いっしゅうさんとのメールのやり取りが面白かったので、許可をとって転載。こうやっていろいろ教えてもらえると、見方が広がって、本当楽しい。ちなみに文字の強調は、私の独断でしています。ちなみに、いっしゅうさんを、僕は勝手にプリキュアマイスターと呼んでいますが、この方の記事をずっと読むと、プリキュアの全体を貫く大きなメッセージや構造が読み取れて、より楽しく深くこの物語を楽しめるようになるので、物凄いおすすめです。
http://www.geocities.jp/isshuu_a/dokidokiprecuretop.html
どうも、毎回取り上げて貰ってありがとうございます。
ブログの方にコメントしようと思ったのですが、書き込めなかったのでメールで失礼します。内容的にはコメントしようとしたものを流用しているので個人宛メールには適さないかもしれませんが、失礼を承知で。
シリーズの繋がりで見るとプリキュアは分かりやすいですね。ハートキャッチのデューンを赦して戦いを終わらせることはできても、彼の孤独を解消することはできなくて。だからスイートでは「孤独」に焦点を当てて響やノイズを人の繋がりで(他人に巻き込むことで)救済して、スマイルではその人の繋がりが依存にならないことを立証していった物語だったと思います。ドキドキはそれを踏まえた上でどんな物語を提示してくれるのだろうと楽しみにしています。
ところで、スイートなんですが、私はとても好きな作品です。理由は色々思いつくんですが、響と奏の関係性や感情の動きが好きでそれがスイートの好きな理由のベースになっているんだろうと思います。
ペトロニウスさんが響をハイスペックだと評されたのが意外というか、私にはそういう発想が全然なくて、響と奏であれば圧倒的に奏の方が恵まれた人に見えてました。これは情緒面、愛情面の視点なんですが、響は愛情や安心感が圧倒的に欠乏していて両親から愛されていないと思っていたし、最後の拠り所であった親友(奏)にも見放されたと思っていたんですよね。部活も一定していなくて、助っ人で活躍って言えば聞こえは良いですが、要は安定した居場所を持っていないわけですよね。本人は色々試したいというようなことを言っていましたが、彼女の情緒不安定さ(人に必要とされたい気持ち)が出ていたように思います。あのまま彼女が不安を抱え続けていたらいずれは人に必要とされるために助っ人していたと思っていたら、単に利用されていただけじゃないのか(その背景には他者としっかりした信頼関係、響を一人の人間としてしっかりと見てくれる人の不在がありますが)と気づいて間違いなくデザトリアン化しただろうなと。バッドエナジー全開っていう(笑)
それに比べると奏は家族関係も良いし、部活内でもしっかりした地盤があって、ぶっちゃけ響が奏を必要とする理由があっても、奏が響を必要とする理由ってないんですよね。比較してしまうとそうなる。それにも関わらず序盤では奏からのアプローチが強かったり、積極的だったのは彼女が比較的愛情を知っているからこそ、人に意見を伝えれば通じるだろう、分かって貰えるだろうって思っていたからなんだと思います。だから奏って積極的に響に接触しょうとしたり、逆に「友達かどうか自信がない」てなことを言えたんだろうなと。
対して響は不安が先立ってしまって逃げ腰になっているんですよね。だから一見すると物語序盤は奏からのアプローチが強く見える(奏が響を好きに見える)んだけど、関係性、心情面の切実さでは響の方が奏を必要としていたと思います。奏の助けがあって彼女は両親とも信頼関係を取り戻せたし、セイレーンやアコ、ノイズとの繋がりや絆を持てたのですから。物語後半になると愛情の欠乏を知っていた響だからこそノイズの孤独を誰よりも先に感じることができたんでしょうね。
スイートはプリキュアファンの間でも賛否が分かれた作品だったようなんですが、響と奏のお互いに好意を持ちながらそれを上手く伝えられずに傷ついてしまう様子や、それが少しずつ通じ合っていく姿が私は好きでした。丁寧に人の心情を描いていたと思います。傷つくこと(傷つけること)を恐れずに人と関わって絆を紡いでいくという風に近年のプリキュアはより積極的に人との関係を描いていますね。まあ、だからスイートを再評価してくださいなんてことは言いませんが(笑)、今放送されているプリキュアがどういった文脈で生まれた作品なのかを知っているとより面白く見られるっていうのはこのシリーズの強みだと思います。そしてそれは視聴者としても嬉しい(楽しい)ことですね。
ところで、これは私のサイトの作り方に問題があるんですが、今後もリンクを貼って頂く場合は感想の一覧画面(話数がずらりと並んでいるページ)のURLを使って下さい。というのもHP作成ソフトを使っている都合で、URLが自動生成されて話数が増えるたびに末尾番号(〜lcn001)が最新話数になってしまうのです。お手数をおかけして申し訳ないです。
不躾な(単に私スイート好きだという)話しになってしまいましたね。こういう視点で見れば引っかかりが持てるかな?と思いまして。
ブログの更新楽しみにしております。失礼しました。<<
いっしゅうさん
どもです。メールありがとうございます。メールありがとうございます。&いつも、プリキュアの記事、本当に楽しませていただいています。深い造詣と安定したバランスのとれた読み込みで、おかげでグッと、深く楽しめています。本当に、素晴らしいです。貴兄の記事がなければ、プリキュアをここまで楽しもうとは思わなかったと思います。コメントで、朽木さんという方がいて、貴兄とこの人が教えてくれた見方で、ぐっと物語が深く理解できるようになりました。いまさらですが、本当にありがとうございました。とはいえ、僕は仕事の忙しさで、かなり上下しがちなんで、なかなか安定して解釈できないんですよねー。一時期スマイルをがんばろうと試みました、それだとそれだけになってしまうので、、、。なかなか、安定してテキスト解釈ができず、自分の思い込みになってしまうところがあります。それはそれで、自分のスタイルなので、嫌いではないのですが、いろいろな人と話しながらより深くテキストを話せると、うれしいです。コメントに書こうということですが、これって、ブログに掲載しても大丈夫ですか?。このレベルのお話は、せっかくなら公開した方が、おもしろいかなー、と。連載とかこういう毎週の放映は、経過を話し合うのは、とても楽しいですものね。もし、OKならうれしいです。
響が情緒的にしんどい、というのは僕もよくわかりますし、奏の方が安定感たっぷりなのもわかります。けれども、僕は、響って可能性の塊だと思うんですよ。いろいろの才能や家庭環境からいって、彼女が自己の問題点を解消できれば、彼女は空高く飛ぶ人です。奏では、安定しているが故に、そこまで飛翔しないでしょう。なんというか、生きている世界が違って見えるのです。響はつぶれたらアウトの人だろうけど、潰れなければ、あの町を出ていく人だろうなーと。僕は「人格のドラマトゥルギー」の可能性を見れば、響って、いまのステージの人間不信と居場所感の不足を解決できれば、ここにいる必要がないポテンシャルをがあって、というか、ここにいてはだめなポテンシャルであって、、、、そこには響と奏でのセット、、、ともに同じ時を生きるという意味を見出しにくい感じがしました。ありえて、「響の帰るところ」として「家で待っている奏」の姿です。(←もちろん僕の偏見です(苦笑))
僕はそれは嫌いなのです。
パートナーは、一緒の苦しみと目的と喜びを共有すべき戦友であってほしいのだろうと思います、僕は。いまアニメの『まおゆう』(橙乃ままれ)をやっていますが、あれの魔王と勇者、女騎士などは、人格のドラマトゥルギー、響のようなトラウマな問題点と、世界の謎の問題点が重なっていて、また、それぞれが相手に、相手が目的とする世界の謎を解決する人間として、相応しく対等であろうと、常に全力を尽くしています。ここでは、見られているかわかりませんが、女騎士が僕の念頭にあるのですが、彼女は何も特別なことがない、ただの人間ですが、勇者に、勇者の孤独に相応しくあろうとして、最後の最後の問題点まで一緒に旅することで、そして戦い抜くことで、人間としてのスペックの低さを超えて、勇者と魔王の物語についていくことになります。
そういう意味では、響と奏では、バランスが悪いなって思いました。最初の1/3ぐらいはかなり真面目に見ていたんですが、なんかねー響側の共依存みたない感じがして、僕は、ぐっと入れませんでした。もちろん、「それ」をちゃんと向き合って、孤独の恐怖の中でも、他者と向かい合って絆を結び直していく「過程」を描いた物語というのは、良くわかるので、僕の意見は、あまり建設的な意見とは言えません(笑)。だって、しょせん僕の好みなので。個人的にも、あの作品は、いっしゅうさんの読み込み方が正しいと思います。けど、最初見た時の関係性の不健全さ(僕にはそう感じてしまった)がどうしても、僕はぬぐえなくてはいれなかったのです。まぁ、実際は、読み込みが足りない分も大きいと思いますけどー。まーそういう風に見る人もいる、ということで。ではまたー。
ご丁寧に返答して頂きましてありがとうございます。
ブログに載せる件は全然OKです。元々コメント欄に書くモノでしたから。
ペトロニウスさんはなかなかマッチョな(目標が高い)関係性を望んでいますね。響と奏のあの物語の先の関係性を想像すると、おっしゃっていることは分かります。最終回でも響は飛んでいきそうなイメージで描かれていましたので、あのままずっと同じ関係性(環境)で過ごす姿は私もあまり想像できません。ご指摘のとおり、スイートは『他者と向かい合って絆を結び直していく「過程」』つまり回復期を描いた物語です。その後に作られたスマイルが他者依存しつつもお互いの自立を描いたのはシリーズの論理として正しい流れだったと思います。基本的にプリキュアは毎年二歩戻って三歩進むイメージですね。
>相手が目的とする世界の謎を解決する人間として、相応しく対等であろうと、常に全力を尽くしています
あ、だから六花とマナの関係性にくいついたんですね(笑)
ドキドキがどのように進んでいくのかは未知数ですが、プリキュアは同じ技を2度使わないので(笑)
シリーズの内在論理を詰めた上で新しい何かをやってくれそうな気がしています。
私はプリキュアに一点集中してるせいで色々視野が狭くなってしまうのですが、ペトロニウスさんの記事は色んな作品を扱っているのでいつも新鮮な体験が出来て楽しいです。感想って自分の考えや体験を積極的に出したものの方が読んでいて面白いんですが、あのレベルで記事を書ける人ってなかなかいないので。今後も楽しみにしております。
あっ、なるほど、響と奏でが、
絆の回復期
で、絆を回復するにあたって共依存にならないようにスマイルで
自立と依存のバランスを描く
のは、理にかなっていますね。僕は子供と一緒に見ているので、もうハトプリから4シリーズ見続けているわけですが、シリーズを通してみることでわかるものがあるのは、大きな気づきでした。
>>基本的にプリキュアは毎年二歩戻って三歩進むイメージですね。
シリーズものって、型があって、それを外さなければ、どこまでも遠くにチャレンジし続けていけるので、いいですね。安定した収益をもかせぐでしょうから、スタッフも育つでしょうし。そういう意味では、このあたりの子供用のソフトは、日本が圧倒的なような気がします。外国の友人を、世界中どこの人に聞いても、戦隊ものやポケモンやドラえもんは、確実に原体験にありますからねー。ただ、意外に世界は、女性の権利は低いのかもな?と思うのは、プリキュアシリーズは、全然知らないみたいなんですよ。欧米圏やイスラム圏になると。アジアは、韓国、台湾、中国、東南アジアと浸透しているみたいですが。まだ新しいのかな?。
>>>相手が目的とする世界の謎を解決する人間として、相応しく対等であろうと、常に全力を尽くしています
>>あ、だから六花とマナの関係性にくいついたんですね(笑)
まさにそうです(笑)。お互いを高めあい、お互いの本質を全う出来ること、が僕の理想に思う関係性のゴールだろうと思います。もちろんそれは難しいことで、なかなかできるとことではないしょうが、、、しかし、
(1)お互いの本質を理解する
(2)お互いの目的が、(1)を育てていくことに資する
は、できないなりに、あってしかるべきなんじゃないかなーと、いつも思っています。マナのような行動一直線型は、六花のような教養戦略型が、そばにいると、凄くバランスがいい、、、戦闘という意味で(笑)、なので、お互いが、大きなマクロの目的に補完し合えるのは、僕には据わりがいい感じがします。
>>ドキドキがどのように進んでいくのかは未知数ですが、プリキュアは同じ技を2度使わないので(笑)
>>シリーズの内在論理を詰めた上で新しい何かをやってくれそうな気がしています。
そうですね、楽しみです。まだまだ娘は、プリキュア好きなようなので、来年ぐらいまでは見続けるんじゃないかなーと思いますお。そして、たぶん女の子がバトルする、世界を救うというこの形態は、物語としては凄い可能性を秘めていて、おもしろいと思うので、追っていけたらなーと思います。
>>私はプリキュアに一点集中してるせいで色々視野が狭くなってしまうのですが、
>>ペトロニウスさんの記事は色んな作品を扱っているのでいつも新鮮な体験が出来て楽しいです。
読んでもらえているのなら、とてもうれしいです。何かおすすめがありましたら、ぜひ情報をもらえると嬉しいです。
明日が楽しみです!
ペトロニウス