これではまるで「1つの媒体」しかないのと同じ
こういうクライシスの時には、全員が同じ方向に走り出してはいけないのだ。「オレは違う方向に走る」「私は踏みとどまる」という多様性がなければ、報道の多様性は窒息してしまう。日本の報道には、これが致命的に欠けている。そんなに難しい作業ではない。「他社がPでいくなら、うちはQの方針でいく」「ほかの編集部がYなら、うちの取材はZでいく」という「流れに逆らう勇気」と「他人の真似をしない発想」さえあればよいのだ。
かくして結局、日本の読者・視聴者は「1つの新聞」「1つのテレビ」、あるいは究極的には「1つの媒体」しかないのと同じ情報環境に置かれている。これは「情報欠乏症」だ。
類似の凡庸な情報が、量だけは多量に押し寄せてくる。この単調な情報の反復には、普通の人ならすぐに嫌気がさす。飽きる。そうして「被災や原発事故は重要だ」と頭では分かっていても、報道をフォローするのが苦痛になり、ついには力つきて関心を失う。そんなマイナスの連鎖はすでに始まっている
この「情報の多様性の欠乏」こそが、社会不安の原因そのものであり、疑心暗鬼や無関心の原因なのではないか。
被災地の美談記事の作り方、教えます致命的に多様性が欠けている日本のメディア2011.04.01(Fri) 烏賀陽 弘道
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5774?page=7
これはなるほどなーっておもう。共同体体質の日本らしい問題点。