『知られざる皇室外交』 西川 恵 著  天皇陛下の持つ時間と空間に広がりを持つ視野とその一貫性に深いセンスオブワンダーを感じました

知られざる皇室外交 (角川新書)

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


ちきりんさんのブログで紹介されていたので、読んでみたら、引き込まれて止められなかった。素晴らしい本だった。結構驚いたことは、諸外国において、外交において、天皇陛下が日本国の元首として扱われていることです。憲法に規定がなくて曖昧なんですが、「扱い」はそうなってしまう。まぁ、そりゃ、そうだよなとも思います。数年で変わる総理大臣や大統領よりも、終身で、かつ一族としてずっとその地位にある天皇陛下の方が、象徴としても、わかりやすさとしても、何より継続性として圧倒的になるというのは、考えてみればとても納得です。どこかの国際会議か何かで、席次がアメリカの大統領よりも上になっていたというのも、うーんと唸りました。数年で変わる人よりも(苦笑)、長期間在位する王族の方が、上席になることがありうるということでした。規定が曖昧ならば、元首として通常扱われるよなーと。そして、この本を読んでいて、「このこと」にセンスオブワンダーを感じたこと自体、自身が所属する生まれ育ったの国の仕組みさえ、ちゃんと分かっていないんだ、と驚きを思えました。日本という国の基礎中の基礎であることすらも、ちゃんとわかっていないんだ、と驚きの連続でした。



印象に残って考えさせられた点は2点。


日本の民族的病というか、マクロの課題として「井の中の蛙になりやすく、他社(=自分たちと異なる世界観を持つ人々が生きていること)が全く理解できない」というものがあると、僕は常々思っています。ところが、1点目なのですが、皇室を通してみる世界が、いかにグローバルかという驚きました。日本語の壁に守られた日本の世論や報道が、他者や他国を理解しない井の中の蛙になりがちなのは、よく言われることですが、最も閉ざされていそうな皇室から見る世界が、これほどグローバルなのは驚きでした。各国大使の認証式や、「継続して」各国の元首に会い続けていることなど、日本国の元首として、他国との関係の最前線に継続して立ち続けているから、そうならざるを得ないのでしょう。また第6章の「終わりなき「慰霊の旅」サイパンパラオ、フィリピン」でも書かれていますが、日本の歴史を代表すること、容赦ない他国からの視点にさらされ、それに対して答えなければいけないこと(とりわけ、WW2の戦争責任や日本国としてしたことへの対応は常に厳しい視線がさらされ続けるわけですし)、そしてなによりも、国民すべての層の意識を統合する、、、言い換えれば国民のすべての人々に共感しなければならない立場として、「器」として、時空間を超えて、日本国の一体性、一貫性を「考え続けなければいけない」からこそ、生まれる意識なのだと思います。少しでも、その言行録を追っていけば、その存在感に圧倒されます。それにしても、この「役割」を一身に引き受け続けることの重圧は、いかほどのものか、と思うと、驚愕します。両陛下のスピーチを時々読んだり聞いたりすると、その「視点」の深さ広さに驚愕することが多いのですが、この様な広く深い継続した視点を主観的に持ち続けることの強みなんだろうなぁ、としみじみしました。しかし、、、これは、一人の個人としては、重圧すぎて、気が狂わないのが不思議なほどの責任感覚ですよね。僕は物語が好きで、軽い気持ちで、戦記物の君主の話なんかを読んでしまいますが、一つの国の歴史を、国土を、国民を背負うということの重さはどんなものなのだろうか?といつも思います。この世界には、自分の育ちでは理解できないような、巨大なものを背負い生きる個人がいるのだな、といつも感慨深くなります。アメリカに来て、ビルゲイツバラク・オバママーク・ザッカーバーグイーロン・マスクなどのスピーチやインタヴューをよくテレビなどで見るようになったんですが、英語がわかるようになってくると、自分の自国の言葉で身近に、このようなレベルの人々の話が聞く機会がたくさんあり、自分と「関係がある」と思えることは、凄いことなんだな、としみじみ思います。アメリカに住む子供たちは、彼らの行動が身近な生活に影響を与えるものとして、ずっと聞いて育つわけです。それと同じように、元首としてのはるか高い鳥瞰的視野で時間と空間を実感して、数千年におよぶ日本の歴史を下敷きにして、日本語でしゃべりかけてくれる存在が日本にいるというのは、少なくとも僕にはとても幸運に思えます。ちなみに、昭和天皇や平成天皇の主観的な視点というか、「彼らが見ている風景」をひとまとめにして見れるもので、僕が印象に残っているのは、2つがすく思い浮かびます。小林よしのりさんは、だいぶ濃い人で、好き嫌いはわかれるのでしょうし、名前だけで、もうおなか一杯と思いやすい人なのですが、この2冊は、僕はとてもいい本だと思います。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論 平成29年: 増補改訂版

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論 (幻冬舎単行本)

ちなみに、日本の天皇陛下の存在業績を見る上では、僕は山本七平さんの下記の本がとても気に入っています。山本さんは、学徒出陣で従軍して、その日本の組織の在り方や軍隊に対する批判の切れ味は、本当に鋭いですし、しかも、彼はキリスト教徒ですし、戦争責任の問題がある昭和天皇には相当辛口なのだろうと思って読んで、非常に公平な視点で評価されているので、驚いたことを覚えています。この辺の近代天王性の中での位置づけの変遷、そしてどのように、WW2の国難を超えてきたかを概観して接続すると、とても興味深いです。ちなみに、アメブロの古い記事なので、せっかくなので、全文引用しておきます。

<<英明で啓蒙的独裁君主を望んだ戦前の日本>>


天皇制を考えるのにあたって、昭和天皇自身が


「自らをどのように自己規定」


していたかを追求した本です。


なるほど、


天皇に戦争責任はあるか?」


という問いを発するためには、まず昭和天皇自身が自分をどのような存在と定義したかは重要な問いです。

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この本の論旨は、非常に納得のいくものでした。


昭和天皇自身は、自らを


『明治大帝が定めた五箇条のご誓文と明治憲法に従う立憲君主


として位置づけています。


天皇自身が、当時大英帝国立憲君主ジョージ5世を敬愛していたのは有名な話です。




しかし日本の民衆は天皇に対して


『英明で啓蒙的な独裁的君主』


を望んでいました。


そして憲法上・時代上そのどちらの存在としても昭和天皇は振舞うことが可能でした。このねじれが、様々な軋轢を生んでいきます。



理論的には、アジアにおける当時の唯一の憲法に対して徹底的に自らの大権を制御し続けた昭和天皇は、英明な君主であったと思います。(というか、西洋的な歴史の常識に反する行動ですね)


しかし戦前日本のあまりに悲惨な貧困状況に対して、明らかに無力無能な政府や軍部を、憲法の命令という形で回避し、啓蒙独裁的に混乱を収拾しなかった非積極性は、糾弾されても仕方がない部分があります。


まぁ最も誰が一番悪かったかと問えば、「輔弼の責任」をまっとうできなかった政治家だと思いますが。


とはいえ、政治家の能力は民度に比例します。当時最高に民主的であったワイマール憲法が独裁者ヒトラーを生んだように、民主主義のシステムは独裁制との親和性がありすぎるのでしょう。ましてアングロサクソンのようにもともと植民地収奪によるストックが社会に幅広く行き渡り、民度が高く維持できる社会システムでなければ、運営しにくいのかもしれません。

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本来ヨーロッパの史学を学んだものがまず考えるのは、国家を統治する君主の強大な権力をどうやって押さえるかということです。この発想が、歴史の根本をなしています。


そのための民衆・貴族からの制限装置が憲法です。


ですからヨーロッパ的常識から言えば「憲法に従わない強力な国王を、どう従わせるか?」が根本命題でした。ところが、昭和の日本は逆です。昭和天皇自体が、自らを憲法の命令に服す存在として、頑固に踏み出すことを拒否しました。この点はよほどよく日本を知らない外国人には理解できないでしょう。一般の常識とは逆なのですから。



当時の東条・近衛内閣から226事件の首謀者磯部浅一らの一連の動きは、当時の民意を背景に、「憲法停止・御親政」により天皇の独裁的権力で、日本改造計画(そのコアは貧困の解決だった)を成し遂げようとしました。時代はソ連による計画経済の成功、アメリカによるニューディール政策、なによりもナチスドイツの経済的・政治的大成功が前提な社会でした。


貧困や失業率を一掃したナチスドイツのヒットラーへの憧れは、戦後では考えられない輝きをはなっていたのは間違いありません。ましてや日本の主要メディアとりわけ大新聞が、こうした革新改革の文句に弱く、積極的に国民に対してプロパガダ的啓蒙宣伝活動を繰り広げたわけですから。



こう考えてくると、戦前の狂気の時代において、憲法による命令という統治システム(天皇機関説!!)を、理解し実践していたのが、唯一自らを立憲君主として定めた昭和天皇であったことになります。


同時に最も理解していなかったのは、大メディア・政治家・軍部と何よりも国民の民意でしょう。しかし、時代背景的に世界大恐慌が発生し語ることも出来な悲惨な貧困に打ちのめされている人々が、絶対権力を行使しする全体主義的啓蒙君主を期待するのは、ヒトラーという身近な大成功が例にあっただけに、無理がないことといえるでしょう。


こういう両義的な問題を見ると、いつも歴史って、人間って、難しいなぁと思います。だって、憲法を守ろうとした君主昭和天皇は素晴らしいと思うし、同時に、民衆の貧困を救おうとした革新官僚や軍部の行動も必ずしも否定し切れません。しかし、そういう善意が絡まって、他国への侵略と自国民を無謀な戦争に導きメチャメチャな荒廃にさらすことになったのですから。


裕仁天皇の昭和史』山本七平著/英明で啓蒙的独裁君主を望んだ戦前の日本
https://ameblo.jp/petronius/entry-10001941342.html

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

2点目は、1点目に繋がるのですが、選挙によって中断せず「継続している」元首による外交というものの強みです。継続する外国との関係性の具体的な展開として、WW2による遺恨が深く残っていた連合王国ネーデルランドに対して、それぞれの王室との深く濃い関係性から、両国の歴史問題を乗り越える契機を作っていくところ。このエピソードを見れば、いまの中国と韓国と同じように、歴史問題がねじれて両国に影を落とす可能性は十分にあったのに。特にこの本の意義は、WW2の遺恨は、決して東アジア特有のことではなく、ヨーロッパにも深くあることを再認識させられました。この辺りは本当に不勉強だったなーとしみじみ思いました。ただ、最近イギリス人お友人と話していたり、下記の映画とか、オランダのベアトリクス女王の宮中スピーチとか、東アジアにとどまらず、ヨーロッパにも戦争責任問題、歴史問題が重くあるのだなということが自分の中でも蓄積されていたので、さらに良い気づきになりました。歴史の問題は、目の前だけで考えず、時間空間の軸を広げて考えないといけないのだな、としみじみ思いました。

レイルウェイ 運命の旅路 [Blu-ray]

オランダ新国王も引き継いだ「日蘭」恩讐を越える道
2014年11月19日 西川恵
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/japan-and-the-netherlands_b_6175186.html