7人の萌えキャラ美女に囲まれる主人公はハーレムメイカー

鹿鼎記〈8〉栄光の彼方 (徳間文庫)

インターナショナリズムと民衆視点・・・それは、中華ナショナリズムの解体と「政治」大国中国の解体

おもしろかった。最後の最後のシーンは、ああ、、、これが金傭の最後の最後に行き着いた感覚なんだな、、と感心しました。特に康熙帝の時代は、インターナショナリズムに溢れる時代なんですね。異民族、満州族の王にして中華皇帝の康熙帝は、「漢族は反清複明と繰り返して満州族に復讐を誓うが・・・しかし、歴代の明の皇帝は悪逆でどうしようもない皇帝ばかりだった・・・民の、市井の人々の暮らしは自分の皇帝在位時代で、非常に良くなっているはずだ、、それでも、それでも認めてもらえないのか・・・・皇帝は、民の生活のためにあり、決して権力のためにあるわけではないことを自分は実践しているつもりだが・・・」と悩みます。

しかも、ネルチンスク条約(ロシアとの国境制定)での条約交渉では、「何人が中国人か?」という問いへ「モンゴル人も、回族も、チベット族も、満州族も、漢族も、、、みんな中国人なんだ」と答えています。ちなみに、それはロシアが中国の領土を自分のものにしようと交渉してくるロジックに対して、モンゴル人を中国人だと認めた話の流れから、それならばチンギスハーンがロシアを支配したことがあるからモスクはは中国の領土だと、無理難題を吹っ掛け返して、領土交渉を主人公がまとめるところからきています。これね、こう書くとと、中国的ナショナリズムに聞こえますが、、、、交渉の時の話の流れや、最後の最後に主人公が、自分の母親に「自分の父親は誰?」と聞くときの答えなど、その意味するところが分かると、、、物凄いインタナショナリズムだってことが分かるはずです。

さらに、この全編のストーリーの話は、明を滅ぼすにあたって功績のあった藩王呉三桂という漢族の有力貴族が、漢族からも恨まれ(民を滅ぼしたから)、康熙帝が中華統一のために彼らと闘っていくことのバランスから成り立っています。この時代の中国の南は、平西王として雲南に割拠した呉三桂、平南王の尚可喜、靖南王の耿仲明は三藩と称され、強大な軍閥として清の従属国というよりはほぼ独立国として君臨していました。呉三桂は、山海関において、明に反乱を起こした李自成と東から進撃する清のドルゴンに挟まれ、明を裏切って清に投降した中国史上有名な反逆者なんですが、、、、この辺りは、司馬遼太郎さんの『韃靼疾風録』や浅田次郎さんの『蒼穹の昴』『草原の虹』などを同時に読むと、その世界に深く入って行けて凄く面白いです。

韃靼疾風録〈上〉 (中公文庫)
韃靼疾風録〈上〉 (中公文庫)中原の虹 第一巻
中原の虹 第一巻


ちなみに、この中での大きなものは、国姓爺合戦として有名な台湾を独立国にしたて鄭成功のその後の台湾、、、ここが清が再度攻略する話も描かれています。このあたりの話って、まさに中国の領土が中国として確定した時なんだな・・・って、思います。主人公が、台湾、南の三藩、ロシアとの国境、チベットなどなど全ての中国の領土画定の出来事に関わっていることからもそれがよくわかる。これって、中国の歴史に対する知識が深ければ深いほど面白いようになっている作品なんだと思うし、これまでの作品で描かれてきた中国的な価値観やナショナリズムや政治意識を木端微塵に崩壊させるべき「解体」が試みられている作品名だ・・・。金庸すげぇ、すげぇよ、この人。一人で、エンターテイメントの最初から最後まで・・・・善悪二元論的な二元論の対立からその徹底した解体まですべてを踏破しているってことだ・・・。

■7人の萌えキャラ美女に囲まれる主人公はハーレムメイカー(←いやマジだってほんと!)



ああ、えっと、主人公の韋小宝ってのは、7人の萌えキャラ(←そうとしか思えないちゅーか、、ライトノベル目じゃねぇぐらいの萌え度です)美少女を妻にしちゃう(笑)って、まさにハーレムメイカーなんだよね。まさにまさにいまの僕の思考にどまんなかストライクのキャラクターなんですよ〜。いま過去の作品の読み返しに入っているんだけど、この作品は金庸の中でも「行き着いた作品」のようで、ナショナリズムの解体など、さまざまな「こうあるべき」というモノが解体が思考されている。特にナショナリズムを中心とした中華思想への徹底的な諧謔は、観ていて痛快を超えて、、、、「そこまで・・・・」と面白いギャグになっているんだが、よくよく考えると空恐ろしい気がするほどの民衆視点。主人公が、欲得とか損得で「しか」動かない、、、ってのが凄い。また彼は二足わらじ(どころじゃないんだが)で、幼なじみになってしまうのか!の少年康熙帝と、その清を倒すための反政府組織「天地会」のリーダーに同時になります。そのどちらにも忠節を尽くそうとするんですが、、、その理由は、究極のところ「康熙帝が個人として好きだから」という理由と「天地会の自分の師匠が好きだから」に過ぎないんです。彼にとっては、ナショナリズム・・・漢人による異民族の排斥も、満州人による理想の異民族とうちも、どうでもいいことなんですね。その個人主義が極まった視点が本当に素晴らしい。ああ・・・「ここ」に行き着いたんだな・・・と感動します。


ええーーーーテレビドラマになっているの!!!!ビックリ。。。。これ見てぇ。

http://www.necoweb.com/neco/sp/rokuteiki/guide.html

http://www.maxam.jp/rokuteiki/