『ルース・エドガー』『WAVES/ウェイブス』『THIS IS US』を通してみる現代アメリカ社会の最前線

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評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ傑作!)

どちらも、黒人の高校生のお話。

映画としてすごくよくできているサイコ?とまで言はいかないスリラーなので、面白いです。他のブログで「魔少年or魔少女もの」、いいかえれば保護者の親が「この子はいい子なのか?それとも悪い子なのか?」というのがわからなくて、その「わからなさが」、個々のエピソードごとに、少しづつなぞが深まりあらわになっていくスリラー仕立てになっている。なので、この背景にあるアメリカ人社会の問題意識、当時のオバマ大統領への屈折とした感覚、ポリティカルコレクトネスの最前線の繊細さなどの「文脈知識」がなくても十分面白いのですが、逆に「そういったアメリカウォッチャー的な文脈」に興味がない人が、とても手に取るとは思えない作品でもある。だって、スター的な俳優いないし、英語タイトル「Luce」で邦題は「ルースエドガー」。これじゃ、なんにも人をひきつけない。Luce Edgar役を演じたKelvin Harrison Jr. は、2019年の『ルース・エドガー』と『WAVES/ウェイブス』の両作品で、俳優としての立場を確立した年ではありますけれどもね。

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僕自身も、アメリカウォッチャー視点でとりあえず見ておこうと選んだ作品でしたが、驚くほど面白かった。上記のように、主人公のLuce Edgarが、前任なのか?悪人なのか?がわからないサイコスリラー、学園犯罪ものとしても十分面白いのですが、それ以上に数々のセリフ、演出が、これ物凄い「現代のアメリカ」に対して繊細かつ皮肉かつ挑戦的で、これは、ぜひとも背後文脈も紹介したいと思いました。


■Julius Onah監督『ルース・エドガー』(2019)とTrey Edward Shults監督『WAVES/ウェイブス』(2019)

まずはあらすじを。

『ルース・エドガー』は、アフリカ系移民の高校生のルースの日常からはじまります。運動も、勉強もできるうえに、「アメリカ人としてのあるべき姿」を模範的に示す彼は、学校においても両親にとっても、物凄い誇りなんですね。けれど、歴史の教師の書いたレポートが、暴力を肯定している過激思想ではないかと疑われ、それの教師Harriet Wilson(Octavia Spenceras)が、彼の両親に注意をするところから、物語に暗雲が立ち込めます。両親は、白人の夫婦、Amy Edgar(Naomi Watts)とPeter Edgar(Tim Roth)なんですね。アメリカにおいては、養子制度はとても一般的で、人種が異なる家族というのは、けっしてイレギュラーでもレアな存在でもありません。アンジェリーナ・ジョリーAngelina Jolie)がたくさんの養子がいるのは有名ですよね。ルースは、赤道のギニアと並ぶアフリカの北朝鮮と言われるエトルリアからの難民で、10歳のころにリベラルなアメリカ人夫婦に引き取られているのです。そして、そこで彼は、元少年兵だったようなんですね。多分過酷な、成都市の現実を生き抜いた10歳の子供が、アメリカ社会の模範的なモデルになっている姿は、アメリカの偉大さ、リベラルな夫婦の献身的な意識のシンボルのように輝いているわけです。しかしながら、アルジェリア戦争アルジェリア民族解放戦線の一員として闘った革命家フランツ・ファノンを代弁して、「自由のために暴力を肯定する」ということを力説するレポートは、歴史教師のハリエット(Harriet Wilson)を動揺させます。もしかしたら、彼は「テロリストになるんじゃないか・・・・」と。そして、ナオミワッツが演じるルースの母親のエイミー(Amy)に警告するんですね。ちなみに、アメリカで子供を持つ親として、この成績が悪くて親呼び出し(笑)はしょっちゅうあるので、違和感はないです。しかし内容には、凄い違和感がある。歴史のレポートで「過去の歴史の人物になりきって代弁する」ということは、よくやります。うちの息子も、独立戦争の寸劇で、反逆者ベネディクト・アーノルドの代弁スピーチをとか宿題でやってました。これは、「歴史上の人物の代弁」なので、自分の意見とは関係ないはずです。それを、わざわざ、結び付けて警告するのは、ルースが、10歳の少年兵経験者の移民であることに強い関心を持っていることがうかがえます。この歴史教師ハリエットの警告を受けて、ルースの母親のエイミーが、最高の優等生だと信じて育て上げてきた、自分自身の過去と、ルース自身に疑いを持つ中で、心が揺れ動いていく…という物語です。

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ちなみに、さまざまなものとリンクするのが映画、物語の楽しみなので、この少年兵を経験しているアフリカ出身の黒人を見てどう連想するかは、ネットフリックスの『ビースト・オブ・ノー・ネーション』を見ておきたいところです。

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WAVES/ウェイブス』は、フロリダ南部の高校三年でレスリング部のエース、成績も素晴らしい文武両道の高校生タイラー・ウィリアムズ(ケルヴィン・ハリソン・Jr)が映画の前半の主人公です。学校の仲間から信頼され、めちゃくちゃ美人でタイラーにべたぼれのアレクシス・ロペス(アレクサ・デミー)という彼女までいる、ウルトラリア充アメリカの学園ものスクールカーストで、頂点に立つタイプの男の子です。通常、黒人家庭を描く物語は、貧しさが背景に描かれることが多いですが、彼の父親、ロナルド・ウィリアムズ(スターリング・K・ブラウン)は、かなり裕福な成功者で、とても豊かな生活を送っています。父親は、自分が差別される立場から這い上がった記憶があるようで、とても厳格に「強く、立派であれ」とタイラーに強制しますが、僕的に言えば、しょせん中産階級の郊外生活をしている家族だし、しかも黒人であることを考えれば、この程度は、僕にはまぁ当たり前かなと思えるくらい。しかし、タイラー(ケルヴィン・ハリソン・Jr)は、その期待に応えるだけの才能を持っていたが故に、なかなか家族に、特に父親に「肩が痛くて故障している」ことが言えず、選手生命を絶たれるレベルまで壊してしまう。これが、彼の坂道を転がりおちる始まりになってしまう。本当に繊細で、子供で、父親だって決して愛がないわけでもなく・・・・ほん小さなのボタンの掛け違えで、父親に故障を打ち明けられないのを痛み止めを隠れて飲んで我慢していたことが、すべての裏目に出てしまう。肩の故障で、奨学金による大学の道もたたれ、そのさなか、恋日のアレクシスが妊娠が発覚してしまい、その堕胎するしない、わかれる別れないさなかで、間違ってアレクシスを殺してしまいます。彼の内面が、子供であったことと、ずれて、肉体的にはレスリング部のエースなほどに物凄く強かったことが、最悪の結果に結びついてしまいます。判断がくるっていたのは、痛み止めの薬でもうろうとしていたせいもある。そして、タイラーは殺人の罪で30年間仮釈放なしの終身刑になります。この後、第二部後半は、妹のエミリーへ視点が移り、壊れてしまった家族、そして犯罪者の家族として生きなければいけなくなった残りの人生の癒しと再生の物語になります。

ちなみに、この作品のキーポイントは、破滅の原因となる父親、ロナルド・ウィリアムズ(スターリング・K・ブラウン)の厳格な教育なんですが、「これ」がどこから来るのかを、常識、コモンセンスとして感じていないと、この作品の評価がわからなくなってしまいます。そして、明確に「これ」と指示せる物語があります。NBCで放映している人気ドラマ『THIS IS US』(2016-2022)です。これにアメリカで黒人で生きるということはどいう意味を持つのかを、子供時代からずっと追い続けて描かれていて、主人公の一人であるランダル・ピアソンは、スターリング・K・ブラウン(Sterling K. Brown)なんですね。そう、タイラーのお父さん役の人です。彼が、「どのような人生を生きているか?」を僕らは今リアルタイムで追っていて、えっと2021はシーズン6が放映していました。まだ続いています。この対比を見ると、なぜランダル/ロナルドが、息子にああいう態度になるかは、痛いほどわかってしまうのです。

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■見るべき視点1:アメリカ人とは何か?-〇〇系アメリカ人のアイデンティティとは?

Julius Onah監督『ルース・エドガー』(2019)とTrey Edward Shults監督『WAVES/ウェイブス』(2019)を連続で見たんですが、ケルヴィン・ハリソン・Jr(Kelvin Harrison Jr.)の演技が素晴らしかったです。Luceでは、第二のオバマに見えるような優等生ぶり。しかし『WAVES/ウェイブス』でのタイラーの破滅に向かう若者のガラスのようないつ壊れるかわからない感と全然違う存在感に、驚きを感じました。最初とても同じ人には見えませんでした。


さて、ここで重要な文脈的「見るべき視点1」です。ケルヴィン・ハリソン・Jr(Kelvin Harrison Jr.)が両方の映画の「黒人の優等生役」を演じている。しかし、それが実は裏の顔がある悪人であるとか、壊れて最悪な結末を生み出してしまうって、そういうイメージがあるんですね。僕は、最初この「アメリカにおける黒人であることのアイデンティティという視点」で見ていませんでしたが、あきらかに2019年にこの脚本が生まれるというのは、この「アメリカの黒人」という問題意識があるし、それに対するコモンセンスや問題意識を共有していないと、物語の理解度が下がってしまいます。少なくともだ同時代でアメリカ人が見ている視点と、ずれて理解してしまう。細かく「アメリカで黒人であること」の話はするとして、そもそもそれ以前に、アメリカで、物語でも文化でも、何でも見るときには重要な大前提があります。これ途中で気づいて、あっ、こういう風に見るのか!と思いました。


アメリカでは常に付きまとう「自分は何者かという問い?」です。もちろんこの「自分探し」は、ティーンエイジャーにありがちな普遍的なものですが、アメリカではこれが他国とは異なる文脈が重なります。アメリカは移民の国であって、つねに「〇〇系アメリカ人」というように、ルーツ、言い換えれば「自分とは何者か?」というアイデンティティを確立するときに、他の国民国家とはかなりずれたというか根本的に異なる自我形成をせざるを得ません。自分なりの「アメリカ人とは何か?」という納得がないと、規定が全できないんです。これは。アメリカ人という「国籍(ナショナリティ)の次元」と「自分は何民族なのか?という民族(エスニシティ)の次元」、さらに、かなりのケースで人種・民族の血が入り乱れているので、4つも5つも様々な血がまじっている場合「自分が何人かは自分で選らばないと、訳が分からなくなってしまいまう。」のこの葛藤の重さは、他の国とは比較にならない重みがあります。このあたりの古典的な教科書は、『本間 長世思想としてのアメリカ―現代アメリカ社会・文化論』がおすすめです。

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この辺の、複雑すぎて、しんどそうとしみじみ感じるのは、テニスのスーパースター大阪なおみさんのドキュメンタリーなどを追うと、よくわかります。あなたは、何を代表しているのですか?と常に突きつけられて、その代表のとして「ふさわしいようにふるまえ!」と責めたてられる社会なんです。ゴルフのスーパースター、エルドリック・タイガー・ウッズ(Eldrick Tiger Woods)は黒人の父、華僑タイ人の母を持ち、若いころ自身のことを“カブリネイジアン=Cablinasian=白人+黒人+アメリカ先住民+アジア系と呼んでいましたね。

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■当事者バイアスに対する俯瞰意識と、しかしながら自分がその立場だったらというシンパシーを

アメリカ社会には、「自分が〇〇系アメリカ人」であるとと、感じ、理解していく、さまざまな物語の類型があって、このそれぞれの「類型の型の文脈の発展」を知らないと、いま何が語られているか???となってしまいやすい。それは、アメリカに住んで生活していれば、自然と感じてしまうことであるし、アメリカ人を、「外国の人」とか「海の向こう側のファンタジー」ととらえて眺めていては全くわからない皮膚感覚がある。ペトロニウスも、そもそもアメリカに来て、2020年のトランプvsバイデンの争いの中で、コロナの中で、アジア系が差別されていく中で、ああ自分はマイノリティなんだ!と痛切に実感したので、この辺のアイデンティティの違い、またマジョリティなのかマイノリティなのかが、ストレートに差別や命やvisaなどの滞在ステイタスに連結する感覚は、恐怖を感じて苦しまないとなかなか実感できないんだろう。また同時に、うちの子供たちは、ほとんどアメリカのカリフォルニアで育っているので、完全に現地の人なんだよね。英語力も現地社会への浸透度も。だから「現地の子供が親が感じる葛藤」を常に悩んでいる。この視点から、例えばアジア系のアメリカ人がどういう風に感じるかとかは、物凄く痛切にわかるようになる。また、移民第一世代の英語いまいちの親の自分と、、、、なんというか実際に教育のレベルから言って、すでに三世か四世以降レベルの違いがあるので、「アメリカ人度合いの違い」で起きる葛藤も、すごくよくわかる。逆に、これが「体感感覚で実感しない」と、なかなか物語も深くは入っていけない。

■見るべき視点2:アメリカ社会で黒人として生きるということ

この話、はじめると、もうきりがないほど深い。でも、この「系譜」に関する知識がないと、実はほとんどアメリカの物語を理解したことにならないと思うんですよ。なので、どういう作品群を見るとこの系譜が追えるのかは、下記に置いておきますね。

ハリソン・Jr.が役作りをするうえで、バラク・オバマとウィル・スミスを人物像の手本として挙げたという監督のジュリアス・オナー。「彼らはかっこいいが威圧的ではない男らしさを持った黒人の究極の例だ。カリスマ性や魅力は言うまでもなく、巨大なパワーと人気を誇っている」とオナーは語る。そして「ルースは黒人のアイデンティティの最高と最低を表している。彼はさりげない輝きと魅力を持っていて、話し手としても素晴らしく、才能のあるアスリートだ。しかし同時に、彼は子供の兵士としての暴力の歴史を持っている」と、その複雑な背景も明かした。

https://natalie.mu/eiga/news/381430

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■コリンキャパニック~アメリカの黒人の内面が造られる過程-

Colin Rand Kaepernickといのアメフトの選手を知っているでしょうか?。この人は、黒人問題でアメリカの差別に抗議して、国旗に対して敬意を表さなかったので、大問題になった人です。この人の子供時代をドキュメンタリー風のドラマに、エイヴァ・デュヴァーネイ監督が描いたのが『Colin in Black & White』(2021)なのですが、これが素晴らしくいい。まるでポリティカルコレクトネスというか、アメリカにおいて「黒人であること」がどのように形成されていくかが、ここのエピソードごとに物凄く平易にシンプルに物語化してくれています。これを、ワンセット6話ほどですが、全部見ると、教科書のように、黒人たちが何に怒っているのかを知ることができます。なので、勉強には物凄くいいです。

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《ハーフコラム》オコエ瑠偉選手の告白にハーフの私が思うこと。
http://global-familia.com/okoyelouis_blm/

白人視点ではない黒人の現実 膝つき抗議の“信念の男” コリン・キャパニックの青春時代をNetflixが描く
https://jasonrodman.tokyo/limited-series-on-colin-kaepernick-coming-to-netflix/

一人の男が4年前に放ったメッセージが今、世界を動かし始めた
https://blog.btrax.com/jp/blm-message/

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大草原の小さな家」作者の名前、米文学賞から外され 人種差別で 2018年6月26日
https://www.bbc.com/japanese/44610932

現在視聴可能な Black Lives Matter ムーブメントを理解するための映像作品10選
https://hypebeast.com/jp/2020/6/pro-black-lives-matter-movies-documentaries-films-tv-shows-stream


■歴史教師のハリエットはいったいなにがしたかったのか?


>隠された内面を読み解く様なミステリアスな面白さがある。

そう。まるでミステリーを見ているような、いったいどこに真実があるんだろう?という展開が見事でした。ただし、なぜ長々と上記で参照作品を上で上げてきたのかといえば、このアメリカにおいて黒人であることというものの意味文脈、問題意識が前提にないと、このスリリングの深さが全然わからないからです。

見ていくうちに、歴史教師のハリエットの演技が素晴らしかっただけではなく、彼女とのルースの「騙し合いの攻防」が、アメリカの「現在」を照らす構造になっていて唸りました。

ハリエットは、アメリカにおいて、黒人の「役割」を設定して、社会の改良のために必要な「物語」を作る狂言回しになりたいのですね。ここでは、ルースのような「優秀な黒人」と「無能な黒人」という役割を分けて、対比させることで、ルースの優秀者を際立たせて、エリートを育成しようとしているんです。それは、自分が、実際そうはなれなかったことや、現実の厳しさに苦しみぬいた果てに、そういう「物語」を教師の手で、人為的に作り上げてやれば、社会をよくできるという信念に基づいています。子供を、子供とも思わない、、、つまり人格は無視するという傲慢な態度ではありますが、これが一周回って、それくらい非道なことをしなければ、黒人というマイノリティの搾取される構造は変わらないという怒りと正義感が、彼女をこうさせています。過去の公民権運動の時代からのマイノリティの悲劇を知るので、「政治的にアフリカンアメリカンが正しくあれるような役割」を作り上げるという政治性は、ものすごく今のリベラルサイド、ポリティカルコレクトネスの傲慢さと、実際の子供のことなんかどうでもいいという暴力性を激しく感じて、見ていて不愉快でした。しかし、それは同時に、マイノリティの悲劇の苦しみを背負い、アメリカの社会でそういうゲームをしていかなければ生き抜けない地獄を味わってきたからこその、彼女の信念でもあるんですよね。この両義性が、歴史教師!!!のハリエットの立ち位置です。

しかしこれが、ルースは、このたくらみを察知し、「自分を駒として役割として、非人間的にコントロールしようとする」歴史教師のハリエットに対して、反撃を開始していくんですね。彼は、単純にアメリカの黒人ではなく、10歳まで少年兵としてアフリカで育ったという「ルーツが異なる」黒人なので、アメリカの「そうなるのが自然だよな」という物語のルールににはまるのを拒否するんです。ルースが、こうした「アメリカというゲームのルールにとって都合の良い存在」に押し込めようとするアインデンティティ戦争みたいなものをからすり抜けていく様は、まさに、今の若者だなぁと感じました。

これって「白人の夫婦の理想の息子という要求」(これは『Colin in Black & White』と同じ類型)や、ハリエットや学校の望む「理想の優等生でアフリカンアメリカンというアメリカ人」という要求を、どれも、「自分」を奪うものじゃないかとと告発しながら、その狭間で苦しみながら、生きていく。まさに今のアメリカだなぁ、としみじみと感じました。このあたりの、社会正義よりも、「自分自身」を優先する視点は、とても現代的なにおいがします。歴史教師のハリエットの視点は、日本でいえば、全共闘団塊の世代の昭和臭が凄くします。アメリカでいえば、ベトナム反戦運動公民権運動を潜り抜けてきた世代の臭みです。ルースらは、そうした世代に対するミレニアル世代(Millennial Generation/1980年代序盤から1990年代中盤までに生まれた世代)やジェネレーションZ(Generation Z/1990年代中盤から2000年代終盤までに生まれた世代)などの世代です。このあたりの、社会正義のためには、「駒になる」ことによって人格を否定されても、社会を変えるための礎にならないと、世界は変わらないと感じる旧世代の発想と、そうした時代は越えて、ポリティカルコレクトネスが浸透して、そんな社会の大義よりも、「自分たちの仲間」や「自分自身」の方が優先される新世代の意識の違いがあぶりだされています。


■「リスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)」という奴隷制

kamiyamaz (カミヤマΔ)さんのブログの感想が、とっても秀逸だった。

いや〜、非常に考えさせられました… (`Δ´;) ヌゥ 優等生(美形だったりもする)の周囲で「コイツが裏で糸を引いているのでは?」と思わせる不穏な事件が起きて、保護者的立場の人間が「良い子なの?悪い子なの?普通の子なの?(´Д`;) アァン」と「欽ドン!」ライクに悩む…。そんな「魔少年モノ」(or「魔少女モノ」)はこれまで数多く作られているワケですが、本作はそこに「立場による権力と特権(白人の養父母のおかげでハリエットと対等に戦えるルース、ルースと違って守られないデショーン)」とか「黒人同士の世代間の対立(ハリエットvsルース)」とか「リベラルの建て前と本音(理想論を語りつつもルースを信用しきれないエドガー夫婦)」とか「ロールモデルの呪い(優等生でなければ生きられないルース、子どもを産めないことを暗に責められるエイミー)」とかとか、様々な問題を特盛りにしてきた印象。

中でも興味深かったのが「黒人同士の世代間の対立」で、パンフを読んで知ったんですが、「リスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)」という概念があるそうで。今まで「善良で正義側の黒人キャラ」を演じてきた印象のオクタビア・スペンサーの役が「歴史教師」で「ハリエット」という名前ながら、ルースに断罪されてしまうというのは、非常にビックリいたしました。しかも映画終盤、ルースがハリエットに語る「模範的な行動を取らないと黒人が差別されてしまうなら、それは平等な社会とは言えない」みたいな主張(うろ覚え)は「そりゃそうだ!Σ(゚д゚;)」と、目からウロコだったというか。なんかね、それって非常に当たり前のことなんですけど(汗)、今まで気付いていなかった自分の差別意識を指摘されたようで、ちょっと恥ずかしくなりましたよ…(とはいえ、ハリエット側からすると「そうしないと生きていけなかった」ワケですがー)。


ここまでコテンパンにされて救いのないオクタヴィア・スペンサーは初めて観たかもしれません。

ルース・エドガー(ネタバレ) | 三角絞めでつかまえて

「リスペクタビリティ・ポリティクス(差別されないように模範的な行動を取ること)」というのは、とても興味深い概念です。なるほどなーって。これって、ようは歴史教師のハリエットが、やっている戦略というか行動ですよね。このアメリカ的な文脈に乗せることによって、ルースにスポットライトを浴びさせる。でもこれが、前の世代からのある種の監視というか洗脳であって、これ自体も奴隷制度と何ら変わらないと思うんですよね。「自由」という観点からは。そういう意味では、僕は世代間の対立、、、、ルースことケルヴィン・ハリソン・Jrの世代では、そういった社会正義のイデオロギーよりも、個人の自由のほうが、重要になっている気がして、そういった個人の自由は、国家や自分の属するマイノリティの立場が安定してこそ意味があるということが、すでによく感じられない政界に生きている若い世代にとって、そんなもの自分たちを支配する装置に過ぎないだろうと感じると思うんですよね。そういう傾向がある気がする。



■見るべき視点3;家族の世代間の変化から見る-4-5世代の家族の変遷を描く大河ロマンのような『THIS IS US』

タイラー役のケルヴィン・ハリソン・Jrの演技が素晴らしかったです。この後で、連続でルース・エドガーを見たのですが、文系?系の見事な優等生な感じで、演技の幅広さに驚きました。この2つの映画はぜひとも比較してみてほしいです。


先にも書きましたが、そして『THIS IS US』を見てほしい。逆でもいいですから。


というのは、タイラーの父親のロナルド・ウィリアムズを演じている スターリング・K・ブラウン (Sterling K. Brown)ですが、僕が好きなNBCのドラマの『THIS IS US』というのがあって、そこで幸せな誠実な黒人家族役のランダル・ピアソンという役なんですが、この人は、白人の家庭に養子になって、白人の双子と3つ子設定で育った設定なんです。アフリカンアメリカンが、優秀で、かつ白人の家で育てられて、でも黒人で、、、というアイデンティティの苦しみを、誠実に、じわじわ克服というか、戦っていく話になっていて、本当に色々なドラマが起きるんですが、なんとか誠実に解決していくんですね。

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それを見ていただけに、『WAVES/ウェイブス』において、息子のタイラーに「強く、完璧であれ」で激しくのぞむロナルドの役がすごく感情移入してしまって、、、えっと、ロナルドがそういう言い方をするのは非常に納得というか、痛いほどわかるんですよ。黒人の歴史を知っていれば、彼がタイラーをあんな高級住宅地で育てることができるようになるまでになめた辛酸、努力というのは凄まじいはずなんですよね。この「凄まじさ」が実感されなければ、息子のタイラーに「強く、完璧であれ」という命令が、ただの家族の暴力、パワハラにしか感じなくなってしまいます。これ文脈の違いが分からないと、同じものを優しさととるかパワハラととるかが、全然違ってしまうと思うのです。そして「その両方の立場」を感じていると、この物語のドラマ性の深さに、胸が熱くなるのです。しかしながら、それがどんどんタイラーを追い詰めていく様は、本当に見ていて痛々しいというか、鋭く刺さる感じで、苦しかったです。これは破滅に向かっているなぁと見ていてどんどん伝わるので、凄い苦しかった。


しかし、これはまさに今のアメリカの映画でした。

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■見るべき視点4:これをオバマ大統領批判ととらえるのは容易に連想できるが、それはあまりに皮相的な表面の理解に過ぎないのではないか?

バラク・オバマは歴史に残るアメリカ大統領。黒人初のアメリカ大統領であり、「YES WE CAN」という名言も残している。また、日本の某総理大臣と比べて、今流行りの映画や音楽、書籍を読み、その幅広い守備範囲はオタクからみても好感度しか抱けないのだが、実は大統領時代、無人機で中東を爆撃し、ドナルド・トランプよりも間接的に殺人をおかしていたりするハードコアな政治をしていた。優等生で、理論もしっかりしているからこそ、まっすぐな暴力を論理的に実行する。だからこそ、我々は表面的側面を鵜呑みにしてはいけないと映画は力説しているのです。

そして、もう一つ興味深いのは、ルースを巡る周りの人の行動である。ルースを迎え入れた家族は、難民を受け入れ、優等生に育てたという自負があるので、なかなか先生から聞かされた花火の話を信じようとはしません。一応、彼には婉曲に訊くのだが、頭が良すぎてうまく真相に辿り着けない。一方、先生の方は、彼が優等生で鋭い論を展開するだけに正しい道へと示そうとするのだが、彼女の横で起こる別の問題ですらきちんと処理ができず、頭を抱えるのだ。

能ある鷹は爪を隠すというが、本作は爪の裏にもある刃の存在を指摘した骨太な作品でした。

『ルース・エドガー』優等生の裏の顔はバラク・オバマの影を…
https://france-chebunbun.com/2019/11/28/%E3%80%8Eluce%E3%80%8F/


ちなみに、このルースの歴史教師ハリエットを陥れていく「魔少年的なシナリオ」を指して、オバマ大統領を風刺しているという分析をよく見かけました。なんというか、たぶん2019年の発表当時に見たら、まぁそれ以外考えられないなと思うくらい風刺的、時代的に解釈できる見方だと思います。でも、僕は、それは、上記でいうところのロナルド(父親)の、息子への命令「強く、完璧であれ」というものを、単純に「今のポリコレの視点」からパワハラとしてとらえるシンプルすぎる見方だと思います。というのは、このルースの、あり方というのを、単純に「真意を隠しているこざかしいこずるいやつ」として
とらえるのは、間違っている感じがするからです。


■学園の痛快な逆転劇としても見れないだろうか?~ポリティカルコレクトネスという建前に対する若者の反抗としてとれないか?

これを、おどろおどろしい音楽で、サスペンスホラー調に描くと、たしかに、ルースの歴史教師ハリエットを陥れていく「魔少年的なシナリオ」みたいな感じで、ルースを悪魔化していくのことになると思います。そうすると、ルースは、アメリカ的な文脈から外れている「得体のしれないやつ」というような怖さを放つことになります。


でもね、僕はこの作品を全編見ていて、サスペンス風のおどろどろしい音楽の演出に、ずっと違和感があって。というか、これあまりにベタにそう描いているのは、「売れるため」に、世の中のアンチオバマに対しておもねっているように見えるんだけれども、内容それ自体を考えれば、権威主義的で硬直的な社会のルールを押し付けていこうとするハリエットに対して、何度も裏をかいていく痛快な逆転の復讐劇に見えるんですよね。ほんとうは、監督は、そう描きたかったんじゃないかって。だって、「起きている事実」自体は、ルースのほうが、何倍も上手の知恵者でいたという形で、ハリエットの策士としての攻撃を、どんでん返しして言っている「だけ」なんですよね。ルースが、将来テロリストになるかも?とか、思想的にアメリカ的なるものに染まらない、というのも、そういうのは周りが感じる「感想」に過ぎないんですもの。事実を見ると、自分の友人の黒人を「悪者に貶めて自分(ルース)を光のサイドに演出する」というシナリオを、真っ向から打ち破っただけ。大人が作っている権威的な既定路線の類型をぶち壊しているだけなんですよね。


むしろ、僕は、次世代への希望を感じる。だって、


「白人の夫婦の理想の息子という要求」(これは『Colin in Black & White』と同じ類型)

黒人のハリエットの望む「理想の優等生でアフリカンアメリカンというアメリカ人」


という古い世代が作った既得権益のルートを、どっちも拒否するって話だもの。差別を構造化した白人のアメリカもだめだし、かといって黒人のただ抵抗すればいいという予定調和もだめ。そうでない道が、奴隷のルーツでない、アフリカの少年兵というアメリカの黒人のルーツでもかなりレアなルートからの人間を選んでいる点も、既得権益を壊す存在に希望を見出しているように見えます。となると、もともとのオバマ大統領に託された希望にも見えたりする、、、、そういう何重もの意味が重なっているところが、この作品の魅力に感じます。




■参考

ノラネコの呑んで観るシネマ ショートレビュー「WAVES/ウェイブス・・・・・評価額1700円」


ノラネコの呑んで観るシネマ ショートレビュー「ルース・エドガー・・・・・評価額1650円」


www.imdb.com


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