世界はマイケル・ジャクソンを失った


1980年代の青春を送った人ならば、マイケル・ジャクソンの偉大さが理解できると思う。まさにアメリカが生んだ、世界のスーパースターだった。


今の20代には、きっと理解できまい。昨今は奇行ばかりのネバーランドという永遠の楽園に住んでいた変人にしか見えないだろうから。でも、80年代の彼は凄かった。ぼのぼのさんもおっしゃっているが、一人のミュージシャンが社会現象になり世界を席巻するようなことは、ビートルズエルビス・プレスリーに並ぶ存在だった。そういった存在は、以後は生まれていないと思う。


僕は、彼の作品で最も好きなのは、このBlack or White。特に、プロモーションビデオがあまりに素晴らしくて、何回か数えきれないほど見た。肌を白く漂泊して見たりと、強烈なコンプレックス故に奇行にしか見えない行動を繰り返したが、彼が目指していたビジョンを垣間見れて、いま見ていてもちょっと涙が出てくる。曲としても素晴らしく名曲だと思う。マイケルと同じように人生を狂わせてしまった、『ホームアローン』のマコーレ・カルキンの絶頂期の映像も残っていて、感慨深いものがある。



かつて評論家の中島梓栗本薫)が、評論『わが心のフラッシュマン』で、物語の主人公は「徹底的に受け身でなければならない」と喝破した。そして、現実の世界で物語の主人公のような体験してしまった人は、「世界が自分を求めている(=受け身)」ということを証明するために、様々な奇行を晩年に繰り返すということをいっていた。これは、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』の説を採ったものであるが、その症例に、アラビアのロレンスジャンヌダルクに従った青髯ジル・ド・レイなどあげていたが、、、、考えてみると、マイケルジャクソンの奇行も、非常に似ている。かつて、世界を動かすような「現象」となった人間が精神を維持するには、そういったものが必要になってしまうのかもしれない・・・。と思った。


Black Or White
Black Or White