『<平成>の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか』 藤井達夫著 新自由主義、ネオリベラリズムをどう評価するか?

〈平成〉の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか (イースト新書)

評価:★★★★4つ
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

非常におもしろくて夢中で読ませてもらいました。老齢になられた今上陛下が譲位するだけ(この記事書いたの3月だ。。。)であり、特に意味があるわけではないが、平成の30年をひと固まりとして、とらえたときに何が見えるか?。いつものごとく特に要約もせず、自分が「この本を読んだときに最も印象に残った部分」を書いてみたいと思う。それは、多分著者の藤井達夫さんの意図や、きっと政治的な理念、倫理とはかなり外れた、解釈としては、ほとんど真逆の(笑)感想なのですが、この本、特に第二章「ネオリベ化した社会の理想と現実」を読んで、しみじみ感じたのは、ああそうか、とネオリベラリズム新自由主義)の日本社会に展開していった経緯を読んでいって、とても腑に落ちました。


そうか、ネオリベラリズム、社会のネオリベ化、というのは、不可避のことだったんだな、と。


しかも、1979年(昭和54)の連合王国保守党サッチャー政権、1981年(昭和56)米国共和党レーガン政権を端緒に、80年代以降欧州、米国においてネオリベラリズムが受容されていく流れと合わせれば、これが世界的に不可避であり、大きな流れとしては、この不可避さというのは、全世界共通の流れであったのだと。


というのは、現在の日本の政治経済状況を批判するときに、すべての元凶の一つとして小泉・竹中政権(2001-2006)の「聖域なき構造改革」特に労働者派遣法改正以後の非正規雇用の拡大を指して、すべての元凶はここにある的な、あいつらが悪い!という意見を聞くたびに疑問を持っていた。


たしかに、これまであった日本の「社会的紐帯」をズタズタに破壊し、ロスジェネ(まさに自分が当てはまる団塊のジュニア)の希望を打ち砕き、日本社会の安定性を崩壊させたキーポイントはこれだったのは、まさにここだったと思う。これは、今から振り返れば、その通りだろうと思う。けれども、僕は、とてももやもやした感じを、これが批判されるたびに感じていた。「もやもや」というのは、何というか批判するのは、よくわかるんだけれども、、、なんだか、卑怯な気がして、納得がいかなかったからだ。いまでも、小泉改革路線の当時の「大きな方向性」は、「当時それしかなかった」と思うし、当時の持てる背景で「それ以外の選択肢がなかった」と思うのだ。


ではどうして、そのような政策パッケージが当時必要とされたかといえば、ケインズ福祉国家の理念による大きな政府の運営は、専門家集団による抑圧的かつ苛烈な管理社会を生み出し、そうした自由が抑圧される社会においても、スタグフレーションなどの構造的な経済不況を一切克服できずに行き詰まりを見せていたという社会の末期的状況を背景があった。そして、これは日本一か国の現象ではなく、先進国すべてに共通する構造で、すべての社会が同じ政策パッケージの導入を図っている。だとすれば、それ以外の選択肢は、なかった、ということになる。


そして、では、ネオリベ的な政策パッケージを、当時実施しなければならなかった時に、市場を通しての激しい競争を、起業家精神を持った個人が実施することの目的は何だったか?。


それは、1)ケインズ福祉国家型管理社会の構造的な経済不況をイノヴェーションによって刷新すること、2)大きな政府の抑圧的でシンプルな一億総中流という大きな物語を解体することによる個人の自由、多様性を取り戻すことであったはずだ。僕は、2019年現在、この2つの目的は、どれほど達成されたのか?というのが興味がある。


ちなみに、1)は感覚でいうのは難しいのだが、2)に関しては、僕は、当時から比較して、驚くべき多様性を許容する社会に日本はなっていると思う。それは、会社共同体を軸とする一億総中流の行動成長の夢がすべて解体されたからだ。問題も多いが、多様性が認められているからこそ、これも、あれも足りない!と社会が怒り狂うアイデンティティポリティクスになっているわけだ。しかし、逆を言えば、巨大なマジョリティであった、日本人、男、中産階級、父親、家父長主義!!!みたいな塊はズタズタに破壊されてもいる。それは、それまで抑圧されていた様々な人々に光を当てることになっているはず。僕は、このまさにど真ん中に当たるマジョリティの日本人であり、団塊のジュニアにで、まさに自分が得るはずだった(笑)既得権益を破壊された立場だけれども(笑)、でも、今の方がはるかに生きやすくなったし、いい時代になったと感じるよ。


1)に関しては、もう少し調べていきたいなと思っているのだが、僕は、失われた20年を、北東、東南アジアの市場で戦うビジネスマンであり、現在は米国のグローバル企業で働いているのだけれども、全体的に、人類はよき方向に向かっているし、その中で相対的に激しい没落をする先進国の人類のフロントランナーの一部として日本は、ギリギリ生き残れているように感じる。まぁ、さまざまな、少子高齢化や低成長などの問題は、そもそもアジアに共通する構造問題プラス、先進国の共通課題であって、日本だってめちゃくちゃというわけではないと思う。なぜならば、ほぼすべての国がめちゃくちゃだから(笑)。

老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わるとき (中公新書 1914)


だとすると、大きな流れ、大きな視点では、これ、何が問題だったのか?という気がする。当時であれば、それ以外の方向性は見いだせなかったはず。



とはいえ、時間がたったいまでは、著者も指摘しているように、何が問題だったかは、はっきりしている。ネオリベラリズムは、個人の自由を市場の激しい競争をベースに考えられる統治の理念だ。


日本的ケインズ福祉国家の究極のラスボスは何かといえば(当時は、それしか社会で合意が得られなかった)、それを壊すために何が必要かといえば、当時の問題意識は、労働の非流動化だ。やさしくいいかえると、いまだ大きなラスボスとして君臨している、会社共同体を軸とする日本的雇用慣行だ。これを、個人の自由に解き放とうとすれば、労働市場の流動化は、政策として、正しいし、僕は今後の社会において、この方向性は、正しいというよりも、、、不可避だと思う。


でも、ここに日本の場合大きな落とし穴があった。最悪だったのは、けっきょく団塊の世代などの既得権益を持つ、大企業の正社員たちの既得権がぎりぎりまで守られる形で抵抗されたので、理念のみで先行した導入が行われ、最初にこの洗礼を受けたのが、「若者世代(団塊のジュニア世代以降)」であり「主婦ではない女性と子供」であったこと。これははっきりと、日本社会は、そのつけを明確な少子化という形で、社会の再生産の阻害という形での反動が起きている。


だから、まずこの部分を批判するのならば、世代間分裂の立役者になった、経営者資本家層とともに大企業の正社員たちのユニオン、労働組合が告発されなければ、納得いかない。イデオロギーでいえば、左翼でありリベラルになってしまうだろう。経営者や資本家層は、そもそもそういう存在なので(これは、現在、アトキンスンさんによって、告発されているので、今まさにここにメスが入ろうとしているとは思います)、彼らよりも、僕は、大企業の正社員で組織される労働組合や、言い換えれば古いタイプの左翼の欺瞞が、まず言われなければ、なんかおかしくない?と思う。こういうリベラル、左翼の欺瞞が、大きな流れでの不信と、保守、右翼へのシフトをよんでしまっていると思う。


しかし!、政治というのは、そういうものだ。日本以外の欧州、米国では、これが人種や民族の違いで、分裂として現れた。言い換えれば既得権益を持つ先行世代が、いきなり自分たちの「過去に努力?して獲得した部分」を放棄することを拒んだのだ。アメリカでは、新規の移民を毛嫌いして差別する行動に表れているように、要は既得権益が自分たちの利益を守り、その害を、社会の弱いものに押しつけたんですよね。


だとすると、責めるべきは、ネオリベラリズムではないと思うのだ。「もっと賢いやり方があったはずだ」というのは、後知恵だ。団塊の世代、ベビーブーマの集票力と社会の影響力からいって、結局は同じことになったと思う。結果が出て、その悲惨さに気付くのだ。


もちろん、まだ遅くはない(微妙だが)。日本社会のケインズ福祉国家の統治理念による行き詰まりを、労働の自由化という観点で進めるときに、若年層と女性にその負が向かわない政策的なセイフティーネットを、徹底して取り入れるべきだろう。とりわけ、若者と女性という層に対する狙い撃ちは、社会的に共有、許容できるはっきりした目的、指標がある。


それは少子化対策だ。


これが急速かつ抜本的に改善できなければ、すべて間違っている!と今は、もうはっきりと社会的に合意が得られると思う。これは、愛国を歌う右翼であろうが、リベラリズムによる少数者の権利を目的にする左翼であろうが、確実に合意できる雰囲気が、今はある。特に、社会の再生産、人口減少の歯止めは、国際競争の観点からも、大企業や資本家、経営者、それこそ日本はえらい!とか言いたがる右翼にでも確実に合意しなければならないポイントだ。これにアグリーしなければ、日本社会の参加者たる一員であるというのは、いいがたくなるだけ、少子化は進んでしまっている。ということで、僕は、2020年の東京オリンピック以後、ポスト安倍政権では、この部分が政権の大きな課題になるし、社会として明確な争点というかポイントになるだろうと思っている。



ちなみに、資本家や経営者の方は?というのは、いままさにホットなテーマで、労働の自由化は、じわじわと不可避の流れで、日本社会はある種の大きな流れを感じる。しかしながら、経営者のアニマルスピリッツを期待できるような社会的な構造は、全くない。だからこそ、日本の産業のシフトが進まず、失われた30年になり、そして今も失われている。このへんは、いま、アトキンスンさんの意見にとても注目している。


日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義


デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論


ちなみに最低賃金の引上げ。毎年上げる。韓国の例はあきらかな例外事項(そもそも極端に上げすぎると経済が破壊されるのは実証されていたこと)無視。というのは、興味深い。なぜかというと、具体的な社会改良の施策でかつ、合意可能性が高いと思うからだ。最終目的は、産業の構造改革であっても、スタート地点は、労働者のルサンチマン解消などなので、合意が得られやすいと僕は思う。。。この辺りは、もう少し勉強が必要な、最前線のお話。


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アベノミクスによろしく (インターナショナル新書)


ちなみに、明石順平さんが、はっきりとアベノミクスの失敗を解説しているのだが、実質賃金がどんどん下がっているのは、ようは、アベノミクスの3本の矢でしなければならなかった、最も重要なポイントでである産業構造の転換、生産性の向上を進めなければならなかった「構造改革」の部分が一切手つかずで、単にインフレだけ進んだので、日本社会の経済的な潜在性が棄損されてしまった。ここは、経済学の部分で難しいので僕もちゃんと理解できているとは言えないかもしれないが、生産性の議論と賃金の話は、アトキンスンさんの話とも整合している。なので、明示的にわかってきた事実なんだろうと思います。金融政策としてのアベノミクスの、そもそも3本の矢というコンセプトは重要で、金融政策はそのための時間稼ぎにすぎなかった(それ自体は多少は効果があったが、多少だった、、、)が、それがなされなかった(数字にはっきり出ている)ので、日本は沈んだままということになる。



そして、、、もう一つ、社会のネオリベ化のもっと根本的な問題だ。それは、グローバリズムの進展による「社会的紐帯の空洞化」だ。



ネオリベラリズム的な社会は、究極のところ、僕はリバタリアニズムの理想とする社会だとおもう。こういった層は常に存在する。ピーターティールさんでも、堀江貴文さんでも、ティーパーティでも、だれでもなんでもいいのだが、まぁいるよね。ちなみに、『月は無慈悲な女王』を読みたいところ。

ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)


しかし、けれども何にも縛られず自己責任で完結した「剥き出しの個人」が、「万人の万人に対する闘争」的な北斗の拳的無秩序殺し合い空間で、「素手で殴りあい殺しあって」こそ、イノヴェーションができる(苦笑)という理想は、いや、それは、理念として、特に大きな政府ケインズ型介入主義のアンチテーゼとして純粋な理論としてはともかく、あまりにサスティナブルじゃないでしょ。


とりわけ、「社会的紐帯が」破壊されて消えていくことによる、民主制を成り立たせるインフラストラクチャーの崩壊が、問題だ。


しかしながら、古い形での左翼のリベラリズムはによるケインズ型の「社会的紐帯の維持」は、だめだ。仮に日本で考えれば、すぐにわかる。日本に置けるネオリベラリズムが出てくるまでの「社会的紐帯」は何だったかといえば、「大きな物語」に基づくすぐ特攻とかしたがるパワハラ会社共同体、そして家父長主義(専業主婦と会社員のパパ)に基づく頑迷な核家族、おまけに、画一的な労働者である24時間戦えますマシーンを生み出すための監視型責任回避の教育とかになぅてしまうんですよね。


要は、過去に機能したものを既得権益を守るために、機能しちゃう。なので、それを一回ぶっ壊せ、というのは、マクロとしては、それ以外の選択肢がないのだろうと思います。革命のようにガラガラポンをすれば社会は取り返しがつかないほど壊れるし、戦争でも同じ。そうすると漸進的に、と民主的なようで聞こえがいいけれども、その間、弱いものが生贄になってしまいやすい。


グローバリズムの進展による、過去の代表制民主主義を成立させた「社会的紐帯」が、既得権益のラスボスになり果てている限り、この中身をちゃんと、新しい時代に、来るべき次代にふさわしい意味のある「社会的紐帯」として鍛えていくしかないのでしょう。


ちなみに、この気づき、、、、社会のネオリベ化の大きな流れは不可避だった(それ以外当時に選択肢がなかった)けど、、、しかしながら、個別事情が全く顧みられていなくて、問題が激しく出てきたという部分を、じゃあ、どうするのか?という観点は、まだわかっていない。というのは、最低賃金の上昇と、それにともなう生産性向上への経営者のアニマルスピリッツを取り戻すという流れは、もともとの福祉国家的なケインズ主義的な国家運営に対する対抗の流れと同じように思える。


なので、では、じゃあ、その前の現代の福祉国家というものは、どういう起源があって、必要とされたのかの根本に戻ってみたいと考える今日この頃。


toyokeizai.net


ちょっと気になる政策思想: 社会保障と関わる経済学の系譜


ということで、出口治明さんのおすすめがででた。こういう嗅覚というか、素晴らしすぎて涙が出る。。。

現代の福祉国家は、戦後生まれたものです。

現代の福祉国家における社会保障の機能とは、かつての救貧院や施療院のような「救貧」を目的としているものではありません(生活保護は日本の社会保障給付の3%を占めるにすぎません)。その機能の中心は、社会の中間層の貧困化を未然に防ぐ「防貧機能」にあります。

「分厚い中間層」こそ、安定的な消費=需要を生み出すコア層であり、社会=民主主義社会の中核を担い、政治の安定を支える層でもあります。民主主義と社会保障の親和性は、まさにここにあります。

ピケティが『21世紀の資本』の中で述べているように、資本主義経済の下では、長期的に「r>g」が成立しています。資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る、付加価値は資本の側により分配されていくということであり、より富めるものにより多くの付加価値が分配されていきます。つまり、付加価値の分配を市場機能のみに委ねれば、ゆっくりと、しかし確実に格差は拡大していく、ということです。

格差の拡大は、いずれ消費=需要の鈍化を招き、成長の足かせとなります。このことは2014年12月のOECD経済協力開発機構)のレポート(“Trends in Income Inequality and Its Impact on Economic Growth" 邦題「格差と成長」)の中でも明確に指摘されています。

社会保障の機能を分配(再分配)という視点から見れば、社会保障は個人や家計のライフサイクルにおける「就労期=若年期から引退期=高齢期へ」「自立期=平時から要支援期=非常時へ」の所得移転でもあります。   

つまりはライフサイクルを通じた家計消費の平準化、「自立した中間層による中長期的に安定的な消費=需要の創出」ということを通じて経済の下支えをしている、ということでもあるわけです。日本の地方の経済(消費)を支えているのは、地域によっては県民所得の15%を超えている公的年金給付です。

次は、これを読んでみたいな。勉強すればするほど、本を読めば読むほど、自分がいかに無知なのか、に驚く。まぁ、たぶん頭がよくなる、とか無理だろうな、と思いながらも、せめて無知の知を意識しながらもっと足りない自分を何とか埋めるようにあがくような人間でいたいと思いはせる今日この頃。

『転生したらスライムだった件』 菊地康仁監督 ビルドゥングスロマン(成長物語の古典的な枠組み)で評価しないで見たいのだが、それが何なのか考え続けている。。。

転生したらスライムだった件 1 (特装限定版) [Blu-ray]

評価:★★★★☆4つ半
(僕的主観:★★★☆3つ)

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いまだ大きな疑問点としてこの作品について、わからない、、、と首をかしげている。だけれども、なんだか「自分が理解できない」ポイントに、時代の境目というか、大きな重要な、現代を理解する何かが隠れている感じがして、ずっと、何なのかなーと考え続けている。というか、まわりに、これを好きという子供、、、が多いんだよね。自分の子供も含めて。けど、僕の評価ポイントである「成長を通して自分自身になる」という古典的なビルドゥングスロマンで評価すると、どうしても「ほとんど何の障害もない」ように見えるドラマの設定は、駄作というか、面白くないいものとして評価してしまう。実際、かなりポジティヴに言っているが、YouTubeでの僕の評価も高くない。けど、、、、実際は、内心の評価は、高いんだよね。実際。24話?で、この起伏のなさで、僕はちゃんと全部見切っているのも、何かがあるような気がしてならない。たぶん、僕がおっさんで、頭が固くなって、自分の物差し(成長物語の古典的な枠組み)でしか見ていないので、取りこぼしているところが、あるように思えてどうすしようもない。それが何なのか?を、ずっと考え続けている。


逆に考えればいいのではないか、と思っている。


というのは、古典的な成長物語の物差しで、自分が「引っかかる」部分というのは、俺TUEE的に、主人公のリムルくんが、なんの内的葛藤や、厳しい試練を超えるわけでもなく、ひたすら相手の能力をコピーするということで、「様々に起きるイベント」をクリアーしていく様は、「それは成長じゃないんじゃないか?」という、部分みたいなんですよね。これは、僕の感情の部分だけではなく、物語の障害がチートというか、より深いレベルでの葛藤や苦しみをもたらさなければ、物語の起伏が生まれず、平坦なドラマトゥルギーになってしまい、ドラマがドラマとして成立していないのではないか?という疑問です。けどね、子供の話を聞いていると、「まさにそこがいい!!!」(笑)というようなことを言うんですよ。戦争もおきているし、いろんな大変なことおきてるじゃないか!と言われてしまって。。。なるほど、、、、と。ちなみに子供は小学五年生。ちなみに、うちの娘の小学校の同級生の女の子が、これが面白しろくてたまらん!と言ってたと娘が言ってて、、、いや、どうやって見てるんだろう???、、、全く日本語分からないアメリカ人なのに、、、。ちなみに、うちの娘は、その子に紹介されて、見たい!と言い出した。何か方法があるみたいなのだが、、、ネットフリックスかなにかでで字幕のやつあるのかな?。マジでリアルタイムで見てるみたいなので、いやはや世界は変わったなーとしみじみ。


どうもね、、、、古い枠組みで考えると、安易に「ドラマの起伏がなく(=成長のための障害がないのは卑怯)」というような感情的、論理的評価になるんですが、、、、この物差しが成立していない気がするんですよね。最近の作品では。古い物差しで「最近の若いものはだめだな」みたいなのは一番ダメな老害パターンだと感じるし、、、何よりも、僕のアンテナが「ここには何か掘るべきものがある」感じがして仕方がないんです。なろうの作品や、このすばの議論もすべてこれでしたが、あの時は、まだ古い物差しが、ある程度は機能している感じがした気がするのですが、この作品はそのハードルを超えている気がして、、、「それ」が何なのかまださっぱりなんですが・・・・。


ただ少なくとも、新しい世代は、何か違うものを見ている感じがしてしょうがない。自分の物差し(成長物語の古典的な枠組み)は、物語の重要な評価軸として、メインの一つであり続けるとは思うのですが、それに匹敵する同時代性の何か?がありそうな気がして、、、最近、しきりに考えます。



ちなみに、4月は、一個もブログの更新がないところだった。これを見ると、ほんとに忙しい時とそうでない時が、一目瞭然にわかる気がする(笑)。一月に一度も更新がないのは、さびしすぎると思って、とりあえず書いてみました。


転生したらスライムだった件(1) (シリウスコミックス)

『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』シーズン4 USA 2008-2013 Vince Gilligan監督 怪物の誕生

ソフトシェル ブレイキング・バッド シーズン4 BOX(6枚組) [DVD]

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


何度も言いますが、ネタバレなんで、ラジオ記事ともに、最初のシーズン1から見てください。そこは大丈夫ですが、以降は、すべてかなりのネタバレです。

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■最高峰の悪役グスタボ・"ガス"・フリングとの息詰まる戦い

シーズン4は、僕の人生の中でも最高レベルの物語体験だった。前回の記事とラジオで、シーズン1‐3までの、この物語の持つ構造が示したつもりなんだけど、悪意がなく家族のために極悪人になっていく構造が示されるとき、シーズン5で示される結論は、2つのテーマを持つことになる、と思うんですよ。


一つは、1)「許されない罪を悪を、主人公は、どうして?するのか?続ける・たのか?」という問いと、



もう一つは、「ここまで積み重ねてしまった許されない罪に対してどんな応報(罰)を受けるのか?」ということ。


この辺は、シーズン5で語るべき、テーマなんですが、、、、シーズン4は、ようは1‐3で示されたドラマトゥルギーと、シーズン5での結論との、間に挟まる、、、、極端に言えば、中途半端でどうでもいい話なんですよ。



にもかかわらず、、、人生で最高レベルの物語体験といえるほど、スリリングで、刺激に満ちて、見るのを止められないほど面白かった。僕は、ホラー映画とかギャング映画とか、怖いのが基本的にダメな、チキンくんなので、そんなに魅力を感じてなかったのですが、これでギャング映画とか、この系統の映画に、めちゃくちゃ目覚めそうです。なんで、損ない面白かったのか?と自問すると、



その理由は、僕の物語大好き人生の中でも、最高といっても言い過ぎではない、ラスボス、グスタボ・"ガス"・フリングが、余りに凄いラスボスだったからです。



彼の、犯罪者としてのプロフェッショナルさが、凄い存在感でした。



■Giancarlo Esposito as Gustavo "Gus" Fring ~アメリカの過去の物語の中で最強の悪役とまで言われる


いろいろな批評を読むと、ガスのファンは根強いですよね。僕も、いまだうまく口にできないんだけれども、悪役として、なんというか最強な感じがしてて、なんでそう感じるんだろうと考えています。だって、物語構造はいろいろ説明できるんだけど、ブレイキングバッドは、シーズン5でうまくまとまっていて、「極悪人の怪物になっていくウォルターの罪と罰」という構造上から言えば、シーズン4は、その途中の話だし、、、いいかえれば横道?とまではいわないがエピソードだし、シーズン4で、はっきり言えば途中で倒されちゃう敵なので、ラスボスとさえ言えない感じなわけですよ。ガスは。でも、もうこいつ以上の悪役はいないんじゃないの、というほどのラスボス感で存在感ありまくりで輝きを放ちます。


44話、降りそそぐ危機 Crawl Space
45話、憎しみの行方 End Times
46話、フェイス・オフ Face Off


この辺りとか、もう凄すぎて、見るの全く止められませんでした。シーズン1‐2の頃、余りに主人公のウォルターホワイトの状況が苦しすぎて、見るのがつらいとか言っていたのが、全く忘れ去ってしまうくらいの、凄いエネルギーと魅力でした。ここまで見たら、この作品が、物凄いレベルの名作、傑作なんだというのがわかると思います。まぁ、そこまでいかなくてもわかるけど。


ちなみに、シーズン3の最後で、ゲイル・ベティカー (Gale Boetticher)を殺されるじゃないですか。シーズン3で、32話:憎しみの連鎖/Half Measures、33:向けられた銃口/Full Measureで、ウォルターが覚悟がガンギマリになっていく様を説明したんですが、この部分って、本当に悪人というか仕事人として、権力の世界で生きる嗅覚と覚悟に優れているんだよな、と僕は驚きました。ウォルターがね。というのは、ゲイルって、終始、ウォルターを尊敬しているじゃないですか。人間性もいいし、何よりもウォルターが愛する化学の才能がある。けれども、そういった「雰囲気や空気」には一切惑わされないで、ゲイルがいれば、いつでもガスがウォルターを殺せるというのが、ウォルターはすぐに理解しているんですよ。これ、すごいなぁ、と。普通、にほぼ日常で、ほだされちゃったりして、なかなか踏み出せなくなるはずですが、ウォルターは、身内とそうでないものの線引きの鋭さ明確さが、本当にすごい。これは、ガスの凄さにも通じるんですが、身内と認識していないものに対する、容赦ないまでの冷酷さは、犯罪者として生き抜こうと思ったら、必須なんでしょうね。けど、これがなかなかできない。


それにしても、ガスの冷静さってのも、さらにウォルターに比較して、凄い。ウォルターが気づく前に、ガスにしてみると、ゲイルを保険にして、ゲイルが高い品質のメスを作れるようになれば、ウォルターを殺して排除できるという仕組みを作っているんです。こういう準備というか、関係性、構造を作るところは、まさに「組織人としての有能さ」を本当に示しているなぁと思います。どんなに感情的なことを言おうが、「この構造」を作っておけば、「何かあれば」すぐに、ガスはウォルターを排除できるのです。ガスが最初、まじめな犯罪者(笑)であるウォルターをとても気に入っている様子からも、なんというか、そもそも信用するしないとか、好き嫌いとは別に、常にこういう「仕組みを組織する」というのが当たり前になっているのが、信じられないくらい有能だなって思わせます。これ、仕事を円滑に回すには、空気を読んで、「目の前の人間関係をよくして」、いろいろ妥協して合わせて、、、、というのをやっているうちに、仕事の構造、マクロの仕組みから、どういう風にリスク管理するかを考えることは、抜けてしまいやすいのですが、見事なまでに冷静にこの違いが管理されている。ガス凄い。


というガスの「いつでも決断(殺せる)」という構造を、ウォルターが、強く意識しているからこそ、ドラマに緊張感が生まれるのです。決して、ガスほど、最初から分かっているわけでもないし、ガスほど、すべての感情をちゃんと分離して、仕組みを作っているわけでもないのは、シーズン1-3のウォルターの戸惑いを見ていればわかります。「にもかかわらず」、それにちゃんと気づいて、ギリギリのところで、ゲイルを殺すのに成功するのが、シーズン3でした。ようは、ウォルターは、ガスに比べると、凄い小者に見えるんですね。


シーズン4は、ウォルターに先手を打たれて、ゲイルを殺されてしまったガスが、怒りを爆発させるところから始まります。33話:ガスの怒り/Box Cutterですね。このタイトルも、日本語訳は、分かるんですが、、、やっぱりBox Cutterの方が意味深で、しかもストレートでいいタイトルだと思うんですよね。彼がこのカッターを使ったところに、凄まじい怒りが示されているわけで、、、。


■なぜ、ガスは、ヴィクターを殺したのか。34話:ガスの怒り/Box Cutter

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なのでシーズン4は、明らかにウォルターを排除しようという意思を見せたガスに対して、ウォルターがどう戦うか?という、知恵比べ、根競べ、出し抜きあいのスリラーになります。


けれどね、このシーズン4が秀逸なのは、構造的には、ウォルターVSガスというチェイサーゲームみたいになっているんですが、それでだけじゃなくて、アメリカの麻薬の流通に関する覇権争いが同時に進行しているんですよね。凄まじい品質のブルーメスを引っ提げてアメリカのニューメキシコを中心とする市場をガスは手中に収めつつありますが、それに対して、麻薬カルテルは、激しい敵意をむき出しにしてきます。


■麻薬戦争(メキシコとコロンビアの位置関係)とヒスパニックの文化背景を知っていると、さらにおもしろい

この辺りの麻薬戦争の話は、なんというかアメリカでは、もう物語のフォーマットになるような「常識」に類する類なんでする。僕も不勉強なんですが、元ネタの一つといわれている、アルパチーノの有名な『スカーフェイス』1983年の映画の頃から当たり前になっていて、この映画は、キューバ移民の問題が背景に起きているんですが、その後の麻薬戦争の経緯もわかってくると、いっそう物語の理解が深まります。

もちろんブレイキングバッドだけ見ても、めちゃ面白いですが、こういう構造が起きる背景について、アメリカ的な常識を知っていると、ヒスパニックのカルチャーなどを理解していると、深さが何倍も深まります。『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』を、町山智浩さんがすすめられているのをラジオで聞いて、見た時は、その凄さに震撼したんですが、僕も南カリフォルニアに住んでいるので、あ、この感覚分かる、、、と思って、震撼しました。これ、リアル(現実)じゃん、、、って。なので、最近、2015-2017ネットフリックスのオリジナルドラマ『ナルコス』(Narcos)や2018年のピクサーアニメ『リメンバー・ミー』(原題:Coco)などもみようと思っています。この辺りに文脈がわかるようになると、、、、たぶんもっとアメリカがわかるんじゃないかな、と最近見つけた鉱脈に、楽しみを感じています。

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リメンバー・ミー (字幕版)


Coco Official US Teaser Trailer

皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇(字幕版)

Narcos Season 1 / ナルコス シーズン1 (日本語音声字幕無し) [PAL-UK] [DVD][Import]

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ちなみに、元ネタの一つとして、スカーフェイスも、素晴らしくよかった。これが、アフリカンアメリカンやギャングたちのバイブルといわれるのは、見ると本当によくわかる。

ヴィンス・ギリガンは「『ブレイキング・バッド』とは一体どんな話なのか?」を説明する際には必ず「チップス先生が スカーフェイスになる話(from Mr. Chips to Scarface)」と言っています。

これについては本当に何度も発言していて、前出のインタビューでも「たぶん今まで100万回くらい言ったと思う」と言っていましたw もう一方の「チップス先生」は、イギリスの小説「チップス先生さようなら」の主人公で、男子校の教師。


http://breakingbadfan.jp/trivia/everyone-dies-in-this-movie/

映画「スカーフェイス」はキューバからアメリカにやって来た難民の青年トニーが麻薬密売でのし上がり、一時栄華を極めるものの、次第に自身も麻薬や金、女に溺れてついには身を滅ぼす…という話で、1983年の公開以来現在までカルトな人気を誇る名作。監督はブライアン・デ・パルマ。クライマックスのセリフ「俺の坊やに挨拶しな!(Say hello to my little friend!)」は、アメリカではシュワちゃんの「I’ll be back」に並ぶ「誰でも知ってる決め台詞」のようです。

スカーフェイス (字幕版)

breakingbadfan.jp


■ガスのラスボスとしての凄み


だいぶ話が、わき道にそれましたが、ガスの凄いところは、プロフェッショナルの犯罪者として、あらゆる面が完成されているマシーンのような人なんですが、格からいうと、ウォルターは、だいぶ格下に見えるんですよね。それが戦うところに、絶望的な戦いの恐怖が描かれていて緊張感があふれるんですが、、、、、そのガスでさえ、麻薬カルテルのドン・エラディオには容易に手が出せないんですね。この対立関係が、何十年にもわたって継続されていて、しかも、初めて会ったときに、ドン・エラディオに大事な人を殺されてるんですよね。その復讐を、物凄い年月をかけて、冷静な顔をしながら、求め続けているんですよね。そういう背景もわかってくるとガスが、どんだけすごいんだ、と感心する。ちなみに『スカーフェイス』の主人公トニー(アルパチーノ)の相棒役だったマニー・リベラ役をやっていたのが、このドン・エラディオですね。この辺も、トリビア的なものですが、分かると、、、、おおーーーと唸りますよ。そう来たかって。

rocketnews24.com


43話:" Salud "復讐の杯。ちなみに、日本語タイトル、ネタバレになってるじゃねーか、と後で見て思いましたよ(笑)。これいっちゃあかんやつだろ、と。ガスが、ドン・エラディオに強い憎しみと復讐心を持っているとは、、、という物語の凄さをうばっちゃうので、これはなー。Saludという、一見分からないシンボリックなタイトルにした意味が失われちゃっている。



このガスの、凄まじいラスボス感というか、悪役としての重みってのは、ウォルターに、ゲイルをつけたり、「その犯罪の継続性」がちゃんと持続可能になるように、様々な仕掛けが「安定的に」つくられて、プロとしての凄みを本当に見せつけてくれるからだと思うんですよ。様々な部下や協力者たちから、深い尊敬と畏怖を勝ち取っていて、かつ、そういった「恐怖でコントロールする部分」の抜き差しも、十分に分かっていて、、、、つまり、恐怖で人をコントロールすると、ある人には聞いても、凄いアホとか、凄い自尊心がある人とか、ある種のタイプに逆効果だったり、「どのタイプのアプローチ」や「状況づくり」が、安定的な構造を作るのに寄与するかが、十分以上に計算しつくされているんですよ。


これは、「凄い」ことだと思うんですよ。


というのは、ウォルター・ホワイトも、スカーフェイスのトニーも、ピカレスクロマンの大犯罪者になって上り詰めていく物語の主人公の大問題点は、「自尊心の問題」なんです。


つまり、自分が「その犯罪」という極端な逸脱行為をすることでの自己実現を、「誰に認めてもらうか?」という話なんですね。


スカーフェイスのトニーもウォルターも、自分が「その巨大な犯罪という仕事を」切り盛り、こなし、解決し、マネージしているという「自負」を、時々タガが外れて、周りに示そうとして、どんどん壊れていったり、完全犯罪がばれちゃったりしちゃうんですよね。ウォルターが、大事なところでばれちゃうのは、麻酔をして酩酊したりすると、ぽろっと漏らしちゃう。これって、普段は強い克己心で自己コントロールできているものが、酒、麻薬、あと感情が爆発した時に、コントロールできなくなって、「自尊心の問題」、おれを認めてくれ!という気持ちが出てしまうからなんですね。ピカレスクロマン(悪漢小説)には、つまり、犯罪者や悪者が、のし上がっていく過程では、その違法性によって、「世間に向かって自分の才能や凄さを宣伝できない」という問題があって、それをアピールすると、捕まってしまう。もしくは、ライバルに殺されてしまう。だからと言って我慢していると、やっぱり、強い自負心が、自分の自我を摩耗させて、奇矯な行動に走らせて、やっぱり同じ結果になってしまう。いいかえれば、ドラマトゥルギーが進めば進むほど、どんどん警察に捕まる可能性が高まるか(だって、自分からアピールするから)、もしくは、自分自身をコントロールできなくておかしくなって自滅していってしまう、というところに、悪人(他者に認められない類の才能)のビルドゥングスロマン(成長物語)の面白さ、物語性があるんです。



が、、、、、ガスには、そういった「あやうさ」が全くないんです。



だから、あの巨大な麻薬ディーラーの仕事が、明らかに安定して続いていく、持続可能性を持っているのが、周りから誰が見てもわかるんです。実際、周りの部下たちの心服と信頼を見れば、それがよくわかります。特に、トラブルが起きている時ほど、ガスに味方したり、ガスに駆けようとする人がたくさん出ているポイントも見逃せません。Mike Ehrmantraut(マイク・エルマントラウト)が、最後の方で、ウォルターに、ガスだったらもっと安定してビジネスが継続できたのにと叫んでいた時は、いやはや、ほんとだよなーと沁みました。ガスが、ウォルターにこだわったのも、必ずしも必要のない「品質の高さ!」にこだわっているからで、その求道精神は、より完璧を目指す大企業の経営者のように見えます。これが、他の平凡悪役との凄まじい違いとなって、格の違いを見せつけるんです。かといって、そういう場合は、動機や根拠がない、マシーンみたいに描かれてしまって、動機が描かれないから、怖くはあっても、人間に見えないので、感情移入しにくいし、そもそもそんな人本当にいるの?と思ってしまいやすい。けれども、ガスには、ちゃんと背景がある。復讐、という大きな目的もある。彼が、人間関係をミクロでも結べる人であることも、様々なエピソードで出てきています。実際、犯罪者として、真剣に金以上の何かを求める真摯なウォルターの姿勢に、とても好ましく思って、家にご飯い呼んだり、めちゃ人間らしいところも、よく見えるんです。けど、物凄く深く大きな復讐心を、何十年も隠していたり、それが整うまで、何十年も待つ根気もあるし、なによりも、追い詰めらたとき、43話のエピソードのような、自分の命をガツン懸けるかけまでできるんです。こんな勝負時に、自分が最も危ない、死ぬ確率が高い賭けをするなんて、すげぇ、男だよ。


この凄まじいラスボスを、どうやってウォルターが倒すのか!というのは、凄まじいスリラーとサスペンスです。


面白かった!


ちなみに、もともとガスの大事な人だったのは、パートナーだった男性なんですが、ガスがゲイかどうかは、いっさいあきらかになっていません。物語的にはあいまいな方がいいし、という本人やギリガンのインタヴューがありますが、それは正しいと思いながらも、僕は、ガスがゲイで、パートナーの男性が恋人だった説に一票。なぜならば、なんというか、好きな人がいる、その復讐を考えるというだけで、ラスボスとしては、「理由があるという背景を持つために」弱く負けフラグ的に見えます。それに、これは勝手なイメージで、もしかしたら、ポジティヴに言っているけど差別的な発言になってしまうかもしれないのですが、、、、僕には、ゲイって、物凄くリベラルで人間としていい人、という勝手な思い込みのイメージがあります。これ、パブリックイメージでもそうなんじゃないかなぁ、と思うんですが、、、、Netflixクィア・アイ』のファブ5(fab 5)とか、めちゃ素晴らしいじゃないですか。。。これ、めちゃいいですよ。


Queer Eye | Official Trailer [HD] | Netflix


えっとね、「だからこそ」、アメリカの犯罪映画史上の最高の悪役とまで言われる、この冷酷なラスボス、ガス・フリングの、奥深い人間性を感じて、そっちの方がかっこいい、、、と、僕は思っています。「ほんものの中のほんもの」って、そういうものじゃないかなぁ、と思うんですよね。全く、外側からの簡単な評価やメジャーを一切受け付けない。矛盾しまくってて、一般的な常識を受けつけない。


ガス・フリング。カッコよすぎでした。



■怪物となっていくウォルターホワイト


この最後の勝負、ガスとウォルターのカギを握るのは、Jesse Pinkman(ジェシー・ピンクマン)の心です。ジェシーの心を、、、彼は基本的にとても善人で、情にほだされて状況に流されやすい人なので、その場その場で揺れ動いちゃうので、本当に動かすのが難しい。ものすごく人間的に弱いんですね。だからこそ、彼は、本当にいやつに見えるのですが・・・・。


シーズン4で、明らかに、ガスが上司としてジェシーの心をつかんでしまって(笑)いるのが見ているとよくわかる。なんというか、ガスは、ウォルターのように情で訴えることは全くしないんですよね。そのあたりが、本当に組織人として見事。ジェシーがどう心が動くのかか?というのを、彼の性格や行動パターンから、さりげなく「そういう構造」を作っていくのが、信じられないほど巧み。


もう無理、、、、と思える最後の最後で、ネタバレですが、スズランの実の毒のシーンを見た時に、、、視聴者は愕然とするんです。


余りの格の違いに、ウォルターホワイトの戸惑いやガスへの負けっぷりに、ああ、この人は素人なんだなぁ、、ウォルターは、悪人としては、だめなんだなぁ、、、、とか、、、と思っているまだ、シーズン1‐3の覚悟が決まっていないころのやさしいウォルターを想定してて、、、、。




そして、あのラストのワンシーンで、それがひっくり返る。



・・・・・・・そして震撼します。ああ、この人は、希代の大悪人で、怪物なんだ、、、と。



いやはや、シーズン4最高でした。




■ほんとにいるウォルターホワイト(苦笑)


ちなみに、純度100%をつくる有名な犯罪者がいたそうです(笑)。名前が、同じ。しかも、ブレイキングバッドの放送の後。いやー凄い、シンクロニシティ


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