客観評価:★★★★★5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ)
ディズニーの歴史に残る傑作になるだろう素晴らしい作品でした。ノラネコさんがおっしゃる通り極上のエンターテイメント超大作。映画館に見に行く価値があると思うし、これは女性でも子供でも誰でも見られる敷居の低さがあるところが素晴らしい。なので、デートとか家族と行くには最高かもです。
■キャラクターの動機を強化することによって、アニメ版から実写版のリアリティレベルの変化を丁寧に対応し、見事なリノベーションであり傑作映画に
けど、脚本も素晴らしいし、いろいろ語り口があると思うんですが、僕がこの映画を一言で表すならば、
本好が好きすぎてだいぶこじらせて痛くなっていた女の子が、男性に、図書館ごと本をすべてあげるよといわれて、恋に落ちちゃう話
です(笑)。どういうことかというと、この作品を見ていて思い出したのは僕らは、マンガの宮原るりさんの『僕らはみんな河合荘』もしくはライトノベルの『本好きの下剋上』なんですけれども 本が大好きで大好きでたまらない娘で、ちょっと周りとうまくいかなくて痛くなっちゃっているような、こういう女の子って多い(というか男の子もね)と思うんですけれども(笑)、そういう子は、男性からというか異性を受け付けない状況、というかこういう思春期に内面が早熟に成熟していく人は、人間嫌いというか外の世界と折り合いがつかなくなって自己肥大しちゃうケースが多いですよね。けれどもそこで男性からのこの図書館を丸ごとあげるよって言われたらもうそれだけで惚れちゃいました(笑)みたいなそういった作品と言ってしまえばいいんだと思うんです。まさに それに尽きると思うんですよ。
これは僕の好みということもあるんですけれども、知的で非常に本が好きで内面が複雑になりすぎて、外とのコミュニケーションが取れなくなって、こじれちゃってることか、そういったタイプの子っていうのは非常に魅力的だと思うんですね。男女問わず。まぁ自分の子供時代と重ねているというのもあると思います。ここで描かれているキャラクターは、まさにその部分が強化されている形になっています。ベルが野獣に恋に落ちる理由に、野獣自体が残酷な王のお父さんに育てられて非常にひねくれて育ってしまって城の中でも孤立していて、当然自分の領地でも孤立しているという傾向があったという部分と、同時に、ベルという女の子自身もですね、パリという大都会から父親と辺境の村に来て、変わり者として暮らしているという設定になっていて、彼女自身も今いる世界にうまく溶け込むことができない形で生きているという孤独感、不遇感いったものを持っている。その部分がお互いの共感を得て愛するようになっていくという動機の構造になっています。だからお互いひかれるようになっていく。
どのタイミングで恋に落ちるのかという、もともとオリジナルのアニメの作品においては、野獣が狼には襲われるという部分、エマが襲われるという部分を、それをきっかけにして二人の仲が急速に深まっていく形になるんですけれども、この作品はもうはっきりと恋に落ちる瞬間というのが分かって、城の巨大な図書室にですね、野獣がベルを連れて行ってこの部屋の本を好きなように読んでもいいよと、あなたのものにしてもいいですよという風に言われてそれで一気に飲ま彼女が恋に落ちるはこの瞬間のこのエマ・ワトソンの可愛さという表情と仕草は、もうとんでもないレベルでした。これはですね、是非見に行く価値があるすごい可愛いものです。はっきりと恋に落ちる瞬間をこれだけ明示的に演出しているのは、脚本がこの実写版のコアが動機を深めて強化しているところであることを、よく分かっているのだともいます。なぜならば、この後、ベルが、「ここにある本を全部読んだの?」という質問に対して、野獣が「ギリシャ語をはさすがに読めないよね」と、返すシーンにも表れています。逆に言うとほとんどギリシャ語以外を全部読んでいるということを示唆していて、ガストンのような非常にがさつな男と結婚して生涯一緒に暮らすことは可能性として十分あり得る話だと思うんですよね、ああいう田舎の町であれば、そんな絶望を長く持ち続けていたベルにとって、知的で繊細な男性と暮らしたいというふうに思っているわけで、その可能性が一気にここで見えるわけです。そりゃ、笑顔にもなるよね。あの当時のフランスの近世?中世?ぐらいの辺境の村で暮らしている女の子としては、ベルは、とても意識が高い。父親がパリに住んでいた芸術家で、そこで育っているのというのが、そうさせているんだろうと思います。そういう娘にとって、ガストンのような典型的な田舎の家父長の粗暴な暴君の下で、トロフィーワイフ的な美貌と子供を育てる道具、いいかえればいい具体で夜の相手をさせられて、こどもを育てる召使なわけで、そんな人生を考えただけでも、ため息は出るでしょう。当時の時代背景からそれが普通であったとしても。なので、お互いの愛が深まっていくというシーンが、本の内容について話し合うというような形になっている。その後のシークエンスを見ても明らかです。
オリジナルでは、野獣はベルの気を引こうとして、屋敷の書庫を開放するだけなのが、こちらではお互いに好きな本を朗読したり語らったりする。
これはオタク部屋に招き入れたら、実は同好の士で思いのほか気が合ってしまった様なもので、表裏がなく実直なベルと、ちょい捻くれていてツンデレの野獣という、対照的な様でどこか似た者同士の二人をよりリアルに愛らしく見せている。
ノラネコの呑んで観るシネマ
http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-1010.html
ノラネコさんが、オタクが同好の士を見つけてハマってしまった(笑)というような書き方をしているが、まさにそうですよね。
この実写版オリジナルの原作と比較してほぼ同じ作りをしています。それに対して、プラスのエピソード追加しているんですけれども その中で最も興味深いのは主人公のベルの動機を強化している部分だと思うんです。その部分がとても強化されていてキャラクターが、なぜ野獣を好きになるのかという部分が、詳細に描かれるようになっている思います。このことによってオリジナルの原作と全く違う作品になっていると言っても過言ではないと思います。オリジナル作品はともすれば主人公エマと野獣二人とも、かなり子供の設定でそういった、なぜ彼を彼女を好きになるのかという部分が深く突っ込まれていませんでした。しかしながらアニメーションにおいては、そのリアリティレベルで十分でありかつ脚本としても完成していたので、それは全く何の問題もなかった。が、しかし、その部分をさらに実写化することによってリアリティレベルがかなり高いレベルに引き上げられている形になります。ここでいう高い低いというのは物の良し悪しではありません。そうではなくて 物語のリアリティレベルをどのレベルで維持するかということになります。そうした時に大人でも鑑賞に耐えうる素晴らしい作品に変わっている。
『僕らはみんな河合荘』というのは、『めぞん一刻』のような下宿ものなんですが、つい最近9巻が出て、やっと主人公の宇佐くんと律ちゃんが両想いになったんですよね。で、このヒロインの律という女の子が、まったくもってベルと同タイプというか、さらにこじらせて痛い本好きで、内面が豊かな部こじらせて回りとうまくいかないで孤立しているぼっちな女の子なんですよね。その子がちょうど、デレまくっていくのが9巻なんですが、これをちょうど読んだ直後に映画を見に行ったので、凄いシンクロでした(笑)。
もう一つは、やっぱり『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません』ですね。主人公のローゼマインも本が好きで好きでたまらなくて、それ以外がほとんど情緒が発達していない(笑)子で、この長大な作品で最後の最後まで、そういう色気よりも常に本という姿勢を貫いているのは、潔いんですが、彼女が、まぁ別にいらないけど結婚してもいいというなら、本をいっぱい読ませてくれる人かな?と常に考えてて、図書館をやろうといわれた途端、何とか結婚できないかとギラギラ考えめたりするので(笑)、でもこういう本好きってわかるなーと思うんですが、この系統の女の子に、ベルも参戦してくるとは、思いもよりませんでした(笑)。
■本好きのハーマイオニーが恋に落ちる瞬間を!(笑)
ちなみに、この脚本は、本当によくわかっているなーとしみじみ思うのは、この役がエマワトソンなところです。女性脚本家のリンダ・ウールヴァートンですが、ベルを保守的な辺境の村にあって聡明で先進的な女性として描いています。そこから生まれる孤立感がこの作品コアなわけです。ビル・コンドン監督自身もゲイで、ガストンの相方のル・フウを同性愛者と描いていて、いいように利用されているのになぜガストンにつき従うのかは、好きだからなんですね。地方領主といえどもフランスの宮廷における黒人比率も多すぎるし、さすがの最先端のディズニー作品で、アメリカ社会のリベラルな雰囲気を、これだけ正統派の女の子が王子様に見初められて幸せになるという玉の輿物語を、見事にモダナイズしている。様々な仕掛けがこの作品委はしてあって、正統派の女の子の玉の輿物語という、行ってみれば古臭く保守的な物語とは思えない、様々なものが隠れています。このへんもディズニーって凄いなと感心します。さて、エマワトソンは、国連「UNウィメン」の親善大使として活動するフェミニストとして有名なんです。これ、よく新聞などで出てくるので、英語で情報を取る人は、非常によく知られていると思います。よく話題になりますからね。たとえば、男性にフェミニズムへのサポートを呼びかけるキャンペーン「HeForShe」の立ち上げにも関わり、カナダのトルドー首相とかと会談していましたね。
このまじめさ、、、、やっぱりね、ハーマイオニーだなぁーと思うんですよ。ハリーポッターの。でも、この大傑作に出演して完璧なベルを演じたことにより、彼女は、美女と野獣のベルであるエマワトソンとしてイメージが塗り替えられると思うんですが、なんというかキャラクターが、ハーマイオニーも、現実のエマワトソンも、美女と野獣のベルもみんな同じなんですよね。これ、凄いシンクロで、こういう生真面目な女の子が、それでも、正統派の玉の輿物語で、男性に「選ばれる」という古典的なドラマトゥルギーを、ベルの主観視点から描くことにより、むしろ、男性を救済してあげる形になっていることは、いやはや見事な脚本だと思うんですよ。しかも、オリジナルの脚本、映画の構成を全く開けていないで、ほぼトレースしているにもかかわらず。素晴らしい仕事です。それだけではなく、うーん、エマワトソンにせよ、ビル・コンドン監督にせよ、リンダ・ウールヴァートンにせよ、よくよくわかってこの脚本と演技をしているなと感心するんですよ。いやはや、そういう背景を知ってこの作品を見ると、さまざまな小粋な仕掛けがたくさんあって、素晴らしい作品です。これもアメリカのリベラリズムの最前線にある作品なんだなと感心します。
ちなみに、最近話題になったのは、この下乳事件ですね(笑)。
Emma Watson: "Feminism, feminism... gender wage gap... why oh why am I not taken seriously... feminism... oh, and here are my tits!"
エマワトソン「フェミニズム、フェミニズム、男女の賃金格差、どうして私の話をみんな真剣に聞いてくれないのかしら……私の胸なら興味あるかな」
https://whatnews.jp/archives/448
フェミニズムなのに体を見せものにするなんて偽善者だ!と怒る人もいれば、自分お身体を好きに表現する自由を受け入れるのだってフェミニズムだとか、いろいろ論争起こしたやつですよね。
なんか、またハーマイオニーが見たくなりました。初登場のしたったたらずなハーマイオニーグレンジャーと名乗るしゃべりかたが、かわいかったよなー。ハリーもそうなんですが、いやはや素晴らしい俳優の集まりでしたよね、この映画も。