女の子の世界から見える風景の厳しさ

American Girls: Social Media and the Secret Lives of Teenagers

女性ジャーナリスト、ナンシー・ジョー・セールス(Nancy Jo Sales) は、約2年にわたり、13〜19歳の少女200人以上を取材して『American Girls: Social Media and the Secret Lives of Teenagers (アメリカの少女たち:ソーシャルメディアとティーンエイジャーの隠れた実態)』という本を執筆した。

 この本を読むと、十代の少女にとって、ソーシャルメディアが「見栄の戦い」の戦場になっていることがわかる。彼女たちの「お手本」は、リアリティ番組のスターであるキム・カーダシアンとその姉妹だ。キムは、iPhoneを使った「自分撮り(selfie)」を毎日のようにツイッターしており、ヌードを含む過剰に性的な「自分撮り」をまとめて写真集も出した。4300万人のツイッターフォロワーと写真集のファンの多くは未成年の少女であり、彼女たちはカーダシアン姉妹を真似した写真をスマートフォンで撮影してフェイスブックやインスタグラムに掲載する。その写真に「いいね」を押してもらうことが人生の最大の目的になり、友だちと会っている間も、お喋りよりスマートフォンのチェックに忙しい。そして、「いいね」を押してくれない友だちに恨みを抱く。

 こういう交友関係の歪みやいじめ問題も深刻だが、低年齢のうちにネットで過激な性の情報やポルノに晒されることで、若者たちのジェンダー意識、性行動、人間関係に大きな負の影響が出ている。

 セールスは「ポルノが、少年の少女や女性に対する態度、そして、自分のセクシュアリティに対する少女の見解に与える負の影響を心配する心理学者もいる」と述べていて、「カナダの平均14歳のティーンエイジャーの調査では、少年が頻繁にポルノを鑑賞するのと、彼らが少女を抑えつけてセックスを強要してもかまわないと考えることの間には相関関係がある。アメリカの調査では、11〜16歳の間に成人指定映画を多く鑑賞する少年少女は、セクハラをより受け入れやすい傾向がある」という、オーストラリアの心理学者マイケル・フラッドの見方を紹介している。


渡辺由佳里
ベストセラーからアメリカを読む
ソーシャルメディアアメリカの少女たちから何を奪ったか
2016年04月19日(火)16時15分
http://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2016/04/post-20.php

最近は、女性の権利が獲得されて行っているなーとしみじみアメリカ社会を見て思っている半面、上記のような記事を見ると、男性優位社会において、女性が、特に少女であることがどれだけ搾取の対象になりやすいかということを突きつけられたような気がして、非常に気持ちが暗くなった。こういう現実があるからこそ、権利獲得がさけばれ、そしてリベラリズムは進んでいくんだろうと思う。この方向は、やっぱり正しいなんだな、としみじみ思います。最近、アメリカに関する渡辺さんの記事が面白すぎて、読み漁っています。いやーこの人素晴らしい!。超興味深いです。超、大ファンです。

モンタナ大学(州立)がある地方都市ミズーラでは、大学のアメフトチーム「The Grizzlies(グリズリーズ)」の選手が神様のように崇められている。その点では典型的なアメリカの大学町であり、どこといって目立った特徴はない。

 だが、グリズリーズクオーターバックがレイプで訴えられた2013年の裁判をきっかけに、アメフト選手からレイプあるいは輪姦されたと訴えた女子大生がほかにも数多くいたことが明らかになり、ミズーラは突然全米から注目を集めることになった。

 アメリカでは、自治体の警察とは別に大学内にcampus police(大学警察)がある。大学により警官が勤務するものや警備員だけのものがあり、全米で統一はされていないが、レイプをはじめ、学内で起きた事件はまず大学警察で対処するのが通例だ。モンタナ大学でも、性被害の報告を独自に調査していた。

 ミズーラが全米から非難された主な理由は、大学の対応ではなく、被害者よりも加害者をかばう住民の態度だ。

 この町では、アメフト選手は住民全員の「自慢の息子」である。彼らにレイプされたと訴えるような女子学生は、嘘つきとみなされる。たとえ動かぬ証拠(医学的な物的証拠や加害者自身の証言の録音)を持っていても、住民たちは「誤解があっただけだろう」とか、「若さゆえの、男ゆえの、ちょっとしたミスだ」といって訴えられた男子学生をかばい、被害者の女学生を「デートした後でふられたから仕返しをしているに違いない」と犯罪者扱いする。


レイプ事件を隠ぺいした大学町が問いかけるアメリカの良心
2015年09月02日(水)17時40分
http://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2015/09/post-4.php


こういう記事を読むと、女の子の置かれている世界ってのが、どれだけ過酷なんだ、って、背筋が寒くなります。このような構造は、日本だってたくさんあるのは間違いないと思うんです。ましてや経済的に貧しかったり、近代国家になり切れていない国の酷さを考えると、、、もう、、、。


ただとはいえ、やっぱり僕は、男性だし、男の子だったし、男性優位社会の基盤に生きている、まぁ、男なので、わかったふりをしたって仕方がなくて、たぶん全然わかっていないだろうと思うんですね。正直言って、人間は、「自分」から抜け出るのは、とても難しい生き物じゃないですか。実際なってみないと、全然わからないんだろうと思うんですよ。頭で、僕はわかっている!、君たちの側に立つ!!みたいなことを言う人ほど、本質的な差別主義者だったりすることが多いような気がするんですよねー。まぁ、なかなか違い生き方をしている人を理解するのは難しいよね、というところから立たないと、厳しいと思うんですよ。別に難しいからといって、あきらめる必要はないですし。


ちなみに、最初の記事を読んで、僕は、凄く連想したのは、宮台真司さんの援助交際の話を書いた『制服少女の選択』と、中島梓さんの『コミュニケーション不全症候群』と『タナトスの子供たち―過剰適応の生態学』の過食症や拒食症の少女たちの話です。

タナトスの子供たち―過剰適応の生態学 (ちくま文庫)

なんというか、SNSとかでセンセーショナルに可視化されてただけで、ずっと前から女の子が置かれている環境って、さっぱり変わっていないんだろうなぁと思うんですよ。だって、全く同じ話だなと思いますもん。もう当時からはっきり同じ現象が出ている。女の子たちがインスタグラムなどでキム・カーダシアンのマネをする話なんか、まさに中島梓さんが20年以上も前に分析した話と全く同じですよね。物凄いデジャブ感がある。


こういったコミュニケーションが密になった世界では、ある種のモデル的な人間のマネをするようなリーダーとフォロワーの関係が無数に生まれるだろうと喝破して、そうしたディストピアを描いたのが『レダ』でした。いやーSF作家の想像力は空恐ろしい予言力です。今の社会の本質すらも透徹する、素晴らしい物語ですよ。この面白さ、社会への深い洞察力、SF的文脈の本質に接続されて、名著です。軽く20-30年も前の作品ですよ。凄い予測力です。

レダ1 (ハヤカワ文庫JA)


ちなみに、こうした背景を考えながら、アメリカでガラスの天井をぶち破った女性のリーダーたちの話を見ると、おおーーって思いますよ。


アメリカのめっちゃスゴい女性たち

この話も、やっぱり、この文脈から接続してみると、凄い興味深いと思うのです。

LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲

ちなみに、ヒラリークリントン大統領候補の文脈を、ここから読むと、とてもグッとくるんですよねー。



Civil rights and voting rights Workers’ rights and women’s rights


ちなみに、数日前の5州の結果。どうなろうんだろうねー。やっぱりオバマ政権の後の反動が来るのかなー。