『ヨコミネ式 子供が天才になる4つのスイッチ』 横峯 吉文著 人間の動機を駆動させるものはなにか?がよくわかる

ヨコミネ式 子供が天才になる4つのスイッチ

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

僕には、双子の子供がいるので、最近よく教育関係の本を読みます。いろいろ読んで、なるほどなーと思わされることが多いのですが、この横峯さんの話で、特に興味深かったのは、


1.子どもは競争したがる

2.子供は真似したがる

3.子供はちょっとだけ難しいことをしたがる

4.子供は認められたがる


という4つの特性があって、これをうまく生かすと比較的簡単に「スイッチ」が入るという部分です。これって、自分が部下を育成したりするときにも、まったく同じことを感じたことがあります。これって、子供に限らず、人間に普遍的に当てはまることだな、と思います。経験的に子育てをしていても、これはまさにそうだ、と思います。こういう部分は、動物というか、本性みたいなものなので、ここに逆らっては、物事はうまくいかないんだよなーと思いました。


あとは、これだけではないのですが、現在の学力低下は、就学前までに基礎的なことを子供が習得していないので、そこに対して一律教育をすれば、落ちこぼれが発生するという指摘は、その通りだな、と思います。自分で自覚的に子育てをすると、2−4歳ぐらいの子供というのは、教えないことはかなり抜けて、でこぼこになっていきます。抽象的な語彙の数や、そもそも基礎的な手を使う(はさみがいいようです)ことや、文字を書いたり線を引くための筆圧など、大人が完全に意識しないで無意識にやっているところを意識的に教育しないと、実際には、小学校の一律教育でついていけなくなるというのは、納得。けど、共働きを基本として、保育園をベースにすると、このことは完全に置き忘れられます。たぶん幼稚園に行っても、ごく一部の早期教育しているところ以外同じだろうなーと思います。その分を、公文式などもそうですが、早期教育や塾などでカバーするように日本の教育体制は設計されている。これって、次世代の教育で、特に年少から小学校3年くらいまでの、そもそもものを自覚的に学んでいく前の「基礎的能力」を教えるところが完全に欠如していることを示していると思う。


もちろん、この領域は、対一人一人の子供のカスタマイズが重要な領域なので、一律でできるのは難しい。だから公共の部分ではなく、家庭で(言い換えれば専業主婦が)コミットしろというのは、伝統的な制度設計なんでしょうが、それは今の我々の時代性に合わないなといつも思います。まぁ、世の中が悪いと嘆いても仕方がないので、自分で全力で頑張るのと金を使って塾などでカバーしていくことになるんでしょうが、これでは、次世代の教育として公共的なところでは、小学校以前が非常に手薄になるんだよなーと思います。手薄になれば、お金があって、代々裕福な家庭が、そこでの伸びを格差としてしまいます。そういうのは、教育の制度設計として、どうなのかーと思いました。機会の平等という意味ではリベラリズムに反するポイントのような気がしますねー。


とはいえども、子育ての領域は、上記で言ったようにカスタマイズがすごく重要で、一律にするには科学的な解明が意外に弱いので、ここってイデオロギーや文化がめちゃくちゃ支配している領域だな、といろいろな本を読んで思います。非常に「答え」がない世界。たぶん、本を信じるのとか、人の意見を信じるのは、すごい害悪を生みそう。なんというか思い込みが支配している感じがすごくする(苦笑)。そういう意味では、すごく親の良識や生活スタイル、そして子供へのコミットの度合いなどが試されてしまう領域なんだなーと思います。