ライブ感覚について

ふと思ったんだが、前に海燕さんが、なんでブログの感想とかって、新しい新刊とか現在の話題ばかりが書かれて、読まれるべき過去の名作が読まれないんだろう?っていう記事が前にありましたね。それはね、きっとこのライブ感の大きな要素であると思う。


「いまこの地球上のどこかで同じものを同時に体験している人がいる」という実感や、なんといえばいいのかな・・・「呼びかけに対する反射」がある一定規模のレベルで存在しないことは、この大衆規模のメディア社会で社会で、知的アリストクラートでない人※1にとっては、寂しさを紛らわせられないようなんだ。これは基本構造。「集団」の存在感、実在感をもって、自分の「ものそのものへのまなざしと解釈」※2を担保するだよね。・・・・難しくなったな、、、。


ディヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』よろしく、、、、ってこの部分はあまり意味を込めないで中立的に書いているが、それでも、どうしても大衆社会侮蔑的な高踏的なニュアンスになってしまうなー。僕にとってはこの構造は生まれた時から所与であったので、批判の対象にならないんだが、、、巷の言説はこのパースペクティヴに固執しているからな・・・。なかなか時代やパラダイムはリニューアルされないからね。もう、最前線ではすっかり様変わりしたけれどども、、、いつも象牙の塔の最頂点と、リアルの最前線でしか、ほんとうの変化はわからないものだよね・・・。


※1:これはマーケティング理論でいう、リーダーとフォロワーのリーダーに当たる意味合いで、、、、ぼくなりの詳細な定義はあるけど、何となくこの言葉で意味わかってくれ、、、という感じ。めんどくさいので。ようは、知的快楽をあるthresholdを越えて実感できる人という意味なんだが・・・。ちなみに、実感とこの知的快楽の境に、ちょうどナルシシズムの檻が横たわっていると僕は考えているが・・・その話はまた今度。

西田幾多郎の『純粋経験』ベースに考えているんだが・・・。

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