『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』 伊藤祐靖著 自主独立の物語を追求すると、究極的には、世界がすり鉢状で、全く余裕がなくなる

国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書)

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


日本初の特殊部隊の創設者の書いた本。非常に面白かった。彼が、1999年イージス艦みょうこう」の航海長であった34歳の時に、能登半島不審船事件に遭遇したことが、彼が日本に特殊部隊が必要だと思うようになるスタート地点。指揮官として、部下たちに北朝鮮工作船であるのが間違いない船に、立ち入り検査を命じなければならない。しかし、プロの軍人が乗り込んでいるのが明白な船に、ほとんど法律的にも武器的にも準備なしで、自爆装置がついているであろう船に突入しなければいけないことから考えると、まず間違いな全員殺される。でも、命令しなければいけない・・・・という状況で初めて、日本が何の準備もしていなければ、そういう覚悟も訓練もない部下たちに、死んで来いと命令しなければいけないことに気づき、彼は愕然とするところから、この本は始まる。非常に、真摯にそのことを追う著者の姿勢は、感銘を受けました。


タイトルが刺激的なこと、著者が日本初の特殊部隊の創設者であることなど、右側に偏向しているかな?と誰でも身構えてしまうはずですが、どうして、どうして、素晴らしい本でした。何よりも、とても真摯に、論理的に、考え抜かれている点が、とても感動しました。この人は、素直に、本気で、ちゃんと考えて、ここに到達したのだなというのが、読んでいてビシバシ感じました。フィリピンでの話し、そこでの弟子の話など、本当にあったんだろうか?というほど寓話めいていて、僕にはこの一冊は、まるでビルドゥングスロマン(成長物語)の様に読めました。それは、この人の内面の履歴が、赤裸々に描かれているからだと思います。素晴らしく真摯な職業人生で、僕はとても感動を覚えました。こんなに自分を追求して、内省をして、それにコミット(=現実に行動に移す)人生はなかなかできるものではありません。


ということで、いつもの物語三昧のごとく、あらすじとかそういうの話で、★5もつけているんだから読んで!ということで、紹介をつらつら書きません。ただ、これは今の時代に読むべき価値のある「物語」だと思います。僕は彼の内面の履歴は、上記で書いたようにある一つの物語になっているように感じます。なのでとても読みやすい。そして、2016年の今は、中国の台頭という、これまでの世界の秩序が塗り替わっていく、大きな地政学的、マクロの構造変化の中で、日本が必ず考えなければいけない道筋であり、その一つの大きなモデルとして、僕は読む価値があるものだととても思いました。


僕は、読後の今振り返ってこの本がどんな本かといえば、、、、そして、作者の伊藤祐靖さんが求めているものを一言で表すならば、



福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」である独立自尊



を、凄く連想しました。


独立自尊―福沢諭吉の挑戦 (中公文庫)



彼の思想、追及するものを、端的に言えば、これなんだろうと思います。



そして、独立自尊を求めていると、究極的には「誰にも支配されない状態」なので、この思想の究極的なところを日本の現状と構造に当てはめると、必然的に反米思想になるんですよね。



米国と付き合うと、国力差から、どうしても属国扱いになってしまうから。



まぁ、反米は、行きすぎでしょうね、なぜならば、自主独立を貫こうとしたら、結局のところ、アメリカとの同盟を考えざるを得なくなるし、そうでなければ東アジア、東南アジアの秩序は、守られなくなってしまいます。日本一国でそれをカバーしようとすれば、旧大日本帝国の発想と同じになるわけですから。


そして、いまならばまずは北朝鮮と中国の脅威にどう対抗するかが、まずもっての最初の課題となる。


この構造は、幕末明治以来、ずっと変わっていません。この話を思い出すと『戦前日本の安全保障』の中で描かれる山形有朋のパワーポリティクスと原敬によるアメリカを配慮した日米同盟(しかし米国を押さえるための多国間同盟在り)重視の姿勢の、対立は、日本の外交構造が全く変わっていないんだなーとしみじみ思います。ようは、どんなに細かいところが変わっても、地球上の最強国家アメリカのポジションと国力が変わらない限り、必然的に同じ構造になってしまうんですよね。


戦前日本の安全保障 (講談社現代新書)


それは、マクロの話。


同時に、この人は、ミクロでも、人間として自立していかなければならない、という強い意志を感じます。だから、凄いプラクティカル。日本人の「ものの考え方」には、抽象的な思想に堕して、妄想を見るようになるのが、日本の組織の思考の悪癖です。これは、ムラ社会化して、外の世界との接続や視点を排除する土壌があって、そのせいで現実との接点を失って、内部の村社会の縦割りの中でのパワーポリティクス(力の駆け引きによる均衡)のみで世界を解釈してしまいやすいからだろうと思います。しかしながら、そうはいっても、じゃあ日本が全く具体的ではないかというと、そうじゃないと思うんですよ。帝国軍にしても、アメリカを除けばほぼ世界最強レベルの軍隊だったわけで、具体的なことにこだわって、具体的な「実際にできる!」ということに特化して技術や組織を磨く人は、たくさんいるし、それも大きな伝統があるのだろうと思います。そうでなければ、人類のフロントランナーにいるような先進国にはなれませんよ。伊藤さんのこだわりを見ていると、自分が企業の中でこだわっていた話と、とても重なります。たぶん、中国の台頭というマクロの現実がなければ、彼が特殊部隊創設という国益にかかわる巨大なミッションにコミットすることはなかったんでしょうね。こういうのは、人生、運というか、どんな流れに乗っているか?ですよね。



とはいえ、この独立自尊を、ミクロで、個人に求めると、たとえようもなく厳しい問いかけになります。



伊藤さんが何度も何度も、これでいいのか?と自問して苦しんで前に進んでいく様は、同時に、読んでいるぼくらに「あなたはそれでいいのか?」という厳しい問いかけをすることと同じになります。



これは、とても厳しすぎる問いかけです。



僕は、この本を読んでいる時に、強く上橋菜穂子さんの『獣の奏者』を連想しました。いま、この記事を書いていても、ああストレートにここにつながるなと、強く感じます。



もうあまりに書くことが長くなりすぎるので、過去の


獣の奏者』 上橋菜穂子著 世界が人にきびしいです
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090824/p3


この記事を読んでほしいのですが、『獣の奏者』の世界を、一言で表すならば、「世界が人に厳しい」です。


妥協も、幸運も、ご都合主義も、ドラマトゥルギーもなければ、ヒーローもいない。


それが世界の真実と信じ切って描かれるこの過酷な世界を、『ランドリオール』というファンタジーを描く、おがきちかさんは、世界全体がすり鉢なの。抗えないすり鉢のような世間。といいます。


Landreaall: 1 (ZERO-SUMコミックス)


以下、当時の僕の記事を引用します。

とりあえず、結論を言っておけば、友人に勧められたのですが、非常に面白かった。何が面白かったか?と問えば、その「厳しさ」が面白かった、です。

厳しさとは、

1)人間理解の厳しさ

2)マクロの仕組みという外部のどうにもならなさ

3)人間関係の彩が織りなす結論が、全能感(=主観の欲望の発露ではない)に至らない

という意味で。

ここで説明することを分かってもらうには、僕の、「小説家になろう」の分析を読んでくれると、よくわかるのですが、一言でいえば、「小説家になろう」のサイトのコアは、いかに、主観的な欲望の発露のパターンをずらしていくか、紡いで行くか、ということの集合知でした。これは、ライトノベルとは言いませんが、ある程度「マス足り得る」層が、最も求めているものが何か、ということのわかりやすい指標だと思います。物語の原初的な基盤的欲望なんだろうと思います。けれども、これほどマスにならないけれども、同時に存在している欲望の一つとして、逆に「厳しさが見たい」という欲望も僕はあると思うのです。というのは、物語世界の構築とは、「世界の再現」にあるわけで、ご都合主義的なものを極まりすぎると、どうも現実っぽくないとがっかりしてしまいます。


ファンタジーで、ああこれは厳しいな、という「厳しさ」が前面に出ている作品は、ぱっと思いつくもので大きく二つあります。


獣の奏者』と『十二国期』シリーズです。特に、よくよく考えると、『月の影 影の海』などは、異世界ファンタジーものの、主観的欲望の充足という売れ線のテーゼに対する、ものの見事な、アンチテーゼになっていますよね。これが過去の作品だということを考えると、著者のセンスの良さ、これをカバーを変えて販売した編集のマーケセンスには脱帽します。厳しいってのが、どういう意味かは、下記のような記事で、淡々と描いています。また、この時の引用が、『ランドリオール』を書かれているおがきちかさんの『獣の奏者』への感想ですね。この比較(世界に対しての厳しさ甘さの度合い)を意識して、ファンタジーをたくさん読みこんでいくと、いろいろなものが見えてきて、興味深いと思います。


獣の奏者』 上橋菜穂子著 世界が人にきびしいです
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090824/p3


獣の奏者』 上橋菜穂子著 帰るところがない人は、より純粋なものを求めるようになる
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090607/p3


獣の奏者』 上橋菜穂子著 傲慢さを捨てられなかったのは・・・・だれのせい?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100306/p1



獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

渋くて本物感あるファンタジー小説を読むと、あー自分の描いてるものってたしかに「まったり」なのかもな、と思います。自分では「まったりファンタジー」て言われると、そう? って思うんだけど(比べるような描き方はものすごくおこがましくて恐縮なんですけど)「獣の奏者」は確かに「子供にも読ませたい…かもしれない…大人の物語」なんだなーと思います。小説だからかな? ランドリは「大人でも楽しめる子供向け」な気がするもんね。十代後半を子供って言うなら。

獣の奏者」はとってもとっても面白いので大人の人にはおすすめしますが、世界が人にきびしいです。サッパリしてないです。クライマックスがアレですが、もう、世界全体がすり鉢なの。抗えないすり鉢のような世間。そーゆーゴリゴリいう音が迫ってくるストレスを楽しめる人にはものすごくおすすめです!ヒーローが不在で生物学者が「できるだけのことはしますけど…」って話。

私は最後に世界に平和が訪れるRPGが好きだし、最後にはれないが成就するラブロマンスが好きだし、つまりピアズ・アンソニイとビジョルドが好きです…甘ちゃんですみません…。

ランドリはねー、こー、どんな時でもホワイトノイズみたいに「いい予感」みたいなのがあって、実際にいいことがあったら読者さんが「やっぱりね!わかってた!」って思うマンガだといいなーと思って描いてます。登場人物を巻き込む世界は夢みたいな上昇気流がいいな。ていうかそんなんしか描けないんです。http://d.hatena.ne.jp/chika_kt/20090823


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ちなみに、ここでおがきちかさんが考えている、ファンタジーは、物語はどうあるべきか?という対立概念は、すべての創作者、すべての人にとっての世界認識にとって重要な示唆を与えてくれます。



世界を、ご都合主義の「めでたしめでたし」として考えるのか?



それとも、世界を、人の都合ではどうにもならない過酷なメカニズムだと捉えるか(=いいかえれば、ハッピーエンドは常に存在しないのが真実だと考える)



そして、もちろん伊藤祐靖の皮膚感覚、世界認識、そしてその結実としての「誰にも支配されないで独立自尊として生きる」ということを貫いていくと、どうなるかといえば、世界がたとえようもなく厳しくなるんですね。



なぜならば、この人は、この思想は、世界にご都合主義はあり得ないという、激しいリアリズムに貫かれているからです。



これは、僕は正しい態度だし、思想としても素晴らしく、この思想を自力で生み出し、日本語で残し、そして西洋文明をベースに近代国家を建設し建国期の創業者の一人として福沢諭吉を持てたことは、その後継に連なる日本人として、誇りで、幸せなことだと僕は思います。



しかし、同時に、いつも思うのですが、、、、リソースと資本蓄積と植民地に恵まれたアングロサクソン諸国(イギリスとアメリカね)に比較すると、旧枢軸国、アクシズ国家(日本やドイツのこと)の、世界から与えられる厳しさって、半端ないよなって思うのです。



この過酷な国際秩序、弱肉強食、適者生存に貫かれ、甘えと余裕のなし、ギリギリの世界が、いつも僕らの近代史の中には、背景にある。まるで、『獣の奏者』の世界がすり鉢状になっているような過酷さと同じように。


世界は本当にそれだけなのか?って、いつもとても思います。伊藤さんの話も言っていることはわかるけれども、そんなに本当に妥協の用地が全くないほど、世界は厳しくて、最悪のことばかり起きるものなのか?と、不思議に思います。


ちなみに、この様な過酷な設定で、描かれるファンタジーとしては、沢村凛さんの作品も、とても連想しましたね。


ヤンのいた島 (角川文庫)


セデック・バレ』(原題:賽紱克·巴萊 /Seediq Bale) 2011年 台湾 ウェイ・ダーション魏徳聖)監督 文明と野蛮の対立〜森とともに生きる人々の死生観によるセンスオブワンダー
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130427/p4


獣の奏者』 上橋菜穂子著 世界が人にきびしいです
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090824/p3


獣の奏者』 上橋菜穂子著 帰るところがない人は、より純粋なものを求めるようになる
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090607/p3


獣の奏者』 上橋菜穂子著 傲慢さを捨てられなかったのは・・・・だれのせい?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100306/p1

『瞳の中の大河』 沢村凛著 主人公アマヨクの悲しいまでに純粋な硬質さが、変わることができなくなった国を変えてゆく
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111217/p7

『黄金の王 白銀の王』 沢村 凛著 政治という物は、突きつければこういうものだと思う。けど、こんな厳しい仕事は、シンジくんじゃなくても、世界を救えても、ふつうはだれもやりたがらないんじゃないのか?CommentsAdd Star
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120126/p1


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