『王妃の離婚』 佐藤賢一著 リーガルスリラーとして(1)

王妃の離婚 (集英社文庫)王妃の離婚 (集英社文庫)
佐藤 賢一

集英社 2002-05
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評価:★★★★★5星つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


■この本を手に取った理由


この本を手に取ったとらさんの記事『王妃の離婚 』と「日常&読書blog」 のつなさんの『王妃の離婚/結婚とは人生とは』 の記事を読んで、あっ、これは絶対面白い!という直感が働いため。読書人は、数をこなしているだけに、「自分にフィット」する「これは絶対も面白い!」という鼻が働くのだと思います。これも直感的に、「読まなければならない」という使命感が生まれた作品で、その使命感を裏切らないおもしろさでした。こういう連鎖があるからブログは面白い。


■リーガルスリラーとしての王妃の離婚


ちなみにあらすじは、上記二人の記事を読んでいただければいいので、僕は感想に特化します。

目次

プロローグ

第一章 フランソワは離婚裁判を傍聴する

第二章 フランソワは離婚裁判を戦う

第三章 フランソワは離婚裁判を終わらせる

エピローグ


この作品は、3章から成り立つ。そしてその面白さと作品構造は、あきらかに



①1〜2章のリーガルスリラー




②3章の結婚とは?、男と女にとっての救いとは?




という二つに分かれます。



全編を貫く課題は③なんですが、(これは作者自身のライフテーマなんだと思う。すごくこだわっているので。)、この王妃の離婚を最高級のエンターテイメントとしてワクワクドキドキさせる一番のポイントは、やはりリーガルスリラーとしての①だと思う。



だから、①と②では読む印象が、全然異なる。



まずは、①のリーガルスリラーとしての部分。



この作品の成功は、中世フランスのカトリックの小難しい神学論争やカノン法などの複雑な知的遊戯や当時の政治的な背景をレベルを下げることなく提示しながら、同時に「それ」らを上手く使い、法廷モノのエンターテイメントとして、わかりやすく初めて読んだ人でもすっと入っていけるほどシンプルな物語に仕立て上げている点だ。これはまさに、直木賞(ってどういう賞かよく知らないが・・・)を受賞するに相応しい。リーガルスリラーとは、あとがきでも書かれているが、法廷を舞台して行われる推理・ミステリー・探偵小説といったところです。法廷という論争の場で、次々に事件が明かされていくところ、今まで事実だと思われていたことが次々にひっくり返っていくところが欧米のリーガルものの面白さです。


日本社会には、リーガルスリラーはほとんどありません。リーガルスリラーは、法廷という限られた空間で、言葉をしゃべることにより、「現実を呼び出す」ということができるという言語感覚を持つ文明にしか、なかなか生まれない感覚だからではないか、と僕は思っています。欧米の政治家がおしなべてスピーチの重要性を説くのもこの辺に事情があります。
なぜならば、これは聖書で 「はじめにことばありき」とされる様に、言葉そして、それを声という媒介を通して、現実を空間に出現させることにより神にアクセスするというような観念のある社会にしか、強烈に発生しない意識だからだと思います。法廷でしゃべる「ことば」によって、真実が明らかになる、神への絶対性が証明できるという強いモチヴェーションが存在しているのです。こういった神学的な倫理なくして、どのような世俗的なシステムも意味をもちえません。日本社会での法廷のレベルの低さや議論やスピーチのレベルの低さは、そもそも「ことば」によって現実を動かしうることや神への忠誠を示すなどという絶対性の観念がないのからです。いいかえれば日本社会に、そのようなオブセッシブ(強迫観念)がないからなのではないかな、と思います。



■ヨーロッパ文明を既定するカエサルのものはカエサル



えっと、話はずれましたが、この王妃の離婚は、中世フランスの仏王ルイ12世とその妻ジャンヌ・ドゥ・フランスとの離婚をテーマにした小説です。昔の世界史の教科書を覚えているでしょうか?。僕は高校の頃、なんで欧州の歴史ではこんなにも離婚問題が毎回大問題になるのか?というのが、よくわかりませんでした(笑)。シェイクスピアもたくさん描いていますが、イギリス国王なんか、離婚できないからって、宗教を別に作ってしまったりしているんですよ(笑)。大きくつながってきたことは、


1)聖(教皇庁・ユニバーサル)と俗(国家権力・ローカル)の権力拡張争い



2)離婚問題は、内面と外部権力(=領土相続問題)に絡む問題

ヨーロッパ文明の本質である、聖俗の二元的社会という部分を、より精緻により深く区分けしていった運動の真髄にの一つとして、この離婚問題があったということが分かってきました。ヨーロッパ文明を他の文明社会と強く分ける点の一つに、外面・世俗を支配するのは国王であり、内面・聖を支配するのは教会・教皇であるという権力の二元対立があげられます。この内面と外面の支配するものは、異なる主体によって支配される、という観念が、近代文明の真髄中の真髄である



内面の自由



を生み出しました。これがイエス・キリストが、語った重要な教えの一つである偽善の話から出ているものです。つまり、実際にどんなに悪いことをしていなくとも、心がそう思えば、それは、罪だという脅迫的な考え方です。これを逆回転させると、どんな凶悪な外部権力・国王権力といえども、人間の心まで支配することはできないという内面性の解放を、指し示すことになります。



えっと、意味分かりますか?



わからない場合は、下記の本をどうぞ(笑)

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えっとね、話はずれましたが、ヨーロッパ文明の本質である「内面の自由」が確立されるための前提として、心の内部と身体的な強制の二つが違う主体に支配されているということが、明確にならなければなりません。



しかし、そんな簡単にわけられないじゃん?


つまり、それが一番大きく出るのは、今回の領土問題です。ルイ12世は、フランスの国土安定と領土拡張のために、離婚をして、持参金(=領土)付きの女性と再婚しようとします。ここでは、超なさけない男として描かれていますが、つい先日まで百年戦争ジャンヌダルクによる統合を経験したフランスの指導層としては、この国土保全のための発想は、理解できます。ここで、離婚というキリスト教が許していない倫理的問題(内面に関わり教皇庁がそれを支配する)部分と、その結果として、領土権益がどうなることか?という世俗的な問題点が、全く同じまな板に登ることになります。実は、このロジックをどう進めるか、どのように構築するかという知識は、ヨーロッパ文明における教皇庁と世俗王権との力関係を決め、かつ、近代の幕開けとなる内面の自由に関わる最高の大舞台なのです。見事に問題を解決した主人公が、田舎のダメ弁護士から、ユニバーサルな最高機関である教皇庁ヘッドハンティングが行われるのも、理解できます。そう、だから離婚問題は、欧州文明と歴史を支配する最重要争点の一つだったのです。へーーーすごい勉強になった。なんか、すごく楽しかった。


って、話がずれすぎたので②へ(笑)