第23話「世界を止めて」 丁寧に積み上げていくと、それなりに見れるものにはなるんだよね

昨日子守をしながら、最近とりだめていた5話分くらいを一気に見る。そして、今日の23話も見る。・・・・つーか、真面目に見ていないので、キャラクターが良く区別がついていないにもかかわらず、よく涙ぐむんですが(笑)。あきらかに、感動しているんですよね。何というか、全体的に大きな不満を抱えているのに、なんか見てしまうし、見ると面白いって感じがいかもはだ感覚です。

昨日LDさんと話していたんだけれども、今の僕の感覚を言葉に表すと、たぶんテーマ的には、後退していると思っているんだが、素直にあきらめてちゃんと後退しているので、安心して見れるって感じです。というのは、素直にイノベーイターとアロウズっていう「悪者がいます」という善悪二元論に素直に収束している物語にしていると思うんですよね。だから見ていてとても安心するし、変な混乱が起こらない。CBの存在意義が分からないって、僕は書いていたんですが、人類の統一というマクロという流れに押しつぶされるマイノリティのために声を上げるという意味は、よくわかるし、悪者が存在すればその暴走を止める意味でもよくわかる。これは、善悪二元論の超克を見たいなーと思っている僕としては、とっても不満足ではあるが、古典的な物語でそつなくまとめているので、見ている方はそれほど大きな不満は出ないだろうなぁと思う。わかりやすいもの。ただ、この場合、LDさんが言っていたけれども、セツナのような「世界に復讐してもいい子」ならばわかるけれども、その他のメンバーは甘えんなよガキども、って気持ちになるのはよくわかる。とりわけ、ノリエガ君・・・・。この物語は、最初から最後まで、セツナという、宗教にハマって、さらに違う宗教にハマって、そこも乗り越えて、自分自身を見つけていく少年の物語として焦点が合っていたってことだなぁ。そう見ると、最初からがっちりそこは描かれている。最終的には、セツナとマリナ、それにサジとルイスのカップリングに集約されているみたいだしねー。ちなみに、最後に出てきた巨大な宇宙船とか見ると、SF的な評価でいうと、これまた物凄く安定的というか使い古された古典SFの王道を背景に置いているんだなーと思う。


ただ、、、、やっぱり人類の統一や、他の種との対話や、人類の革新とか、、、、なんというか、マクロ的なテーマとしては、いやこの場合SFのテーマといった方がいいのかなぁ、物凄く陳腐かつ王道で、そういう意味では、僕にはセンスオブワンダーはないなぁ。絵的な意味でも。


さて、それでじゃー第一部が意味がなかったとか言うとそんなことはない。いずみのさんがいっていたけれども、ちゃんと「積み上げている」ものは強いんだよね。やっぱりキャラクターをちゃんと積み上げて描いているから、それなりに舞台を作って物語ると、ぐっとくる。アニューの話も、、、、それって必要なのかな?、とも思うが、いやいらないというほどでもないし・・・とか思うのだが、マクロ的に見ると、、、(苦笑)。でも、ええはなしやーというふうになる。


ふと思ったのだが、この「積み上げ感」ってどういうものをなんだろう?。なんか都合のいい言葉な気がするのだが、最近これってキーワードなんだよね。『とらドラ!』もよくある話なんだけど、キャラクターを記号ではなく積み上げた結果、とてもいい作品に仕上がっているというような感想になるんだが・・・・。どうもね、積み上げようすると、マクロのテーマが描きにくくなってしまうような印象を受けるんだよね。逆にマクロのテーマをちゃんと描こうと、二元論を超えて描こうとすすると、感情移入ができなくなって視聴者が置いてきぼりを食らってしまう。それは、積み上げるという行為が、それなりの尺が必要なこうだからなのか、積み上げるような演出が得意な人はマクロに鈍感(=もしくは下手)になってしまうのか・・・。なかなかこう、その両方がビタッて一致したものをみないよなー。適当な感想でした。