようなイベントが起こるものなんですよ(苦笑)。何かの歌謡曲で3年目の浮気というのがありましたが、なるほどなーと感心したのを覚えています。3年でだいたい欺瞞が暴露されて告発されるものなんですよね。


いま僕はアメリカに異世界転生(笑)して、人生をやり直すっていうか、ゼロからスタートというか、めちゃくちゃ忙しい日々を送っています。夜は気絶するように寝ることも多いですし、なによりも、人生のもっとも重要な時間と位置づけていた、通勤の往復2時間を電車の中で本やマンガを読むことが人生のクンフー、喜び、生きがいだと思っていた僕にとっては、ついにそれを奪われる大変な出来事が起きました。アメリカなのでもちろんのこと?というわけでもないですが、車通勤です。さすがに、本やマンガは読めません。アメリカに来て、もちろんにマンガを手に入れる方法はぐっと狭まりました。日本のそれも漫画やラノベを置いている本屋などは、ほとんどありません(いや、あるんだろうけれども、日常の行動導線の中にあるとは言えません)。



もう、、、、ヲタクの生活もなくなるのかな、、、、ブログも書けないだろうな、、、、、せっかくできたヲタ友達とも疎遠になるんだろうな、、、、、



そう思っていました。いや、それ常識ですよね?どう考えても。



でも、まったく逆でした(苦笑)。


読んでいる漫画や本の量はほとんど変化がありません。手に入れる方法は、様々な手段を執念で構築しました。ブログに至っては、安定して量が増えています(苦笑)。LINEでつながっている友人とは、会えないということがバネになっているせいか、前よりもはるかに長い時間しゃべるようになりました。車通勤の時間が時差で日本と逆になるので、その通勤時間に話しているんですよね。いや、めっちゃしゃべるようになりました(笑)。海燕さんやLDさんとは、ほぼ毎日喋っているんじゃね?状態です。その他の友人たちとも、日本にいる時よりもはるかに密にコンタクトをするようになりました。



どうよ?



僕は、現実超リア充な人です。愛するめっちゃめちゃ大好きな奥さんがいて、子供たちに囲まれ(娘にパパ大好きとか毎日言われています)、仕事では念願だった企業の経営者になり、夢だった海外生活をしています。ましてや、僕はアメリカについて大学で勉強していたので、アメリカに住むことこそが、ピンポイントで夢でした。


その僕が経験を根拠に自信を持って、断言します。


ヲタクは、現実逃避なんかじゃねぇ!!!(笑)



自分ができないことを恨んでルサンチマンを抱えた代償行為なんかでもねぇ!!!
(・・・・いや、これは、ほんとはそうかも(苦笑))



これは、もう一つの真実で、なにがなくとも、なにがあっても、どっちであっても、僕の人生にとっては、重要な素晴らしいものなのだ!と。



時の試練にも、物理的試練にも、なんでもクリアーして、それでもやりたいこと!なんです。漫画やアニメがないと、僕は生きていけません!というか、それこそが、僕の人生の最重要プライオリティーなんです!。←さすがにここまで来ると、自信を持って断言できます(笑)。



お金を得るわけでもありません、社会的意義があることでもありません、意味もへったくれもないです。嫁も、半ばあきれ気味です。



でも、すげぇ、楽しいよ。僕の人生は豊かだよ。友達がいっぱいできたよ。



もういっかいいいたいっす、どうよ?って(笑)


いま、とっても僕は気分がいいです。僕は物語の世界が、自分にとってとても大事なものだと思っていましたが、それが現実の成功や、勝ち残ることや、偉くなること、恋愛とかそういったリア充的なことを得たら、なくなってしまうものなのなのではないのか?、、、言い換えればニセモノなのか?という疑問はずっと思っていました。現実と物語に関して、実感としては等分の価値をずっと感じていたけれども、本当にそうかどうか?というのは、体験してみないとわかりません。40にして、やっと、ほんとうのほんとうに、実感してきました。僕は、本当に、自分が好きなものを見つけて、ちゃんと育ててきたんだなって。道はまちがえていないんだなって。ヲタク道。LDさんのような、修験者、駆動車に比較すれば、僕なんぞ、小物も、小物です。僕は、第一世代のような、たとえば庵野秀明さんとか岡田斗司夫さんたちのようなプロになったり、物凄い実績を残すわけでもない、ただの消費者の受け身のなんちゃってですが、まぁ、でもほんものであるには、変わりありません。自分に嘘はないもの。何はなくとも、人生の最優先に存在している。


何がなくても、「それだけがあればいい」というものがあると、人生はとても安定して、幸せです。何かを得れば、失う怖さというのが生まれます。偉くなったり、現実で勝てば勝つほどそういう不安は増えます(負け続けたり、失うばかりもまた、相当つらいですが・・・)。ましてや、人生は、勝ち負けは、ほとんどが運によって構成されているものなので、いつ失ってもおかしくはありません。ましてや、究極、死が人間には待っています。充実というものは、、、、どん底の自分を支える自信というものは、運によって構成されたものがすべてがなくなっても、物質的なものがなくなっても、肩書がなくなっても、それでも、自分自身を保てますか?ということだろうと僕は思います。前に、下記の記事で書いた話ですね。人のコンフィデンス(=自信)を支えるものは何か?というもの。


『たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く』 石村博子著 人間を支えるものってなんだろう?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120726/p2


海燕さんと話すのは、僕らは基本的に、最悪図書館があれば、生きていけるよね、ほとんどお金必要なしでって、よくいいます。友達との会話は、プライスレス。ほとんどお金がかからないもの。極端な話、浮浪者になっても、食べていけるかはわからんが、幸せに生きると思います。


仲間たちとは、老後は、同じ老人ホームで、漫画とかアニメとかにまみれながら死のうなって話をしています(笑)。そのころは、きっとSAOのような電脳空間ができているから、最後はネットに接続しながら、ファンタジー世界で、放蕩モノのお茶会的な伝説パーティでもやりながら、、、と(笑)。お金があったら、老人ホームのケアマネージャーは、メイドさんとかにしようぜ!とか、意味不明なことを話し合っています。



まぁ、人生楽しいっすよね。



そのためには、何が自分にとってほんとうに大事なものなのか?を見極め、それを通して世界と他者につながる方法を探すことなんだろうな、と思います。それが、生きているということだろうと思います。それが、僕にとっては、ヲタクだっただけ(笑)。




追記


最近は、人生の節目なせいか、いろいろ自分のここ10年ぐらいを振り返って、持っているもの、いらないものを考えるのですが、、、、まぁ、時々こういう自己棚卸は重要だな、と思います。なぜならば、ステージや持っているものが変わったら、目指すものが変わるからです。キャリアの理論でいう『planned happenstance』(計画された偶発性)ですね。そういう時は、健全なうぬぼれとともに、自己正当化をして(笑)、自分の立ち位置を確認するべきです(←これ重要な作法です。謙虚なだけだと、人は壊れます。謙虚があってこそではありますが(苦笑))。。まぁあと、自分の志向や人生の履歴は、そのまま日本社会の、団塊のJr世代の次代への適応不適応の歴史そのままの記述になるので、僕は価値があるとすごく思っています。


さて、最近思うのは、シゴトで、まさかまさかのコーリングがあったので、、、これは、、、次は何を目指すべきなのか?って思うんですよね。いままではいい仕事ができればいいなーとか、家族を養うために食べていければ、、、とか考えてきたけど、まさかのここまできたら、そんなちゃちい目標じゃ、しょぼすぎる。それにこの立場から目標を再構築するとなると、もうかなりでかいことが夢じゃなくなるもん。学生や新入社員の時が思う志なんか、ちゃちいもんだけどさー。ここまでプロのビジネスマンになれば、見えるもんももう全然違う。


ヲタク活動も、、、半ば冗談で、老後、セカンドラウンドライフで会社でも立ち上げて、いっちょ楽しーことでもするかー、20年後、とか、いっていたけど、、、これ、マジでできるな、、、って思ってきました。


せっかくここまで来たのだから、自己の棚卸をして、もういっちょ、仮説の目標で考えてみるかなーって思う今日この頃です。どーせ志とか、目標!とか、自己実現なんか、「うついよのゆめ」です。でも、どうせこの世界が「うつしよ」ならば、いっちょ、楽しい花火を打ち上げてみるのも、わるくはないじゃないですか?。おもしろくもなきよをおもしろく、ですね。うーん、、、てきとーに選んだ座右の銘ですが、なかなかずれていない(笑)。