A級戦犯の意味

中国―隣りの大国とのつきあいかた (神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド)

ちょっと古いと言えば古いのだが、最近中国に連続で行っていたので、この関係の本を乱読している。が・・・一番、なるほど!と思ったのは、A級戦犯を裁いた極東軍事裁判サンフランシスコ講和条約が、表裏一体になっている「手打ち」だって部分。物凄くシンプルでよく分かった。物凄くスッキリ。

広田弘毅首相とか、A級戦犯極東軍事裁判のことを調べていると、いや、なんというか、とても立派な人が多くて、、、為政者としてはマクロを御せなかった無能さはともかく、非常に公共的なものに殉じているんだよね。「天皇陛下を守るため」という「国体護持」が凄く前提があって生きている。狂人とかファシストには見えないんだよね。言われているような、感じには思えない。

しかしかといって、たとえば、山崎豊子さんの『二つの祖国』での裁判過程を読んでいると、いやとてもロジカルでまぁ美しいのだけれども、、、、この「陛下を守る=国体を守る」ことの意義がよくわからない。基本的に、はっきりえない、わけのわからないものにコミットしているように見えるので、こいつら????という風になってしまう。いや、その殉じる気持ちなんか、とてもパブリック的に見えて、美しそうに見えるのだけれども、、、、、意味がわからないんだよね。。。美しくはあるけれども、なんで?何で守る必要があるの?。って(苦笑)。なんか、こう「もやもや」と、意味のわからないものに準じているようで、がんばっているのはわかるんだが、はっきりと何が目的なのかが分からない。天皇とか国体護持の、中身が分からなかったんだよ。


・・・やっとわかったんだが、これは戦後国際社会に、日本国民と日本国家を断罪することなしにスムーズに復帰させるためのサンフランシスコ講和条約日米安保条約や日中共同宣言のスキームを作成させるための、虚構の物語作りなんだね。つまり、指導者が悪かったのであって、日本の民衆は悪くなかった、という虚構作り。こう考えていくと、これって、最も得をしているのは、日本国民なんだよね、このスキーム。そう考えると、アメリカからの押し付け、というのも、、、なんかバカみたいな言いががりに見えてくる。そもそも、どんな屁理屈をこねても、戦争に負けたという時点で、その罪は背負わされるのが仕方がないのだ。それが嫌なら戦争をしないか、戦争で勝つしかない。

いやー靖国参拝問題とか、この辺の話は、どーも???っていつも思っていたのだが、この整理に仕方は見事!という感じだった。ようは、国民と天皇を罪から守るために、ある種の物語を作ったということなのだ。だから、だれもがA級戦犯だった人々は、ほんとうは悪くないけれども(為政者として無能であったことは割り引いても)、国際的には悪いという物語を堅持しなければならない。ここに内政と外交の峻別があるんだな。その罪(戦争は負けること自体がそもそも罪)をA級戦犯に押しつけて、「日本の国民と天皇は悪くなかった」という戦後の日米安全保障条約に代表とされるスキームに乗って、平和を享受している以上このスキームに異をとなえることは、倫理的にも道義的にも許されない、というロジックは、非常によくわかる。

あと、外交(条約や手打ち)が内政と違って、「他者があること」であって、民意によって変えることができない絶対の約束である、という部分も、やっと理解が追いついてきた。中国がなんで、あんなふうに騒いでいたのか?って言う部分も非常に納得がいった。日本人自体が悪いのではなくて、日本の為政者が悪かった!というスキームに乗っかって、中国政府が国民を説得しいている構造がある以上、日本がA級戦犯は悪くなかったという物言いは、明らかに信義違反になる。つまり、日本の戦争指導者が悪くなかったとすれば、ということは、日本人そのものが悪だった、と言いたいのか?って外からは見えてしまう。そりゃーカチンとくるわな。中国のほうは中国のほうでかなり問題はあるけれども、外交における約束や手打ちを、ちゃんと継承していない日本の社会や政治は、問題だよなーと思った。

この理解は、これまでの説明の中で最も自分的には筋が通る。