『自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方』ちきりん著 時間の希少性を意識できる人間が生産性にこだわり続ける

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

素晴らしい本。読むべきです。これ友人すすめまくっています。第一印象のプラスの部分は、自分もやれるかも!やってみよう!、なるほどそういうことか!という感じの具体的な行動に結びつく感じがたまらなかった。凄い具体的だった。伊賀泰代さんの『『生産性』 マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの』は、理論とまではいわないがどちらかというとビジネス書であって、会社の組織で生産性をどうすればあげられるかという課題が設定されていると思う。けれども、『自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方』の方は、具体的に個人が自分の人生を楽しむためには、どういう生き方をしなければいけないかを問うている感じがして、より具体的です。


僕の理解を一言で極端に言えば、自分が捌き切れないくらいのスケジュールを入れて期限を切ってしまえば、人は試行錯誤して、それを達成できる方法をひねり出す、それこそが生産性を上げることにほかならない、ということ(笑)。←はしょりすぎか?。要は、そのような期限の設定と管理の試行錯誤トライアンドエラーを恒常的に、どれだけ自分がしているか?ということ。漫然とものごとをこなしていると、どうやったら楽に、早く、しかも確実に意味ある結果が出せるか?ということを俯瞰して考え続けたりしない。時々追い詰められると締め切りの直前に凄い仕事が進むときがありますが、それは集中力プラス、時間の有限性が凄まじく襲ってくるから生まれることなんだろうと思います。ようは、生産性を常時、考え続ける圧力に自分をさらしているか?ということ。


もちろん、そんな単純な話ではないのですが、定義は、生産性がインプットに対するアウトプットの量だとすれば、どれだけ効率的にそのアウトプットを生み出せるか?ってことです。「(生産性って)インプット分のアウトプット。どれだけのインプットでどれだけのアウトプットが生み出せるかよ」と伊賀さんがYahooの安宅さんと対談した時に書いていますが、生産性ってかなり怪しくて雑な言葉で、様々な人がいろいろ書いていますが、難しすぎてよくわからないのが実態です。でも、伊賀泰代さんとちきりんさんのこの2冊を読むと、かなり深くまで議論が進みます。それに何より具体的に「使えそう」というのが、射程距離が長い本だと思います。


http://www.dhbr.net/articles/-/4631


デメリットというか、ちょっとマイナスに思ったのは、反射的にですが、生産性を上げていく方法は、そうはいっても試行錯誤できるタフな心身と目的意識がないとだめだよなと思ってしまうところから、強者の論理だなーとも思いました。でも、そういう風に生きられなければ損をするのは自分だし、何も一足飛びにすべてをやる必要はない、稀少な時間資源をどう有効に使いアウトプットへの質を高めていくか?ということなんだなと思いました。実際は思ってしまうけど(笑)、ここでそういう強者の論理だ!とひがみ根性を出していては、自分の人生は全く改善されないよな、としみじみ思いました。そうはいっても、やっぱり最初は、そんなしんどいことできないと、心折れそうになりますけどねぇ。ただ、この本はとてもよくて、読むとやる気が出てきます。なんか、このくらいの具体的なことへ分解していたらできそうな感じが凄くするんです。自己実現系の、気合が必要だ!とか、志が必要だ!とかそういうのは、ないので、安心して読めます。


生産性のある言葉と行動にフォーカスしないと、無駄な人生に終わる
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140613/p1


結局は自分が強い目的意識を持って、それを作業に分解して、期限を切って、大量に効率よく捌いて結果が出していけるようにしないと、人生を盗まれて食い物にされるだけで、そこは自分でやるしかないんですよね。ここにかかれているように、希少なのはお金だけではなく、「時間そのものも希少価値のものなんだ」という意識はある人とない人は、とても分かれます。この時間に対する感覚の違いが、人生をだいぶ分けていくように感じます。


よく考えると、時間の希少性、有限性への意識って、ハイデガーですよね。死を意識できるかどうか。人間の人生は有限で限りがあるんだ、と実感すると、人は限りなく優先順位を意識します。それを日常からやれる人が、有意義に人生を送ることになるのは、当然なんですよね。ただ、その時まで人は死を意識できないものなんですけどね。


生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの


ちなみに、マクロ的に、ビジネスの領域で、なぜ生産性が重要かというと、やっぱり高度成長期が終わったので、そこを改善しないとどうにもならないという大きな構造があります。それを事実に基づいて、わかりやすく説明している本は、デービッド・アトキンソンさんの下記の本です。そりゃ、生産性は高いほうがいいに決まっていますが、なぜいきなり今になって急にこの言葉が叫ばれるのかは、背景を押さえておくと、マクロの動向がわかっていいです。大きな流れがどこに向かうかの意識なくして、何をどう具体的にすればいいのかがわからなくなってしまいますので。この場合のビジネスでの生産性は、よりクリエイティヴなものを生みだすための時間を確保するために上げるものになるのが、日本社会や組織では重要になってくるはずです。漫然と生産性を上げるということはありないんですよね。生産性とは、目的意識がないと測れないものですから。具体的に、何をどうすべきか?を理解するには、時系列的になぜそうれが必要とされるかの構造を前提としないと、結局は何もできなくなります。こう考えると、疑問は山ほど浮かびます。じゃあ、創造性ってなんだ?とかね。そういうことをくみ上げて自分の意見を作らないと、具体的に行動のレベルになった時に、何も思い浮かばなくなります。

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論―潜在能力を活かせない「日本病」の正体と処方箋

もう一つは、『ライフシフト』。この本は、マクロ的に個人がなぜ生産性を上げなければならないかに答えてくれます。そしてそれがどういった状況下で要求されることなのかも。状況、とは、一言でいうと平均寿命が100歳を超えることが当たり前となる社会で、僕らの感覚がどうなるか?ということです。さらにさまざまな医療が発達して、高齢者のクオリティオブライフが上がるというのはどういうことか?と考えると、僕は単純にバラ色だとは思いません。年金も破綻するというか、そもそも平均寿命が上がれば、働く年数が増えるのは当然で、これまでの「人生の在り方」「人生の完結の仕方」「人生の勝ち負けのパターン」が、全部変わってしまいます。その風景を知らなければ、なにに向かって、どんな生産性を上げなければいけないかがわかりません。生産性というのは、目的が設定されて初めて図れるものだからです。では、そのような社会はどうなるか?という地図が重要です。なので『ライフシフト』はおすすめです。僕は、100歳を超える平均寿命が当たり前になれば、同じシゴトをずっと続けることは不可能で、その分勉強をし直したり、新しい仕事をしたり、新しい人間関係を作り直すのが当たり前になります。その時の感覚は、まったく以前の僕らの親の世代とは違うものになるでしょう。


LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

その兆しは既に見えます。僕はずっと、定年退職をした後のセカンドラウンドライフの話をしてきましたが、これはまだ、定年という概念を前提としていました。けど、そもそも平均寿命が100歳を超えて、QOLは人によってかなり異なると思うのです。そうしたら、どうなるかは、全然違う世界が見えると思うのです。そういった時代は、どうなるか、楽しい時代に本と生きていると思います。ちなみに、セカンドラウンドライフで、僕がロールモデルとしてずっと気にしているのは出口さんです。この人の人生は、とても素晴らしい、と僕は思います。


「思考軸」をつくれ ― あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由