『Angel Beats!』 井汲 景太さんの意見

井汲さんから、長文のメールをいただいた。あまりに面白かったので、本人に許可をとって転載です。

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井汲 景太

私は Angel Beats! は単純な「技法」レベルで出来が悪い部分が多いと感じている立場ですね。

[I] 配慮の足りない、不適切な描写・セリフの選択
まずは、「デリケートな問題をはらむにも関わらず、描写・セリフ回しが雑」な点を挙げていきます。

(1) 「臓器移植に同意の丸付け=善=感動」という乱暴な結びつけ
臓器移植の是非というのは微妙な問題を抱えていて、一概に「善」と決めつけられるようなものではありません。熟慮考察の末、あるいは苦悩の判断の末、「提供しない」ことを選択する人だっていて、それだって立派な尊い選択です。が、ここの描写では「目前に死を迎えた人は、誰でも臓器提供への同意を通じて多少なりとも『自分の人生の意義』を見出せる」というような乱暴な決め付けが行われていて、これはちょっと受け入れがたい。そういう人があの閉じ込められた面子の中に「大勢出た」というだけならいいでしょう。例えば、生き残りのうち7〜8割の人が音無に従った、という描写だったら、それは別に不自然なことではないし、私もここまでケチを付けようとは思わない。
だけど、「誰も彼も」が、猫も杓子も「尊い行い」としてそれに従うのは単なる思考停止です。あの描写は、裏返せば、「自分の意思で提供しないことを選択した人」を「お前らは『善意の足りない』人間なのだ」と非難し、「健康保険証の裏にああいう欄があることに気づきもしなかった人」に「俺様が『善意の示し方』というものを教えてやろう」と宣っているも同然なのですから。
また、生き残った人々の中に、すでに丸をつけていた人がいた、という可能性が無視されている(少なくとも、そういう人の存在は視聴者の目に映らないように意図的に描かれている)という点も困ったものです。これじゃあ、「世の人はだいたい臓器移植になんか興味がない・後ろ向きである」ことを無条件の前提とし、さらに、「それは困った・誤った状態である」という価値観をも無条件の前提として上乗せして、「臓器移植に同意する、という『功徳の施し方』を教えてあげます」「みなさん臓器移植に協力してくださいね」とメッセージを送っているようなもの。それを勝手に「善」と決めつける価値観の押し売りはやめてくれ。

………いや、脚本家や中心スタッフには別にそんな意図はなかったのかもしれない…と言うか、なかったと思いたいですけどね。だけど、あの描写じゃあどうしてもそんな感じがにじみ出てしまう。いずれにしろ、そういった面への配慮の乏しさは、観ていて辟易とさせられました。

誤解されないように断っておきますが、私個人は別に臓器移植に反対ではないんですよ(「積極的賛成」ではない、というスタンスではありますが)。私が問題視しているのは「勝手に・一方的に」、臓器移植が「善」であると「決めつけられている」という点です。

(2) 日向のユイへのセリフが、「憐れみを垂れる」だけになってしまってる
あのときのやりとりを振り返ると、ユイの「どうせ自分なんかとは結婚してくれないでしょ」という自分を卑下するセリフに対して、日向が「結婚してやる」と応じている所から始まっています。日向のセリフには、暗黙のうちに「(そんなお前であっても)」が前置されていると考えてよいでしょう。要するに「障害者でも結婚してやる」という恩着せがましいセリフです。この「自己卑下+恩着せがましさ」によって

「可哀想な・劣位にある」ユイ < 「(ユイ的マイナスを免れたという意味を帯びる)フラットな」日向

という構図を前提として、「日向が自分の優位さを(望むと望まざるとにかかわらず)バックに、『可哀想なユイ』に憐れみを垂れている」という図式になる。これはユイにとっては「単なる同情心で優しくして『もらっている』だけで、もし自分にハンデがなかったらここまではして『くれては』いなかったとしてもおかしくはない」という立場になります。これは日向がいくら「どんなハンデがあっても、つったろ!」と(一見)誠実に叫んでも何の意味も持たない。そうやって日向が献身的態度を見せれば見せるほど、上の不等号は強まってしまうわけで。
ここでユイの側が一方的に「して『もらってる』・して『くれてる』」、日向の側が一方的に「して『やってる』」というポジションになってしまうなら、どんな美辞麗句を並べようともあのシーンは失敗です。
ここは、制作者側の目論んだような「感動的な場面」にしたかったら、「ユイが自分を卑下している」という構図を固定したまま会話を進めさせちゃダメなんです。日向が「そんなお前をそのまま受け入れてやる」というのは、「ユイが自己卑下する」ことまで含めて固定したまま受け入れる、ということになっちゃうんですから。そうじゃなくて、自己卑下なんてしなくていい、しちゃダメだ、と、一旦そこはユイを「否定する」部分がどうしても必要になってくる。

………もっとも、「具体的にはどうすればいいんだ」ってのは難しいですけどね。単に「結婚して『やる』」と言わずに、「お前のハンディなんて気にしなくていいんだ」ということを最初から全面的に押し出す…というのは一見いい手に見えて、実際にはユイにしてみれば「自分にとって余りにも重大な問題を、最初から取りつく島もなく却下されてしまう」=「自分にとっての重大さが相手に伝わらない」という別の問題になってしまいそうです。
おそらく、日向としては「そういう自己卑下から入ってしまうということそのものが、自分の価値を自分で下げてしまってることに気づかせる」ことが必要で、そのためにユイの自己承認・自己評価というものが(日向から「与えられる」形でなく、内発的な形で)必要になってくる。そこを通じて、上の不等式をその前提に遡って無意味化しないと話が始まらないんでしょうが、ただその「気づかせる」というのも上手にやらないと「日向が手取り足取りユイを導くことで、ユイの無力さが浮き彫りにされる」ということになりかねません。

あと、西田亜沙子さんの言っていた、「『子供が埋めなくても』というのは余計で無神経」という指摘も重要だと思います( http://togetter.com/li/27215 「障害者でも結婚してやる」という端的・簡潔な表現はここからお借りしました)。

(3) 直井の改心に当たっての、直井本人・音無の行動両方についての唐突さ(による説得力の欠如)

あの「監獄」から奏と脱出してきて、直井と対面した時点で、直井について音無が持っていた情報・人物像というのは、「生徒会長の権力をかさにきて、理不尽に誰彼構わず監禁する横暴な人物。消滅を免れるため、密かに NPC を虐待しつつそれを隠蔽する陰湿さ・狡猾さを持ち、今まさに神の名を騙って戦線メンバーを『虐殺』(死んでも蘇るけど)しつつある上、催眠術で NPC も(元)人間も問答無用で記憶を都合よく上書きしようとすることをためらわない、自分勝手で冷酷な男」というものです。

………そんな奴相手に、あんな風にいきなり全肯定かませるもんですかね?

いや、「それは実際には偏った見方で、直井の一面しか見てない」と言いたい方がいらっしゃるんでしたらそれは認めてもいいですよ?(実際は、音無以外の奴相手の態度を見るに、あんまりそれは認められないけど(笑)、まあどうしてもということなら目を瞑ってもよいです)でも、「あの時点の」音無が、そんなことまで知るはずないでしょ?

直井も直井で、彼はまた強烈なコンプレックス・トラウマを心の闇として抱えてこの死後の世界に来たわけですが、それをいきなり音無に肯定してもらったくらいで、直井の心は癒されますかね?あの世界にかなり以前(おそらく、何年も前)から暮らしていて、(生前は習得していなかったであろう)催眠術を文献か何かで研究し、習得し、練習して、他人を完全に操り記憶を自由に上書きできるほどまで強化し、戦闘能力に優れる奏を監禁するための特製の監獄まで(やはり、おそらく何年もかけて)作り出す手間暇をかけるほど根強くて深〜い心の闇ですよ?ちょっとやそっとのことじゃ解けないはずでしょう?

もちろん、生前「無条件の肯定」など受けたこともない直井にとって、音無の行為が極めてインパクトの強い経験になりうることに異論はないです。しかし、音無は直井の生い立ちを「まったく知りもしない」んですよね。

………「自分の悩みをよく知りもしない奴」から肯定してもらったからといって、それを真の救済と感じたりするもんですかね?

付け加えれば、直井は「自分の生い立ちをもっと音無が知ったとき、音無は今と同じように自分を無条件で全肯定してくれるんだろうか?」ということが極めて大きな不安になるはず。で、その不安が「後日に」解消される、という話であればまあ許容範囲なのですが、「あの場で」直井の心がすべて解けてしまう、というのはちょっと乱暴すぎる。

…まあ、音無の側の話については、最終話まで観てみると、「報われた気持ちで人生を終えられた、この世界では『特別な』音無には、たとえ記憶が戻っていなくても直感的に直井のバックも理解して大きな愛で包むことが可能だった、と考えればいいのだ」という辺りが落とし所として用意されているのかもしれないですけどね。

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この (1)〜(3) の杜撰さを見るとね。どうやって脚本を組んだのか、ある程度想像がつくように思います。まず類型的な「感動」の「枠組み」を用意する(思いつく)んですよ。「生き埋めになった人たちが、最後は臓器移植にマルをつける→泣ける!」「明るく振る舞う子が、生前の障害に密かにコンプレックスを抱いているが、それでも結婚してやると断言するイイ奴に心が救われる→泣ける!」「常に優秀な兄の影にい(略)→泣ける!」といった具合に。で、多少強引でもとにかくその枠組みに突撃して落とし込むことで、一件落着なんでしょうね。そうやれば受け手を感動させて、涙を搾り取ることができる、というのがこの脚本家にとっての勝利の方程式なんでしょう………という見方は穿ちすぎでしょうか(信者の方ごめんなさい)。

この見立てが的中しているとしたら、私はその強引さのため切り捨てられてしまった諸々のことが気になって、その「お涙頂戴」のお芝居には却って白けてしまうタイプの観客ですね。

[II] 回りくどくてモタモタした展開・それをもたらした不可解な言動

「心残りを抱えたまま死を迎えた(若者の)魂に、せめてもの報われた思いを味わってもらうための、転生するまでの仮初めのバッファー」というのがこの「死後の世界」の役割だったわけですが………正直言って、これって第1話の時点から視聴者には見え透いてましたよね?(笑)(むしろ、常識的にはそう見えるので、「そう思わせておいて実は…」というどんでん返しをを警戒(ないし期待)する視聴者も多かったことでしょう)ところが、戦線メンバーには、「死後の世界の役割」をそういう風に推測する人は全然見当たらないんですよね。

なんで?なんでその「一番自然な」発想をしないわけ?誰一人として?

代わりに彼らが持っていた認識は、奏を「神の手下」と位置づけ、彼女を神への手がかりにしようというものでした。これは、制作者側の目論見としては視聴者をミスリードして、物語前半では「神はどこにいるのか?どうやって到達するのか?戦線と天使の戦いの行方はどうなる?」が Angel Beats! の中心的テーマだと思わせて、終盤で「死後の世界の本当の役割」を明かした時に驚かせるというつもりだったんでしょうが………うまく行ってないなあ。「実は死後の世界の本当の役割はこうだったんですよ!」と設定開陳されたとき、驚いた人、いました?私は「いや、そんなの最初から見え見えだったじゃん」としか思わなかったし、たぶん多くの人がそうだと思います。

ペトロニウスさんが


> とても素直な終わり方だと思います。


と言う通り、この話の基本ラインはシンプルでわかりやすい。それはいいことだったと(嫌味の類ではなく素直に)思います。でもそれなら物語の前半はかなり無駄が多くて、「余計な夾雑物」になってしまっています。何でこのシンプルでわかりやすい話をやるために、散々もたもた回り道なんかしてるんですか。
制作者側としては「ありきたり」を避ける意図なんだろうけれど、登場人物の考察が無理やりに誘導されすぎていて、うまく行っていない。「模範生徒的に振る舞うとこの世界から消える」という解釈や、奏を「神の使い」とする根拠は相当薄弱でした。
当初は、「あんな大掛かりな組織を作って、それに従う頭数も相当多いからには、それなりに強い根拠があるのだろう」と補完しながら観てたんですけど、結局「ゆりなどの単なる思い込み」以上のものはないみたいでしたからねえ…。かなり徒労感を覚えてしまうポイントでした。

とまあ、まともな必然性もないままに無駄の多い回り道を経てしまったために、描きたい狙いは共感できるものであるにしろ、それを表現する過程が拙くて、評価すべき水準に達していない、という作品になってしまっていると思うのです。

(ついでに言っておくと、根拠薄弱と言えば、この世界に対する奏の認識も実はそう。「満たされない青春を送った者がこの世界に来て、報われた思いを味わうと転生していく」というのも、登場人物にとっては「確実な根拠」などない単なる推測。奏の「見てわからなかった?」というセリフは、裏返せば「見て推測しているだけ」ということで。戦線だけでなく、直井まで「模範的に振る舞うとこの世界から消える」と誤解していたということは、それを否定する明確な根拠はおそらく存在しない(少なくとも、極めて見つかりにくい)んですよ、この世界では。なのに奏が「こうかもしれないし、ああかもしれない」という留保を持たずに、これと決めつけた見解を持っていた理由は(「ストーリー上の都合」を除き)よくわからない)

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私も、「単なる設定の不備」に過ぎないことなら、ここまで厳しいことを言おうとは思いません。ペトロニウスさんの言う
> 細かいところは、よほどのことがない限り考えないんですよね(苦笑)。それっぽければいい。
っていうのはもっともです。私も、例えば以下のような点については、あんまりとやかく言うつもりはありません。

● 教師は、ゲリラライブは中止させようと乗り込んでくるのに、「校長室占拠」なんていう余りにもけしからん行為は放ったらかしなのは何で?あと追放された校長は今どこで何を?………って、この辺は今出ているらしい前日譚を買って読めば納得のいく話になってるのかしらん。(ちなみに、最終話の卒業式が教師に中止させられなかったのは、たぶん奏と直井が生徒会として施設使用許可願を提出してあったんだろう(笑))
● それまで優等生だったであろう奏が、いきなり頭の狂ったような0点答案ばかり提出するというのは異常事態なのに、教師が真相をちゃんと調べようともしないままいきなり生徒会長を解任しちゃうってのは何で?まず「ほんとにこれは奏の答案なのか」ってことが真っ先に疑われるはずで、調べれば答案がすり替えられていた、なんてことはすぐにわかったはずだけど…。NPC ってのはそういうもんなの?でも奏自身だって、いくら何でも全科目0点なんてことはありえないって自分でわかるよね?それを理由に解任を告げられたとき、何で「おかしい」って訴えないの?(実は生徒会長はやりたくなくて、解任は「これ幸い」という成り行き?)
● 「この世界から消えたら転生する」という認識自体は1話から戦線メンバーに共有されていた。でも、なぜそれを拒むのかという理由のひとつとして、「転生は転生でも、フジツボ(などの下等生物)に転生するかもしれない」というのがあった。そして、その可能性は最終話近辺に至っても別に否定されたわけではないのに、皆が転生を受け入れていったのは何で?「フジツボ」は単に「消えたくない」気持ちからくる方便に過ぎなくて、フジツボになる可能性を本気で憂慮していた奴は実は一人も残っていなかった、ってこと?

…とこういった点は、まあ笑い話のレベル。でも、[I][II]で指摘したことって、「Angel Beats!」の大テーマとバッティングしちゃうんですよね(笑)。「人生讃歌」をテーマに掲げるなら、[I]の (1)〜(3) はそのテーマを大きく損なってしまっているし、[II] は「余計な回り道なんかせず、もっとシンプルにそのテーマを訴えろよ!」と突っ込まざるを得ないポイントになります。

あと、個人的に首を捻っている点があるので、最後にそれを挙げておきます。

[III] 「死後の世界」のはずなのに?一部、生前の世界とごっちゃになっている?
「死後の世界」のはずなのに、「ここでの人生」と「生前」とが(無意識に?)リンクされてるかのような発言が何ヶ所か見受けられて、それも「はて?」と思ったポイント。

(1) 奏の試験妨害作戦で、大山は「僕は本気の恋しかしない」と言ったり、偽装告白に傷ついたりしていました。………何で?死んでいるんだから、恋をするにはもう手遅れでしょ?それともこの箱庭世界で「本気の恋」なんてものをするつもりなの?相手は大半は NPC だよ?ごく少数の戦線メンバーとの恋愛に期待してるの?
何だか、まるで大山の中では死んだという事実がチャラになってて、「今後、大山として再び恋愛するチャンスが巡ってくる」とでも思っているかのような言動に見えませんか?

(2) また10話でのユイの発言に戻っちゃうんですが、何で「本当の自分は、身体が動かない」ことで、「この世界で」自分が結婚してもらえるはずがない、と考えてしまうんでしょうか。(あれは音無に向かって「じゃあ、結婚してくれる?」と問いかけていたので、「生前の自分とだったら」結婚してくれる人などいなかったはずだ、という「生前に限定した話」をしていたわけじゃなくて、はっきり「この世界の」自分との結婚についての話のはず)生前の身体機能が引き継がれているならそういう話運びになるのもわかりますが、この世界ではユイはピンシャンしているのに。
何だか、まるでユイの中では死んだという事実がチャラになってて、「ここで結婚したとしても、いずれ『本当の』(生前の)自分と対面する時がやってくる」とでも思っているかのような言動に見えませんか?
さらにその後の日向とのやりとりでの「日向のボールがガラスを割っちゃって、2人は知り合って…」みたいな話でも、何か「今後、現世で」日向がユイと出会って恋に落ちる、みたいなストーリーが想定されてますよね?あれは「来世に、たとえユイ(の生まれ変わり)がまたも半身不随になってしまったとしても、日向(の生まれ変わり)がやっぱり見つけ出すはずだ」という幻想シーンとして描かれていた…ようにはちょっと思えない。また、ユイは「ずっと自分を介護してくれたお母さんを楽にしてあげてね」と、「これから先の期待を」日向に託しているので、「仮に、生前に2人が出会っていたとしたらこういう展開がありえたはずだ」という思いを語り合っていると解釈するのも困難。
ここもやっぱり、「“死後の世界”だったはず、という前提はどうなっちゃってるの?」と理解に苦しむ所です。

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(1)(2) 以外にもう1ヶ所くらいあったような気もするんですが、今ちょっと思い出せません。

なんか、この[III]から受ける印象なんですが、「死後の世界」という設定が固まる前に練っていたエピソードが結構あって、それが一部残ってるんじゃないでしょうか。その名残りで、死後の世界なんだか現世なんだかよくわからない(1)(2)のような部分が残ってしまっているような気がします。

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かなり厳しくけなす文章を書いてきてしまいましたが、実際のところは「Angel Beats!」はそんなに嫌いなわけじゃありません。「なかなかよく頑張ってた」点はもちろんあって、むしろそういう点については好意的に評価してあげたいと思える作品です。ただまあ粗が色々目についてしまうことは否めないんですよね。

総合的には、
“今回は意欲が空回りしちゃった感じで残念だったけど、次のチャンスがあったらがんばってね。”
という辺りが私のスタンスになりますね。

以上