『ローグ・ワン(原題:Rogue One: A Star Wars Story)』 (2016 米国) Gareth Edwards監督 いま僕らはスターウォーズ・サーガが歴史になっていくその瞬間を見ていることになる!

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評価:★★★★★星5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ)


見ている最中、見終わった後、その傑作さに、しびれました。スターウォーズシリーズ最高傑作ぐらい言われていますが、いや本当に、とてもじゃないけどスピンオフの小作品的位置づけとは思えない、凄い大傑作でした。そして何よりも、この作品が凄いのは、これだけ面白い映画であるにもかかわらず、これがスターウォーズ・サーガの全体を、これでもかと面白くさせるスピンオフ的な作品でもあるってのが、凄い。なんというか不思議な作品です。僕は、スターウォーズシリーズにそれほど熱狂的な思い入れがあるわけではないので、ストーリーもうろ覚えなのですが、それでも「エピソード4/新たなる希望」の正史をもう一度見直さなきゃ、というか見たくなるにきまってんだろうこれ!!!と思わせる、素晴らしい作品です。たぶん、このスピンオフ的なエピソード3と4の間に当たる3.5的な位置づけによって、過去の正史をすべてもう一度リノベーションというかリブートというか、もう一度新たに価値を吹き込むことになるものでしょう。まるで期待していなかっただけに、驚きの大傑作でした。これは、映画館で見ておかないともったいないですよ!!!というような作品です。いやはや2016年って、なんだ!っていうぐらい映画の傑作が連発していて、もう打ちのめされそうですよ。ぜひとも、映画館に走って、この正月は、スターウォーズを見直そう!とお勧めします。


さて、まあこのブログは、僕の感想を書く日記だとしても、それでも、やっぱり、良い良いだけ言っていても、このブログのお薦めを信じてくれる人には、意味があるとは思うんですが、それじゃあつまらないので、僕が何を語りのたいのか、何をここから抽出するのか?というと、3点ですね。一つは、ルーカスからディズニーに権利が渡されて、スターウォーズが、歴史的な遺産として、いまなお新しく作り続けられる巨大な共同幻想として、人類史に君臨し始めた、その入り口に僕らは立ち会っているんだということ。もう一つは、この作品のヒロイン(というかヒーローであり主人公)フェリシティ・ジョーンズも、『フォースの覚醒』のレイ(デイジー・リドリー)もそうだが、やはりアメリカが、アメリカの現実をとても反映していている部分。最後に、この作品が、既に古典となりつつあるスターウォーズサーガの全体を、もう一度息を吹き込むむのでありながら、とても二次創作的な、これまであったアーカイブインフラストラクチャーをベースに、新しいものを生みだしていること、そういう共同幻想、歴史のアーカイブになるような形の大サーガが多くつくられるような傾向がある現代の傾向。この3つについて言及したいと思います。


1)スターウォーズサーガという人類のアーカイブとなるような共同幻想が蓄積されていく「歴史の始まり」に立ち会うこと


映画を見ている最中、いま歴史が生まれる瞬間を見ているんだ、と深い感慨に感じました。


「エピソード7/フォースの覚醒」は、もう一度、新しいものがつくられるんだけれども、それが本当に「新しい」のか?とか、ちゃんとしたレベルが維持されるのだろうか?とか、もしくはやっぱり共同幻想化した大きなアーカイブが再開するお祭りの興奮であるとか、そういう「下駄をはいている」ような状況があって、本当にこれが「歴史として構築されていくんだ」という、未来へのつながり、時間的な保証がされるかどうかがまだわからない感じがあったんだと思います。けど、エピソード7の出来で、ああこれは、本当にこのサーガは、まだ軽く10年は続いていくだろうし、そうであるからには、これまでの数十年のようにもうこのアーカイブが深く深く、基礎として僕らの思い出と記憶の中に蓄積していくんだな、というのが、実感されつつあるところに、さらに、畳みかけるように全シリーズをさらに深めてくれるようなスピンオフの大傑作が来ることによって、、、、ああ、歴史をいま経験しているんだ、という感慨を感じました。


日本であれば忠臣蔵とか、徳川家康とか、もうほぼ日本人なら知っているようね、というような歴史・共同幻想はあるわけです。イギリスなら国王の話やアメリカでのジョージワシントンの話のような。けれども、それが人類レベルで、共通の物語というと、スターウォーズ・サーガって、それらを軽く上回るレベルだと思うんですよね。


今、そういうものが出来上がりつつある。そして、ロサンゼルスのディズニーランドに建築中のスタウォーズの施設など、ディズニーの持てるエンターテイメントの展開力がこれでもか注ぎ込まれていくことが、もうわかってきている。ユニバーサルスタジオのハリーポッターの施設に家族で行ったときに、息子が興奮してハリーの話をしていたり、ホグワーツ城の実際の光景を見たりして、本当に感慨深く感じたのですが、こういうのが自分の孫の世代とも共有されて残っていくことがもわかっているわけで、そう思うと、歴史のアーカイブが積みあがっている、その大きな瞬間にいまであっているんだ、ととても思いました。アーカイブに染まっている、深くはまっていることは、同時代性を感じるとても楽しいことだと思うんですよね。ハリーポッターしかり、日本でいうならばエヴァンゲリオンなどもそうなりつつありますね。そういうものに同時代からは待っていると、それが共同幻想化して、様々な新しい展開をしていく歴史を体感することができるので、本当に幸せですよ。庵野秀明監督の『シンゴジラ』もそうですよね。あれも、ゴジラという大きなアーカイブの蓄積が共同幻想化しているからこそ生まれ出る作品だし、その背景をどれだけ抑えられているかによって、見る感がいの深さも変わってくるし、そこに新しく参加する若い世代異なる世代の人との共通のコミュニケーション可能な媒介ツールともなります。ゴジラなんかは、アメリカでも話しが通じますからね。ローランドエメリッヒ監督の作品があるわけですから。こういう共同幻想の広がりって、マジで素晴らしい。

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■エンターテイメントが世代を超えて安定して受け継がれるアメリ

さて、『バックトゥーザフューチャー』の2で描かれている未来が来た!と、2015年は、アメリカでは、ラジオやテレビで大盛り上がりでした。僕は、非常に感慨深かったのです。なぜなら、アメリカに住んでいて強く感じるのは、この国は近代の中に区切りというものがないのだな、ということです。どういう意味かというと、日本社会は、近代において、大きな区切りがたくさんあります。もっとも極端なものだけに限っても2回。明治維新と1945年の敗戦です。徳川幕府大日本帝国、日本国とまったく異なる国になっており、その基盤はもちろん変わらないのとしても、見かけ上はまるで違う国になっています。特に、日本においては、1945年にはっきりとした境目があって、戦後と戦前というのは、まるで異世界のごとく違う前提で構成されている、異なる国だという前提があります。しかしながら、こちらの博物館やさまざまな歴史の説明などを見ていると、近代における区切りがないんです。しいて言えば、独立宣言です(笑)。いきなり、18世紀までさかのぼってしまうんです。巨大な3帝国(フランス帝国スペイン帝国大英帝国)にはさまれた、ちっぽけな13州植民地という物語です。アメリカ社会が、歴史こそ浅いものの、その浅さは中世や封建社会を持たないという意味で、近代史においては、圧倒的な長さを誇り、その連続性が太く深く維持されているのです。なので、僕は近代史に限れば、近代国家としての感覚で言えば、アメリカにおける歴史の連続性のほうが、日本よりもはるかに深く長いように感じます。カリフォルニアの水不足は有名ですが、それは、フーバーダムによって緩和されたのですが、この建設意図は1920年代にさかのぼり、実際の建設は1930年代です。そして、それは、「ついこの前の歴史的事実」で「連続しているもの」なんです。この連続しているものというのは、凄い重要で、日本社会においては、1945年以前の倫理、道徳、ものの考え方、常識、地理概念といったものは、非連続で考えているんです。なので、自分たちの祖先、近代日本建国の父たちに対する価値観は、確定していません。なぜならば、「連続しているもの」ではないからです。そこには、いろいろな価値観の戦いがあるのです。でも、アメリカの展示物の記載、歴史の教科書、あらゆることの前提に、独立宣言以来、基本的にアメリカ的なるもの価値は、連続しているという前提に立っています。これ、住んでどっぷりつかってくると、じわじわと、日本とまったく違う社会なんじゃないか?という空恐ろしいというか、強烈な異世界感覚を感じます。「これ」がわからないと、まったく話がかみ合っていない可能性があるのだと思うのです。

そして、このあらゆるものが安定して継続していることが、エンターテイメントの世界においても、価値が断然しないで、世代を軽々超えて共有されて継続されていく傾向があります。『バックトゥーザフューチャー』や『スターウォーズ』シリーズに限らず、そもそもDesinyland自体が、3世代の家族が同時に同じものをワンセットで見れるように当時作られたものでした。価値が断絶していくであろう、世代間の壁を、共有するものを常に作り出そうとする強いアメリカ的なる意思が働くのです。


STAR WARS: THE FORCE AWAKENS』(2015USA) J.J. Abrams監督  現代的かつアメリカ的な映画としてのDisneyの新しいスターウォーズ
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160103/p1


こういう大きな歴史のアーカイブがわかってくることが、年齢を重ねること、たくさんの物語に、歴史に触れることの醍醐味だと思います。


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2)フェミニズムの文脈から見る女の子の自然体でのヒーロー化のその先を超えて


エピソード7のレイ(ディジー・リドリー)を見ている時に、ずっとハンガーゲームのカットニスが思い浮かんで仕方がなかったのですが、その女性が主人公でありヒーローであり、トロフィーワイフ的な条件が付かないまさに「主人公」として中心を担うフェミニズム的な新規さを、当時、といっても2015年に感じたのですが、それすらももう2016年の今の時点で、「あたりまえ」になってしまって、それらの前提は、新しく生まれる革新的な革命的な出来事ではなく、「当たり前の前提」、社会のインフラストラクチャーになってしまった感じがする。そう思うと、この多様性を許容していく現代社会の在り方が、急速に浸透しているのがわかる。


ハンガー・ゲーム2/The Hunger Games:Catching Fire』 Francis Lawrence 監督  現代アメリカをカリカチャライズした物語〜日本的バトルロワイヤルの文脈とは異なる文脈で
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140124/p1


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そういえば、この前ちょうど『インフェル』を見たんだけどヒロインのシエナブルックス役で出てましたよね、彼女。


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ちなみに、アメリカのドラマや日常的なテレビを見ていて、名前を知らないと、ピンと来ないかもしれないのですが、町田さんの以下の本とか凄い面白いですよ。こうしてワンセットに、社会に出ている女性たちを見ていると、もうすげぇんだな、アメリカって気が実感します。

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さて、少なくとも、アメリカの物語世界では、既にそれは「前提」であるような気がする。2016年は、トランプ大統領の誕生ということで記憶に残ると思うのですが、この女性蔑視というか、白人至上主義というか、まるでスターウォーズの帝国軍のような保守的なにおい、差別主義者な匂いがするトランプさんですが、僕は、どうしてどうして、現実にアメリカの報道や彼や彼の周りのSNSなどの直接の情報をコツコツ見ていると、既にアメリカは、フェミニズムリベラリズムといった価値は社会に深く根を張っており、また現実としてもそういうライフスタイルは既に行われ権利を持っているのが前提で、「それが確立して社会的力を持つ」のを前提として、それに対する反発をするというのが、保守というか、既得権益側の対応な感じがするのです。伝わりますでしょうか?。過去の、まるでマイノリティが無視されて、それらが、そもそも現実に虐げられて踏みつぶされている「だけ」だった時代ではなくて、既に現代は、モザイクのように様々な権利が、マイノリティの側の権力のある中で、社会の主軸が反発しているという構図に感じるのです。ですから、ポリティカルコレクトネスなども、行き過ぎたマイノリティ擁護が社会を逆の意味で不平等にしているというようなロジックになるわけです(本当かどうかはともかく)。


この「感覚」。伝わるでしょうか?。日本社会の固有の文脈は、これともまた別なのでわかりにくいのですが、アメリカにおいては、既に、もう女性が物語の主人公であることに、付帯条件が付かなくなっている感じがするんですよ。だから、ジン・アーソを演じるフェリシティ・ジョーンズが、Rogue(「はぐれ者」や「反逆者」)という荒くれもののチームのリーダーである時に、それまでなら、女なんかに従えるか!といううるさい男が出てきて、それで実力を女性が示してリーダーとして認められるような「付帯条件のエピソード」が必ず入ったものですが、そういうのが全く、毛ほどもない。彼女は、幼少期うに戦場に置き去りにされて生き抜いていることなどから、実力的にも男の荒くれものと遜色ないと、説明もなしに、認めているんですね、周りが。もちろん、そういう雰囲気を持った人であるという「物語上の設定」があるのかもしれないのですが、にしても、監督や脚本側に、そういう説明は入れるまでもないという常識・コモンセンスがはっきりある感じを示しているように思います。


という構造が頭に入った居る状態で、ちょっと前にあったTwitterでの炎上というか、もめごとなんかを見ていると、すっげぇおもしろいです。まぁ、面白いというのは不謹慎ですが、まぁ面白いものは面白い。

ローグ・ワンの脚本家の一人、クリス・ワイツがその後ツイートで示したように、帝国軍は選民的かつ抑圧的な思想の集団で、保守色たっぷりのオルタナ右翼と、ある種同属の身だ。さらには、もう一人の脚本家であるゲイリー・ウィッタも、帝国軍への抵抗に挑む反乱軍を「(アーソという)女性リーダーに導かれた、多民族の一団」と位置づけるツイートをしたことで、リベラルな映画制作側&ファンとオルタナ右翼の対決姿勢は鮮明となり、SNS上で「ローグ・ワン」の“代理戦争”ともいえる応酬が勃発したのである(ワイツ、ウィッタともに現在はツイートを削除している)。


さらにはルーク・スカイウォーカーを演じるマーク・ハミルTwitter上で“参戦”し、加えて『The Daily Beast』でのインタヴューでスカイウォーカーがゲイである可能性について言及すると、状況はますますヒートアップ、ついにはオルタナ右翼による『ローグ・ワン』のボイコットキャンペーン(#DumpStarWars)へと発展した。


『ローグ・ワン』とオルタナ右翼の“フォース対決”
http://wired.jp/2016/12/22/rogue-one-alt-right-boycott/

Mark Hamill Blasts Trump’s Cabinet: ‘It’s a Who’s-Who of Really Despicable People’
http://www.thedailybeast.com/articles/2016/11/27/mark-hamill-blasts-trump-s-cabinet-it-s-a-who-s-who-of-really-despicable-people.html


エピソード7では、僕は、女性がリーダーになること、ヒーローになり主人公になることがジョイ謡化してきたアメリカの物語、または決して恋人という位置づけではなく最高の友としての位置づけで黒人のフィンが出てくるところが、素晴らしかったと唸りました。

フィンの造詣が、ちょっといけていない感じの田舎者っぽい感じが、また素晴らしくわかっていると感じました。黒人の中でも、選ばれたエリートではなく、ほんとうに下っ端の過去も何もない末端兵士が、それでも、と正しことに目覚めていく様は、まさに正統なる成長物語で、もっとも典型的なビルドゥングスロマンで、僕はぐっときまくりでした。彼が、ほとんど強くなくて、レイを守り切れないのに、全力て立ち向かっていく様こそが、僕は美しいと思いました。人の美しさは覚悟にあると思うんですよ。それができるかどうかではなく、しなければならないと自分が定めたことに、突っ込んでいくこと。


『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

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こういうのも、そのマイノリティの苦闘の歴史という背後の物語の強度を実感しながらみると、その複雑さ多様性、強度に深い思いを感じます。もちろんそんなことはわからなくてもいいことですし、それでエンターテイメントの価値は変わりませんが、でも受け手の豊穣さは、絶対教養があったほうが豊穣になります。これもアメリカの黒人の歴史を知っていると、すげぇぐっとくるんですよ。脚本家、わかっているな!って。


アメドラはいま、かつてないほど充実している。

2010年代に入って、映画がどこの国にいてもどの年代でも楽しめるスペクタクル巨編へと化していったのに対して、その反動からアメドラは、主たる視聴者がアメリカ人であることも含めて、現代アメリカ社会をヴィヴィッドに描くものへと変わっていった。古くは「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」(原題:The Sopranos)、最近であれば「ブレイキング・バッド」のように、テレビのなかでこれでもかとばかりに“悪”を描き、表現の幅をグッと広げた。いまやアメドラは、多様なアメリカを描く文学的精神の居場所であり拠りどころだ。そのうえで娯楽性に溢れているのだからたまらない。


アメドラにあなたの知らない「アメリカ」を学ぶ:「ファーゴ」ほか、いま観るべき4本の必見ドラマ
http://wired.jp/2016/12/24/amedra-junichi-ikeda/

この記事で、アメリカの物語が、ドラマでアメリカ人であることを(その知識や地理感があること)を前提に描いて、良い作品が生まれているというのは、僕も同感です。それ故に、いわゆるハリウッドの大作であり、かつメジャーなスターウォーズサーガが、根本的な、基礎的な人間関係の部分において、アメリカ社会の現代の在り方を反映しているというのは、昨今特に激しいと思います。このローカルな背景や積み上げが理解できると、本当に世界の色彩が豊かになります。アメリカのドラマでは、マイノリティが前面に出てくるエポックメイキングな作品としてGleeが有名ですよね、これなんか見るのをおすすめします。ここのローカルな世界の積み上げで共同幻想というのはできているので、そういう背景の教養を積むと、繰り返しますが、世界の色彩が豊かになります。


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3)二次創作的な、これまであったアーカイブインフラストラクチャーをベースに、新しいものを生みだしている創造量の在り方が


1)で、スターウォーズ・サーガのアーカイブが歴史として出来上がっていく瞬間を感じた、と描いたのですが、これは一緒に見に行った友人が言っていて、なるほどと唸ったのですが、ローグワンは、正史を深く体感するようなスパイスに凄いなっているんですね。全然違う物語なんですが、にもかかわらず、深く深く正史を理解している。その理解の仕方、愛情が半端ない。様々な画面の作りや小道具、思想が、膨大なスターウォーズ正史の知識があればあるほど面白く感じるようになっている。なんで、最後の舞台が南国なのか?。それは、明らかに雪原や砂漠といった過去のスターウォーズのアンチというか別のイメージを狙ったわけだが、こういうことが随所にあふれている。見ていて本当に楽しかった。その友人が指摘していたのは、こうした(シンゴジラなど)リメイクの傑作がたくさん出ているのは、二次創作的な、過去のアーカイブを理解している感性が溢れてきたからだといっていた。そしてそれは、本当に同感。この新しい正史の創造が、オリジナリティではなくて、過去のアーカイブにつながれてつくられる二次創作的なものであるんですが、、、、これをリメイクとか続編とかスピンオフというと、僕はちょっと語感が違うと思っています。というのは、ローグワンが典型的なのですが、これはこの作品一つで完成しています。別にスターウォーズという設定がなくても物語として、独立してよくできている。にもかかわらず、スターウォーズへの愛が溢れている。しかし、この「愛が溢れている」という部分が、これまでのオマージュと等々とは違うと思うんですよね。というのは、一つには、過去の膨大な‐会部に対しての「本質の理解」の度合いがケタが違う。そこまで!と思うほど、深く本質が理解されて、それに基づいて物語がつくられている。これって、オリジナルを作ろうとする志向がある人の発想じゃないんですよね。オリジナルを作ろうとする人は、結局中身がスカスカの大したことがない作品を作ってしまうことが多いのですが、それは、結局積み重ねられてきた過去の蓄積のアーカイブを利用しないと、その人の実力があまりにあからさまに出てしまい、たいていの人はそこまで超絶な才能はないもんなんですよね。けど、なかなか過去のアーカイブって利用出来なかった。単純に、そんなに安く膨大な過去作品委同時に、いくらでも見放題のようなアクセスが、つい10年前まではできなかったからだと思います。映画評論家の淀川さんなどが典型的でしたが、過去の映画体験というのは一度しかないくらいの特権的なものでした。けれども、いまは、HuluでもNetfulixでも、Amazon.PrimeでもDアニメストアでもクランチロールでも何でもいいですが、凄い低コストで、過去の作品に何度も、一覧して一括で、それも膨大な人々が視聴体験することが可能なんですよね。これは特権的なものであった物語体験が、凄まじいれべえるで民主化したことだろうと思いうます。いやここまで行くとアナーキーに共産化した!ぐらいにまで行っていいのだと思います。そうすると、単純に過去の作品を見比べ勉強することが、凄く容易になったんですよ。しかも、過去のアーカイブの解釈や説明もワンセットで、体験できる。昔は作品を感受するこいとと批評的な解釈を
することは、それぞれ別の技術だし、特別に差異化されたカテゴリーだったはずですが、そういうのを浴び続けている若い世代は、本質を理解すること、、、、それrは膨大な情報をシンプルにまとめて抽象化することですが、そういうのが本当に容易になったんですよ。であるから、二次創作的な過去のアーカイブとの接続、本質の理解などのコストがかかる作業がとてもハードル低くすることができて、かつ、そこに自分のオリジナルを入れ込む余裕もあるわけです。今はそういう時代なんだな、と驚きます。まぁ、ぼくにしても、膨大に作品を見れるようになっているわけで、いやはや、本当に素晴らしい時代です。世界が一段変わったような気がします。