保育園の懇親会

昨日、保育園の懇親会に行ってきたのだが・・・夫参加率が100%で、ちょっとびっくり。偶然なのか、時代なのか・・・。まぁ時代なのだろうなぁ・・・と思う。会社でも僕よりも一つ上の世代は、専業主婦常識と思っている感じがあるし、僕の以下の世代は「共働きでなければ食べていけない(=だから妻とは関係が平等)」と思っている節を感じる。全般的に。また夫婦の関係が、多分かなり変わっていて・・それは男が弱くなったのか、平等になったのか、よくわからないが、「夫婦」の単位での関係性が、変わっている気がする・・・。僕は、経済を勉強していたので、世帯当たりの所得の問題とか、そういうもののせいだと思うけれども(アメリカではこれがほぼ理由だと思うし・・・)、まぁ事実はわからじです。

けど、こうやって大人になっていく、というのか、異なるコミュニティにコミットするようになってくると、世界の全然違う側面が見えてくる。交友関係も、全然変わって広がるし・・・。子供のころは大学でて、サラリーマンになって、結婚して、子供育てて・・・というような決まり切った人生にうんざりした思いを抱いたこともあったが、「思う」のと「やって体験する」のは全然違うんだよなぁ。実施、その「決まり切った人生」って、維持したり、本当の意味で価値のあるものにしたりするのは、物凄く大変だし、そもそも運もいるし、メンテナンスコストも凄く重要だし・・・そして、「経験して見る」とこんなにもセンスオブワンダーに満ちている。大変だけど、真面目にコミットして見ると、こんなに「新しい自分」を発見できて、自分が気にもしていなかった世界が、世界の重要な構成物だってことが分かる・・・。人間なんて意識の生き物であって、「意識していない対象物」に関してはほとんど意味のないものとみなしてしまうんだよね。いやおうなき「意識しなければならない人生のステージ」に出会うと、もう、まったく違う世界が開けてくる。人間の人生なんて価値のない意味レスなものだけれども、こうした豊かな体験を経験するだけだって、それはそれで美しいものじゃないか・・・そんなことを思う今日この頃です。


まぁ変化につきあっていくことは、非常にすり減る行為だし、「いまある自分」をいつも壊している行為なので、疲れるし、動揺するし、恐怖に満ちているんだけれども、、、でもねぇ、、、変わっていくことこそ、人間だ、と僕は思うんですよ。信じたことが変わっていかないならば、それはプログラムをインストールされったきりのコンピューターと同じだもの。