『わたしのなかのあなた』(My Sister's Keeper) ニック・カサヴェテス(Nick Cassavetes)監督 よくあるお涙ちょうだいの物語


評価:★★★3つ
(僕的主観:★★★3つマイナスα)


■見る側の心の問題

もう見た瞬間から嫌悪と拒否感が・・・・。ほとんど全編涙が止まらなかった。

あのね・・・・人生には立場がある。その立場によって、感情移入の深さや仕方というのは、驚くほどに変わる。これは、仕方がないことだ・・・・というか、人が死にいたる時間をいき続け、年齢と共に変化していくく生き物であることを考えれば当たり前なのかもしれない。物語というのは、いろんな視点で感情移入できる。それは「世界」だから。たくさんの主観の立場が集まっているからこそ、僕たちの生きる世界の反映なのだ。普通物語は監督や脚本家が、観客の主観を誘導して、メインのテーマを、辿らせようとする。けれど、見ている側の立場にとって、全く違って受け取ってしまう場合も、信じられないほど深く感情移入してしまうある。これね・・・病気の子供を持った親の物語・・・・ではなく、たぶん一人の女の子の自立と家族の話なんだろうと思うけど、、、、


僕は、終始「病気の子供を持った親」に感情移入して、物凄く胸が苦しくなった。


単純な話、僕が子供持つようになったからだ。人間は、幸福が怖いものだ。・・・・わかるかな?、、、幸福はいつ失われるか「わからない」物だから怖い。最高に幸せな瞬間というものは、「いつかは終わってしまう」と思うものだ・・・・なぜならばそれは「最高」だから。僕はいま幸せだと思う。愛する妻、かわいい子供たちと共にあって、、、僕の子供たちも僕も、病気ではないけれども、、、貧・病・苦なんて、いつ人生を襲うかわからない。何があっても不思議はない。それが人生。それが世界。その恐怖と戦い、それ以上に「今を生きる」ことを抱きしめていくのが人生。なんかね、、、この話を見ていると、、、、、もし自分の子供がそうだったら・・・と考えて、母親役のキャメロンディアスや、特に父親に強烈に感情移入してしまう。


「ビーチに行かなければ離婚する」


といった、ともすれば弁護士だった強烈で強気な妻に、冷静に主張するブライアンの姿に涙が止まらなかった。そして、、、、、二人の愛が、よくわかるビーチにシーンに、本当に胸が痛む。



閑話休題


素晴らしく感情移入したが、、、、なにも子供がいま幸せな僕が、これを見るのは、非常に苦痛だ。いろいろなことが頭をよぎってしまう。幸福であることの要件は、「いまに疑問を持たない」ことだと思う。もちろんそうすると、何かが訪れた時に準備なしで悲惨なことになってしまうのだが、、、、でも、無理やりこんな世界の真理をこじ開けて、世界がこんなにも過酷であることをあからさまにしなくてもいいだろう、と思う。少なくとも、僕は、、、、いい映画だとは思うが、今の僕には、あんまりヒットしない。人生そのステージや感動のステージや状況に合わせた「時」というものがあり、少なくとも、いままさに子育て真っ最中の僕には、こういうのは、娯楽として冷静に客観視できななかった。


キャメロン・ディアスの演技の幅


演技的には、キャメロンディアスの配役が最高だ、と評することが出来るだろう。冷静に客観的に見れば、そこが物凄く秀逸だ。なぜって?数々のロマンティツクコメディに出てきた、奔放に恋を楽しんだ女性の役をし・・また人生をいつも楽しんで、いまだに独身でいる、いってみれば、充実した個人主義者の彼女が、、、、子供の為に人生の全てを犠牲にする母親の役をするというギャップも素晴らしいが・・・何よりもこの「役」の葛藤がその立場と重なる。


■全体としては「よくあるできた話」でまとまっており、デザイナーチャイルドをめぐる倫理の問題等には一切踏み込まないとても保守的な映画


しかしながら、主観的には素晴らしい出来だし、感動するが・・・・一つ客観的に見ると「よくある話」で、しかも「出来すぎた話」だ。いろいろあったとはいえ、この家族が深い愛の絆に結ばれた、理想的な家族であることは否定できない。病気の子供と真面目に向き合うと、「そうせざるを得ない」のだと僕は思うけれども、、、、なんだか客観的に見るならば、その「できすぎくん」ぶりを映画で、物語で描かれると、少々意地悪い気になってしまう。だって、人間そんなに我慢できるわけがないもの?。もちろん、キャメロン役の母親は、少し頑張り過ぎている感はあるが、けっして足を踏み外すほどではないし、究極的に娘への愛、家族への愛であることには、あまり変化がない。決定的な「踏み外し」があるわけでもない。


それになによりも、前半が凄くシャープな感じがするのは、この家族に病気の人がいるという「よくある物語」ではなく、前半はデザイナーチャイルドの話になっているからだと思う。この物語は、白血病の姉ケイトのために、計画的に作られた臓器スペアとしてのアナが、9歳だっけ?にして、自分の両親を、弁護士を雇って訴えるという話がその主軸にある。つまりは、遺伝子操作によるデザイナーチャイルドの倫理をめぐる物語になっている。


後半、最後の時点で、実はこの訴えには謎が隠されていて、その謎が明かされた時点で、このデザイナーチャイルドをめぐる倫理の争点は、有耶無耶になってしまう。物語の主軸が、アナからケイトに移ってしまうからだ。・・・ここが、残念だった。それだけ最初のアナの提示した問題は大きなものを抱えていたからだ。この問題抜きで考えると、客観的に全体を評価すると、特に何の目新しさもない映画になってしまう。デザイナーチャイルドの争点を前半部にあれだけ深く提起しておきながら、そこから逃げているし、、、、もっというと、むしろデザイナーチャイルドの倫理問題を、家族の悲劇性を際立たせるための道具にしたっていういやらしさを、鑑賞後に感じてしまう。少し前半部と後半部がチグハグになってしまっていると僕は思う。監督も脚本化もそういう意図ではなく、素直に家族の悲劇性を際立たせるための演出を考えたんだと思うが、客観的にみると、どうしても作為性が強く感じる作りになっていると僕は思う。前半の家族個人の内面描写がとても丁寧で、静謐な傑作感が漂う分だけ、それが残念。