決断幻想から契約と再契約の流れへ

昨日、海燕オフで、いろいろ話題になった議論の一つ。

1)90年代:逃げちゃダメ(=動機だけで、自己崩壊に至り、行動の動機付けを失う)
  →『新世紀エヴァンゲリオン

2)00年代前半:決断主義(=手段だけでパワーゲームの次元だけになってしまい、人間が記号と化してしまう)
  →『デスノート

3)00年代後半:契約と再契約(動機と手段のバランスを物語化する。自由意思の獲得のための再契約)
  →『Fate』『ゼロの使い魔』・Bodyもの

3)-1:「つくるもの・与えるもの」と「つくられるもの・与えられたもの」の葛藤のドラマツゥルギーへ
  →『真夜中の天使』『反逆ののルルーシュ』のCCとルルーシュ

具体例は、代表例ではなく非常にわかりやすく類型化できるものなので。また年代や作品を一つのカテゴリーに押し越えめるのも、単純にはいきそうにな。が、、、こういう「構造の流れ」はどうもありそうだな、ということだった。これは面白かった。いずみのさんが詳しく書いてくれそうな?予感なんだが、僕も自分でも考えてみよう。僕は00年代の想像力?というのかな、ウノさんという人が書かれている文を読んだことがないので、決断主義という言葉だけでの勝手なMY用語ですが・・・・。