なぜ、知識人は考える果てに沖縄やアイヌに到達するのだろう?

沖縄久米島から日本国家を読み解

ふと思ったのだが、役に立つかはともかく、読書が好きで、なんちゅーか「読書人」を長く続けていると、歴史は繰り返す、、、というか同じ発想が、似たような周期と流れで、出てくるのを見るようになる。人生長く生きていると、デジャブのような既視感が増えるのだろうなと思う。思えば、吉本隆明とか近いところでは宮台真司も、なんだか国家を考える人は、その果てに、琉球と北海道のアイヌを注目するんだよね。なんでだろうか?、もうほんとよくある流れなんだよね、これ。なんかあこれって形式というかパターンだなーと思ってしまった。

全然関係ない、、、というわけでもないが、この辺の知識は、下記のような本を読むとおもしろいよー。なんでもテーマを持って物語を読もう!、そうするとその背後にある大きなマクロの像が浮かび上がってきて尾も白いのだ。

王道の狗 (1) (JETS COMICS (4221))

テンペスト  上 若夏の巻