評価:未完のため未評価
(僕的主観:★★★★★5つ)
■ハーレムメイカーの位置づけからこの類型の最前線はどこに行くのだろう?
この作品は、なんだかとっても好きなんだが、何が好きかを論じる時には、やっぱりハーレムメイカーの流れで、どこへ行くのかを考えてみるのが面白いのだろうと思う。ハーレムメイカーの流れは、ざっというと、たくさんのいろいろな女の子にちやほやされたい、という欲望を背景にマーケティング的にさまざまな典型的なキャラクターが生み出されて並列に配置されてきました。だが、ヒロインは一人であるべきという圧力と、並列に配置するという力学がぶつかった結果、寸止め状況が発生してきます。「耳が聞こえないようにふるまう鈍感系主人公」というのはこのせいで生まれたといえるでしょう。この倫理的告発をしたのが平坂読みさんの『僕は友達が少ない』でした。けど、たいていのハーレム系の萌えアニメは、結局のところ選択肢を選べずに、女の子が並列で放置されることになりました。ところが、寸止め状態が進むと、男女の関係のドラマトゥルギーが進まなくなるので、ヒロインの逆襲(byLD教授)という形で、女の子が自分ひとりで生きていける、もしくは男の子「が」口説くのではなくて、「女の子の方から主体的に動く」という形の物語に変質してしまう傾向が見れるようになります。サブヒロインの女の子が主人公になって独立してしまった『とある科学のレールガン』の美琴さんが典型ですね。そこで分岐があって、女の子だけでいいじゃないかという方向に行ったのが、日常萌えアニメ系ですね。『ゆゆしき』がその頂点にある作品であると思っています。その後、ラブコメの復権があって、結局のところ、やっぱり一対一のメインヒロインとのルートを極める方が、ラブコメの「面白さ」は輝くんだよね、ということで、『ニセコイ』などの結論も、そこにいきました。男女同数系と僕らは想定して、男の子と女の子を等分にかき分けるというような宮原るりさんの『ラブラボ』の方向性を予想しましたが、それは一部の可能性で終わって、やっぱりラブコメ、そして三角関係の復権に行ったと思っています。いまのところ。もちろん、昔のようにそれ一色になるわけではなく、様々なパターンがグラデーションで存在するし、基本フォーマットはハーレムメイカーだったり、男子の視線がない女性だけの日常萌え系だったりなど、「過去のそれに戻ったわけではない」のですが、実際には、時代は繰り返すというような古典的王道の骨太の物語に回帰している傾向は、否定できません。
では、この語、物語の類型は、どこに行くのだろうか?。
というのを考える時には、個別の系(可能性)を、コツコツ追わないといけないですよね、といった帰納的に考えようとしている中で、この『冴えない彼女〜』が出てきたわけです。これも典型的なハーレムメイカーの設定です。しかも寸止め系。だって、あまりに個々のヒロインのキャラクターが強くて、主人公が選べない形になっている。それぞれがとても典型的なキャラ(たとえば金髪ツインテール幼馴染とか)な上に、個々のエピソードを丁寧に積み上げているんだから、そりゃ選べなくなるよ。
この作品をハーレムメイカーの系譜の中で位置づけるとすれば、どこを見るべきか?
前回の記事というか分析で、でもこの主人公の安芸倫也くんは、悪くないよね、という話をしました。この視点は、もう少し引いてみると、男の主人公に「みんなから愛される理由や魅力」「もしくは状況」があれば、ハーレムメイカーの寸止めによる物語停滞の圧力が働かず、他の方向に抜けるのではないか?という話でした。実際、倫也くんは、何もしないで愛されるといった「都合のいいキャラクター」じゃないよね、と思ったんですよね。それは、何か?というと、僕の感覚的なものではなく、要はこれはお仕事系全般に存在する、アソシエーション(共同体ではなく結社という意味ね)への志向性なんだな、ということ。難しい言葉になっているんですが、ようは、共同体…言い換えれば家庭、結婚に至るコースではなくて、仕事を追求するどうしてとしての会社を志向する方向性であるならば、寸止めであることの倫理的な問題点が発生しにくいということなんだろうと思うのです。アソシエーションは、仲良しクラブの共同体ではないので、好き嫌いは関係なく、「目的に適合しているかどうか?」「目的達成に貢献できるかどうか?」でその価値が図られるからです。というか、要は仕事ができるとか、目的があるとか、なんというか女の子とかかわりのないところで、倫也くんって、存在感あるじゃないですか。オタクだけど、ルサンチマンがなく、かといって草食系の動機レスでもなく、ちゃんと強い悪をもって、それでいて人間のバランスもいい。こいつ、もてるよ。一般的な意味でというわけじゃなくて、近くにいると魅力がわかるタイプだろうと思う。その彼のエネルギーを、仕事、モノづくりの方向に振り向けている。「それ」に巻き込まれる形で、ヒロインたちが存在している。
なんで、メインヒロインの恵が、仕事のパートナーとして存在感を増していく(エピソードが積上げられていく)というのは、とてもなるほどと思うんですよ。
そして、サブとは言えないほどの存在感を放つ二人が、仕事のステップアップというか成長が故に、倫也から離れなければいけないというのは、とてもしっかりしている構造だと思うんですよ。全然無理がない。だって、ヒロインの逆襲といわれる「寸止めにされた女の子たち」がどうなったかといえば、男のことを無視して、それぞれに自分のやりたいことを探した出したってこと、言い換えれば依存から解き放たれて、自立したってのが大きな流れなわけですよ。そこには、異性か仕事かと問うたときに、その答えは「自分のやりたいこと」が一番大事なんだという、「その人が本当にしたいこと」を目指すのが正しいといった、個人の自立の話になってくるんですよね。これは、正しい発展の方向だと僕は思うんですよ。
そんでね、ここが、丸戸さんの作品のいいなーと思うんですが、このお仕事系の話が出てきたときに、ラブコメにおける問題点をだいぶ解消する射程距離があると思うんですよね、この人の発想には。それが色濃く出ていたのは、『ホワイトアルバム2』。これって、高校生の時に熱病のような恋愛が始まって、それが成就するというか一つの結末を迎えるんですよね。だけど、第二部というか、「その後」といって、大学を卒業した後の社会人になって「人生のやりたいこと」を目指し、社会人になったステージで、もっとドロドロした話が始まるんですよ(笑)。
えっと、ラブコメの問題点というのは、少女マンガの問題点と同じなんですが、恋愛が成就(=お互いが両思い)になった後に、それでも続く人生において、結婚や社会に出て金を稼がなければいけなくなったりして、「自分の実存」や「社会とのつながり、社会での価値」などが総合して押し寄せてきたときに、それでもその恋は、機能するの、意味を持つの?という問いです。もう少しいうと、恋と、結婚した後の愛は違うよねって話です。少女漫画の問題点には、肉体が抜けやすい、いいかえればSEXがちゃんと描かれていないという問題点があるわけですが、要は舞台がどこかってことで、そこは無視されてしまいやすい。だって、中高生の恋愛ロマンスを描いているのに、「そこ」まで書いてドロドロしても仕方がないじゃないか、ターゲットと表現したいものが違うんだよ、と言われてしまえば、そこで終わるからです。
でも、それ全部射程に入れたものを見てみたいよね?というのは、決しておかしくないと思うんです。ターゲットがぶれるし、キツイ現実を見せつけられるので、企画化されにくいと思うんですけどね。
なので、お仕事系は、お仕事系で別のカテゴリーとして描かれる傾向がある。
でも、これって実は、一緒にすると意外に相性がいいって、気づいたんだろうと思うんですよ。
『クラスルーム☆クライシス』 監督 長崎 健司 シリーズ構成・脚本 丸戸史明 11話からのどんでん返しが、素晴らしい!!!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151213/p1
ということで少し話がずれたんですが、ふーむ、ラブコメを考えるときに、学園が舞台になると、「社会に出てやりたいことやれること」というものがクリアーに現実として出てきていないので、純粋に惚れたとかどうとかの話ができるという部分はあるんですが、仕事が絡むとそうはいかなくなるんですね。ちなみに、この恋じゃないところでのリアルの部分が、学園で出てくるのは僕は生徒会ものだと思っているんですが・・・・その話は、次に譲ります。
ということで、この話はまた続きます。
『冴えない彼女の育てかた』 亀井幹太監督 丸戸史明 脚本・シリーズ構成 ハーレムメイカーの王道 - あなたは誰を一番に選びますか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160109/p4