「新世界」という新しい概念とは何か?(1)

漫研ラジオ】
http://www.ustream.tv/channel/manken

録音データ:http://www.ustream.tv/recorded/49042573

今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
雑談ラジオ 2014-06-08(新世界の物語、世界情勢など)
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/13a2e9efe63498b2e39f31115c70b00d


なんとか、物語三昧ラジオ、6月をなんとかできました。よかった。昨晩は、おつかれさまでした。というか、半分朦朧として寝むくて喋っていた気がするので、自分が何喋っていたのか詳細のところが抜けてて少し怖いです(苦笑)。なんか、物語ではなく経済と歴史に話になってしまっていたような、、、。仕事の話でもないのに、コモディティ・ディスカウントとか、そんなことを話していた覚えが、、、。ちょっちサマライズです。


1)「新世界」とは何なのか?


大まかに覚えているのは、前半は、「新世界」という概念についてですね。ハンターハンターやトリコなど、最近の作品って新世界を描くものが多くないか?という前回の僕が寝過ごして欠席した漫研ラジオで海燕さんとLDさんが話して話を、サマライズてくれたところから、はじまったはずです。

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はしょりますが、LDさんいわく、ここで描かれる新世界は、どうも「現実」らしい。『現実』とは、いわうる内面の成長のために階梯(=階段状に順番に成長に必要なイベントが現れる構造)ではなくて、ルールが全く通用しない、身も蓋もない残酷なもの。


もう少し具体的に説明すると、ドラゴンクエストなどで、レベル1は、レベル1にふさわしいところでレベル上げが始まる。そうして最後には竜王を倒すことができるというように、成長の順番が正しくはしご状になっている。しかしながら、新世界では、いきなりレベル2が、レベル50以上の敵などにあって、めっちゃめっちゃに殺されたりボコボコにされるということが、普通に起こりうる世界。そこには、内面世界の成長を担保するような階梯上の成長がないため、いきなりその「新世界」に入ると、身も蓋もないことが待っている。


そういった、身も蓋もない残酷な「現実」にどうも読者はシンパシーを感じる傾向があるようだ。本来は、ビルドゥングスロマンのような成長物語は、ある適齢期の子供に示すものであり、それが階段状のはしごになっていること自体は、おかしなことではない。年齢や内面の成熟度によって、受け取り方が違うのはあたり前だからだ。


ドラゴンクエスト


ちなみに、グレンラガンの地下世界からの脱出は、それ自体は祝福されているもので、、、という意言い回しは、僕は非常に記憶に残りました。なるほど、、、と。これって、どの年齢性に対してどのような物語類型をぶつけるのが正しいことなのか?という教育一般の概念と非常に結びつくので、ディズニーのコンテンツ戦略と、そのベースにあるアメリカ社会における初等教育における抽象性ハンドリングのための教育のルールについて、非常に面白いことを思い出しました、、、。ってこれはなしが複雑なので、今度書きます。

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2)「新世界」について2つの解釈


さて、これに対して、ペトロニウスは、2つの話をしたはず。


(1)80−2010年代の30年間ほどの日本のカルチャーの傾向


物語三昧の批評の大きな解釈文脈、テーマは、ナルシシズムの檻・地獄から脱出というものがある。読者はよくわかると思うが、この大きな命題というか解釈のラインから、さまざまな作品、物語を分析してきた。もちろん、これ自体が出てきたのも様々な物語に共通して、このテーマが出てくるようだと思ったというものですが。


その場合には、大きな代表例として、2つある。


1つは、『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジ君。冨野さんや宮崎駿から続く少年の夢の系譜の破裂のながれ。少年向けのロボット漫画、アニメの物語類型の、「世界と、仲間と、好きな人を守る」という自明視されていた命題、命令に対して、敢然とNOを突きつけたテレビ版シリーズエヴァのエンドを頂点とする類型。

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2つ目は、村上春樹村上龍とりわけ村上春樹の文学の展開方向(含む押井守の作品群)。


特に村上春樹に典型的な、ナルシシズムの世界、、、これを別にい方で言えば、主観のなかに自分を閉じ込めて世界を自分の軸だけで安定して、ある種の諦念、あきらめとともに世界を見る視線。これをペトニウスは、イギリス文学の中にあるハードボイルドの視点と同一視していてその延長線上に考えているが、ようは、『風の歌を聞け』でも『羊をめぐる冒険』でもいいのだが初期の作品群の中の、JAZZと酒と女だけがある「乾いた」感じの完結した世界。この完結さ、どこにも行かない=60−70年代の熱い時代とは違って世界を変えよう!とか世界を守ろう!とかいう意思が去勢されている世界が、そもそも村上春樹の出発点で、それはすでに完結していてどこにも行かないはずだった。


しかしながら『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』など、このテーマを深堀して、短編的な構造を長編に変えようとする過程で、変化が起きる。結局とのところ、ナルシシズムの檻の中で物事を描く視点というのを、物語的に駆動しようとすると、もっとも典型的なのが押井守監督の『うる星やつらビューティフルドリーマー2』にあるような、自分の内面世界、自分の心の中にある夢の世界に閉じ込められてそこから脱出劇となるという類型がもっともこの物語にマッチする。


なので、長編を描こうとしたときに、こうした内面世界へと閉じ込められて、そこを冒険踏破する形で、脱出することを目的とするという類型に非常に親和性がある構造をするようになる。難しい言い方だけど、要は似ているということ。これは、同時期のエロゲーの発展史やマンガやアニメのヒロインのが複数化していく傾向ともとても似ている部分があり、要は同時代的に、構造が非常似ている。理由は、もちろん80−90年代の日本が、60−70年代の政治的に熱い時代を過ぎて、アセット的な豊かさが到達して、個人の権利が広く拡充され、豊かさな日常になったがゆえに発生した現象だろうと思う。

この場合に典型的なのは、異世界転生、タイムパラドキシカル、ループ、並行世界、内面世界からの脱出劇といった現在の現実を唯一無二のものとしないという感性、また『もしありえたらどういったものであったのか?という可能世界のシミュレーション』によって同じように、現在ある現実性を疑う志向、こういった感性に支えられていると思うのです。有名どころでいうと、エロゲーの平衡世界ループものの到達点の一つであるアージュの『マブラブ・オルタネイティブ』ですね。


この話は個別なので別途に譲るとして、ようは長編を書くことで、村上春樹の世界がこうしたナルシシズムの檻の中から出て行く類型に接近してゆき、そこで、『1Q84』でそれまでなかった、女性側の視点という他者の視点が登場することになるわけです。他者の視点の登場とは、ようは、ナルシシズムの世界の崩壊にほかならないわけです。また上記で挙げた『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジ君の物語も、新劇場版シリーズで、モチヴェーションを持って現実に踏み出す、並行世界ループ的な構造の中で唯一性の歩み出す、その果てに、最新の映画では、新しい世界に明らかに突入している気配を感じさせます。まぁ、そこはまだわかりませんが、LDさんが主張するように、エヴァに乗るという主人公の主人公たるべき基本の部分を、必要としない世界を周りのキャラクターが実現しているのは、あきらかな、ナルシシズムの檻からの脱出を示すことです。そこには他者がいるから。主人公のシンジ君が乗るのらないといった、主観的なことで世界の滅びるとか滅びないが決まるようなセカイ系とは全く違うロジックの中にあるわけです。

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2)人類世界の新しいステージ〜僕らはすでに南北戦争の危機を乗り越えた?(笑)


この後は、リーマンショックコモディティー・ディスカウントと田中芳樹とか自由主義陣営(西側諸国)と悪の帝国ソ連の東側陣営とのハルマゲドンお話にの話に続きますが、、、(笑)、どんなくみあわせだっちゅーねん(苦笑)


時間ないので、また後で書きます。


ちゅーか、ラジオではかなり喋っていますので、LDさんがあげたらそっちを聞いてもらってもいいっす。


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追記


あっと、あと忘れたらいけないので次に書くためにメモとして、


この後、LDさんの理論的にはありうるであろうカンダタ蜘蛛の糸にも漏れてしまう層をどのように救えばいいのか?という議論が、ずっと僕らの間ではあったと思うんですね。ようは、クンフーによる内発性とか、そういう議論をしていく過程で、どうしても世界に出生きていることを楽しめない、内面に内発性を生み出すことが全くできないであろうそうは、理論的には存在するであろう!という話です。本当にいるのか?それとも、ただ努力が足りないだけではないか?という議論は常に付きまとうのですが、いろいろな日本における劇場型犯罪の発生を見ていると、社会に包摂され、社会につながれて生きることに意味を感じなくなった人が、当然意味も価値もないので、まったく簡単に無差別殺人などへのハードルの敷居が下がり、世界と社会に復讐しようとする傾向が多発しています。これは、アメリカでも銃の乱射等で起きる事件の中身の報道を見ていると、とても似ている構造です。先進国に共通の問題なのだと思います。これは、社会的人間である人間が、社会にいることの意味を感じられないがゆえに起きることです。これは、内発性がない、どうしても内発性を獲得できない場合にはどうすればいいのか?という絶望の議論と重なる話だと思うのです。


しかし、、、、LDさんの実感が、僕の感覚とあまりにシンクロ指定なので、これは重要な分岐だと僕は感じています。


社会的には、劇場型の犯罪は、マクロで考えるとそれほど大きな問題点ではないといえるかもしれません。それは日本の犯罪や殺人件数の劇的な低下の歴史的事実を見ていれば、治安自体は、まったくもってよくなっているのです。それが、動機が不透明で怖いという、リーズニングができだけというだけで、マクロ的には問題は縮小している傾向にあるわけです。これは国が豊かになったが故と、近代的な警察システムがしっかり整備されていっているが故だと思います。なので、問題自体は過去よりも小さくなっているのです。


僕は、以前の記事で、こうした内発性がない人々のルサンチマンは、早晩無視されるだろう、そんなことを嘆けるのはまだ日本が豊かなだけで、嘆いているだけ自分の人生を損するのではないか?という予想を書きました。たとえ、ほんとうに内発性がないにしても、がんばるしかないじゃないか、と。それは、先進国は劇的な衰退期に入っているので、基本的にマクロのインパクトがない層は切り捨てられるからです。


さて、今回は、LDさんと話していて、ウクライナとかイラクの問題とか、最近マクロの問題が二人で熱く、毎日のごとく、この話をしていたんですよね。その中で、アメリカはどうも、世界の警察としての役割をおりたくて、というかかなり疲れてきているんだなーという話をしていて、、、とはいえ、クリントンの後にブッシュJrが来たように、アメリカは弱腰の大統領のあとには、超強気の人がなるケースが多い揺り戻しの国なので、、、といっていたいたら、


“独立”する富裕層 〜アメリカ 深まる社会の分断〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3488_all.html

“独立”する富裕層  〜アメリカ 深まる社会の分断〜日本でも進む?
http://matome.naver.jp/odai/2139839405374635801


この話になったんですよね。NHKで特集して話題になったやつです。詳細はラジオや記事を読んでください。そんで、、、どうもアメリカのモンロー主義的な鎖国傾向は最近強まっているんじゃないの?。次の大統領もそうなんじゃないの???、、、とすると、、、、中東とかマジで打ち捨てられるよね、、、とか、そうはいってもアメリカは太平洋を捨てたくないので、、、いやでも東アジアは、もうコリコリで手を引きたがるんじゃない?とかいういう話になったんですね。


ここで何が言いたいかというと、ようは、アメリカがマクロの世界の警察官への関心を失うと、世界の地域覇権の再編が起きる、、、ぶっちゃけいえば、局地の戦争が起きやすくなるんですよね。特に東アジアは火種がいっぱい。人類史的視点で見れば、中国を中心とするさくふう体制が、戻ってくると思うのです。それのほうが、人口や地政学的パワーからすると普通なので。そういうマクロの大事件が起きて大混乱している時代に、、、、社会全体的に局所の問題は、たぶん社会が関心を持たないと思うんだろう!と思うってことですよ。いいかえれば、劇場型の個人のルサンチマン暴発犯罪は増えるだろうけれども、それは、発生したり危ない奴を見つけたら前もってつかまえるか、つかまえて消しちゃうってことをする対処療法をするだけで、根本対処まで意識しないんじゃないか、、、というか、そんな余裕はそもそもないなって時代に入ってきているんじゃないの?という、前の僕の結論ととても似ている実感になってきているんですね。これ、LDさんがそう思うようになったというのは、僕には衝撃でした。というのは、僕はマッチョ的な資質がある人なので、僕がそういう切り捨て議論とか、いやいや、本人の努力が足りない!!!とかいうような発想になるのは、、、自分が物凄い苦労して地獄を見ながら生き残っていたので、普通の発想なんですよ。なので、バイアスがあるっておもっています、、、けど、そういうバイアスが、LDさんというのは、物凄く低い人なんですね、、、それが、、、、、と。


とりあえず、ラジオの内容のメモでした。続きに余裕があれば、また書きますー。子供を公園に連れて行かなきゃけないし、仕事も休日に山盛りなので、、、ではまたーーー。

自治体を民間が運営する都市―米国サンディ・スプリングスの衝撃